魔法使いは退屈な商売

小稲荷一照

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四週目

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 夏の残照も遠くなり、秋も深まり始めた頃、畑中純一は阿吽魔法探偵事務所にいた。
 忘れ物の礼にいったついでにアルバイトに入った後も、週に何回か講義でレポートが出される度に事務所にいた。
 なにか理由があったかというと、通学路に近くて居心地が良かったという以上に、特に理由があったというわけではあまりない。
 事務所の鍵は返したものの、暇ならいつでも顔を出してください、という社交辞令的な斎夜月の言葉そのままに暇だと喫茶室替わりに使っている。図書館と違ってお茶が出るのがなかなかよい。
 なかなか良いといえば、教授の紹介で製薬系メーカーの人事担当者と面接をして、現場担当者と会う約束を純一は取り付けてきた。
 この時期の就職活動としては、なかなかの感触と言えると思う。
 機嫌を良く純一がレポートを始末していると、紅茶の香りがした。いつの間にか居眠りから醒めた夜月が紅茶を入れたらしい。
 ドコかから夜月がまとめてもらってきた業務用のティーバッグを使っているため、紅茶専門月間が暫く続くらしい。
 コーヒーよりも面倒がないということで、純一も紅茶の入れ方の基本を教わった。
 紅茶の発酵は原則として完了しているので、紅茶がエンドユーザーに至った段階ではロット単位で均質であるとみなすことができる。実際には日光や温度湿度などで保存状態は変化するが、一定の環境であれば無視することができる。
 ということで、温度と水質と水の量と時間を最適化すると、おいしい紅茶がいれられる。
 やるべき事は、理学的な仮定と工学的な実践、紅茶の葉に合わせて最適化したそれぞれを毎回使うだけ。夜月はそう言った。
 料理は化学だが、科学的な論証は難しい。という事実の中では紅茶の入れ方はかなり容易なものであるということらしい。
 もっとも実際にはその最適はロットによって変わるので、原則的ないくつかは実地による確認が必要になる。
 実地による確認は工学の困難の一つなので、ベテランの勘が起点になり、そこから最適化ルーチンに乗る。
 紅茶をいれるくらい簡単なことが出来ないのは、工学科の学生としてはおかしいよ、と言われているようで純一自身も幾つか調べて何度かやってみたのだが、今ひとつ紅茶の味や香りが夜月のいれたモノに比べてナニか負けている気がするのはなんなのだろう。
 食器の温度か配膳時間か、なにが違うのか、知らず純一はカップの中の水面を睨みつけてしまった。
「ミルクが必要ですか」
 夜月が聞いてきたのを断って、純一はレポートに戻る。
 ソファーテーブルの上の招き猫柄のポットウォーマは笑っているのか慰めているのか、そんな表情をしている。
 レポートをひとつ終わらせて、もう一つ。
 紅茶をもう一杯。と思ってポットを傾けたら、切れていた。
 仕方が無いので、純一が自分でいれてみる。
 キッチンの脇の冷蔵庫に貼り付けたメモを眺めて、腕時計をストップウォッチにして、ヤカンに水をいれ、周りの水滴を拭き、ガスを全開にしてかける。瞬間湯沸しで湯を沸かしてポットに注ぎ温度計をいれてみる。
 ピンポイントで温度を出して作業を開始するとその分の時間で変化する。だからストップウォッチでリズム基準の作業をした方が良い、そういうアドバイスを純一は夜月から受けていた。
 やかんの湯が湧いたことを音で確認して、ポットを温めていた湯を捨てて、ティーバッグを膨らましつつホコリを払い落としつつ、やかんの湯の音を確認する。
 膨らんだティーバッグの中の茶葉の音を確認して、ポットに放り込みやかんの口を迎えにゆくように湯を注ぎ、ポットのフタをする。
 前よりはマシ、というか渋くなる出し方はしないですむようになった。が、なんか負けている気がするのはナンダロウ。
 別に喫茶店を始めるつもりはないんだけれど、同じモノを使って同じモノにならないのは、なにか納得がいかない。
 ストップウォッチをにらみながら、お茶を飲むための作業を進めポットを睨む。
――あと数秒。
 扉が開く音がした。
――珍しい、お客か。
 純一が余所見をしている間に時間は過ぎる。
 お、っと思いつつ反射的に体が作業を進め、ティーバックを振り絞り、ゴミ箱に放り込む。
 カップを一つ余計に準備して、純一は応接セットに向かう。
 テーブルの上を夜月が片付けていた。
 お客様は身なりの悪くない女性だった。
 紅茶を出して純一は、デスクで待機することになった。
 デスクでカップを口に運ぶと、狙った感じが出ている。純一は複雑な気分だった。
 どうもお客様は、メンドくさいお客様らしい。バイオリンというよりはクラリネットのようなビリビリくる声で訴え続け、絶妙のタイミングで準備した紅茶も飲まずに演説をしている。
 絶妙に美味しくできたはずの紅茶の最初のお客がこの女性であることは非常に遺憾だ。夜月が入れている紅茶と自分の使っている紅茶が同じモノである確証を得たキッカケを与えてくれたことは感謝するが、近所の魔法使いのいるの高校が飼っていた猫を捕らえてナニカした、というのはどうかと純一は思い、自らの紅茶を愉しむ。
 夜月が二度ほど紅茶のお代わりを要求する間、女は話どおしだった。
 猫探しの依頼のようなのだが、猫そのものよりも近所の高校生だか教師だかがナニカしている、ということをまた訴えている。少々常軌を逸している雰囲気だ。
 警察に訴え、近所の探偵事務所に訴え、門前払いを食らった、女性の説明はそんな感じの内容だった。あまりに常軌を逸した訴え方に純一はさもありなんと感じた。
 あなたも魔法探偵なら同じ魔法使いの悪事くらいナントカしなさい、そんな感じで捲くし立てる女性に少し困ったような表情で応じる夜月。
「あ、うん。ですが、お話を聞く限り、どうやらアナタの大事な猫のミシェーラはお家の中にいるようです。お帰りになって城壁を解いてみてください」
 依頼者らしき女の訴えを聞いていた夜月はそう言った。
「城壁を解いたら、エグリゴリに隙を突かれ、邪悪な魔法で攻撃を受けます!」
「そう長くは解く必要がありません。それに夕日が出ている時間ならエグリゴリの目も血でかわせます。猫のお皿に食事を用意して城壁を解いてみてください。オススメはオタクのミシェーラが好きな夕日の色に輝くマグロの赤身がイイでしょう。ダメなら改めて有料で伺うことに致します。今日のところは相談料は結構です」
 依頼人になりそこなった女性は納得したのかしないのか、今日のところは立ち上がって帰っていった。
「残念でしたね。折角美味しく入ったのに、紅茶に興味のないお客様で」
「そっちはイイんですが、それより、イイんですか。現場も見ていないのに猫が出てくるみたいなことを言ってしまって」
 夜月はにっこり笑って、来客の女性が描き残した家の見取り図らしい図形をなぞる。
「あ、うん。たぶん大丈夫です。猫はああ見えて意外と臆病な生き物ですからね。同じコースで行動しています。最近女性が城壁と称して家の模様替えをしたときに家の中で閉じこめられたんだと思います。良い生活をしているようなので、二日三日なら生きているでしょう」
 そんな風に夜月は請け負った。
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