石炭と水晶

小稲荷一照

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開戦

デカート州 共和国協定千四百三十七年小雪

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 山の鳥獣が冬に向けて太り始めた頃、建屋は未完成ながらヴィンゼの湊口は堀掻きが一通り終わり、水が引き込まれた。
 鉄道の堰堤の足しにした土砂は予定より多く、多少深かったが、豊かなザブバル川の流れにとっては何のこともなかったようだ。
 オゥロゥでデカートやローゼンヘン館から送られてくる資材や食料が工事に先回りされるや鉄道の建設ペースは目に見えて上がってきた。
 今や大まかに千人と言っても数え負けしないくらいに近づいていた工事の労働者達が手狭になり始めていた現場を分けることが可能になり、仕事の手が止まることがなくなっていた。工具や鋼材枕木などのローゼンヘン館で加工された材料とは別に、どこからでも手に入るものを同じ経路で運べるほどには線路は整備されておらず、ともかくも線路を一組伸ばすまではその威力は発揮されることはなかった。
 数十人の人足でチョロチョロと荷を上げていたゲリエ村の船着と違って、最初から巨大なオゥロゥに合わせて準備され機械化されたヴィンゼ港の威力は、鉄道貨車のバケットをそのまま積み込めるオゥロゥならではの威力でもあって、それをそのまま列車に繋いでローゼンヘン館の精製機械に飲み込ませる鉄道の威力でもあった。これが鉄道の威力かと云えばこれも鉄道の威力であった。
 だが、鉄道工事に働いているものたちにとって、幾らかの土木工事用の機械を与えられたと云っても、もちろん人手に頼るところも多く、機械が大方のところをやってくれるはずの部分でさえ、最初と最後は人間が片付け詰める必要も多かった。
 マジン一人の頭のなかから沸き起こった事業を未だに誰も全貌や詳細を把握できないまま、鉄道建設は推し進められていた。
 しかしそれでも手数が増えやるべきことに慣れてくれば、次第に成果が励みになり、物事は加速してゆく。麦の刈り入れが終わり、次の麦が蒔かれ、やがて霜が降りる頃にヴィンゼの港まで線路が伸びると鉄道の伸延は驚くほどの速さになって、年内にヴィンゼの東側役場から五リーグほどのところに達し、南向きにデカートに向けて折れ伸びていった。
 当初、セゼンヌは鉄道が街の中心に至らないことに納得がいかない様子でもあったし、更には身形はともかく、あからさまに亜人が多い人足たちの集落が港口から伸びた線路のヴィンゼ駅の周辺に出来たことに、戸惑いを感じていた様子であった。
 セゼンヌは亜人を一括りに賎民として扱うほどには迂闊ではなかったが、賎民すれすれのタダビトの多いヴィンゼにあって亜人が職をなしているという事実には、町長として危惧を覚えないわけではなかった。
 手早く信用できるヒトを集めた結果として、行き場逃げ場のない人頭を募れば亜人が増える、というマジンの説明には憤りもなくはなかったが、表向きの説明としてはそれなりに道理のツボの底は叩けていて、ヒトの扱いの面倒に想像がゆかないわけでもない町長の立場としては、彼らが奴隷かどうかだけを確認した。
 つまりは亜人が悶着を起こした場合、誰が誰を処断すべきかという責任の確認であるわけだが、ローゼンヘン工業が雇用している、とだけマジンは述べた。
 市民権はないし、奴隷の所有権もないが、業務中の身分は保証している。という形式はデカートではわりに見られる形式ではあるが、ヴィンゼのような手に余裕のない自治体では犯罪に関わることになったとき面倒が多く、セゼンヌは嫌な顔をした。
 しかし話を変えるように、マジンが新たな鉄道計画を口にしたときに、セゼンヌの顔は驚く喜びに変わった。ヴィンゼを西に抜けてバイゼロンをつなぐつもりだとマジンは告げた。
 当然にシェッツンやアペルディラを目指すという意味である、とセゼンヌは理解した。
 ヴィンゼが今の位置にあるのは単にデカートの北という意味合いもあるが、ヨーラス山脈を迂回して、アペルディラやシェッツンへの道を睨んでのことでもあった。
 シェッツドゥン砂漠のせいで楽に超えられる道というわけではないが、それでも命知らずの早馬が高価な時計や陶器を運んだりすることはあるし、あらかた半月あまりの近道で幾つもの報せを運ぶ、本当の早馬の仕事の最後の或いは最初のまともな人里としてヴィンゼはバカにならない位置にあった。ヴィンゼの駅馬車が採算を度外視したような奇妙な大きさをもつのは、バイゼロンという通うには険しく遠い、しかし無視できない町の存在があった。
 何時頃までかはマジンのうちでも確約する程に確信があったわけではないが、デカートに線路を繋いだ後に工事を始めようとは考えていた。
 その前にはマジン自身がシェッツドゥン砂漠に足を向ける必要があったが、今はそれどころでもなかった。


 年の瀬も押し迫った時期にソイルの冷凍庫は完成した。
 もう冬を待つばかりという時期に氷屋もないものだと口さがない連中は当然に言ったが、ソイルに建設された冷凍庫は氷屋という意味合いよりはもう一段進んだ食品倉庫だった。油の乗った魚を塩水で一気に石塊のように固く凍らせることもできたが、ちょうど氷点で管理された部屋と、それより僅かに高い水が最も重くなる温度で管理された部屋と三つの温度が準備され、管理したい物によって、倉庫を選べるようになっていた。
 冬のさなかにあっても夜霜で凍ることも、日の明かりで氷が緩むこともなく、一年を変わらず過ごせる。そういう施設だった。
 そのことがどういう意味を持つのか理解したものは少なかったが、ともかく日月亭はプリマベラを寄せられる舟寄をもった氷屋としてソイルで完成した。
 事業としては新味に欠けるものだったが、建物の機能としてはこれまでのものとは全く異なっていた。基本的にはセレール商会の製氷庫に近くはあったが、それを一段推し進めたものになっていた。冬に氷を買うことがバカバカしいと言っても、料理屋や医者は氷の価値を認めていて、彼らは定期的にほぼ毎日買っていた。
 バーネンとモッシュローンが狼虎庵の実績を元に事務処理的な指導をおこない、センセジュを責任者に部下を六名つけて地下一層地上三層の日月亭は五ヶ月の建設期間で完成した。
 日月亭は当然に氷の卸売りも目的にしていたが、実態としてはローゼンヘン工業が雇用するだろう一万人を睨んだ食品倉庫であり、容量で概ね六万グレノルになる巨大な建築物だった。一辺が五百キュビットをやや越える小さな城塞というべき外見のそれは、到底レンガ積みでは職人の労ばかりで見えるほども進むわけもなかったが、鉄の骨を組み木枠をしつらえた中に砂利を詰め、上からセメントを流し込むそういう風にして作られていた。
 やたらと平たく厚みの揃った木材をバーリオ親方とその一党は奇妙に感じていたが、それが元は巨大な木ではなく幾枚かの木材のいわば鉋屑をアイロンで蒸しながら、糊で固めたようなものだとウェッソンから説明を受けて驚いていた。
 なんでそんな面倒なことを、とバーリオ親方は呻いたが理由は大工であればすぐに見当がついた。
 大きく揃った木材は高いし、そもそも市場に無尽蔵に出るものではない。
 今回の工事で使ったような三キュビット四キュビットの板を取れるような木が大きく育つためには百年でもまだ足りない。そういうことだ。
「で、そのマゼモノの木の板はどれだけ保つんだ」
 バーリオ親方は切り替えるようにウェッソンに尋ねた。
「全然わからん。半端なことじゃ解れないようには作っているが、つい春先から別の工事をやっていて、これでは森がいくらあっても足りないってことにうちの若旦那が気が付きなすって、ここの工事が始まる直前に慌ててでっち上げなすったものだ。ウチじゃ色々に使っていて今のところ問題らしい事にはなっていないが、半年でボロが出るようなかわいい仕事をウチの旦那がするわけもない」
 ウェッソンは機嫌よく不機嫌を装い言った。
「で、お宅じゃなにに使っているんだ。水に濡れても平気なのか」
 バーリオが促すように尋ねた。
「水はまぁ平気だが、船にはそういえばまだ使ってないな。屋根とか外壁には使っているが、その程度が平気なのは工事の木枠に使えるくらいだから当たり前だろう」
 ウェッソンは手頃な説明を探すが思いつかないようだった。
「――ああ、風呂の溝の羽目板には使っているな」
 ウェッソンは思い出した様に言った。
「その程度だとわからんな。風呂桶とか樽とかそういう風に使えるのかね」
 バーリオが焦れたように尋ねた。
「樽には使いたいところだが、食い物に使うのは若旦那が来年いっぱいは様子見をしたいらしい」
「糊に毒でも使っているのかね」
 ウェッソンの説明にバーリオが怪訝そうに聞いた。
「まぁ細かいことは知らないが、糊だからね。かぶれたりってことはあるかもしれない。ってことらしい。食い物について腹の中がかぶれるってのは、ゾッとしない話だ。ネズミを育てて試験をしているがね」
「ネズミが一年も齧って平気なら人間が樽の水を飲むくらい平気ってことか。しばらく様子見をした方がいいのかね」
 バーリオが納得したように言うのにウェッソンがうなずいた。
「実のところ、使えるようなら便利なものだが、今のところはよくわからん。無事がわかって余裕が出たら売るつもりでいるみたいだ」
「下々が簡単に買えるほど安いのか」
 皮肉めいた顔でバーリオが言ったのにウェッソンが頷いた。
「安い。それに使ってみてわかったと思うが、面倒も少ない。材料も木っ端やらも使えるから板の大きい割には高くないし、最初から綺麗に寸法はできているから、出来の見栄えを気にしないなら並べて打ち付ければ壁床屋根くらいはすぐに張れる。学舎出たての子供に毛の生えた様な素人衆が、うちに転がり込んできた折に、大工の指導で自分たちの住む家三百ばかりをひとつきほどで建てた。ま、出来はお察しだが、ともかくこの間の嵐でも吹き飛んだり濡れネズミってことはなかった。滲みや雨漏りくらいはあったろうがね」
 ウェッソンが言ったのにバーリオが驚いた。
「柱はどうしたんだ。板とおんなじように寸法通りに作れるのか」
「持ち込んだ長いやつがそうさ。百二十キュビット節なしなんて、天然自然の木材じゃ高くて仕方ない。うちの旦那が桁外れっても森ひとつ潰して一本あればいいような神代の大樹をパカパカ倒すわけにもゆかないさ。ま、板も梁柱も二三シリカの歪や欠けはあるが、レンガで床を埋めることを考えれば、全然楽なものだったろ」
「ほぞ接ぎも見えないほどにやたら綺麗に製材されているなとは思ったが。だが、柱には木目があったぞ」
「ありゃ、木目つうか、材料の向きを色々に散らして一気に裂けないようにするためにしているんだ。向きを見るために色目をつけているのも事実だが、貼り合わせの線だな」
 ウェッソンがそう言うとバーリオは少し渋い顔をした。
「ゲリエの旦那にかかると樵も気の毒だな。立派な木材に巡りあってもこの先はマゼモノかどうか疑われるってことか」
「その分、間引きの若木でも商売になる」
 ウェッソンがそう言うとバーリオはますます嫌な顔をした。
 ローゼンヘン館の合板は、元来枕木に使えるような締まった木材が少ない、という対策から始まっていた。現場の調整や加工を考えると木材の手頃さは魅力で、合成規格材は速成建築の材料としても手頃だった。
 川沿いに建てられた建物群は如何にも間に合わせの風情がにじみ出ていたが、十年使うつもりというわけでもなく、必要であれば取り壊し次に替える様な性質のものであった。計画としてはヴィンゼ東港の整備とともに学校を含めた粗方を引っ越す予定だった。
 ヴィンゼ港の整備は年内には手がまわらないだろうとマジン自身が諦めていて、それでも港駅とヴィンゼ東駅はそれなりに綺麗に仕上げていた。どちらの駅も最初から四組の線路を準備して荷物のやり取りを意識した作りになっていた。
 ヴィンゼに初霜が降り、冬が冬らしくなり始めた年の瀬に、リザがぞろぞろと腹を膨らませた友人たちを引き連れて帰ってきた。
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