蝶々の繭

〖第25話〗

　少しづつ進んでいく、月日の時計。少しずつ、絵ができていく。けれど楽しかった毎日のモデルをしている時間も、最近覚さんはあまり喋らない。

　沈黙の時間も筆があまり動いていない。瞳が、冷たい。俺と俺じゃない誰かを、重ねて見ている気がする。杞憂とは、解っている。

　前に聞いた、俺は父が覚さんを裏切っての母への夜這いに近い大恋愛のデキ婚の『結果』だと。前に覚さんが言っていたように、俺は父と母を誰に何と言われようとも、何も感じない。きっとそれを肌で感じたから覚さんもあの話をした。

　あのひと達──母は、俺の存在を穢いものとして扱い、父は、俺を空気のように無いものにし続けてきた。

『気持ち悪い』
『穢い』
『早瀬の家の子じゃない』
　
　だから俺に、親はいない。俺にとって早瀬の家は見たくもない傷口でもあるが、こうはなりたくないとする反面教師みたいなものでもあった。

　だから、此処に連れてきた、いつも何もしない父が、俺はあのひとが解らない。──かつて愛した人に──自分の息子を預けるなんて。ここまで自分の気持ちを客観的に見つめるようになれるまでかなりかかった。

　ただ、俺の存在が他人に与える影響なんて考えたことがなかった。まだまだ、俺は子供だった。俺という存在が覚さんの人生を変えたことは事実だ。俺ができたせいで、覚さんの人生のパートナーだった俺の父親は『デキ婚の親』と出来の悪いの三面記事みたいなレッテルを貼られ、覚さんの元から居なくなった。

　だから考えてしまう。最近思うようになったことがある。覚さんが父を愛していれば愛していたほど、俺の存在が、覚さんにとっての憎しみの対象なのではないかということを。

　不安がするすると蔦のように蔓を伸ばし身体を縛りつける。本当は嫌われている？　本当は憎まれていた？笑顔が、やさしさもすべて嘘かもしれない。モデルとしても、飽きられたのかもしれない。そう思ってしまった日から、世界は灰色になった。

　ご飯の用意も楽しくない。ティータイムも、ご相伴に預かるが美味しくない。毎日が怖い。終わりが怖い。覚さんに否定されるのが怖い。

『君なんて、必要ない』

　そう言われて捨てられた犬みたいに、トボトボと、この家を追い出される夢を何回も見た。不眠症だと押しつけられるように言われここに来た。今になって本当に眠れなくなった。