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水曜日~後夜祭~
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取り調べが終わり部屋から開放された途端に純一は気分が悪くなった。妙に汗をかきだしてめまいを感じると、シャツの腕に血がにじみだしていた。
ミズモト弁護士が騒ぎ出し、異常に気がついて慌てた刑事の吉田が病院を手配して、正規の手当を受けて病院で一泊することになった。簡単な手術を受け病院で寝てたら点滴に痛み止めが入っているはずなのに腕が急に痛くなった。緊張が解けたせいだろうが、ひどく痛い。そして痒く。また痛い。
とはいえ痒いと痛い以外に体の不調があるというわけでもないので、気散じにその足で大学に向かう。さすがに模擬店の片付けは気分でなかったので研究室に行くと妙に盛り上がっていた。
実験の不調にグダグダだった先輩たちが久しぶりに装置の組み換えをしている。自分の研究にこもりきりの院生まで狩りだして装置の組み換えをしているのは、なにか発見というか目算がたったらしい。
片腕を吊っているにもかかわらず、紅茶を準備せよ、と申しつかった。普段、紅茶には積極的な興味を見せないメンツが紅茶を求めるのは昨日の事件の影響らしい。
紅茶の準備完了を告げると、話題はやはり昨日の事件だった。
マサカネと呼ばれていた装置の解体や大物の移動には必ず使われる大バールの行き先が話題になり、学内であった事件の関係者の一人が純一であることが知れて、しかし山下は本人に聞け、の一徹だったらしく興味が引っ張られていたらしい。
とは言え、純一にしてもあまり言葉を尽くして歌い語るようなことでない、結局被害を防ぐことは出来なかったので、自然に淡々と借りて行ったバールで二階の教室に窓から入って強姦魔を殴り倒しただけ、しか言う事はなかった。
「何にせよ、誰も死なないでよかった、俺が焚きつけたせいで殺人を犯したんじゃ俺も教唆犯だからな」
山下は純一の言葉を受けて言った。
実際、冗談でないのだが、場は笑いに包まれた。
「お前の友達の斎さんだっけ?あの人がいなかったら、お前に展示預けて、そしたら犯人はやるコトやってトンヅラだろう。それを考えれば、まだマシだよ。装置もグダグダのままだったろうし、お前からお礼を言っといてくれ」
純一には後ろ半分が今ひとつ分からなかった。
「古いコンデンサが液漏れ起こしてて、基板配線のインピーダンスを変えてたんだ。それをオマエの友達の斎さんだっけ?が見つけてくれた。予算が足りなくてインバーターが小さかったお陰で火事にならないでよかったよ。まぁ、他にも装置の試験項目を変えたときに動かした計測器のアースがちぎれてたり、とか色々あったわけだけどね。使い回している実験装置にはありがちな異常だけど、動いていた現物を見慣れると逆に見つけにくいんだ。来年実験に入ったら絶対起こるトラブルだから、畑中くんも覚えとくとイイ。先輩の作ったモノは疑え。自分の作ったモノも疑え。買ってきたモノも使うまでは疑え」
かつて実験装置を組んだ時のメンバーの一人である院生の松田が夜月の貢献を補足した。
「まぁ、アレですね。実験装置の展示というのも大事な意見交換の場となる学究要素である、という事例ですね」
そんな風に山下と組んでいる高田という四年生が評したところに指導教授が入ってきて、最近は学内の研究室間の交流が少なくて困る、というようなことを語りだした。
日が落ちる前に家に帰ることにして研究室を辞して、帰りがけに事務所によってみると、客がいた。
昨日、現場にいた私服警官がソファーに座っていたのは予想していたといえばしていたような、あまり驚きもなかった。だが、事情聴取というわけではなさそうだった。
「――まぁ、そんなわけで、いつもの感じだ。立件はいうほど難しくない。被害者が引っ込めなければ」
「あーうん。正義を個人にあずけるってのも、いつもながら変な感じですね。水本先生はお孫さんが大学に入る歳らしく、かなりやる気満々で加害者ご一同から年棒分くらいはむしりとるつもりみたいですけれど」
夜月が扉に気がついたらしく顔を向けた。
「正直、水本先生の方は殺されでもしない限り、あまり心配していない。赤木女史とタッグ組んでるだろうから、二人同時に消されるようなことでもなければ、問題もない。被害者宅に直接というケースが面倒だが、そっちは手配してある。四人とも男出入りが多いというわけでもないようだから、面倒もないだろう。お、ヒーロー登場。――吉田さんがすまなかったね。応急手当がよすぎて傷の深さに全然気がつかなかったんだ」
首だけこちらに向けて話を切り替えて警官がこっちを向いた。
「こちら、小林さん。昨日紹介しましたっけ?県警本部の刑事総務課の警部さん。前は生活安全総務課ってところにいて、事務所の届け出の手続きの時にお世話になったりした人です」
突き出された右手に握手をすると、純一は夜月に差し招かれて並んで座る。
「えぇと、昨日は事情聴取の後に病院に急送してしまったから、お願いできなかったけど、傷害罪での告訴をお願いしたいんだ。被害者の女の子たちにも別件でお願いしているわけだけどね」
「民事だけにしても良いんですけど、刑事がつくと民事も主張が通りやすくなるから、面倒ですけれど悪い話でもないですよ。警察が民事不介入なのはソレとしても、そこまでに集めたモノは参考になるし、水本先生も言ったらノリノリでやってくれると思います。そうとう腹立ててたみたいですから。余罪も親告するのを引っ込めていた被害者がいるようですし、県警も華々しいネタが欲しくて気合が入っているようです」
病院の領収書をヒラヒラさせながら、夜月がニコヤカに言った。
書類のサインや証言の補足などで平日に幾日か拘束されることになるが、学生の間なら影響が小さい社会勉強という風に考えると良い。大人ふたりにそう言われて、社会正義に興味はなくても義憤の種はあったし、なにより病院の領収書の金額は普段財布に入れている金額よりちょっと大きかった。二人が直接的に正義を求めるというよりは、他人の日常を侵害した不心得者に侵害された当人として定量的な不愉快を晴らす方法を示した、というのが純一の気分に合っていたようだ。
昨日は無口だった水本先生は、昨日は弁護士と言うよりは第一発見者兼現行犯逮捕実施者としての純一の信頼性を確認する意味も在って、弁護と言うよりは被害者の女の子たちの代理人予定者としての行動を優先したらしい。
「ところで四人とは親しいの?」
そんなコトを小林警部は聞いてきた。
「親しい、と言えるかどうかは、アレですが、同じサークルの仲間ですし」
「名前は知ってるくらい?」
「名前は滝沢さんくらいですね。下の名前は知りません」
滝沢の名前を口にしたとき大人二人が目でコミュニケーションしたのを純一は気がついた。
「四人とも初対面?ってことはないよね」
「まぁ、サークルで何度か会ったことはありますし、話すくらいはしますから。新歓と夏休み前にコンパが会ったので」
小林警部の念押しは昨晩も吉田刑事から何度かあった内容だったが、まぁ仕方ないかもしれない。我ながら思い切りが良すぎる判断で行動であったのは間違いない。恐らく、深い知り合いかどうか、を確認したいのだろう。純一はこの作業をほぼ正しく理解している自信があった。
「うん。そしたら、こっちの準備が整ったら、日程の枠を知らせるから協力して欲しい。あ、それと、携帯の履歴は残しておいて」
概ねそんな内容で満足したのか小林警部は引き上げた。
ソファーの机の上には久しぶりにコーヒーが乗っていた。
純一は少し迷ったが、夜月に訊いてみることにした。
「昨日、研究室にいましたよね」
「あ、うん。お邪魔しました。大学ってのはヤッパリ楽しそうですね」
夜月は羨ましそうに言った。
「どうやって、彼女らが襲われることを知ったんですか」
夜月は目をパチクリさせた。直球ど真ん中を投げ込んだのは、駆け引きの材料がなかったのもあるが、純一が腹を立てていたのもある。夜月がどういう方法で予測したにせよ、彼は事件を未然に防ぐことが出来たはずだからだ。そして夜月があのタイミングで研究室にいたのは間違いなく純一に喫茶店に戻らせるためであった。
理由や根拠はない。
夜月の反応を見逃さない、夜月はそんな気迫に鼻白んだか、常の微笑を引っ込めた。
「連中は去年も似たようなことをやっていたんです。レイアウトは一通り構内を見て歩いて知っていましたから、畑中さんのサークルは位置的にも構造的にも狙われやすいと目星をつけてありました。で、後は犯行のタイミングですが、最後にサークルと関係の薄そうな男性が消えれば、流れ的に責任を押し付けやすい雰囲気もできると推理した次第です。
まぁ、私が彼女たちを見捨てたように見えるのは不本意ですが、予防措置も思いつかなかったというのもありますし、探偵業の限界でもあります。探偵には法的な活動根拠はありませんから。しかし私の行動が消極的だったという指摘に反論の余地はありません。例えば、私があの喫茶店に遊びに行き居座り続ければ、問題は起きなかったかもしれません。
ですが、状況判断以外に根拠はなく、私の不安を確信に変えたのは、あなたが研究室に来た時の不安げな表情です。予定外の不調が起こったと考えるのが容易く、かなり危険だと思いました。あとはご存知のとおりです」
考え込んでいる純一を見て夜月は肩を竦める。
「補足するべき動きとしては、予防措置と興味本位で山下さんとメイド喫茶のサービスを受けに行くことにしたのですが、移動中に壁伝いに動いている人影を見つけたので、事態が悪い方に当たったらしいことが分かり、実行委員に事件の可能性があるという題目で、詰めていた先生に同行いただいたということくらいですかね。ガムテープとカメラは私の指示ではありませんよ。山下さんの判断です」
現場で時間を測っていないが、今の説明で時間的にオカシイものはない。強いてあげれば、壁を伝っていたのを見られたらしいというタイミングくらいだが、模擬店の入っていた校舎を目指せば研究室からの最短ルートの何箇所かで壁面にいる人の姿を眼にすることはできる。隣の部屋での通過の交渉が微妙に時間がかかっているから、研究室での会話が途切れて追ってくれば、確かにそういったタイミングかも知れない。
「警察が駆けつけるタイミングが速すぎると思うんですが。一番近い警察署でも三キロくらいはあるはずなのに、県警本部の人が来るなんて都合良いような気がします」
「今年は高校大学の学園祭の度に巡回を多めに配置するために、県内の警察署が応援を持ち回りで出しているそうです。
去年立件できなかった事件の件で気合が入っていたというのもありますが、元々お巡りさんになるような人は正義の味方になりたいという夢を燻らせているような人たちですから、非番で配置に乗っていなくても有志の自由意志で学園祭を巡って知人の警官に連絡するくらいはしてくれます。
あそこにいた三原教授の通報より早く初動があったのは事実で、私が大学祭実行委員本部についたときには小林さんがタバコを吸っていたのを見つけています。彼はかなりの期待株の正義の味方で警察庁出向に乗るんじゃないかって噂もあります。移動の応援を頼んだくらいはしていたはずです。
三原教授が学内自治を楯にするような人でなくて良かったですよ。小林さんに恥をかかせないですみました」
純一はなんだかなにを追及したいのか分からなくなっていた。たしかに事件を未然に防ぐことはできなかったが、最低限犯人を捕縛でき、被害者の女の子たちにも犯人たちを裁判の場まで引きずり出す機会は作れた。起こってしまったことを覆すのはムリとして、なんで自分が夜月を責めるような問い方をしているのか、まるで意味が分からない。
純一の混乱した思考をよそに、夜月はあくまで冷静に純一に付き合う。
「あまり自分を責めない方が良いと思います。正直なところ、私は畑中くんが無事で良かったと思っています。あなたが有能なのは分かっていましたが、何人いるか分からない徒党を組んだ強姦魔に一人で挑むのはいかにも無謀だと思っていました。その程度ですんで良かったですよ」
夜月はそう言ったが、ナタよりも長い大バールなんて持っていたら、よほどの体格差か技量差がなければナイフごときでは相手にならない。むしろ殺さないように潰さないようにノスのが大変なくらいだった。タオルくらい巻いておけば少しは楽だったか。
狭いところで竜巻のようなステップで立っている男たちをなぎ倒したのは天井の高さを読むのが面倒くさかったことと、もちろん逃がす気を失わせる意味もあった。が、その気になれば受けやすく、それなりの対応をされると時間がかかり、数に潰されることになった。暴漢が対応を誤ったことが純一を助けたのは事実だが、殺さないための手加減としてはその方が簡単だという咄嗟の判断もある。さすがに殺人は避けたかった。
しかし被害者の女の子たちは別だった。純一があの場で自らの手加減を思い知ったように、彼女たちは容赦なく頭部を殴りつけていた。
「あの場の怪我人は俺だけですか」
純一は確認してみた。たしか女の子が殴ったとき、相手から鼻血が出たような気がしていた。
「さっきの小林さんの話だと暴漢たちの怪我は軽い切り傷と捻挫くらいみたいですね。面倒にならないで良かったですよ。過剰防衛とか言われるとムダに時間がかかりますからね。そういう意味でもお手柄ですよ」
頭を殴って鼻から血が出るのは、そうとう危険な現象に思える。だが、正直そこまで正確には覚えていない。小林警部が嘘を言う理由も思いつかない。
夜月が無邪気に称えるのを純一は受け入れるしかなかった。
ミズモト弁護士が騒ぎ出し、異常に気がついて慌てた刑事の吉田が病院を手配して、正規の手当を受けて病院で一泊することになった。簡単な手術を受け病院で寝てたら点滴に痛み止めが入っているはずなのに腕が急に痛くなった。緊張が解けたせいだろうが、ひどく痛い。そして痒く。また痛い。
とはいえ痒いと痛い以外に体の不調があるというわけでもないので、気散じにその足で大学に向かう。さすがに模擬店の片付けは気分でなかったので研究室に行くと妙に盛り上がっていた。
実験の不調にグダグダだった先輩たちが久しぶりに装置の組み換えをしている。自分の研究にこもりきりの院生まで狩りだして装置の組み換えをしているのは、なにか発見というか目算がたったらしい。
片腕を吊っているにもかかわらず、紅茶を準備せよ、と申しつかった。普段、紅茶には積極的な興味を見せないメンツが紅茶を求めるのは昨日の事件の影響らしい。
紅茶の準備完了を告げると、話題はやはり昨日の事件だった。
マサカネと呼ばれていた装置の解体や大物の移動には必ず使われる大バールの行き先が話題になり、学内であった事件の関係者の一人が純一であることが知れて、しかし山下は本人に聞け、の一徹だったらしく興味が引っ張られていたらしい。
とは言え、純一にしてもあまり言葉を尽くして歌い語るようなことでない、結局被害を防ぐことは出来なかったので、自然に淡々と借りて行ったバールで二階の教室に窓から入って強姦魔を殴り倒しただけ、しか言う事はなかった。
「何にせよ、誰も死なないでよかった、俺が焚きつけたせいで殺人を犯したんじゃ俺も教唆犯だからな」
山下は純一の言葉を受けて言った。
実際、冗談でないのだが、場は笑いに包まれた。
「お前の友達の斎さんだっけ?あの人がいなかったら、お前に展示預けて、そしたら犯人はやるコトやってトンヅラだろう。それを考えれば、まだマシだよ。装置もグダグダのままだったろうし、お前からお礼を言っといてくれ」
純一には後ろ半分が今ひとつ分からなかった。
「古いコンデンサが液漏れ起こしてて、基板配線のインピーダンスを変えてたんだ。それをオマエの友達の斎さんだっけ?が見つけてくれた。予算が足りなくてインバーターが小さかったお陰で火事にならないでよかったよ。まぁ、他にも装置の試験項目を変えたときに動かした計測器のアースがちぎれてたり、とか色々あったわけだけどね。使い回している実験装置にはありがちな異常だけど、動いていた現物を見慣れると逆に見つけにくいんだ。来年実験に入ったら絶対起こるトラブルだから、畑中くんも覚えとくとイイ。先輩の作ったモノは疑え。自分の作ったモノも疑え。買ってきたモノも使うまでは疑え」
かつて実験装置を組んだ時のメンバーの一人である院生の松田が夜月の貢献を補足した。
「まぁ、アレですね。実験装置の展示というのも大事な意見交換の場となる学究要素である、という事例ですね」
そんな風に山下と組んでいる高田という四年生が評したところに指導教授が入ってきて、最近は学内の研究室間の交流が少なくて困る、というようなことを語りだした。
日が落ちる前に家に帰ることにして研究室を辞して、帰りがけに事務所によってみると、客がいた。
昨日、現場にいた私服警官がソファーに座っていたのは予想していたといえばしていたような、あまり驚きもなかった。だが、事情聴取というわけではなさそうだった。
「――まぁ、そんなわけで、いつもの感じだ。立件はいうほど難しくない。被害者が引っ込めなければ」
「あーうん。正義を個人にあずけるってのも、いつもながら変な感じですね。水本先生はお孫さんが大学に入る歳らしく、かなりやる気満々で加害者ご一同から年棒分くらいはむしりとるつもりみたいですけれど」
夜月が扉に気がついたらしく顔を向けた。
「正直、水本先生の方は殺されでもしない限り、あまり心配していない。赤木女史とタッグ組んでるだろうから、二人同時に消されるようなことでもなければ、問題もない。被害者宅に直接というケースが面倒だが、そっちは手配してある。四人とも男出入りが多いというわけでもないようだから、面倒もないだろう。お、ヒーロー登場。――吉田さんがすまなかったね。応急手当がよすぎて傷の深さに全然気がつかなかったんだ」
首だけこちらに向けて話を切り替えて警官がこっちを向いた。
「こちら、小林さん。昨日紹介しましたっけ?県警本部の刑事総務課の警部さん。前は生活安全総務課ってところにいて、事務所の届け出の手続きの時にお世話になったりした人です」
突き出された右手に握手をすると、純一は夜月に差し招かれて並んで座る。
「えぇと、昨日は事情聴取の後に病院に急送してしまったから、お願いできなかったけど、傷害罪での告訴をお願いしたいんだ。被害者の女の子たちにも別件でお願いしているわけだけどね」
「民事だけにしても良いんですけど、刑事がつくと民事も主張が通りやすくなるから、面倒ですけれど悪い話でもないですよ。警察が民事不介入なのはソレとしても、そこまでに集めたモノは参考になるし、水本先生も言ったらノリノリでやってくれると思います。そうとう腹立ててたみたいですから。余罪も親告するのを引っ込めていた被害者がいるようですし、県警も華々しいネタが欲しくて気合が入っているようです」
病院の領収書をヒラヒラさせながら、夜月がニコヤカに言った。
書類のサインや証言の補足などで平日に幾日か拘束されることになるが、学生の間なら影響が小さい社会勉強という風に考えると良い。大人ふたりにそう言われて、社会正義に興味はなくても義憤の種はあったし、なにより病院の領収書の金額は普段財布に入れている金額よりちょっと大きかった。二人が直接的に正義を求めるというよりは、他人の日常を侵害した不心得者に侵害された当人として定量的な不愉快を晴らす方法を示した、というのが純一の気分に合っていたようだ。
昨日は無口だった水本先生は、昨日は弁護士と言うよりは第一発見者兼現行犯逮捕実施者としての純一の信頼性を確認する意味も在って、弁護と言うよりは被害者の女の子たちの代理人予定者としての行動を優先したらしい。
「ところで四人とは親しいの?」
そんなコトを小林警部は聞いてきた。
「親しい、と言えるかどうかは、アレですが、同じサークルの仲間ですし」
「名前は知ってるくらい?」
「名前は滝沢さんくらいですね。下の名前は知りません」
滝沢の名前を口にしたとき大人二人が目でコミュニケーションしたのを純一は気がついた。
「四人とも初対面?ってことはないよね」
「まぁ、サークルで何度か会ったことはありますし、話すくらいはしますから。新歓と夏休み前にコンパが会ったので」
小林警部の念押しは昨晩も吉田刑事から何度かあった内容だったが、まぁ仕方ないかもしれない。我ながら思い切りが良すぎる判断で行動であったのは間違いない。恐らく、深い知り合いかどうか、を確認したいのだろう。純一はこの作業をほぼ正しく理解している自信があった。
「うん。そしたら、こっちの準備が整ったら、日程の枠を知らせるから協力して欲しい。あ、それと、携帯の履歴は残しておいて」
概ねそんな内容で満足したのか小林警部は引き上げた。
ソファーの机の上には久しぶりにコーヒーが乗っていた。
純一は少し迷ったが、夜月に訊いてみることにした。
「昨日、研究室にいましたよね」
「あ、うん。お邪魔しました。大学ってのはヤッパリ楽しそうですね」
夜月は羨ましそうに言った。
「どうやって、彼女らが襲われることを知ったんですか」
夜月は目をパチクリさせた。直球ど真ん中を投げ込んだのは、駆け引きの材料がなかったのもあるが、純一が腹を立てていたのもある。夜月がどういう方法で予測したにせよ、彼は事件を未然に防ぐことが出来たはずだからだ。そして夜月があのタイミングで研究室にいたのは間違いなく純一に喫茶店に戻らせるためであった。
理由や根拠はない。
夜月の反応を見逃さない、夜月はそんな気迫に鼻白んだか、常の微笑を引っ込めた。
「連中は去年も似たようなことをやっていたんです。レイアウトは一通り構内を見て歩いて知っていましたから、畑中さんのサークルは位置的にも構造的にも狙われやすいと目星をつけてありました。で、後は犯行のタイミングですが、最後にサークルと関係の薄そうな男性が消えれば、流れ的に責任を押し付けやすい雰囲気もできると推理した次第です。
まぁ、私が彼女たちを見捨てたように見えるのは不本意ですが、予防措置も思いつかなかったというのもありますし、探偵業の限界でもあります。探偵には法的な活動根拠はありませんから。しかし私の行動が消極的だったという指摘に反論の余地はありません。例えば、私があの喫茶店に遊びに行き居座り続ければ、問題は起きなかったかもしれません。
ですが、状況判断以外に根拠はなく、私の不安を確信に変えたのは、あなたが研究室に来た時の不安げな表情です。予定外の不調が起こったと考えるのが容易く、かなり危険だと思いました。あとはご存知のとおりです」
考え込んでいる純一を見て夜月は肩を竦める。
「補足するべき動きとしては、予防措置と興味本位で山下さんとメイド喫茶のサービスを受けに行くことにしたのですが、移動中に壁伝いに動いている人影を見つけたので、事態が悪い方に当たったらしいことが分かり、実行委員に事件の可能性があるという題目で、詰めていた先生に同行いただいたということくらいですかね。ガムテープとカメラは私の指示ではありませんよ。山下さんの判断です」
現場で時間を測っていないが、今の説明で時間的にオカシイものはない。強いてあげれば、壁を伝っていたのを見られたらしいというタイミングくらいだが、模擬店の入っていた校舎を目指せば研究室からの最短ルートの何箇所かで壁面にいる人の姿を眼にすることはできる。隣の部屋での通過の交渉が微妙に時間がかかっているから、研究室での会話が途切れて追ってくれば、確かにそういったタイミングかも知れない。
「警察が駆けつけるタイミングが速すぎると思うんですが。一番近い警察署でも三キロくらいはあるはずなのに、県警本部の人が来るなんて都合良いような気がします」
「今年は高校大学の学園祭の度に巡回を多めに配置するために、県内の警察署が応援を持ち回りで出しているそうです。
去年立件できなかった事件の件で気合が入っていたというのもありますが、元々お巡りさんになるような人は正義の味方になりたいという夢を燻らせているような人たちですから、非番で配置に乗っていなくても有志の自由意志で学園祭を巡って知人の警官に連絡するくらいはしてくれます。
あそこにいた三原教授の通報より早く初動があったのは事実で、私が大学祭実行委員本部についたときには小林さんがタバコを吸っていたのを見つけています。彼はかなりの期待株の正義の味方で警察庁出向に乗るんじゃないかって噂もあります。移動の応援を頼んだくらいはしていたはずです。
三原教授が学内自治を楯にするような人でなくて良かったですよ。小林さんに恥をかかせないですみました」
純一はなんだかなにを追及したいのか分からなくなっていた。たしかに事件を未然に防ぐことはできなかったが、最低限犯人を捕縛でき、被害者の女の子たちにも犯人たちを裁判の場まで引きずり出す機会は作れた。起こってしまったことを覆すのはムリとして、なんで自分が夜月を責めるような問い方をしているのか、まるで意味が分からない。
純一の混乱した思考をよそに、夜月はあくまで冷静に純一に付き合う。
「あまり自分を責めない方が良いと思います。正直なところ、私は畑中くんが無事で良かったと思っています。あなたが有能なのは分かっていましたが、何人いるか分からない徒党を組んだ強姦魔に一人で挑むのはいかにも無謀だと思っていました。その程度ですんで良かったですよ」
夜月はそう言ったが、ナタよりも長い大バールなんて持っていたら、よほどの体格差か技量差がなければナイフごときでは相手にならない。むしろ殺さないように潰さないようにノスのが大変なくらいだった。タオルくらい巻いておけば少しは楽だったか。
狭いところで竜巻のようなステップで立っている男たちをなぎ倒したのは天井の高さを読むのが面倒くさかったことと、もちろん逃がす気を失わせる意味もあった。が、その気になれば受けやすく、それなりの対応をされると時間がかかり、数に潰されることになった。暴漢が対応を誤ったことが純一を助けたのは事実だが、殺さないための手加減としてはその方が簡単だという咄嗟の判断もある。さすがに殺人は避けたかった。
しかし被害者の女の子たちは別だった。純一があの場で自らの手加減を思い知ったように、彼女たちは容赦なく頭部を殴りつけていた。
「あの場の怪我人は俺だけですか」
純一は確認してみた。たしか女の子が殴ったとき、相手から鼻血が出たような気がしていた。
「さっきの小林さんの話だと暴漢たちの怪我は軽い切り傷と捻挫くらいみたいですね。面倒にならないで良かったですよ。過剰防衛とか言われるとムダに時間がかかりますからね。そういう意味でもお手柄ですよ」
頭を殴って鼻から血が出るのは、そうとう危険な現象に思える。だが、正直そこまで正確には覚えていない。小林警部が嘘を言う理由も思いつかない。
夜月が無邪気に称えるのを純一は受け入れるしかなかった。
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