魔法使いは退屈な商売

小稲荷一照

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三十七週目

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 事件は意外なところから動いた。
 畑中純一を誘拐した犯人は意外なところで純一と接点があった。
 できたというべきかもしれない。
 純一が金城基女史の寄越した採用内定通知書は当然のように純一の恋人たちに大きな動揺をもたらした。
 それは事実上の降伏勧告に等しく彼女らに受け止められ、その対策が真剣に討議されていた。
 未来だけはあまり予想外でも危機的な状況とも受け止めなかったようで比較的冷静だったが、他の三人は納得いかなかったようだった。
 結局、幾つかの企業を全員で受けてみることになった。
 時節からすでに内定を――しかもかなりの好条件で決めている純一としては、その裏にある微妙に痒みすら感じる思惑はともかく、真剣に将来を懸念している同輩たちに後ろめたい思いを感じないでもなかったが、そうはいっても乗りかかった船としてまずは同居をしている女性たちのことを考えることを定めた。
 とりあえず、光を除いた四人でとある食品メーカーを受けてみることにした。全員で受かるというふうには思っていなかったが、まぁどうせ幾つか受けてみて、というオノボリサン的な感覚で企業説明会に出席したのであった。
 どうせ学生の書ける履歴書なんてたかが知れているので、書けるように書いておいて練習みたいなつもりもあって、ぞろぞろと出かけて行ったのである。光も会場で弾かれたらどこかでお茶か買い物でもして待っているから、という感じで企業説明会には出席した。
 どうなるやらという感じだったが、やはりまずはルーズな感じで書類選考をおこなってという雰囲気で、企業説明会は簡単なそして誇らしげな感じで企業の現状を説明していた。すでにある程度、具体的な内部の作業を始めていた純一は実際の日常は今日の展示のような華々しさはないと知りつつ、これも営業活動であればこういったモノかと不思議な納得をしつつ、しかしこの企業はこんな活動をもしていたのかと、意外な活動に驚いてみたりという、ドキュメンタリーとして楽しんでいた。
 午前の分が終り、バラバラと希望分野別の会場への受付に移動し始めたとき、事件が起こった。
「あいつだ」
 慶子が誰かを見て、唸るような低い怖い声でそう言った。
「だれ?なに?」
 引っ張られて純一はなんのことだか全く分からなかったが、慶子が誰かを見つけて目立たぬように指をさしているのは分かった。
 皆、紺系のリクルートスーツを着ている後ろ姿では、ダレがナニなのかは全く区別もつかないが、慶子はナニか誰かを見つけたらしい。そのまま、見失うまいとグイグイと純一を引っ張ってゆく。
「純一さんを拐ったヤツのひとり。駐輪場で純一くんのバイク押してたヤツ」
 簡潔に慶子は説明した。
「間違いないのか」
「絶対」
 純一の確認に慶子は自信を持って応えた。
 純一はまさかとも思ったが、疑う前に確認をするべきと思い直し、歩速を上げて、自ら人の壁を割き、慶子を先導する。
 慶子は引かれた手を右に左に振って追跡をおこなってついに同じ受付の列に並んだ。
 男は名前タグを受け取って離れた。列から離れた男のまだその手の中にあるタグを純一は手を伸ばして確認する。
 いきなり手の中のタグを引かれて驚く男の顔を無視して、手の中のタグの名前を先に確認する。
――川田賢蔵?松本じゃない!
 純一は慶子の表情を確認する。
 慶子は頷いた。
「おっ!オマエ!畑中!なんでこんなところでっ!」
 松本ではなかったが男の反応を引き金として、純一は男の伸びていた腕を引き、つま先に踏み込み、そのままに渾身の肘打ちで男の胸椎をきしませた。
 一瞬にして会場の一角は騒乱に包まれた。
 男は瞬間的に目を開けたままその場でクシャりと昏倒した。純一は会場の職員の動きが始まる前に、慶子に小林警部に連絡するように指示して、自分は斎夜月に電話をした。
「はぁそれは、素晴らしくイヤな偶然ですね。小林さんには連絡取れました?ああ、それは良い判断です。現場の人にはとくになにも言わない方が良いでしょう。今回の会社は残念ですが諦めた方がいいと思いますが、それも含めて捕まえられたことは良かったとおもいます。他にもいるかもしれませんね」
 夜月は慶子の記憶と純一の判断をあまり電話口で疑ってないような反応を示した。
「私は今回なにもできませんが、とりあえず打てる手は打っておきます。会場の住所を教えてください」
 そう夜月は言って電話を切った。
 受付の女性に純一が歩み寄ると、彼女は突然発生した暴力沙汰に硬直していた。
「たった今、警察を呼びました。協力してください」
 純一は倒した男の名前を確認すると、その場で松本という名をリストの中から探す。二人の名前があったが、ひとりは欠席、ひとりはすでに受付を済ませて別室らしい。
「ジュンチ、小林さんが代わってくれって」
「――おい、やっちゃったって?――」
 携帯を受け取ると、小林警部が電話のムコウで息せき切らせながら嫌そうな声を出していた。
「スミマセン。相手がコッチを完全に認めたので反射的にやってしまいました。知らない名前ですが、カワダケンゾウというようです。住所は――」
 住所を小林警部に伝えたところで会場の職員がやってきた。いま警察に連絡した旨だけを純一はやってきた若い職員に応える。
「――スミマセン。現場の人が来ちゃいました。会場は遠藤から聞きました?一応、斎さんにも連絡はしました。いまコッチでの動きはそんなところです」
「すっかり現場慣れしちゃったな。しかし、探偵頼っている話を管轄外ったって、現役の警官にするってのは、腹がたつ。まぁコッチもすでに動いている。斎経由の人脈とどっちが早いかって話だろうが、警察組織を嘗めるなよ」
 純一があまり同様していないことは小林警部に伝わったようで、いちおう職務上の釘を刺された。
「俺は小林さんが忙しいとヤダな、と思っただけで、捕まれば小林さんの方が確実に頼もしいと思っています」
 純一の弁解にムコウで小林警部が笑ったような声を出した。
「県がまた違うからアレだが、向うには話はもう廻っている。事件の件も前回の件で広域犯罪指定しているから、ムコウももう動いているはずだ。会場の方はとりあえず手にあまるようなら、俺に代わってくれ」
「――小林さん、早速お願いします。会場の責任者の方のようです」
 キミ、なにやっとるか、と威権高かにやってきた人物に携帯電話を渡し、県警本部の小林警部から代わっていただくように指示を受けました。と純一が伝えると、電話を耳にした男はとたんに緊張したように身構え、純一と倒れた川田という男を見比べ、辺りに目をやりパニックになった様子が見えた。
 やがて、話が終わったのか男の手から電話が純一に廻ってきた。
「――代わりました」
「ムコウの、というかソチラの担当者と連絡がついた。十分くらいで着くということだ。名前は秋山と青山だ。広域で対応するくらいだからそれなりのヤツと思うが、うまく話が合わないようなら俺に連絡してくれ」
 小林警部はそう言って、純一に現場の維持と確保してしまった容疑者を現場で相談するように指示された。
「ジュンチ、アレ!アイツ!」
 辺りを見渡していた慶子が野次馬の中からなにかを見つけたらしく純一の腕を引く。やや大柄な男が輪の中から去っていくのが見えた。純一に構わず見失うまいと追いかける慶子を純一は追いかける。
 小柄な慶子がローファーで走る。器用に人ごみを抜けていくので、純一が野次馬に集られているよりは、だいぶ早い。
「ソイツを止めてぇ!」
 辺りには部門の説明受付の人ごみが落ち着くのを待っている学生がパラパラいるが、慶子の狂態と奇声と自分の将来を秤にかけてさすがに直接関わろうとはしない。事情が分からず闇雲に直接巻き込まれることを避けていた、三人組の脇を抜けて男が出口にかけていくのを慶子が背広の裾を捕まえて阻止しようとする。
 男がカバンからなにかを取り出し、自分の裾をつかんでいる慶子に向けて突き出した。
 やっと間に合った純一は、慶子のブラウスとスーツの首元を咄嗟にひっつかみ、後ろに引っこ抜く。宙に浮いて驚く慶子の身体は意外と軽い。
――まさかこんなところで。
 純一は男の持っている物を理解した。催涙スプレーだった。
 振り回されて狙いの曖昧なガスの射程にぼんやりと眺めていた何人かが巻き込まれる。
 スプレーの黄色い煙に純一はたじろぎむせ返った。
 男がへっと吐き捨てるように笑ったのが腹立たしいが、直撃は避けたもののまだ目が開けられず走りだすのは辛い。
「ふざけるな!」
 紫の声がした。
 その純一の脇をナニかが猛烈な勢いで飛んでいった。
 ガツンという音と男の悲鳴。
 その後で、さっきのスプレーに似たような音。少し長い。
 スプレーの直撃ではなかったので、純一の視界が回復したのは五秒くらいだろうか。
 逃げ出した男が会場の出口の扉の手前で倒れて咳き込んでいた。
 男の脇では紫が仁王立ちになって男のアタマにスプレーをかけていた。
「意外と利くのね。コレ。自分で試してみないでよかった」
 慶子が逃げた男を確認して頷いた。
 企業の担当者の心証は最悪だったが、純一たちにしてみればそんなことより目下の重大事は、純一の誘拐事件の犯人でなんと二人がいっぺんにこの会場にいたということで残りの二人も気になったが、さすがにそこまで強引にナニかを進める気にはならなかった。
 二度目の捕物を小林警部に報告すると、小林警部はかなり困惑したようで、やり過ぎると純一自身に良くない、というように心配してくれた。


 二度目の捕物から五分くらいで最初の制服警官が訪れ、その後さらに十分くらいでぞろぞろと警察官が現れた。
 明らかに企業側は迷惑そうだったが、会場で防犯スプレーを撒いたりそうでなくとも暴力沙汰になってしまっていれば、警察を受け入れざるを得ない状態で、自分たちで呼んだわけでない警察を引き込んだという点でも純一への心証が良かろうはずもなかった。もっとも責任ある立場でない学生やら末端の社員やらにとっては、目の前で起こった捕物はタダの非日常的な興味の対象で、興味津々で携帯で写真を取っていたりと純一にとっては不愉快な行動を取っていた。
 純一と慶子それから紫が事情説明のために会場の脇の個室で取調べを受けていた。
 秋山警部はやや年配の男性で青山刑事は子どもがいてもおかしくないような印象の女性の刑事だった。
「つまるところ、あなた方は畑中さんを誘拐した犯人に似た人物を見かけたので確認しようとした。すると、その人物は畑中さん自身が面識がないにもかかわらず、畑中さんの名前を呼んで驚いたので、反射的に畑中さんが相手を気絶させてしまった。さらにそれを見ていた、やはり犯人の一人によく似た野次馬の一人が会場から走り去ろうとしたので、追いかけたところ催涙スプレーで遠藤さんを攻撃し、さらに逃亡しようとした。そこで滝川さんが手近にあった会場の椅子を投げつけ、走りよって男の落とした催涙スプレーで攻撃した。という状況理解でよろしいですか」
 秋山警部が、三人の話を纏めて要点を確認した。慶子は、よく似た、という部分が気に入らなかったらしいが、純一が膝に手を置くとその上に手をやってなにも言わなかった。
「流れとしてはそういう風でした。一人目を気絶させたところで、先の事件でお世話になっていた小林警部に連絡をしました。あと、小林警部が捕まらないと困るので、いちおう知人の探偵さんにどうすれば良いかを相談していました」
「最近は携帯電話で一一〇番してくださったら地元の県警本部につながるんで、ソッチの方が良いンですが、まぁ別件の事件の参考人ということであれば、分からん気分でもありませんな。おかげで私が名指しで直接来ることになったとも言えますし」
 秋山警部は一般的な事件通報の手法でないことがやや気に入らない様子だったが、純一たちの事情も分かったようで渋い複雑な顔をしていた。
「では、もう一人の松本という男を見に行きますか」
 言うことを言ったら、次をするかというような感じで、表情を改めて秋山警部は立ち上がった。


 結論としてその松本は、慶子の記憶の人物とは全くの別人であることが慶子の証言によって確認された。
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