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9.5 みんなの視点から7
とある公爵令嬢の独白。
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「ビオラネッタ様。」
わたくしの名前を呼んで、小走りというには早い速度でわたくしの傍に来てくださるのは、同じクラスのソロビー・フィラン様。
庶民の出自で、田舎から王都に薬屋さんをするためにやってきたとわたくしに話してくださった彼女は、わたくしの周りにはいないタイプの方です。
夜の闇に追いやられるような夕焼けの赤のわたくしの、まっすぐで言うことを聞かない硬い髪とは違う、柔らかで甘やかな蜂蜜色の、天然の巻き髪。
明るさのない、感情が読めないと罵られた藍色の瞳ではなく、くるくる表情を変え、きらきらと輝く紫色の宝石のような瞳。
色白で、花満開のように笑い、少し大きめの声は小鳥のように朗らかで、すこしふっくらした手足は二つの素朴な腕輪と小さな指輪以外は飾り気がないのに、指先はほんのり紅をはたいたように綺麗に色づいていて。
思うのです。
フィラン様のように可愛らしければ。
いえ……何も持っていなければ、わたくしは家族に愛されたのかもしれない、と。
わたくしの家は公爵家です。
わたくしにはお兄様が一人、お姉様が一人いて、わたくしは末っ子。
両親は忙しそうでしたが、屋敷の皆に可愛がられ愛されて育っていたと思います。
5歳までは。
すべての転機は5歳の時でございます。
聖女認定を受け、その教育が進む中、日々頑張っているご褒美として一日お勉強をしなくてもいいと言われたあの日、わたくしは屋敷の庭にある大きな噴水に落ちたのです。
溺れ、意識を手放したところでわたくしは夢を見ました。
それによると、わたくしはニホンという国で、貴族でも何でもない一庶民ではありましたが、何不自由なく、優しく厳しく温かい家族と食卓を毎日に共にし、友人にも恵まれ、とにかくおしゃれが大好きな普通のジョシコウセイをしていたようでした。
何物にも縛られない自由を不自由と感じ、他愛ないことを不満に思い、小さな幸せを幸せと感じず、大きな幸せを追い求める。 そんな普通のニホンのジョシコウセイでした。
幸せというものは、ある日突然壊れてしまうものです。
わたしは、クラスメイトたちとシュウガクリョコウというもののためにバスという不思議な馬車に乗っている時に崖の下に落ちて死んでしまったようでした。
そんな夢を見続け、池への転落から一週間後に目覚めた私は、お父様とお母様にそのお話をしました。
心配そうな顔をしていた両親は興奮し、すぐに高名なお医者様を呼んでくださいました。
お医者様の見立てで、私が見た夢はゼンセと言われるもので、病名は『イセカイテンセイ』と言われるそうです。
その診断を聞いた両親は、これ以上ないくらいに破顔し、よくやったとわたくしを抱きしめました。
お医者様にお聞きした話では、生死の境をさまようと『ゼンセを思い出す』ということは極稀にあることなのだそうです。
そして、その病人をもつ家は、その知識を有効に使うことで大変に栄えるということでした。
お父様もお母様もそれを知っていたのでしょう。 目が覚めてからは常にわたくしの傍に陣取り、わたくしのゼンセを話して聞かせるように言われました。
いつも忙しくしていた両親が傍にいてくれる。
わたくしは天にも昇る気持でした。
両親に褒められることが、何よりもうれしかったのです。
わたくしがお話をすればするほど、お父様とお母様は喜んでくれ、この世界ではありえもしない話をしても馬鹿にすることなく、真剣に、時にはメモを取りながら話を聞いてくれました。
そしてそれは、お兄様も、お姉様もそうでした。
皆が私を大切にしてくれました。
ただ、その病気の後から、わたくしは家から出してもらえなくなりました。
それでも、家族はいつも傍にいてくれたため、私は不幸に思いませんでした。
しかし、半年ほどたつと状況は変わりました。
相変わらずわたくしは家から出してもらえませんでしたが、反対に、お父様はお仕事でますます忙しくなり、お兄様をつれて王都や領地内外を飛び回り、屋敷には寝に帰るだけになり、お母様やお姉様は毎日忙しいと言っては、着飾ってお茶会や夜会に出かけるようになっており、気が付けば、家族と会うのは一週間に一時間あるかないか。 広い食堂でたった一人で豪華な食事を食べ、優秀で優しくも厳しい使用人や家庭教師たちしかいない時間を過ごすようになりました。
それでも、顔を合わせればお土産をくれる優しい家族たちに、私は幸せだと思っていました。
また、婚約者が決まった時も、婚約者様もそのご両親も大変にお優しくて、うれしかったのです。
わたくしは、えぇ、とても幸せでした。
アカデミー入学の前の深夜、家族の話を聞いてしまうまでは。
『婚約披露パーティは盛大にやる必要がある。 我が家の宝石姫をお披露目するのだからな。』
深夜、灯のついたサロンにいる家族に挨拶をしようとした時に聞こえた会話は、わたくしの事だと分かりました。
我が家の宝、宝石姫、小鳥、と両親も兄姉も、わたくしをそう言って抱きしめてくれるからです。
しかしその内容は、私の『家族に愛されている』という根底をひっくり返しました。
『小鳥を嫁にやるのは惜しいが、結婚もできない令嬢などと言われることは当家に不名誉だから仕方がない。』
『でも父上、小鳥がいなくなったら、これから先どうやって収益をお上げになるのですか?』
『はっ、心配するな。 小鳥が生み出す利益は、婚家と契約の上しっかり分けることになっている。 小鳥には悪いが婚約者殿が愛妾を持つのを了解しろと言ってきた。 小鳥にとってはまさに飼い殺しの状態だが、公爵家同士のつながり強化のためには今更変えられぬのでな。 小鳥の生み出す収益の配分を7対3と、当家が有利にすることで了承してやった。』
『それでも3割は持っていかれてしまうのでしょう? わたくしのドレスやお飾りが買えなくなるのは嫌だわ! ねぇ、お母様。』
『お前達には今までも散々買ってやっただろう。 お前も、茶会だ夜会だと遊びまわらず、少しは小鳥のように勉学に励みなさい。』
『いやだわ、お父様。 わたくしは金を運んでくるだけのみすぼらしい赤い小鳥とは違ってこんなにも美しいのだもの、知識なんて必要ないわ。 それより来月皇妃様のお茶会用のドレスとお飾り、欲しいものがあるの。』
『父上、小鳥の婚家との契約は、のちのち私が継いだ時に反故されぬようにしっかり契約書を交わしてくださいよ。』
『わかっている。 あぁ、末の娘など政略結婚の道具としか思っておらなんだが、このように金と人脈を産むとは。 イセカイテンセイに聖女。 まさに宝石姫、小鳥様だな。』
わたくしは呆然と立ち尽くしていました。
愛称はただの侮蔑の呼び名だった。
本当の名前すら呼んでもらえないわたくしの存在はいったい何なのかと。
「お嬢様っ! お聞きになってはいけませんっ!」
両耳を侍女頭にふさがれ、抱きかかえられて寝室に戻っても、わたくしは生きた心地もせず、ただ茫然とするしかありませんでした。
わたくしは金を産むだけの、檻の中のただの小鳥だった。
何を努力しても無意味だった。
一人でお屋敷という名の豪華な鳥籠に閉じ込められ、ただ一人、豪華で冷たいご飯を与えられるだけの愛玩動物。
今までのすべてが嘘だったのだと分かり、初めてわたくしは泣きました。
令嬢としていかがなものかと言われるかもしれませんが、自分がこんなにも『価値のないモノ』だと知らなかったのです。
それでも。
家令も、執事も、私付きの、そして私付きではない侍女や侍従たちも一緒に泣いてくれた。
わたくしの家族は、心を砕いてくれた使用人たちの方なのだと知りました。
家のために、死ぬまで続くであろうこの生活に、幸せが見出せるかはわかりませんが、これが私に課せられた義務であり運命と思うことにしました。
抗うことすらできない飼い殺しの侯爵令嬢として生まれたモノの宿命だと。
「ビオラネッタ様。 大丈夫ですか?」
特別演習の休息ポイントで、慣れない演習にわたくしは疲れてうたた寝をしていたようです。
目の前には心配顔のフィラン様が、トキワシグレを剥いたものを小さな器にいれて手渡してくだいました。
「申し訳ありません。 でも、大丈夫ですわ。」
「そうですか……あの、ビオラネッタ様。 もし、間違ってたら本当に申し訳ないのですが……」
そう答えながら器を受け取ったわたくしに、フィラン様が、眉間にしわを寄せて口を開きました。
「なにか、お辛い事でもあるんですか?」
ドキッとして顔を上げるとフィラン様と目が合いました。
そうすると、フィラン様は真っ赤な顔をして、それからものすごく百面相をし、視線をいろんな方向に彷徨わせて、一生懸命に言葉を考えている様子です。
――そんなことはございませんよ?
「なぜ、そのようなことを?」
口にしようと思っていた言葉とは違った言葉が出てしまったのには自分でも驚いたのですが、フィラン様の口から出た言葉は、もっと驚きました。
「えっと。」
う~ん、と考え込んだフィラン様。
「この間から、時折ですけど元気のないお顔をすることが増えてらっしゃるので。 あ、あからさまとか、ずっととかではないですよ? 貴族様なので素敵な笑顔は完璧です! 素敵です! でも、私、たまにですけどビオラネッタ様が、花がほころぶような可愛らしいお顔で笑うのが大好きなんですよね。 なんですけど、最近そんな風に笑うことが少なくなったなって。 今日は久しぶりにあの笑顔が見れて眼福! ありがとうございますって感じ……あ、そうじゃなくて、やっぱり元気がないなって。 え~と、……心配で。」
フィラン様の言葉は、ちょっと意味の分からない言葉がありますが、貴族にありがちな本心を隠す飾り立てられた言葉ではない、優しい言葉で、私の心にすとんと落ちてきました。
正確には、カラカラに乾いた心にじんわりと水がしみこむような、そんな温かい言葉でした。
本心から、心配してくださっているですね。
フィラン様とはアカデミーでクラスメイトになって、たった2か月のお付き合い。 しかもお話をちゃんとするようになったのはたったの2週間です。
なのにそのように感じて、心配してくださるのです。
それに、私にかけてくださった言葉が、なぜか嬉しくて仕方がないのです。
――〇〇は、花が綻ぶ様に笑うんだな。
はっとして、夢を思い出しました。
コウコウのキョウシツで、そう言って私の頭をなでてくださったのは、わたくしのゼンセでのハツコイであったコテンの先生で、あの時の笑顔が鮮明に頭の中に蘇りました。
あぁ、幸せであった記憶は、わたくしの心をこんなにも揺さぶるのですね。
「あ、あっ! ごめんなさい、気分を害してしまいましたか? ごめんなさい。」
気が付くと、わたくしの頬には涙がこぼれており、フィラン様が慌てて柔らかな手布で拭いてくださっています。
「ごめんなさい、ごめんなさい。」
「いいえ、いいえフィラン様。 わたくし、嬉しいんです。」
首を振って、慌てているフィラン様のハンカチをもつ手を両手で握ったわたくしは、しっかりとそのお顔を見ました。
「フィラン様、おかしいとお思いになるかもしれませんが、わたくしの話を聞いてくださいますか?」
いつもは考えながら話すように訓練してきましたが、今日は思っていることや今までの事を口にしました。
いつまでもいつまでも途切れず溢れて止まらない言葉を、フィラン様も、気が付けばアルフレッド様もマーカス様もただ静かに聞いてくれました。
フィラン様は最後は大泣きして、わたくしを抱き締めてくださって、絶対わたくしを守って自由にするから待っててください! と約束させられてしまいました。
アルフレッド様も、マーカス様も、一緒に頷いてくださいました。
嘘でもいい。 それでも、あんなに真摯にわたくしを見つめてくださるフィラン様を信じたいと、わたくしは大変うれしく思いました。
生きる世界が変わってしまったわたくしは、わたくしらしく生きられないかもしれません。
あぁ、それでも、ほんの少しだけであれば。
ゼンセでお別れすら言えなかった、あの心の通った優しい家族のような人たちの中で、もう一度しあわせになりたいと願ってやまないのです。
わたくしの名前を呼んで、小走りというには早い速度でわたくしの傍に来てくださるのは、同じクラスのソロビー・フィラン様。
庶民の出自で、田舎から王都に薬屋さんをするためにやってきたとわたくしに話してくださった彼女は、わたくしの周りにはいないタイプの方です。
夜の闇に追いやられるような夕焼けの赤のわたくしの、まっすぐで言うことを聞かない硬い髪とは違う、柔らかで甘やかな蜂蜜色の、天然の巻き髪。
明るさのない、感情が読めないと罵られた藍色の瞳ではなく、くるくる表情を変え、きらきらと輝く紫色の宝石のような瞳。
色白で、花満開のように笑い、少し大きめの声は小鳥のように朗らかで、すこしふっくらした手足は二つの素朴な腕輪と小さな指輪以外は飾り気がないのに、指先はほんのり紅をはたいたように綺麗に色づいていて。
思うのです。
フィラン様のように可愛らしければ。
いえ……何も持っていなければ、わたくしは家族に愛されたのかもしれない、と。
わたくしの家は公爵家です。
わたくしにはお兄様が一人、お姉様が一人いて、わたくしは末っ子。
両親は忙しそうでしたが、屋敷の皆に可愛がられ愛されて育っていたと思います。
5歳までは。
すべての転機は5歳の時でございます。
聖女認定を受け、その教育が進む中、日々頑張っているご褒美として一日お勉強をしなくてもいいと言われたあの日、わたくしは屋敷の庭にある大きな噴水に落ちたのです。
溺れ、意識を手放したところでわたくしは夢を見ました。
それによると、わたくしはニホンという国で、貴族でも何でもない一庶民ではありましたが、何不自由なく、優しく厳しく温かい家族と食卓を毎日に共にし、友人にも恵まれ、とにかくおしゃれが大好きな普通のジョシコウセイをしていたようでした。
何物にも縛られない自由を不自由と感じ、他愛ないことを不満に思い、小さな幸せを幸せと感じず、大きな幸せを追い求める。 そんな普通のニホンのジョシコウセイでした。
幸せというものは、ある日突然壊れてしまうものです。
わたしは、クラスメイトたちとシュウガクリョコウというもののためにバスという不思議な馬車に乗っている時に崖の下に落ちて死んでしまったようでした。
そんな夢を見続け、池への転落から一週間後に目覚めた私は、お父様とお母様にそのお話をしました。
心配そうな顔をしていた両親は興奮し、すぐに高名なお医者様を呼んでくださいました。
お医者様の見立てで、私が見た夢はゼンセと言われるもので、病名は『イセカイテンセイ』と言われるそうです。
その診断を聞いた両親は、これ以上ないくらいに破顔し、よくやったとわたくしを抱きしめました。
お医者様にお聞きした話では、生死の境をさまようと『ゼンセを思い出す』ということは極稀にあることなのだそうです。
そして、その病人をもつ家は、その知識を有効に使うことで大変に栄えるということでした。
お父様もお母様もそれを知っていたのでしょう。 目が覚めてからは常にわたくしの傍に陣取り、わたくしのゼンセを話して聞かせるように言われました。
いつも忙しくしていた両親が傍にいてくれる。
わたくしは天にも昇る気持でした。
両親に褒められることが、何よりもうれしかったのです。
わたくしがお話をすればするほど、お父様とお母様は喜んでくれ、この世界ではありえもしない話をしても馬鹿にすることなく、真剣に、時にはメモを取りながら話を聞いてくれました。
そしてそれは、お兄様も、お姉様もそうでした。
皆が私を大切にしてくれました。
ただ、その病気の後から、わたくしは家から出してもらえなくなりました。
それでも、家族はいつも傍にいてくれたため、私は不幸に思いませんでした。
しかし、半年ほどたつと状況は変わりました。
相変わらずわたくしは家から出してもらえませんでしたが、反対に、お父様はお仕事でますます忙しくなり、お兄様をつれて王都や領地内外を飛び回り、屋敷には寝に帰るだけになり、お母様やお姉様は毎日忙しいと言っては、着飾ってお茶会や夜会に出かけるようになっており、気が付けば、家族と会うのは一週間に一時間あるかないか。 広い食堂でたった一人で豪華な食事を食べ、優秀で優しくも厳しい使用人や家庭教師たちしかいない時間を過ごすようになりました。
それでも、顔を合わせればお土産をくれる優しい家族たちに、私は幸せだと思っていました。
また、婚約者が決まった時も、婚約者様もそのご両親も大変にお優しくて、うれしかったのです。
わたくしは、えぇ、とても幸せでした。
アカデミー入学の前の深夜、家族の話を聞いてしまうまでは。
『婚約披露パーティは盛大にやる必要がある。 我が家の宝石姫をお披露目するのだからな。』
深夜、灯のついたサロンにいる家族に挨拶をしようとした時に聞こえた会話は、わたくしの事だと分かりました。
我が家の宝、宝石姫、小鳥、と両親も兄姉も、わたくしをそう言って抱きしめてくれるからです。
しかしその内容は、私の『家族に愛されている』という根底をひっくり返しました。
『小鳥を嫁にやるのは惜しいが、結婚もできない令嬢などと言われることは当家に不名誉だから仕方がない。』
『でも父上、小鳥がいなくなったら、これから先どうやって収益をお上げになるのですか?』
『はっ、心配するな。 小鳥が生み出す利益は、婚家と契約の上しっかり分けることになっている。 小鳥には悪いが婚約者殿が愛妾を持つのを了解しろと言ってきた。 小鳥にとってはまさに飼い殺しの状態だが、公爵家同士のつながり強化のためには今更変えられぬのでな。 小鳥の生み出す収益の配分を7対3と、当家が有利にすることで了承してやった。』
『それでも3割は持っていかれてしまうのでしょう? わたくしのドレスやお飾りが買えなくなるのは嫌だわ! ねぇ、お母様。』
『お前達には今までも散々買ってやっただろう。 お前も、茶会だ夜会だと遊びまわらず、少しは小鳥のように勉学に励みなさい。』
『いやだわ、お父様。 わたくしは金を運んでくるだけのみすぼらしい赤い小鳥とは違ってこんなにも美しいのだもの、知識なんて必要ないわ。 それより来月皇妃様のお茶会用のドレスとお飾り、欲しいものがあるの。』
『父上、小鳥の婚家との契約は、のちのち私が継いだ時に反故されぬようにしっかり契約書を交わしてくださいよ。』
『わかっている。 あぁ、末の娘など政略結婚の道具としか思っておらなんだが、このように金と人脈を産むとは。 イセカイテンセイに聖女。 まさに宝石姫、小鳥様だな。』
わたくしは呆然と立ち尽くしていました。
愛称はただの侮蔑の呼び名だった。
本当の名前すら呼んでもらえないわたくしの存在はいったい何なのかと。
「お嬢様っ! お聞きになってはいけませんっ!」
両耳を侍女頭にふさがれ、抱きかかえられて寝室に戻っても、わたくしは生きた心地もせず、ただ茫然とするしかありませんでした。
わたくしは金を産むだけの、檻の中のただの小鳥だった。
何を努力しても無意味だった。
一人でお屋敷という名の豪華な鳥籠に閉じ込められ、ただ一人、豪華で冷たいご飯を与えられるだけの愛玩動物。
今までのすべてが嘘だったのだと分かり、初めてわたくしは泣きました。
令嬢としていかがなものかと言われるかもしれませんが、自分がこんなにも『価値のないモノ』だと知らなかったのです。
それでも。
家令も、執事も、私付きの、そして私付きではない侍女や侍従たちも一緒に泣いてくれた。
わたくしの家族は、心を砕いてくれた使用人たちの方なのだと知りました。
家のために、死ぬまで続くであろうこの生活に、幸せが見出せるかはわかりませんが、これが私に課せられた義務であり運命と思うことにしました。
抗うことすらできない飼い殺しの侯爵令嬢として生まれたモノの宿命だと。
「ビオラネッタ様。 大丈夫ですか?」
特別演習の休息ポイントで、慣れない演習にわたくしは疲れてうたた寝をしていたようです。
目の前には心配顔のフィラン様が、トキワシグレを剥いたものを小さな器にいれて手渡してくだいました。
「申し訳ありません。 でも、大丈夫ですわ。」
「そうですか……あの、ビオラネッタ様。 もし、間違ってたら本当に申し訳ないのですが……」
そう答えながら器を受け取ったわたくしに、フィラン様が、眉間にしわを寄せて口を開きました。
「なにか、お辛い事でもあるんですか?」
ドキッとして顔を上げるとフィラン様と目が合いました。
そうすると、フィラン様は真っ赤な顔をして、それからものすごく百面相をし、視線をいろんな方向に彷徨わせて、一生懸命に言葉を考えている様子です。
――そんなことはございませんよ?
「なぜ、そのようなことを?」
口にしようと思っていた言葉とは違った言葉が出てしまったのには自分でも驚いたのですが、フィラン様の口から出た言葉は、もっと驚きました。
「えっと。」
う~ん、と考え込んだフィラン様。
「この間から、時折ですけど元気のないお顔をすることが増えてらっしゃるので。 あ、あからさまとか、ずっととかではないですよ? 貴族様なので素敵な笑顔は完璧です! 素敵です! でも、私、たまにですけどビオラネッタ様が、花がほころぶような可愛らしいお顔で笑うのが大好きなんですよね。 なんですけど、最近そんな風に笑うことが少なくなったなって。 今日は久しぶりにあの笑顔が見れて眼福! ありがとうございますって感じ……あ、そうじゃなくて、やっぱり元気がないなって。 え~と、……心配で。」
フィラン様の言葉は、ちょっと意味の分からない言葉がありますが、貴族にありがちな本心を隠す飾り立てられた言葉ではない、優しい言葉で、私の心にすとんと落ちてきました。
正確には、カラカラに乾いた心にじんわりと水がしみこむような、そんな温かい言葉でした。
本心から、心配してくださっているですね。
フィラン様とはアカデミーでクラスメイトになって、たった2か月のお付き合い。 しかもお話をちゃんとするようになったのはたったの2週間です。
なのにそのように感じて、心配してくださるのです。
それに、私にかけてくださった言葉が、なぜか嬉しくて仕方がないのです。
――〇〇は、花が綻ぶ様に笑うんだな。
はっとして、夢を思い出しました。
コウコウのキョウシツで、そう言って私の頭をなでてくださったのは、わたくしのゼンセでのハツコイであったコテンの先生で、あの時の笑顔が鮮明に頭の中に蘇りました。
あぁ、幸せであった記憶は、わたくしの心をこんなにも揺さぶるのですね。
「あ、あっ! ごめんなさい、気分を害してしまいましたか? ごめんなさい。」
気が付くと、わたくしの頬には涙がこぼれており、フィラン様が慌てて柔らかな手布で拭いてくださっています。
「ごめんなさい、ごめんなさい。」
「いいえ、いいえフィラン様。 わたくし、嬉しいんです。」
首を振って、慌てているフィラン様のハンカチをもつ手を両手で握ったわたくしは、しっかりとそのお顔を見ました。
「フィラン様、おかしいとお思いになるかもしれませんが、わたくしの話を聞いてくださいますか?」
いつもは考えながら話すように訓練してきましたが、今日は思っていることや今までの事を口にしました。
いつまでもいつまでも途切れず溢れて止まらない言葉を、フィラン様も、気が付けばアルフレッド様もマーカス様もただ静かに聞いてくれました。
フィラン様は最後は大泣きして、わたくしを抱き締めてくださって、絶対わたくしを守って自由にするから待っててください! と約束させられてしまいました。
アルフレッド様も、マーカス様も、一緒に頷いてくださいました。
嘘でもいい。 それでも、あんなに真摯にわたくしを見つめてくださるフィラン様を信じたいと、わたくしは大変うれしく思いました。
生きる世界が変わってしまったわたくしは、わたくしらしく生きられないかもしれません。
あぁ、それでも、ほんの少しだけであれば。
ゼンセでお別れすら言えなかった、あの心の通った優しい家族のような人たちの中で、もう一度しあわせになりたいと願ってやまないのです。
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生暖かい目で見て下されば幸いです。
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