可愛くない猫でもいいですか

緑虫

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1 不機嫌な朝

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 都心からはやや離れた場所にある、緑豊かなキャンパス。

 校舎まで真っ直ぐ続く幅の広い道を歩いていると、後ろから俺を呼ぶ声があった。

次郎じろう! 待って!」

 反射的に、振り返る。

 茶髪の甘い顔立ちのイケメンが、満面の笑みを浮かべながら駆け寄ってくるところだった。

 ……あー。一番会いたくない奴に朝一で会っちまった。

 思わず顔を顰める。相手にも俺の表情は見えただろう。

 なのにさ。明るくて怒るところなんて一度も見たことがないこいつは、笑顔のまま俺の隣までやってきたんだ。メンタル強いよな。俺には無理だ。人種が違う。

「……おはよ」

 おざなりに挨拶をすると、前に向き直る。周囲の視線が痛かった。

 グサグサ刺さるけど、冷静に考えれば見られているのは俺じゃない。みんなが注目してるのは、こいつだ。そう思い直せば、少しだけ視線が気にならなくなってきた。相変わらず慣れないけど。

 背が高いのも相まって、こいつ、相良さがら拓海たくみはとても目立つ。ファッション雑誌から抜け出てきたみたいにいつもオシャレな服を着てるし、目鼻立ちが整った顔は、母親がドイツ人なこともあって彫りが深い。

 瞳はグレーなんだぞ。何その神から愛されて生まれましたみたいな外見。黒縁メガネだって様になってるし。俺が掛けたらガリ勉に見えるだろうに。こんな奴、リアルでいるんだって最初は思った。

 これだけ格好よくて明るいので、当然だけど非常にモテる。連日のように呼び出されては告白されている、と風の噂で聞いていた。本人からは、聞いたことはない。

 聞ける筈がなかった。

「おはよ、早いね!」
「別に。普通じゃね」

 素っ気なく返す。俺の態度はいつもこうなのに、拓海は気にした様子もなく笑顔で俺に話しかけてきた。

 それがいつも、辛い。

「ふふ、今日も次郎は次郎だね」
「んだよそれ」

 ブスッと返すと、拓海が笑顔のまま答える。

「え、猫っぽいてこと」

 んだよそれ、と今度は心の中で呟いた。

「にしても、次郎って一限からちゃんと出てるし、偉いよね!」
「お前だってそうじゃん」
「次郎を見習ったんだよ、だって格好いいじゃん」

 格好いい。あまり聞きたくない言葉だけど、こいつはその単語をよく俺に向かって言う。

 ――可愛いままだったら、もう少し自分に自信が持てたかな。

 心の中で、小さく溜息を吐いた。

 俺の見た目は、自己採点では中の上。見苦しくはないけど、どこにでもいる普通のモブだ。

 何も弄っていない黒目黒髪。高校時代は可愛い可愛いと散々周りに言われた顔も、急激に伸びた身長と共に、今じゃすっかり男臭くなって可愛げがなくなった。俺は成長期が遅れてきたタイプなんだよ。

 服は無難なファストファッションばかりで、ブランドとかはよく分からない。サークルやらで馬鹿騒ぎしたりする気力も起きなくて、気が付けば周りから人がひとり減り、ふたり減り、今では殆どの講義を誰とも話すことなく淡々と受けている。

 サークルは二年になって辞めた。自分だけが誘われていない話を後から聞かされ続けたら、俺なんている意味ないだろって思うだろ、普通。「ノリが悪い」って言われたけど、他にだってノリが悪いけど毎回誘われてる奴いたじゃん。訳が分からなくて、もういいやって思った。

 自分から積極的にいけない性格だから、友人と昼飯なんてのも無理。だから学食でだって基本ひとりだけど、正直騒がしいのが嫌いな俺には別に苦じゃない。

 このキャンパスは広くて本を読むにはばっちりだったから、図書館で借りてきた本をベンチで静かに読んだりして、それでいいと思っていた。

 二年生になって、講義がよく被る拓海に絡まれるようになるまでは。

 一年の時は、明るい陽キャグループがいるなっていう程度の認識だった。拓海はそのグループのセンターじゃないけど、二番手くらいの位置にいる奴。馬鹿騒ぎするセンターのお守り役ってイメージだろうか。陽キャグループの他の奴らとは話したことがないから知らんけど。

 俺だって平均身長よりは高いけど、拓海は俺よりも拳一個分背が高い。

 そんな拓海が、俺の肩に腕を押し付けながらにこにこと顔を覗き込んできた。

「なーに? どうしたんだよ、元気ない?」
「……まあな」

 昨日ちゃんと寝られなくて寝不足なのは本当だったから、短く肯定の言葉を吐く。

 すると拓海が、心配そうな色を顔に浮かべた。

「え、心配。なに、どうしたの。何かあった?」
「うっせえ」

 肩にくっついていた拓海の肩を、手でぐいっと押し返す。

 お前にはもっとお前に合った友達が一杯いるだろ。どうして俺に構うんだよ。もう放っておいてくれないかな。

 本人にそう言えたら、どれだけスッキリすることかと思う。だけど「どうして?」ていつもの調子で聞かれたら、今日ばかりは耐えられる気がしなかった。

 だから物理的に距離を置く。

「ちょっと次郎」
「近いんだよ、もっと離れろ」

 こいつの近すぎる距離感が嫌いだ。突き放しても暖簾に腕押しなところも、大嫌いだ。

「俺には話してよ、俺たちの仲じゃん」
「……どんな仲だよ。ただの知り合いだろ」
「……え、マジで次郎、どうしちゃったの?」

 拓海の笑顔が、ようやく消える。

 ジロリと横目で拓海を見上げると、ぼそりと言った。

「……悪いけど、寝不足なんだよ。放っておいてくれ」

 拓海の穏やかな眉が、悲しそうに垂れる。

「……分かった」
「じゃーな」

 もう話しかけんな。

 声に出さないまま背中を向けると、足早に一限の講義がある教室へと向かったのだった。
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