魔法使いは退屈な商売

小稲荷一照

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八週目

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 文化の日。
 世間的には休日だが、本日は大学祭。
「大学なんてものは、学問という名の余暇と財を持て余した人々のための文化的な遊戯を楽しむ場である。というヘレニズム的な解釈を為すなら、日本の大学はまさにその精神の行き着く形であるといえる。
 それが理想形であるかは別にして」
 そんな教授の嫌味とも本音ともつかない言葉をうけて、大学はまさに遊び場として開放されるためにソレゾレのイマジネーションで、てんで勝手に盛り上がっていた。
 教室の一つは緞帳とパネルでメイド喫茶の様相を呈していた。
 畑中純一はそこでギャリソンの姿で紅茶をいれていた。
 知るは楽しみなり、などというのが性に合うのか、紅茶の入れ方の形を得た途端に紅茶に興味が湧いてきて、紅茶専門店という種類の店先を自分から覗いてみることがここしばらく多くなっていた。
 駅の地下にあるのは知っていたのだが、気取ったお店という程度の認識で、純一のテリトリーではなかった。のだが、阿吽魔法探偵事務所の業務の殆どは事務所に詰める人員のための喫茶として時間が費やされるので、少なくとも実践の時間には事欠かず、研鑽もそれなりになされ、馴染んでいた。
 そういう最近の日常のルーチンの一つとして、ぼんやりというかアテもなく紅茶の缶やサンプルを眺めているところで、大学のサークルのメンバーに見つかった。滝沢さんくらいしか名前というか苗字も知らないが、そういう付き合いだった。
 ここしばらくはコーヒーに挑戦していたのだが、先達の難解かつ厳しい判定によると、純一はコーヒー豆の稚心が分かっていない、ということらしい。全く悔しいが、結果がついてこないのでは言葉もない。そんなコトを茶飲み話に少しすることになった。
――そういえば、最近サークルに顔出さないけど、学祭どうするの?
――私たち、メイド喫茶することにしたんだけど、ギャリソンやらない?
――紅茶いれるの上手いんだと、心強いな。
 女の子たちからそんなコトを口々に言われたような気がする。
 研究室の展示の案内員が一時間くらい交代で割り当てられて、講義の出席としてカウントされるということで、ほぼ必席なので大学に行くのは必須として、他にはとくになし、まぁいいか、という感じで引き受けた。
 高校のときの先輩に誘われたフォーシーズンスポーツサークルに一応席は置いていたが、三年になってからは誘ってくれた先輩もいなくなったし、合コン的な活動も一周りして飽きてきたのですっかり幽霊部員だった。が、久々に出てみるとコレはコレで新鮮で楽しい。特に何がなくても女の子がニコニコしているだけで男ってのは、幸せな気分になれる単純な生き物なんだということが確認できる。これこそが幸せなんだろう。まぁ、名前も知らないような女の子では電車の中でかわいい子を見つけたのと大差ないけど、と我ながら可笑しくなる。
 コップはプラスチックの安物だったけれど、ポットや電磁調理器は設営の段階で何度かテストしてお茶を入れていたので、サーブされる紅茶のほうはそれなりのものが出ている。普段使いのティーバッグでも入れ方で味が変わるのを確認すると、試飲をしていたメンバーから驚きの声が上がった。
 それは良いんだが、男性陣からはあまり評判が良くないようだ。まぁ仕方ない。どうせ一日のゲストなら、面倒にもなるまいと無視する。どうせこっちは裏方仕事だ。目立たないようならそのうち忘れるから、諸君の恋の邪魔にはならないさ。そんなふうに純一は考えていた。
 展示の説明の時間になったところで、男子メンバーが一人もいなくなっていた。予定では二人いることになっていたのだが、ふたりともこない。それどころか、同じ時間枠にいるはずのもう一人も姿を消していた。
 女の子たちは三人いて、交代も出来たようだが、アルコール類を出している模擬店もあることから男子を二人配置するのは事前の打ち合わせになっていた。女の子たちが携帯で呼び出しを掛けているが、電源を切っているらしい。仕切り役の女の子がリーダーに連絡をするが、買出しに車で出てすぐには戻れないらしい。結局、女の子が四人で回すことになった。
 四人いればお店はまわせるから、そう言って純一を送り出してくれたが、純一が晴れ晴れとできるわけもなかった。


 展示に行ってみると、斎夜月が実験装置を前に質問をしているところだった。なんだかニコヤカに盛り上がっているところに現れた純一に夜月が手を上げて迎えた。
「こんにちは。ヤッパリ面白そうなことをやっていますね。大学入り直そうかな」
「いやぁー、斎さん、是非とも入って僕の研究続けてくださいよ。面白そうっていうか、たぶん面白いんですけど、大学院までいっても修士論文までじゃ面白いところまで行けなさそうで気がかりなんですよ。っていっても博士まで進むにはちょっと色々足りなさそうだし」
「いやいや、オモシロイと思いますよ。会社入って研究してもたまたま運が良くないと好きなことはあまり出来ませんし、仕事になると結果が必要ですからね」
 夜月はそんなコトを言って無責任に笑う。
「あれ、ところで畑中さん。――」
 純一に向き直った夜月の表情は心配げだった。
「――喫茶店いた方が良いんじゃないですか?女の子だけだと無用心でしょう。窓を板で塞いで教室占有した喫茶店じゃ、外に助けを呼ぶことも出来ませんよ」
「畑中?女の子だけでおいてきたのか。無用心つうか、実行委員会の回覧を知らないのか」
 先輩が呆れたという声をだす。
「ここんとこ近場の学祭で集団暴行の事件があって、計画性が疑われている話、しらないのか?お前」
 改めて確認されるとなんだかそんな気がしてくる。
「マサカネでも連れてっとけ。何もなければ帰ってくれば良いし。……殴るつもりならせめてタオルでも巻いておけよ」
 冗談なのか本気なのか先輩が手近な工具箱を漁って差し渡し八十センチくらいの大バールを純一に押し付ける。
「今日はこっちはいいから」
 衝立の向こうでなにやら作業をやっていた先輩もそう言ってくれた。
 イヤイヤ、まさか、と思いながらも足がだんだん早く動き出す。


 最後の階段を登るときは、すでに駆け足だった。
 複雑に組み合わさった校舎の陰で少し奥まった教室は閉じられていた。
 鍵がかけられているが近くの音楽のせいで中の音はちゃんと聞き取れない。
――マジかよ。
 閉店予定の時間はまだ先だし、送り出してくれた時の感じからして遊びにいったとも思いにくい。
――クソッタレ。
 腹をくくって窓伝いに入ることにする。キッチンブースは湿気抜きの換気のために窓を開けっ放しにしている。そこなら板も貼っていない。
 となりの教室のサークルに頭を下げ、強引に窓から外を伝わせてもらい、落ちたら痛そうだな、そんなコトを気にしていたのも足を伸ばして足場を確認するまでだった。
 バールを杖替わりピッケル替わりに足場を探り、窓の外に張り付き、キッチンまで行けば、予想通り、というか案じた通りの悲鳴と罵声。
 カーテンをバールで引き裂いたのも気がつかないほど、連中が興奮していたのは幸いだった。見張り役らしく下半身をむき出しでぼんやりキッチン側にツッ立っていた一人を釘抜きの背中で峰打ちにすると、教室の悲鳴は質を変えた。
 シャリシャリ、という程度の良い革靴の底の滑る音は、軸を噛むこともせずに思ったよりはるかに軽やかに純一を舞わせた。間合いも狙いよりはるかに伸び、純一自身自らの技量が跳ね上がったかと錯覚するほどの出来だった。もちろん単に床の状態と、得物のバールのバランスと、純一が威力を求めず間合いを求めて横殴りに躍り込んだことによる単なる偶然だ。
 十人いた暴漢のうち、立って待機していた五人をくるりくるりと純一は巡り、ほとんど一呼吸で打ち倒すと、未だに獲物に集っていたオスが漸く事態を把握した。
――死んでくれるなよ。
 軽く踊る「柾金属株式会社」の刻印を眺めながら、手の中で骨がきしむ音だけを頼りに純一はバールを振っていた。
 立ち上がりズボンを戻そうとした男の脇腹を振り抜いたところで、左の二の腕にナイフが突き立っていることに気がついた。今は興奮のあまり、痛みと疲労の区別がつかない。重みで抜けないほど突きたったナイフは作業が終わるまで抜くと危ない。妙に冷静な判断が純一の笑いを誘った。
 事態が速すぎて起き上がることもしないで、女たちにのしかかっているままの男の首を順番に蹴りつける。うまく気絶されられなかった男に改めて蹴りをくれると教室を満たしていた声の質が変わった。
 呼吸を取り戻すと純一の鼓動が、久しぶり、というような素っ頓狂なリズムを刻み始めた。
 純一を送り出してくれた女の子が立ち上がり、破れた服の上からテーブルクロスを体に巻き付けると、右手を無言で純一に突き出した。
 純一が戸惑っていると、彼女は純一に歩み寄り、バールをひったくるように奪い、男たちの頭を順番に殴りつけた。
 容赦ない振り抜きは、純一が自分が手加減をしていたことを無意味と感じるほどだった。
 純一が満足したかと手を差し出すと、彼女は純一を無視して別の女の子にバールを押し付けた。
 押し付けられた女の子はしばらくバールを見ていたが、やはり同じように順番に無言のままで男たちの頭を殴った。
 結局、四人目の女の子が一回り殴りつけて泣きながら投げ出したために、バールは純一の手には返らなかった。
 一人の嘆きが伝染したのか女の子たちが泣いているのを、どうしていいものか純一には分からなかったのでぼんやりと立ち尽くし見守っていた。
 男たちの動きが消え、女の子たちの無言が嗚咽に変わった頃、教室が外から開いた。腕章をつけた学祭実行委員らしい学生男女と、キャンパスで何度かすれ違ったことのある教授と、斎夜月と、研究室の先輩のたしか名前は山下さん。
 山下さんは研究室のカメラを持っていて写真を撮り出した。被害者である女の子たちは無遠慮さに気を良くするとも思えなかったが、山下さんの作業に特に抵抗を示すこともなく。体に巻きつけたテーブルクロスを緩めることさえした。
 教授は明らかにオロオロと慌てていたが、自分の責任として現場を直視して観察する努力を払っていた。
 学祭実行委員の二人は悲鳴のような会話をしながらドコかに走り去った。
 夜月はポケットからレジ袋をいくつか取り出すと転がっていた男たちから携帯電話を集めだした。
 別の袋には純一の腕に突き立ったままのナイフを抜き、入れた。山下さんがガムテープをカメラのストラップから外すと、二番目に男たちを殴った女の子が破れたブラジャーを止血パッドの代わりに肩紐で巻いて、その上からガムテープで締め上げてくれた。目からウロコの落ちるような機転だった。そういえば、彼女がギャリソンに誘わなければ、純一はここにいなかったんだ、と複雑な思いにかられる。
 夜月は男たちの脈と反射を順番に確認し、命にも脳にも別状ないことを教授に報告すると、私なら即座に警察に引き渡すような気がします、と感想を付け加えて述べた。夜月はズボンを穿いている連中をのズボン膝のところまでずり下ろし締め上げていった。ついで、ズボンを履いていない連中のベルトを引っこ抜き、腰のところで締め上げ数珠につなぐ。
 頭を四発づつもバールで殴られて誰一人死んでいないという僥倖に純一は深く感謝した。
 教授は人形のような不自然な動きでポケットから携帯電話を取り出すと警察を呼んだ。
 男たちはやがて目覚め騒ぎ出したが、バールをひったくった彼女が釘抜きで模擬店の壁をカーテンごとつき抜いてみせた瞬間に、彼女が場を支配することになった。
 教授が学長らしき人物に口頭で報告をしていると、警察の第一陣が到着した。
 制服でない警官も混じっているのは、事件の性質がやや違うためだろうか。
 交代に来るはずだった男子メンバーは結局顔を見せなかった。
 男たちが警官に引き連れられた後に、女の子達と純一も警察に事情聴取で出向くことになった。山下さんと夜月も経緯を知るものとして警察に同行した。
「無茶したねぇ」
 事情聴取をした私服の刑事が最後にそう言った。
「刺されてカッとなったにしても、バールでのしていくなんて。ともかく死人が出ないでよかった」
「なに言ってるんですか。吉田さん。立派な傷害被害者で、バリバリの集団強姦と暴行現行犯逮捕ですよ。しかも一対十で武装した相手であることを考えれば、道具の使用も止むを得ないところでしょう。チェーンソーかナニカならともかく、開扉侵入用のバールは大げさという程でもないと言えます。大学の設備も壊してないし、まとめて捕まえたおかげでいろいろ分かりそうなんでしょ。贅沢ですよ」
 嫌みったらしい吉田と呼ばれた私服警官の言葉に後ろで聞いていた夜月が口を挟んだ。夜月の隣にはツルツル禿の還暦は過ぎいくつだかわからない福々しい高齢というか老人というかべきかという男性が座っていたが、彼は一言も口をきいていない。ミズモトという弁護士らしい。
 夜月とミズモト、あとミズモトのつれてきた女性の弁護士が女の子たちの事情聴取に付き添う、ということで純一は家に帰るように促された。
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