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7 世界は広いらしい
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ユージーンさんは、沢山の岩塩を持っていた。手のひらに収まるくらいの物が十個ほど、無造作に鞄の中に入っていたのだ。
残念ながら、塩釜焼きができるほどの量はない。それでも、ローランさんとの二人暮らしならそこまで大量に使う訳じゃないだろうから、下手をしたら一年以上は保つんじゃないか。
ピンクっぽいのや白いのやら、黄色も水色っぽいものまである。僕は夢中になって色とりどりの岩塩を見比べていた。頭の中には、元の世界でかつて食べた料理が次々と浮かび上がっている。
これでようやく、時折刹那的に訪れる味覚によって引き起こされるホームシックから解放されるかもしれない。焦燥感にも似たあの感覚は、できればもう二度と味わいたくないものだったから。
「イクト、顔がニヤついてるぞ」
苦笑を浮かべるユージーンさんに間近で顔を覗かれて、ハッとして表情を引き締める。
「す、すみません……、こっちに来てからずっと塩分に飢えてたもので」
「そっかー、そんなにか。ならこれ、イクトに全部やるよ!」
「えっ!? いいんですか!?」
ユージーンさんが、太っ腹なことを言ってくれた。僕の中でユージーンさんの評価が「イタズラ好きの放蕩息子」から「イタズラ好きでとっても優しいお兄さん」に塗り替えられる。
ユージーンさんが顔をくしゃっとさせて笑った。
「ん、いーよ。イクトが嬉しそうだし」
「や、やった……!」
どうしよう、嬉しすぎて飛び上がって雄叫びを上げたいくらい嬉しい。
でもそんなことをしたら、日頃一切覇気のない僕の頭がおかしくなっちゃったんじゃないかってローランさんが卒倒しかねないから、懸命に欲求を抑えた。
ユージーンさんが、僕の頭をにこにこ顔で撫でる。
「あはは、かわいーの。こんなんなら、もっと他の調味料もお土産に買ってくるんだったなあ」
「えっ!? 他の調味料!?」
すぐに僕が食いつくと、ユージーンさんは楽しそうに指を折りつつ「あそこは胡椒が流通していて、北の方は香りの強い葉を乾燥させた香辛料が有名で――」なんて話をしてくれた。その国や地域の様子や、おかしかったこと、ちょっと怖かったことも面白おかしく語ってくれて、僕の頭の中に鮮やかな映像が浮かび上がる。
――ユージーンさんの話は僕の知らないことだらけで、何もかもが目新しくて。
ああ、ここにだって元の世界と同じようにちゃんと世界は広がっていて、色んな文化があって、様々な人が世界の一員として生きているんだと、初めて思えたんだ。
ユージーンさんが、伸びてしまって肩で真っ直ぐに切り揃えた僕の黒髪に物珍しそうに触れながら、朗らかに笑いかける。「すげー真っ黒。綺麗だなあ」とか呟いているから、そういやこっちの世界では黒髪は異世界人しか持ってなかったんだっけ、と思い出した。
基本家と買い出しの市場しか行かない生活を送っていたから、あまり気にしていなかったのだ。
「イクトが現地に行ったら、大はしゃぎしそうで想像しただけで可愛い。あー連れて行ってやりたい。喜ぶところ見たい」
「えっ」
「異世界人って移動していいのかな? あ、親父に聞いてみよ」
「え、えっ」
「ん? だってイクト、こっち来てからずーっと親父とここにいただけだろ? 若いのに隠居生活みたいじゃね? そんなの」
え、異世界人って管理されて一生を生きていくだけの存在じゃないのか。なんだ、その僕にも選択肢が沢山あるみたいな言い方は。
ユージーンさんが続ける。
「親父は村長で長期の不在ができないからさ、退屈だっただろ。親父も早くイクトの存在を教えてくれてたらなあ。まあふらついてたから連絡取りようがないけど、はは」
それは、曇っていた窓を拭いて視界が一気に透明になったような感覚だった。
僕だって今はこっちの世界に住んでいるのに、これまでは必要最低限なこと以外、何も知ろうとしなかった。元の世界に全てを置いてきたつもりでいたから、このまま静かに生きて時が来たら死んでいけばいい。こっちの世界の人はみんな主役で僕は舞台の影から光を見上げている小石程度の存在だから、と漠然と思っていた。
ここは、僕の世界じゃないから。元の世界にも居場所なんてもうなかったけど、こっちにも慈悲でいさせてもらっているだけの居候だから、と。
だけど。
「世界は広いんだぞー。何も知らされないで年だけ取ってくなんて勿体ないんだからな」
「そ、そう……なんですか?」
驚いたまま掠れ声で問い返すと、真顔に戻ったユージーンさんが僕の頭を引き寄せる。長いこと忘れていた人肌の暖かさが、僕の身体をじわりと包んだ。
「……当たり前だろ。人生は楽しんだもん勝ちなんだからな」
「楽しむ……」
「そうそう。自分から楽しさを探し求めに行って何が悪いってな」
「……そう、ですか……」
そっか。異世界から来たよそ者の僕でも、楽しんでいいんだ。
そんな当たり前のことを、異世界転移して数ヶ月経った今日、初めて思ったのだった。
残念ながら、塩釜焼きができるほどの量はない。それでも、ローランさんとの二人暮らしならそこまで大量に使う訳じゃないだろうから、下手をしたら一年以上は保つんじゃないか。
ピンクっぽいのや白いのやら、黄色も水色っぽいものまである。僕は夢中になって色とりどりの岩塩を見比べていた。頭の中には、元の世界でかつて食べた料理が次々と浮かび上がっている。
これでようやく、時折刹那的に訪れる味覚によって引き起こされるホームシックから解放されるかもしれない。焦燥感にも似たあの感覚は、できればもう二度と味わいたくないものだったから。
「イクト、顔がニヤついてるぞ」
苦笑を浮かべるユージーンさんに間近で顔を覗かれて、ハッとして表情を引き締める。
「す、すみません……、こっちに来てからずっと塩分に飢えてたもので」
「そっかー、そんなにか。ならこれ、イクトに全部やるよ!」
「えっ!? いいんですか!?」
ユージーンさんが、太っ腹なことを言ってくれた。僕の中でユージーンさんの評価が「イタズラ好きの放蕩息子」から「イタズラ好きでとっても優しいお兄さん」に塗り替えられる。
ユージーンさんが顔をくしゃっとさせて笑った。
「ん、いーよ。イクトが嬉しそうだし」
「や、やった……!」
どうしよう、嬉しすぎて飛び上がって雄叫びを上げたいくらい嬉しい。
でもそんなことをしたら、日頃一切覇気のない僕の頭がおかしくなっちゃったんじゃないかってローランさんが卒倒しかねないから、懸命に欲求を抑えた。
ユージーンさんが、僕の頭をにこにこ顔で撫でる。
「あはは、かわいーの。こんなんなら、もっと他の調味料もお土産に買ってくるんだったなあ」
「えっ!? 他の調味料!?」
すぐに僕が食いつくと、ユージーンさんは楽しそうに指を折りつつ「あそこは胡椒が流通していて、北の方は香りの強い葉を乾燥させた香辛料が有名で――」なんて話をしてくれた。その国や地域の様子や、おかしかったこと、ちょっと怖かったことも面白おかしく語ってくれて、僕の頭の中に鮮やかな映像が浮かび上がる。
――ユージーンさんの話は僕の知らないことだらけで、何もかもが目新しくて。
ああ、ここにだって元の世界と同じようにちゃんと世界は広がっていて、色んな文化があって、様々な人が世界の一員として生きているんだと、初めて思えたんだ。
ユージーンさんが、伸びてしまって肩で真っ直ぐに切り揃えた僕の黒髪に物珍しそうに触れながら、朗らかに笑いかける。「すげー真っ黒。綺麗だなあ」とか呟いているから、そういやこっちの世界では黒髪は異世界人しか持ってなかったんだっけ、と思い出した。
基本家と買い出しの市場しか行かない生活を送っていたから、あまり気にしていなかったのだ。
「イクトが現地に行ったら、大はしゃぎしそうで想像しただけで可愛い。あー連れて行ってやりたい。喜ぶところ見たい」
「えっ」
「異世界人って移動していいのかな? あ、親父に聞いてみよ」
「え、えっ」
「ん? だってイクト、こっち来てからずーっと親父とここにいただけだろ? 若いのに隠居生活みたいじゃね? そんなの」
え、異世界人って管理されて一生を生きていくだけの存在じゃないのか。なんだ、その僕にも選択肢が沢山あるみたいな言い方は。
ユージーンさんが続ける。
「親父は村長で長期の不在ができないからさ、退屈だっただろ。親父も早くイクトの存在を教えてくれてたらなあ。まあふらついてたから連絡取りようがないけど、はは」
それは、曇っていた窓を拭いて視界が一気に透明になったような感覚だった。
僕だって今はこっちの世界に住んでいるのに、これまでは必要最低限なこと以外、何も知ろうとしなかった。元の世界に全てを置いてきたつもりでいたから、このまま静かに生きて時が来たら死んでいけばいい。こっちの世界の人はみんな主役で僕は舞台の影から光を見上げている小石程度の存在だから、と漠然と思っていた。
ここは、僕の世界じゃないから。元の世界にも居場所なんてもうなかったけど、こっちにも慈悲でいさせてもらっているだけの居候だから、と。
だけど。
「世界は広いんだぞー。何も知らされないで年だけ取ってくなんて勿体ないんだからな」
「そ、そう……なんですか?」
驚いたまま掠れ声で問い返すと、真顔に戻ったユージーンさんが僕の頭を引き寄せる。長いこと忘れていた人肌の暖かさが、僕の身体をじわりと包んだ。
「……当たり前だろ。人生は楽しんだもん勝ちなんだからな」
「楽しむ……」
「そうそう。自分から楽しさを探し求めに行って何が悪いってな」
「……そう、ですか……」
そっか。異世界から来たよそ者の僕でも、楽しんでいいんだ。
そんな当たり前のことを、異世界転移して数ヶ月経った今日、初めて思ったのだった。
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