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赤貧伯爵家、お客様をお迎えする準備をする

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 お見合いの翌日。
 カミジョウさんに呼ばれ弁護士事務所に来ていた私は、ジョシュア様との婚約が貴族院で正式に受理された事と、彼が婿入りに際してテールズ伯爵家に譲渡される持参金のお陰で、銀行や取引先、及び父母の浅慮から出来ていた違法金融機関(こちらは法的手続きにて制裁済)のすべての借金が完済され、またじいやとばあやへの未払いの給金と退職金、そして慰労金の金額についても聞かされた。
 あまりに多すぎるとじいやとばあやに余計な気を遣わせてしまうため、過不足なく計算してもらった額は、爵位を返上した時に貰える慰労金では払えない金額で、どれだけ二人に負担をかけていたか、改めて思い知る。
「……よかった。カミジョウさん、ありがとうございます」
 心底ほっとし、しっかりと頭を下げてお礼を伝えると、彼ははにかむように笑った。
「ジョシュア氏の専任弁護士としてしっかり成功報酬をもらっているので気にしないでください。それに、唐突な、しかも不躾な申し出だったにもかかわらず、彼との婚姻を決断してくださり、本当にありがとうございます」
 と、頭を下げられてしまった。
 確かに吃驚する申し出ではあったけれど、彼から頭を下げられる理由がよく理解できず首を傾げると、彼はwin-winという事ですと眉を下げたため、私は黙って頷いておいた。
 それから4日後。
 今日はジョシュア様曰く『結婚後は立地の観点から伯爵家で暮らしたいと思っています。そのため、事前に屋敷を確認させてほしい』とカミジョウさん伝手に申し出があり、急ではあったがジョシュア様が我が家へいらっしゃることになった。
 というわけで、私たちはお客様をお迎えするために、全力でお掃除中だ。
「お嬢様、本当に騙されているのではございませんね?」
「もう、ばぁや。その話は10回目よ? 安心して頂戴、とてもいい方だわ」
 ボロボロのモップと木のバケツを抱え、がらんどうになって久しいエントランスの隅々まで拭き掃除をする私に、サロンに向かう廊下の拭き掃除をするばあやが心配そうに尋ねて来るのをあしらいながら、私は首を傾げる。
「流石にお花を飾る必要があるわね。お庭に何か咲いていたかしら?」
 殺風景なエントランスの床を拭き終えた私のつぶやきに、ばあやがモップを動かしながら答えてくれる。
「朝見たところでは、ハルジオンやアカツメクサ、ユウゲショウなどが咲いておりましたが、流石にエントランスには……。」
「アルジオンにユウゲショウ……」
 想像するが、確かにエントランスを華やかにするほどではない。
「そうね、殺風景だけれども、野花を飾るのは部屋だけにしましょう」
 2人でそこまでの床を磨き終わり、今度はサロンに向かう。
 父母もさすがに動かせなかったらしい重厚な応接セットと、売れなかったらしい先祖の肖像画だけが置かれたサロンの床を拭き、窓を磨き終えたところで、じいやがバケツとモップを手にやってきた。
「おや、このお部屋の掃除は終わってしまいましたか」
「ちょうど今ね。それよりも今、何時かしら?」
 眉を下げて笑ったじいやは、繕いだらけのジャケットの内ポケットから、奇跡的に父母に奪われずに済んだ、先々代の当主からもらったと言われる美しい銀の懐中時計を取り出した。
「9時を少し回ったところでございます」
「大変、10時にはいらっしゃるのだから、そろそろお菓子を焼かなきゃ。昼食も考えないと」
 腕まくりをおろし、掃除用具の片づけに入ろうとした私に、ばあやが桶を抱えて私に言った。
「ではお嬢様、私が菓子を焼きましょう」
「じゃあ私は、サロン用のお花と昼御飯の材料を取ってくるわ。ジョシュア様の昼食も必要だから、少し奮発してパンケーキにしましょう? じいやはジョシュア様が来てくださったらこちらにお通してくれるかしら?」
「かしこまりました、お嬢様。しかしその方は、本当に良い方ですか? お嬢様をどこかに売ったりはなさらないでしょうか?」
「じいやまで……」
 心配げに私を見るじいやに、私は笑う。
「大丈夫よ。実際にお会いして大丈夫な方だと確認しているし、領地領民の為でなく両親の見栄のためだけで出来た莫大な借金で爵位を手放すしかなかった私のところにお婿に来てくださるの。それに……」
 そっと、じいやとばあやの手を取って私は笑った。
「両親の代わりに私を育ててくれたじいやとばあやにようやく長年のお給料と、これからお子さんたちと幸せに暮らすために必要な退職金も、それに慰労金だって渡してあげられるの。もしこれが詐欺だったとしても、本望だわ」
「お嬢様……いけません、詐欺なんか! 私共はお金なんか要らないのです、お嬢様が幸せになってさえ下さればそれで!」
「やだ、詐欺は冗談よ? ジョシュア様はきっと、私の事を大切にしてくださるわ。それに、じいやとばあやも、ようやく家族と一緒に暮らせるのよ? 皆様どれだけ待っていらっしゃったか。私のためにずっと先延ばしにしてくれていたのでしょう? 本当にじいやにもばあやにも、皆様にも感謝しているの」
「お嬢様……」
「もう、泣かないで。一緒に居られるのもあと少しなのだから、もうちょっとだけ一緒に頑張って頂戴」
「はい、はい!」
 じわっと涙を浮かべる白髪交じりのじいやとばあやに、私は笑いながらそれぞれの仕事に戻ってもらうと、先ほどまで使っていた桶とモップを片付け、野草罪に使う篭持つと台所にある使用人用の扉から、野趣あふれる庭に出た。
「あ、このミソハギはいいわね、サロンに飾りましょう。あらあらまぁまぁ、なんて立派なスベリヒユ! それにヨモギも! 摘み取ってお昼のサラダにしましょう! それからタンポポ、オオバコ……オランダカラシも伸びているわ! 昨日市場でもらった野菜と一緒にスープにしましょう」
 手の先を緑色にしながら野草をたくさん摘むと、篭はすぐに一杯になった。
「ふふ、大量ね」
 野草を積みがてら、ぐんぐん伸びる食べられない雑草を抜いて一か所に集め、一仕事終えてすっきりしていると、遠くから馬車の音がし、しばらくすると、馬車がなくなってからは一度もあけることなくさび付いてしまっていた我が家の正面の門が、数年ぶりに(こじ)開けられる音と、『ジョシュア様……』とか、『ここまで……』という喧騒が聞こえ、それでようやくジョシュア様がいらっしゃったかも、と気が付いた。
「あら、もうそんな時間? 早く戻って一応着替えなきゃ。」
 野草だらけの籠を抱えると、私は急いでお屋敷の中に戻り、汚れたお仕着せから、レーラさんから『娘のお古ですが』となぜか涙声でたくさんいただいていた綺麗なワンピースの一つに着替え、ジョシュア様の到着したエントランスへ向かった。
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