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人間・春霞と血に憑いた狐のお話「二重の鳴き声」
しおりを挟む始め、私は美しかった。
私は美しく、気高く、伸びやかで、いつかあの神々しい地へと行けると信じていた。
そうして君と知り合った。
小さな君と、温もりを分け合い、食べ物を分け合い、寝床を分け合った。
幼い髪が成人のそれへと形を変える長い年月。喜びも悲しみも共に分け合い共に育った。
「おやすみ、おやすみ。きっとまた明日もくるよ、あしたは何をしようか」
抱きしめてくれる優しさと温かさ。
「わたしと君は、ずっと一緒だよ」
ワ タ シ モ イ ッ シ ョ ニ
’’’
次にわたしは、無になった
「…やめてください!」
遠く、真っ暗な中、細く入ってくる光の向こうから聞こえる声。
「やめて、やめてください、父上様!」
「五月蝿い!」苛立つ声が耳をつんざく。「我が一族が、宮中で頭角を表すためには、これは必要な力なのだ!」
亜ぁ、あの子が泣いている。
なのにそばにもよってやれない。
なぜ私の体はこんなに冷たく、動かない。
あぁ、ここは暗くて、暑くて、臭い。
なぜわたしはここにいるのだろう。
誇り高き一族のわたしが、なぜ、こんなところにいるのだろう。
あぁ、臭い、臭い。
ク サ イ ナ ァ
’’’
次にわたしは本能だった。
足に感じた鋭い痛みと熱、喉から飛び出す反射的な悲鳴。
ここで死んではなるものかと、わたしはわたしの武器で、、わたしの体を傷つけるものを殺していく。
ひゅぅぃ!
息の漏れる音がした。
痛い。
臭い。
苦しい。
辛い。
助けて。
憎い。
憎い。
ニ ク イ ィィィ…
’’’
次にわたしは呪いとなった。
醜く汚れ、汚れた体を引きずった先にあったのは、無理矢理に与えられた、あの子と同じ匂いの、モノを見る力を持った生臭い玉と引き換えに着けられた首に突き刺さる荊の首輪。
鎖の届く範囲、与えられた範囲でわたしはわたしの敵を食い殺していく。
死ね。
殺す。
敵。
敵。
わたしの敵。
ワ タ シ ノ …?
’’’
次にわたしはわたしに戻った。
本能と、憎しみと、見る力の玉でがんじがらめにされた首輪と鎖だけだった無は「わたし」に戻った。
醜くて臭い鎖に繋がれてはいたけれど、それに逆らう術を、まだ、わたしは持ち合わせてはいなかった。
けれどもわたしはわたしに戻った。
みて。
きいて。
しって。
考える。
愚かしい。
馬鹿馬鹿しい。
暗愚な考え。
憎い鎖と光の玉。
そしてわかった。 私をこんなモノにした憎むべき対象を。
オ ボ エ テ イ ロ ! イ ツ カ カ ナ ラ ズ !
’’’
わたしは、いつしか忘れ去られた。
首にゆわえ付けられた鎖と首輪の強制力は、忘れられたことで補強されることがなく
あぁ、断ち消えるまで、あとわずか。
一刻も早く切れることを願った。
鎖が切れればわたしは自由で、そうすればこんな臭いからも逃げられる。
私を纏うこの罪穢れ、憎しみ…この呪詛の力、どうして払ってくれろうか。
ア ァ ! キ サ マ ラ ニ コ ノ イ カ リ カ ナ ラ ズ カ エ ス !
’’’
その日。
待ち焦がれたあの日。
遠くに泣く声がした。
私を長年苦しめてきたあの鎖が切れ用とした、待ち望んだあの瞬間。
聞こえてきたのは嗚咽に混じったか細い声。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい
なぜ、そんな声で哀願するのか。
ごめんさい、許して、ごめんなさい
長年の憎しみ、怒り、苦しみ、穢れを凝った鎖がちりちりと焼け焦げ、断ち切れる。
こんなモノで自分を縛り穢した一族への復讐のため、檻から飛び出そうとした自分の耳に聞こえてきた声は…
ごめんなさい
あぁ、あの声は、あの瞳は。
謝らないで…!
謝らないで、謝らないで、謝らないで!
あなたは私を愛してくれたから
私もあなたを愛していたから
あなたが助けてくれた命だったと思い出したから。
だから、今度は私が。
ワ タ シ ガ 、 ス ベ テ ヲ タ チ キ ロ ウ !
’’’
暗く。
カーテンの締め切られた生臭い室内。
小さな子供が、泣いていた。
赤黒く顔を腫れあがらせ、涙と血の混じった鼻水でぐちゃぐちゃになった子供は、鬼のような形相で、自分の上に馬乗りになった女にただ、あやまっていた
ごめんなさい、ごめんなさい
ままをおこらせてごめんなさい…
哀願は、あぁ、すでに小さな虫が飛び交う生臭い部屋に溶け消えそうだった。
ゴミ袋の中の、もう、それが何か知る人もいない、誰もその謂れすら忘れた、薄汚れた小さな筒が床へ落ち、音を立てて割れたの に、母親は少しも気がつかなかった。
だから、何もできなかった。
そこから飛び出した、血に染まった稲妻のような赤く鈍い光は、それが何かもわからず反応できなかった母親の首に絡みついた。
じりじりと自分の皮膚が焼ける痛みに悲鳴をあげ、幼子の上から転げ落ちた女の首を、そのまま焼き切った。
あぁ、長く積み重なった、穢れ、苦しみ、凌辱された魂の恨みを全てお前の血で贖った!
自分を長年苦しためた血筋の血を浴び、契約の鎖であった目玉を喰い奪い、血で拭った穢れは垢として落ち、美しい私の本当の姿に立ち戻る。
あぁ『わたし』はようやく本当に自由となった。
室内に響いた、勝利の咆哮。
あとは、そう、私がするべきことは。
可愛いあの子を、子を殺そうとした出来損ないの生みの親から私のあの子を……。
そのまま金の獣は幼子を尻尾で包み込み、ぽかり、開いた大きく黒い穴に幼子もろともその身を堕とした。
『おやおや、妙なモノが堕ちておざりんすなぁ』
小さな稲荷神社の軒下、血泥に染まった尾裂狐(オサキ)と、ぼろぼろの布に撒かれた小さな赤子を見つけた太夫は顔をしかめながらも、血と腐臭の中に混じった悲しい眷属の匂いを嗅ぎ取っていた。
今は昔。
陰陽師の家に生まれた小さな男の子は、神社の森の奥、罠にはまった小さな赤狐を助けた。
家族に隠し、衰弱した子狐を元気になるまで面倒みた。
森の中、兄弟にように育った赤狐の存在を知った父親は、欲に溺れて彼の狐を蠱毒に貶めた。
大嫌いな父親の手によって醜い蠱毒に落ちた大好きな仔の姿に、守れなかった、助けてやれなかった、殺してしまった、と、泣いて、泣いて、謝り続けて…流行り病をもらったまま、あっという間に死んでしまった小さくて大きかった私のあの子に…
あぁ、似ている。
あの子は私の鎖が切れるのに合わせて帰ってきてくれたのだ、と、満足げに、まるで母親のように微笑んだ。
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