上 下
8 / 16

赤貧伯爵家、お客様をお迎えする準備をする

しおりを挟む
 お見合いの翌日。
 カミジョウさんに呼ばれ弁護士事務所に来ていた私は、ジョシュア様との婚約が貴族院で正式に受理された事と、彼が婿入りに際してテールズ伯爵家に譲渡される持参金のお陰で、銀行や取引先、及び父母の浅慮から出来ていた違法金融機関(こちらは法的手続きにて制裁済)のすべての借金が完済され、またじいやとばあやへの未払いの給金と退職金、そして慰労金の金額についても聞かされた。
 あまりに多すぎるとじいやとばあやに余計な気を遣わせてしまうため、過不足なく計算してもらった額は、爵位を返上した時に貰える慰労金では払えない金額で、どれだけ二人に負担をかけていたか、改めて思い知る。
「……よかった。カミジョウさん、ありがとうございます」
 心底ほっとし、しっかりと頭を下げてお礼を伝えると、彼ははにかむように笑った。
「ジョシュア氏の専任弁護士としてしっかり成功報酬をもらっているので気にしないでください。それに、唐突な、しかも不躾な申し出だったにもかかわらず、彼との婚姻を決断してくださり、本当にありがとうございます」
 と、頭を下げられてしまった。
 確かに吃驚する申し出ではあったけれど、彼から頭を下げられる理由がよく理解できず首を傾げると、彼はwin-winという事ですと眉を下げたため、私は黙って頷いておいた。
 それから4日後。
 今日はジョシュア様曰く『結婚後は立地の観点から伯爵家で暮らしたいと思っています。そのため、事前に屋敷を確認させてほしい』とカミジョウさん伝手に申し出があり、急ではあったがジョシュア様が我が家へいらっしゃることになった。
 というわけで、私たちはお客様をお迎えするために、全力でお掃除中だ。
「お嬢様、本当に騙されているのではございませんね?」
「もう、ばぁや。その話は10回目よ? 安心して頂戴、とてもいい方だわ」
 ボロボロのモップと木のバケツを抱え、がらんどうになって久しいエントランスの隅々まで拭き掃除をする私に、サロンに向かう廊下の拭き掃除をするばあやが心配そうに尋ねて来るのをあしらいながら、私は首を傾げる。
「流石にお花を飾る必要があるわね。お庭に何か咲いていたかしら?」
 殺風景なエントランスの床を拭き終えた私のつぶやきに、ばあやがモップを動かしながら答えてくれる。
「朝見たところでは、ハルジオンやアカツメクサ、ユウゲショウなどが咲いておりましたが、流石にエントランスには……。」
「アルジオンにユウゲショウ……」
 想像するが、確かにエントランスを華やかにするほどではない。
「そうね、殺風景だけれども、野花を飾るのは部屋だけにしましょう」
 2人でそこまでの床を磨き終わり、今度はサロンに向かう。
 父母もさすがに動かせなかったらしい重厚な応接セットと、売れなかったらしい先祖の肖像画だけが置かれたサロンの床を拭き、窓を磨き終えたところで、じいやがバケツとモップを手にやってきた。
「おや、このお部屋の掃除は終わってしまいましたか」
「ちょうど今ね。それよりも今、何時かしら?」
 眉を下げて笑ったじいやは、繕いだらけのジャケットの内ポケットから、奇跡的に父母に奪われずに済んだ、先々代の当主からもらったと言われる美しい銀の懐中時計を取り出した。
「9時を少し回ったところでございます」
「大変、10時にはいらっしゃるのだから、そろそろお菓子を焼かなきゃ。昼食も考えないと」
 腕まくりをおろし、掃除用具の片づけに入ろうとした私に、ばあやが桶を抱えて私に言った。
「ではお嬢様、私が菓子を焼きましょう」
「じゃあ私は、サロン用のお花と昼御飯の材料を取ってくるわ。ジョシュア様の昼食も必要だから、少し奮発してパンケーキにしましょう? じいやはジョシュア様が来てくださったらこちらにお通してくれるかしら?」
「かしこまりました、お嬢様。しかしその方は、本当に良い方ですか? お嬢様をどこかに売ったりはなさらないでしょうか?」
「じいやまで……」
 心配げに私を見るじいやに、私は笑う。
「大丈夫よ。実際にお会いして大丈夫な方だと確認しているし、領地領民の為でなく両親の見栄のためだけで出来た莫大な借金で爵位を手放すしかなかった私のところにお婿に来てくださるの。それに……」
 そっと、じいやとばあやの手を取って私は笑った。
「両親の代わりに私を育ててくれたじいやとばあやにようやく長年のお給料と、これからお子さんたちと幸せに暮らすために必要な退職金も、それに慰労金だって渡してあげられるの。もしこれが詐欺だったとしても、本望だわ」
「お嬢様……いけません、詐欺なんか! 私共はお金なんか要らないのです、お嬢様が幸せになってさえ下さればそれで!」
「やだ、詐欺は冗談よ? ジョシュア様はきっと、私の事を大切にしてくださるわ。それに、じいやとばあやも、ようやく家族と一緒に暮らせるのよ? 皆様どれだけ待っていらっしゃったか。私のためにずっと先延ばしにしてくれていたのでしょう? 本当にじいやにもばあやにも、皆様にも感謝しているの」
「お嬢様……」
「もう、泣かないで。一緒に居られるのもあと少しなのだから、もうちょっとだけ一緒に頑張って頂戴」
「はい、はい!」
 じわっと涙を浮かべる白髪交じりのじいやとばあやに、私は笑いながらそれぞれの仕事に戻ってもらうと、先ほどまで使っていた桶とモップを片付け、野草罪に使う篭持つと台所にある使用人用の扉から、野趣あふれる庭に出た。
「あ、このミソハギはいいわね、サロンに飾りましょう。あらあらまぁまぁ、なんて立派なスベリヒユ! それにヨモギも! 摘み取ってお昼のサラダにしましょう! それからタンポポ、オオバコ……オランダカラシも伸びているわ! 昨日市場でもらった野菜と一緒にスープにしましょう」
 手の先を緑色にしながら野草をたくさん摘むと、篭はすぐに一杯になった。
「ふふ、大量ね」
 野草を積みがてら、ぐんぐん伸びる食べられない雑草を抜いて一か所に集め、一仕事終えてすっきりしていると、遠くから馬車の音がし、しばらくすると、馬車がなくなってからは一度もあけることなくさび付いてしまっていた我が家の正面の門が、数年ぶりに(こじ)開けられる音と、『ジョシュア様……』とか、『ここまで……』という喧騒が聞こえ、それでようやくジョシュア様がいらっしゃったかも、と気が付いた。
「あら、もうそんな時間? 早く戻って一応着替えなきゃ。」
 野草だらけの籠を抱えると、私は急いでお屋敷の中に戻り、汚れたお仕着せから、レーラさんから『娘のお古ですが』となぜか涙声でたくさんいただいていた綺麗なワンピースの一つに着替え、ジョシュア様の到着したエントランスへ向かった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました

Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。 順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。 特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。 そんなアメリアに対し、オスカーは… とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。

女官になるはずだった妃

夜空 筒
恋愛
女官になる。 そう聞いていたはずなのに。 あれよあれよという間に、着飾られた私は自国の皇帝の妃の一人になっていた。 しかし、皇帝のお迎えもなく 「忙しいから、もう後宮に入っていいよ」 そんなノリの言葉を彼の側近から賜って後宮入りした私。 秘書省監のならびに本の虫である父を持つ、そんな私も無類の読書好き。 朝議が始まる早朝に、私は父が働く文徳楼に通っている。 そこで好きな著者の本を借りては、殿舎に籠る毎日。 皇帝のお渡りもないし、既に皇后に一番近い妃もいる。 縁付くには程遠い私が、ある日を境に平穏だった日常を壊される羽目になる。 誰とも褥を共にしない皇帝と、女官になるつもりで入ってきた本の虫妃の話。 更新はまばらですが、完結させたいとは思っています。 多分…

【本編完結】若き公爵の子を授かった夫人は、愛する夫のために逃げ出した。 一方公爵様は、妻死亡説が流れようとも諦めません!

はづも
恋愛
本編完結済み。番外編がたまに投稿されたりされなかったりします。 伯爵家に生まれたカレン・アーネストは、20歳のとき、幼馴染でもある若き公爵、ジョンズワート・デュライトの妻となった。 しかし、ジョンズワートはカレンを愛しているわけではない。 当時12歳だったカレンの額に傷を負わせた彼は、その責任を取るためにカレンと結婚したのである。 ……本当に好きな人を、諦めてまで。 幼い頃からずっと好きだった彼のために、早く身を引かなければ。 そう思っていたのに、初夜の一度でカレンは懐妊。 このままでは、ジョンズワートが一生自分に縛られてしまう。 夫を想うが故に、カレンは妊娠したことを隠して姿を消した。 愛する人を縛りたくないヒロインと、死亡説が流れても好きな人を諦めることができないヒーローの、両片想い・幼馴染・すれ違い・ハッピーエンドなお話です。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

1度だけだ。これ以上、閨をともにするつもりは無いと旦那さまに告げられました。

尾道小町
恋愛
登場人物紹介 ヴィヴィアン・ジュード伯爵令嬢  17歳、長女で爵位はシェーンより低が、ジュード伯爵家には莫大な資産があった。 ドン・ジュード伯爵令息15歳姉であるヴィヴィアンが大好きだ。 シェーン・ロングベルク公爵 25歳 結婚しろと回りは五月蝿いので大富豪、伯爵令嬢と結婚した。 ユリシリーズ・グレープ補佐官23歳 優秀でシェーンに、こき使われている。 コクロイ・ルビーブル伯爵令息18歳 ヴィヴィアンの幼馴染み。 アンジェイ・ドルバン伯爵令息18歳 シェーンの元婚約者。 ルーク・ダルシュール侯爵25歳 嫁の父親が行方不明でシェーン公爵に相談する。 ミランダ・ダルシュール侯爵夫人20歳、父親が行方不明。 ダン・ドリンク侯爵37歳行方不明。 この国のデビット王太子殿下23歳、婚約者ジュリアン・スチール公爵令嬢が居るのにヴィヴィアンの従妹に興味があるようだ。 ジュリアン・スチール公爵令嬢18歳デビット王太子殿下の婚約者。 ヴィヴィアンの従兄弟ヨシアン・スプラット伯爵令息19歳 私と旦那様は婚約前1度お会いしただけで、結婚式は私と旦那様と出席者は無しで式は10分程で終わり今は2人の寝室?のベッドに座っております、旦那様が仰いました。 一度だけだ其れ以上閨を共にするつもりは無いと旦那様に宣言されました。 正直まだ愛情とか、ありませんが旦那様である、この方の言い分は最低ですよね?

三年目の離縁、「白い結婚」を申し立てます! 幼な妻のたった一度の反撃

紫月 由良
恋愛
【書籍化】5月30日発行されました。イラストは天城望先生です。 【本編】十三歳で政略のために婚姻を結んだエミリアは、夫に顧みられない日々を過ごす。夫の好みは肉感的で色香漂う大人の女性。子供のエミリアはお呼びではなかった。ある日、参加した夜会で、夫が愛人に対して、妻を襲わせた上でそれを浮気とし家から追い出すと、楽しそうに言ってるのを聞いてしまう。エミリアは孤児院への慰問や教会への寄付で培った人脈を味方に、婚姻無効を申し立て、夫の非を詳らかにする。従順(見かけだけ)妻の、夫への最初で最後の反撃に出る。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

処理中です...