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赤貧女伯爵、お見合いを承諾する

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 話も終わり、屋敷に戻ったポッシェは、夕食を作って待っていてくれたじいやとばあやに事の子細を丁寧に話した。
 話を聞き終わった二人は、自分達のためにそんな結婚するのはやめてほしい、今のままで十分だと泣いて止めた。
 私をここまで育ててくれた大切な二人を泣かすのは不本意で、つられて私もたくさん泣いてしまったけれど、今の状況が十分じゃないのは私が一番理解している。貴族たるもの政略結婚は当たり前で、じいやとばあや、そして領民の為であえい、もうお引き受けしたことだからと告げると、二人はさらに泣いた。
 そんな二人を抱き締めて、私は心の中で沢山の、ごめんなさいとありがとうを繰り返した。
 そして。
 翌朝は泣きはらした顔をたがいに笑いながら、いつも通り三人で朝食を食べると、私は再び弁護士事務所に向かった。

 ◆

「やぁ、お待ちしておりましたよ。どうぞこちらへ」
「おはようございます、よろしくお願いいたします」
 私の担当であるシモジョウさんは戸惑いながら、今回話を持ってきてくれたカミジョウさんはびっくりするほどの笑顔で私を迎え入れてくれた。
 中に入ると、昨日まで使用してた広いフロアをパーテーションで区切った簡易相談スペースではなく、重厚で品のいい調度品で揃えられた応接室に案内され、その中でも一等ふかふかなソファに座るように促された。
「どうぞ」
 あまりの座り心地の良さに、逆に居心地の悪さを感じていると、私の前に一冊の本が置かれた。
「こちらが相手の肩の釣り書きになります。どうぞご覧になってください」
「は……拝見します」
 そっと手を伸ばし、その釣り書きと手に取った。
(わぁ、綺麗。絵本みたいだわ)
 生まれて初めて見る『釣り書き』は、表紙を見るだけでも、国民であれば出入り自由とされる王立図書館でしか見たことない豪華な絵本のようで、これを用意するには作成機関など、かなり時間がかかるのでは? と首を傾げ、まさか何か裏があるのかと不安に感じ、カミジョウさんに確認する。
「あの、随分立派な釣り書き? なのですが……昨日伺ったお話しでしたよね?」
「お相手の方が、本格的に婚姻相手を探すために事前に用意していた物の一部になります。内容は作成時と何ら変わってはいませんのでご安心ください」
「そうですか」
(事前に何部も作ってあったという事は、ご結婚相手がなかなか見つからなかったという事よね? 何か原因があるのかしら?)
 そう思いつつも静かに頷いて、私は表紙を開いた。
 補足だが、釣り書きを作るお金も時間もない私のために、相手方にはシモジョウさんが今回の事で我が家の事を調べた情報で作ってくれた『調査報告書』を『身元調査書』と名を変えて複製し、絵姿と共に渡してあると言われた。
 王立博物館にあるような絵本と、弁護士さんの作った紙の束。
 あまりの格差にお相手の方に申し訳ない気もするのだが、手の中にあるような素敵な釣り書き、一体いくらあれば作れるのかさっぱり見当がつかないため、ありがとうございますとお礼を言っておいた。
 さてその、大変お金がかかっているであろう釣り書きの、金色の装飾で縁取られた滑らかな真珠色の表紙を開くと、まず向こうが透けて見える薄い紙が挟まっていて、汚したり折れたりしないよう注意しながら開くと、黒檀色の髪に露草の花のように爽やかな青い瞳の男性の立ち姿の男性の姿絵があり、それに並んで、お名前、年齢、出身、現在までの経歴が書かれていた。
(お名前は……ジョシュア様とおっしゃるのね。)
 美しい見目に合う、王子様のような名前だと思いながら経歴を見て、私はつい声を上げてしまった。
「え? ウォード商会長!? ウォード商会と言えば、王都一大きなお店構えと、庶民から高位貴族まで幅広い層に事業を展開なさっている国一番の商会ですよね? それを孤児院を出られてから一代で……凄い……」
 ウォード商会と言えば、貧乏であるが故、庶民層の市場の値切り時間にしかお店に行かない私でも知っている大きな商会だ。
 そんな大商会の会長と言えばそれだけで独身女性の憧れの的であろうし、さらに絵本に出てきそうな王子様の様な外見をお持ちなのだから、さぞかし女性にもてるだろうと思う。
 そんな人に対し、よくある赤みのつよい茶色の髪を手で梳いておさげにしただけだし、鼻先にはたくさんのそばかすがあって、目の色もパッとしない若草色。
 爵位はあっても借金まみれの私には、酷く不釣り合いな相手に思えた。
「あの……」
「はい、何でしょうか?」
 目の前で優雅にお茶を飲んでいたカミジョウさんに、私は恐る恐る訪ねてみる。
「少し伺いたいのですが、なぜこんなに見目麗しい、国一番の大商会の会長さんがお嫁さんを探していらっしゃるのですか? ご本人さえ望めば、私なんかよりももっと良い条件の方がいらっしゃると思うのです。本当に私なんかでよろしいのですか? それとも、人に言えない事情がおありなのですか?」
 例えば愛人とか、隠し子とか、許されざる恋人に、残忍性があるとか……とよくある恋愛小説を思い出しながら聞いてみると、カミジョウさんは困ったように笑った。
「まさか。そのようなことはありません。そちらの記載の通り、彼は初婚で、一見怖そうに見えますが商人だけあって人当たりは柔和な良い方です。確かにポッシェ嬢のおっしゃる通り、他にも立候補なさった令嬢はたくさんいますが、私としては、貴女は彼の結婚に対する条件にピッタリだと思っているのです」
 そう言いながら、手に持った分厚い手帳をぱらぱらと開き、とある一ページで手を止めたカミジョウは、その内容を読み上げ始めた。
「彼が結婚相手を探しているのは、彼の後援者の皆様から社交場への出席を乞われているからです。成人男性の社交界への進出となると、どうしてもパートナーが必要となる面が出てきます。後援者パトロン様のフォローはございますが、やはり様々な問題がおありのようで、社交を断られていたのです。しかし商会が大きくなるにつれ、どうにも断れなくなってきたようです。そこで、後援者様にご迷惑のかからぬよう、自身で爵位を得たいというご希望を。しかしこれがなかなか難航しまして」
 ここで、はぁ~とわざとらしく深い溜息をついたカミジョウさん。
「……えぇと、ご提示される条件が厳しい、のですか?」
「いいえ」
 聞いた私に、彼は首を振った。
「そんなことはありません。かなり良識的なものだと思います。
 一つ、自身の継げる爵位を持っている、もしくは女当主である事。
 一つ、爵位相当の身なり、品性、知性を持ち合わせていること。
 一つ、金銭価値が備わっている、すなわち浪費家でない事。
 一つ、ウォード商会長の妻となっても親族を優遇するなど私物化しないと誓える事。
 一つ、ジョシュア氏の行っている慈善活動に口を出さない事。
 ……以上です」
(確かに常識的なことばかりだけれど……)
 それを聞いた私は、我が身を振り返り、首を振った。
「確かに非常に常識的で良心的ですが、その条件は私には荷が重いようです。一つ目の条件は該当しますけれど、二つ目に関しては貴族学校にも通っておりませんので自信がありません。また三つ目以降も、今は違っても結婚を機に変わる、という事もありますでしょう?」
 一つ一つ感じたことを説明すると、カミジョウさんは少しきょとんとした顔をした後、眉を下げ笑った。
「確かに、三つ目以降に関しては、結婚後に変わると言う場合も大いにあるでしょう。しかし貴女はお金の事で大変に苦労なさっています。その点で、一般的な令嬢と比較して安全だと判断しました」
「信用していただけるのは有難いですが、急にお金持ちを持つと横柄になる人もいると聞きますわ」
「なるほど」
 私の場合、その最たる例が両親なだけに、自分がそうならないとは言い切れない為そう言うと、カミジョウさんはすこし考えたような顔をして、私に聞いてきた。
「では今ここで、金貨百枚を渡されたとしたら、貴女はなりますか?」
 突然の問いに、意図が解らぬまま正直に答える。
「ごめんなさい。金貨どころか大銅貨一枚すら持ち歩いたことがないので、そう言われても想像できません。」
 そう言えば、カミジョウさんは笑った。
「私が貴女を信用したのは、そういうところです」
「……はぁ……?」
 解ったような、解らないような答えに私は首を傾げるしかなくなってしまったところで、シモジョウさんが私の代わりに質問をした。
「先輩、この最後の慈善活動に文句を言わないというのはなんですか?」
「あぁ、今、説明しようと思っていたところだ」
 彼は何通かのパンフレットや広告紙を出してきた。
「これは、見たことがあります」
 私の言葉にカミジョウさんは頷いた。
 彼の手にあるのは、王都にある大きな孤児院への支援のお願いや、子供の処遇改善をお願いするもので、市場や教会等に良く貼ってあるものだ。
「もしかして、この広告の事業を、ジョシュア様が?」
「はい」
 私の質問に、カミジョウさんは頷いて教えてくれた。
「彼は釣り書きの記載の通り、孤児院出身です。その孤児院の子供たちは大人達からかなりひどい扱いを受けていました。その事から、彼は事業が成功すると当時に、王都中の孤児院を支援する財団を設立し、孤児院の運営を始め、見込みのある孤児達を学校へ行かせ、職業訓練の場を与えています。シモジョウが貴女に説明した奨学金制度も、それを参考にして当事務所のオーナーが考えたものです」
 それには、私は感嘆の声をあげるしかなかった。
「まぁ……素晴らしい方なのですね。しかし、結婚の条件に出すほどの事ではないのではないですか? 慈善事業は貴族の義務です。私は日々の生活で必死でしたのですることが出来ず心苦しかったのですが、して当たり前のものだと、私は(本で)習いました」
 不思議に思って訊ねれば、カミジョウさんは明らかに落胆の表情を浮かべ聞かせてくれた。
「勿論です。最初の内は彼もそう思い、条件に含んでいませんでした。しかし条件に明記せざるを得ないほど、文句をおっしゃる方がいらっしゃるのです。それも相当数」
「え……本当ですか?」
 にわかには信じられず言葉にしてしまった私に、カミジョウさんは頷く。
「婚約前提のお見合いは何度か行われたことがあります。ですが多くの女性が初回の顔合わせから、商会の、主に服飾や宝飾部を案内させ、あのドレスが欲しい、この宝飾品を贈ってほしいと彼にせがむのです。そこで彼がそれは商品だからとお断りすると、庶民はこれだからケチだと文句をつける。慈善事業も同じです。そんな無駄なことはやめて自分の実家を援助しろ、自分の美しさのために金を使え、と要求されたようですね」
「……はぁ……?」
 その話に、私は思わず絶句してしまった
(初対面の方に物乞いなんて、まともじゃないわ。……それで条件に明記されたのね。)
 そう考えて、改めて自分を振り返る。
 借金しかないが、家柄は由緒正しきテールズ伯爵家の一応女当主で、商会については、私は学校にすら通っていないから口を出すつもりはない。逆に、一代で商会を立ち上げ国一番のものにするという類まれなる商才があるのなら、どれだけ頑張ってもうまく行かなかった当家の領地経営について相談に乗ってもらいたいと思う。
 慈善事業に関しては、今まで何一つ貴族らしいことが出来なかったので、邪魔にならないようであればお手伝いしたいと思っている。
 ただ、爵位相当の品性とやらはよくわからない。伯爵令嬢ではあったが、私の知識や教養はじいやとばあやが教えてくれたものと、先祖が残してくれた貴族の心得という本の知識がすべてで、それ以上でもそれ以下でもないからだ。
(それに……)
 先程の条件で気になったことを私は聞いてみた。
「あの、カミジョウさんは私に我が家の借金を払う代わりに、と言われましたが、その時点でお金目的になりませんか?」
 一番駄目な条件なのではないだろうかと聞いてみれば、カミジョウさんは笑った。
「いいえ? この婚姻が締結された時に支払われる金は、平民である彼が由緒正しきテールズ伯爵家の婿になるための持参金です。彼が言う浪費とは、何の意味も利益も生まない無駄な金、という意味ですので条件には当たりません」
「そう、ですか」
 確かに貴族の娘が嫁に行くにあたっては、持参金を出すことがあると本に書いてあったから、その逆と考えればいいのだろう。
(一瞬ためらってしまったけれど、やっぱり借金がなくなって、じいやとばあやにお給金と退職金、それに慰労金が払えるなら良いご縁よね)
 曾祖父の蔵書にあった貴族の当主心得百八か条という本にも、ご縁は大切にしなさいと書いてあったことを思い出し、私は背筋を伸ばすと一つ、頭を下げた。
「ジョシュア様とお見合い、お受けいたします」
「ありがとうございます。あぁ、よかった。では早速先方に伝えて日時などを決めてお知らせしますね。」
 カミジョウさんはにっこりと笑って私の担当さんに何か耳打ちをすると、釣り書きなどを片付け、去って行ってしまった。
 そんな姿を見て、私は少しだけ自分の早計を反省したのだった。
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