上 下
6 / 20

6話 水面下での攻防

しおりを挟む
 シルヴェーヌを労わるガブリエルの声に、おずおずと姿勢を戻す。



「びっくりしたわ。いきなり王妃さまが登場するなんて」

「何がしたかったんだろうね、あの人」



 ガブリエルは顔をしかめる。

 嫌味ばかりぶちまけていた王妃の目的は、シルヴェーヌにも定かではない。

 ただロニーには、なんとなく考えが読めた。



(役に立たないと切り捨てたはずの殿下が、こうして元気になっているのが、気に入らなかったのでしょうね。自分の下した判断が、間違っていたということですから)



 過ちを認めきれない大人は多い。

 身分が高ければなおさらだ。



「シル、嫌な思いをさせてごめんね。もう二度と、あの人を離宮へは入れないから」

「でも……ガブのお母さまなんだよね?」



 シルヴェーヌの両親も、シルヴェーヌへの当たりがきつかった。

 だが、いまだにシルヴェーヌは、いつか自分を認めてくれるのではないか、という淡い期待を捨てられずにいる。

 完全に拒否をするのは、早計ではないかとガブリエルを心配した。



「母親らしいことをしたら、考え直すよ」



 それでいいよね? とロニーへ確認するガブリエル。



「この離宮は、殿下が祖母である王太后陛下から賜ったものです。どなたを招き入れるのか、決めるのは殿下です」



 生まれながら体が弱かった孫の治療のため、王太后は自分の住まいだった離宮を明け渡した。

 そして遠く離れた別荘へ居を移したのだが、すでに高齢だった王太后は、ガブリエルが元気になった姿を見ることなくこの世を去った。

 

(王妃殿下は、王太后陛下と仲が悪かったと聞きます。先ほどの振る舞いの中には、殿下を可愛がっておられた王太后陛下への、恨みもあるのかもしれませんね)



 ガブリエルの世界のすべてと言ってもいい離宮は、特別に整えられている。

 この素晴らしいバラ園の庭師しかり、厨房の料理長しかり、王城と同等の人材が配置されているのだ。

 もともとは王太后の離宮であったのを考えれば、それは妥当ではあるのだが、そのまま引き継いだガブリエルへのやっかみはあるだろう。

 ガブリエルが利用しないのをいいことに、先ほどみたいに無許可でバラ園へ入り込む者もいる。



(これからは、もうすこし警備を厳しくしたほうが良さそうですね。殿下もこうして庭へ出られるようになったわけですし、私もシルヴェーヌさまを悲しませたくはありません)

 

 ロニーはすぐに、国王へ手配を依頼する。

 王妃の暴言も合わせて報告したのだが、普段から国王は王妃に弱腰だ。

 おそらくたいした効果は期待できないと分かっていても、ロニーは黙っていられなかった。



(殿下の回復に大きく寄与したシルヴェーヌさまを、悪し様に罵るなんて。どうにか王妃殿下自身に考えを改めてもらいたいですが……無理でしょうね)



 ガブリエルの父である国王が治めるゲラン王国は、大きな大陸の中央寄りに位置していて、周囲には大国がひしめいている。

 そのせいで、常に大国の顔色を窺わねばならず、たびたび友好の証として大国の姫を王妃に迎え入れていた。

 今の王妃もそのひとりだ。

 祖国よりも格下なゲラン王国を見下し、国王よりも自分の身分が上だと思っている節がある。

 

(国王陛下そっくりな第一王子殿下を産むまでは、王妃殿下もしおらしかったそうですが、役目を果たした途端、かぶっていた猫を放り投げたというところでしょうね)



 そして、次に生まれた王妃そっくりなガブリエルが、成人まで生きられないほど脆弱だと分かると、その存在そのものを無かったように扱った。

 王妃の血筋の尊さを否定されたと感じて、ガブリエルを自分の子として認められなかったのだろうか。



(これ以上、殿下やシルヴェーヌさまに絡んで欲しくはないですね。しばらくは監視の目を厳しくしましょう)



 ロニーのおかげか、国王が頑張ったのか、それから数年はガブリエルと王妃が鉢合わせることはなかった。

 だが、王妃は決して、狙った獲物を諦めたわけではなかった。



 ◇◆◇◆



 シルヴェーヌが15歳、ガブリエルが14歳になった年に、ロニーのダンスのレッスンが始まった。

 もともと動き回ることが好きだったシルヴェーヌは、魚が水を得たように活き活きと踊る。

 その素晴らしさに、ロニーは惜しみない拍手を贈った。



「シルヴェーヌさま、その調子です。ダンスは表現力が大切なんです。この瞬間が最高に幸せだという表情で、見ている者を惹きつけましょう」

「だって幸せなんだもの。どうやったって、この顔になっちゃうわ!」



 ガブリエルと手を取り合って、くるくると回るシルヴェーヌ。

 ただでさえ整った顔ばせに、歓びのエッセンスが加わって、さらに愛らしさを弾けさせている。

 ダンスの相手をしているガブリエルは、そんなシルヴェーヌに目が釘付けだ。



(なんて可愛いんだ。無事に今日という日を迎えられたことに、感謝しないといけない)

 

 シルヴェーヌの念願を叶えるため、こっそりとガブリエルは全身を鍛えた。

 かつては痩身だったガブリエルだが、すでに薄く筋肉をまとい、平均的な背格好へと変貌を遂げている。



「僕も楽しいよ。やっと、シルとダンスが踊れた」

「ここまでよく頑張ったよね。ガブはすごく偉いと思うわ」

 

 シルヴェーヌの体質による力添えもあったとは言え、ガブリエルが元気になったのは努力のたまものだ。

 これまでの経緯を知っているシルヴェーヌは、ガブリエルの粉骨砕身を正しく褒める。

 ダンスに憧れを抱くシルヴェーヌのために、日々奮闘してくれたガブリエルへ温かい想いがこみ上げた。

 

「シルのおかげだよ。世界の広さを教えてくれたから、僕もそこへ行ってみたいって思えたんだ」

「私の知っている世界は、まだまだ狭いわ。ガブと一緒に、もっと見聞を広げたいけど……」



 このところ、シルヴェーヌは悩んでいる。

 ガブリエルの調子がいいのは、本当に喜ばしいことだ。

 しかし同時に、もはや自分は不要ではないか、と考えてしまうのだ。

 

「だったら、これからも一緒に居ようよ。実家へ帰るなんて言わないで」

「私、まだ居てもいいのかな?」

「ここは僕の離宮だよ。いくらでも滞在すればいい」

「でも、ガブはすっかり健康になったでしょう? 私の匂い……嫌じゃないの?」

「僕は生まれたときから、薬に囲まれていたんだよ。シルの匂いは、慣れ親しんだものなんだ。安心できて、むしろ落ち着くね」

 

 シルヴェーヌにとって、ガブリエルの言葉だけが頼りの綱だった。



(この8年間、離宮で過ごした毎日は楽しかったわ。伯爵令嬢として役に立たないと見限られた私が、ばあやとガブのおかげで、捨て鉢にならずに済んだんだもの)

 

 悪臭が漂う体質と折り合いをつけてこられたのは、誰かの役に立っているという矜持があったからだ。

 だからこそシルヴェーヌは、元気になったガブリエルの側にいるべきか迷っている。

 そして、治癒が目当てではなく、シルヴェーヌ自身を必要としてくれるガブリエルに、特別な感情を抱き始めていた。



 同じ頃ガブリエルは、シルヴェーヌが辞去を申し出る前に、なんとか先回りして外堀を埋めて、囲い込もうとしていた。

 だが、14歳が打てる手段には限りがある。



(シルを婚約者にしたいという要望は、すでに父上には伝えている。それがなかなか叶わないのは、忌々しいあの人が邪魔をしているせいなんだ)



 ここにきて、王妃の横やりが入っていた。

 ガブリエルの兄にあたる第一王子が、国内有力貴族の娘を婚約者にしたため、これでは大国との絆が薄れると騒ぎだしたのだ。

 そしてよりにもよって、ガブリエルに大国の姫をあてがおうと動き出した。

 健康体になったのならば、王族としての義務を果たすべきだと、国王や貴族たちに進言しているという。

 

(完全に嫌がらせだ。僕がシルと結ばれたいと知ってから、画策し始めたのだから)



 大国の顔色をうかがうべきという考えは、国内の貴族に根強く残る。

 国王がおいそれと、その意見を退けられないのは、ガブリエルにも分かっていた。



(その論争が解決しないと、はっきりとシルに僕の気持ちを伝えられない。好きだと告げておいて、僕が別の婚約者を迎えたら、シルを傷つけるだけだから)



 権力を持たない幼さが恨めしかった。

 ただでさえ、ガブリエルはシルヴェーヌよりも年下だ。

 脆弱だった過去も含めて、今なお頼れる男には見えないだろう。



(シルは僕のこと、嫌ってはいないと思う。本当はシルの気持ちを確認してから、婚約の申し込みをしたかったけど……)



 それができない現状に、ガブリエルはやきもきさせられるのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

伝える前に振られてしまった私の恋

メカ喜楽直人
恋愛
母に連れられて行った王妃様とのお茶会の席を、ひとり抜け出したアーリーンは、幼馴染みと友人たちが歓談する場に出くわす。 そこで、ひとりの令息が婚約をしたのだと話し出した。

【完結】傷物令嬢は近衛騎士団長に同情されて……溺愛されすぎです。

早稲 アカ
恋愛
王太子殿下との婚約から洩れてしまった伯爵令嬢のセーリーヌ。 宮廷の大広間で突然現れた賊に襲われた彼女は、殿下をかばって大けがを負ってしまう。 彼女に同情した近衛騎士団長のアドニス侯爵は熱心にお見舞いをしてくれるのだが、その熱意がセーリーヌの折れそうな心まで癒していく。 加えて、セーリーヌを振ったはずの王太子殿下が、親密な二人に絡んできて、ややこしい展開になり……。 果たして、セーリーヌとアドニス侯爵の関係はどうなるのでしょう?

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

貴方といると、お茶が不味い

わらびもち
恋愛
貴方の婚約者は私。 なのに貴方は私との逢瀬に別の女性を同伴する。 王太子殿下の婚約者である令嬢を―――。

婚約破棄されたら魔法が解けました

かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」 それは学園の卒業パーティーでの出来事だった。……やっぱり、ダメだったんだ。周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間だった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、王太子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表した。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放になった。そして、魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。 「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」 あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。 「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」 死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー! ※最初の5話は毎日18時に投稿、それ以降は毎週土曜日の18時に投稿する予定です

最悪なお見合いと、執念の再会

当麻月菜
恋愛
伯爵令嬢のリシャーナ・エデュスは学生時代に、隣国の第七王子ガルドシア・フェ・エデュアーレから告白された。 しかし彼は留学期間限定の火遊び相手を求めていただけ。つまり、真剣に悩んだあの頃の自分は黒歴史。抹消したい過去だった。 それから一年後。リシャーナはお見合いをすることになった。 相手はエルディック・アラド。侯爵家の嫡男であり、かつてリシャーナに告白をしたクズ王子のお目付け役で、黒歴史を知るただ一人の人。 最低最悪なお見合い。でも、もう片方は執念の再会ーーの始まり始まり。

【完結】新皇帝の後宮に献上された姫は、皇帝の寵愛を望まない

ユユ
恋愛
周辺諸国19国を統べるエテルネル帝国の皇帝が崩御し、若い皇子が即位した2年前から従属国が次々と姫や公女、もしくは美女を献上している。 既に帝国の令嬢数人と従属国から18人が後宮で住んでいる。 未だ献上していなかったプロプル王国では、王女である私が仕方なく献上されることになった。 後宮の余った人気のない部屋に押し込まれ、選択を迫られた。 欲の無い王女と、女達の醜い争いに辟易した新皇帝の噛み合わない新生活が始まった。 * 作り話です * そんなに長くしない予定です

好きな人と友人が付き合い始め、しかも嫌われたのですが

月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
ナターシャは以前から恋の相談をしていた友人が、自分の想い人ディーンと秘かに付き合うようになっていてショックを受ける。しかし諦めて二人の恋を応援しようと決める。だがディーンから「二度と僕達に話しかけないでくれ」とまで言われ、嫌われていたことにまたまたショック。どうしてこんなに嫌われてしまったのか?卒業パーティーのパートナーも決まっていないし、どうしたらいいの?

処理中です...