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54・穏やかな日々の終焉。

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「アリア修道院を一時閉鎖します。」

 それは、オフィリアの子に『エリ』と名前の付けてられてた2週間後。

 珍しく子供含めた全員が集められられた食堂で、院長先生の口から告げられた衝撃の一言だった。

 意味を理解できない子供以外、全員が一瞬、息をすることも忘れて院長先生を見て立ち尽くした。

 そんな雰囲気を察してか、いつもの穏やかな微笑みを浮かべながら、院長先生はここにいる一人一人の顔を、ゆっくりと説明を始めた。

「教会本部より昨夜、正式に通達がありました。 外部に出ることのできる皆は知っていると思いますが、王都は2年前より経済状況が悪化しています。 それに付随してでしょう、失業者は増え、それに伴い治安が悪化しています。 職を失った者は平民街から貴族街にまで入り込みはじめているそうです。
 奇しくも王宮では、建国記念と新王太子殿下の立太子式が諸国の貴賓をお迎えして催されるため、王都内全ての警備隊と、騎士団の大半が王都内に配置され、警戒に当たっているようですが……厳しい生活を強いられている国民からは厳しい目が向けられていますので、完璧とは言えません。
 暴動がおこる前に、王都にある教会関係者は速やかに退去をと、教会は判断しました。
 そしてそれはも変わりません。 いくら王都のはずれにある、騎士団が横にあるとはいっても万が一という事もあります。 教会を通じ、トルスガルフェ侯爵様のご厚意で、トルスガルフェ侯爵領にある侯爵閣下所有の屋敷をお借りすることが出来ました。 皆さんにはそちらへ一時的に避難してもらいます。 しかし、教会主である私は、王都から離れすことが出来ません。 シスター・サリア。」

「はい。」

 アニーを抱いたまま一歩前に出たシスター・サリアに、院長先生が言う。

「あなたにはアニー、シンシアを連れて行ってもらいます。 私の代わりに、その子達と、預ける物を守ってください。」

「かしこまりました。」

 頭を下げたシスター・サリアに頷いた院長先生は、手伝いとして来てくれているみんなの方を見た。

「通いで手伝ってくださっている皆さんも同様です。 もしご家族が一時的に王都を離れることを是としてくださるのであれば、シスターサリアと共に移動してください。 皆で向かえるように馬車の手配をしましょう。 ただし、家財道具一式というわけにはいきませんので、手荷物くらいでお願いしますね。」

「かしこまりました。」

 ダリアがそう言って頭を下げ、他の人たちもそれに沿うように頭を下げた。

「今日の夕方にはここを閉鎖、出発します。 皆、一度自宅に戻ってご家族への説明と、ついていってくれる方は準備をしてこちらに集まって頂戴。」

「はい。」

「それと、ミーシャ、オフィリア。」

「「はい。」」

 私と、エリを抱っこし椅子に座っていたオフィリアを見た院長先生は、厳しい顔で言った。

「あなたたちには別に、話があります。 申し訳ないけれど、このままここに残って頂戴。」

「かしこまりました。」

 私がそう答え頭を下げると、オフィリアも頭を下げた。


「では、皆さん、素早く行動を。」

「「はい。」」

 院長先生の言葉にうなずき、足早に食堂を出て行った皆を静かに見送った院長先生は、立っていた私にオフィリアの隣に座るように言うと、自身は食堂の扉を閉め、私たちの前に座った。

「まず、オフィリア。 体調はどうですか? ごめんなさいね、無理をさせて。」

「は、はい、院長先生。 体は、大丈夫です。 ……それで、私とエリは……どうすればいいんですか?」

 少々顔色が悪いオフィリアを落ち着かせるかのように院長先生は柔らかく微笑むと、ひとつ、息を吐いて、それから静かに口を開いた。

「貴女は産後まだ日が浅い。 トルスガルフェ侯爵領はここから馬車で4日かかります。 そんな無理を、貴女とエリにさせるわけにはいきません。 それと……。」

 くるくるとした紺碧の瞳をぱっちりと開けているエリを、院長先生が見る。

「あなたとエリを王都から出すには、まだ危険が多い。 木を隠すのは森。 ゆえに、警備の厚い王都の貴族街――トルスガルフェ侯爵邸へ、私と一緒に移動してもらいます。」

「……え?」

 鳶色の瞳を見開いて、それからエリの顔をみたオフィリアは、肩を震わせ、何度も浅い息を繰り返した。

「オフィリア。」

 そっとその肩に触れ背を擦ると、目を閉じ、何度か深呼吸をして……顔を上げて院長先生を見た。

「……やっぱり、誰かがこの子を……私たちを狙っているってことですか?」

 それには静かに、院長先生は頷いた。

「現在、トルスガルフェ侯爵邸は他国からの来客をお迎えしているので、他家よりもかなり厳重に警護がひかれています。 それは、王都のどこの屋敷より安全であるともいえるでしょう。 ですから、貴女とエリには私と共にトルスガルフェ侯爵邸に行ってもらい、そこで保護します。」

「……わ、解りました。」

 青白い顔をしたまま頷いたオフィリアを見ていた院長先生は一つ頷くと、今度は私の方を見た。

「ミーシャ。」

「はい。」

 顔を上げ、院長先生をしっかりとみる。

 その顔色、考えはうかがい知る事が出来ないが、しかし、私は確信を持っていた。

 修道院のみんなを安全なトルスガルフェ侯爵領へ移したのに対し、オフィリア――聖女マミとその子を王都に残す判断をした。

 王家の式典がある王都に。

(これは、きっと何かがある。 大きな何かが。)

 ぎゅっと膝の上に置いた手を握り、私を見ている院長先生を見る。

「いい目ね。 やはりあなたに隠し事は難しいわ。 えぇ、そう。 貴女はここに来て、随分と成長したわ、ミーシャ……いいえ、ミズリーシャ・ザナスリー公爵令嬢。」

「ありがとうございます。」

 静かに頭を下げて答えると、きゅっと、院長先生は口元を引き締めた。

「本来であれば貴女は修道女見習いです。 シスター・サリアと共にトルスガルフェ侯爵領へ向かってほしかったのだけれど……貴女にも、私と一緒にトルスガルフェ侯爵邸へ入ってもらいます。 オフィリアも一人では不安でしょうし、それに、貴方には会わせたい人もいるから。」

「会わせたい人、ですか?」

 問い返した私に笑みを漏らした院長先生は、すっと背筋を伸ばして私とオフィリアを見た。

「そう言うわけですから、2人は夜になってから、私と馬車で移動してもらいます。 身の回りの物、大切なものは持ちだせるようにしておいてください。 オフィリアの準備は侍女にしてもらえるようにしてあります。 貴女はそれまでエリのお世話と体を休めることに集中しなさい。 いいですね?」

「はい。」

 震える声で答えるオフィリア。

「かしこまりました。」

 頷き、はっきりとした口調で答える私。

「わたくしも準備をします。 また後で、声を掛けますね。」

「「かしこまりました。」」

 それに頷いた私とオフィリアは、そのままの足で食堂を出、寄宿棟へ向かった。

「ねぇ。 ミーシャ……。」

 オフィリアの背を擦りながら廊下を歩きながら、オフィリアは小さく体を震わせながらつぶやいた。

「大丈夫……かな? あたしも、エリも……。」

 顔色は悪く、今にも倒れてしまいそうである。

(そうだ、オフィリアは先生の事を知らないんだ。)

 アマーリア・トルスガルフェ侯爵令嬢。 院長先生の本当の姿。

 現国王の元婚約者であり、聖女ハツネの親友であり、守ろうと必死であった人。

 だからぎゅっと、私はオフィリアの肩を抱き締めた。

「大丈夫ですよ、きっと、院長先生が守ってくださいます。 それに、私も一緒に行くようなので、知らない人ばかりじゃないでしょう?」

「そっか……うん、そうだね。 ミーシャと一緒なら、安心、かも。」

「かも、じゃなくて、安心してください。」

「うん。」

 頷いたオフィリアに微笑みかけ、彼女を部屋に送り、侍女にお願いした後、私は自分の部屋に戻った。

 ここに来た時に使った鞄をクローゼットから取り出し、持ってきたものを入れる。

 少しの衣類、少しの下着、本、文房具。 増えた物と言えば、帝国にいる弟と領地にいるマーガレッタ様から届く手紙だけだ。

(マーガレッタ様の領地はトルスガルフェ侯爵領よりさらに遠い。 王都に来られることもないし、被害も及ばないと思うけれど……念のために。)

 椅子を引き、机に向かった私は、お手紙は落ち着いたらまた送りますので、それまではご家族の事を最優先に動かれて下さい。 貴女と可愛いあの子と再会できる人楽しみにしています。

 そう綴り、手紙に封をした。






 夕刻。

 外装はあまり豪華ではない馬車が騎士団の裏手側につけられ、そこから5つの家族とシスター・サリア、そしてアニーとシンシアが、時間をかけ、皆ばらばらの方向に旅立だって言った。

 途中、少し大きな街道沿いの道で落ち合うのだという。

 そして夜の帳が落ちた頃、私は修道女見習いの服を脱ぎ、ここに来ていた時に来ていた際に身に着けていた衣類を身に着けた姿で部屋を出た。

 2年も型落ちしたワンピースは、少し色がくすみ、腕周りと胸周りがきつく、腰回りが緩く感じ、何とか着れたものの、令嬢としては恥ずかしさを感じた。

(仕事で腕が逞しくなったのね。 淑女としては駄目なのでしょうけれど……。 でも、私が頑張ってきた証拠よね。)

 恥ずかしい反面、頑張った分の変化をちょっとだけうれしく感じながら、隣の部屋のオフィリアを迎えに行くと、侍女が用意したのだろうか、柔らかな印象のゆったりとしたワンピースを身に着け、髪の毛は帽子の中に隠し、エリを抱っこした体を大判のショールで覆うという格好になっていた。

「皆様、お集りになりました。」

 寄宿棟を出、侍女と護衛騎士に守られながら聖堂の裏扉から外に出た私たちを待っていたのは、黒衣に身を包み、すっぽりとベールで顔を隠した女性で、オフィリアについていた侍女がそう言うと、前に立った護衛騎士が私たちを誘導するように動いた。

「皆様、こちらです。 足元にはお気を付けください。」

「あ、あの、院長先生は……?」

 腰は曲がり、杖を突いているその人にオフィリアが問いかけたが、侍女と護衛騎士に促され、ひとまず私たちは騎士団の方へ隠されている馬車に乗り込んだ。

「出発します。」

「えぇ。 出来ればあまり揺れないようにお願いね。」

 老女の声にはっとした表情をしたオフィリア。

 そんな彼女に気が付いたのか、老女は静かに首を振った。

 重い沈黙の中、馬車は静かに走り出した。

 老女の言うとおり、揺れの少ない道を選んで走っているであろう馬車は、2時間ほどかけてどこかのお屋敷の門を潜ったようだった。

「馬車を乗り換えます。 声を出さず、静かに乗り込んでくださいませ。」

 護衛騎士の指示で、私たちは厩舎の中に隣り合わせで置いてあった馬車に乗り込んだ。

 ちらりと見る限り、乗合馬車の様に粗末な造りだったが、中は公爵家の馬車を思い出させるほどしっかりとした設えで、乗り心地は良かった。

 馬車を乗り換えたあと、わたしたちは1時間ほど揺られた。

 その間、私たちはただ無言だった。

 時折、エリがむずがる事があったが、赤ちゃんでも何か尋常ならざる雰囲気がわかるのだろうか、泣き出すことはなかった。

 そうして、私たちを乗せた馬車は再び、どこかのお屋敷の門を潜った。
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