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17話 散っていった命
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街を移りすぎて、シャンティと神様の住処は、ずいぶんと神殿から遠のいた。
こんな田舎では、高等なパッチワークの技術を求める富裕層などおらず、見事に宝の持ち腐れとなる。
仕方なく、シャンティは酒場で給仕をした。
もちろん針仕事をしていたときよりも、給金は少ない。
そんなシャンティは、もうすぐで40歳を迎える。
神殿にいた頃はきちんとした食事を毎日取っていたが、神様と二人暮らしを始めてからは、食べることが疎かになっていた。
仕事をして帰ってきて、洗濯や掃除といった家事をすると、どうしてもどこかで手を抜かないと、時間が足りなかったのだ。
幸い、神様には食事が必要ではない。
自分の分だけだと思うと、シャンティはいい加減な内容で済ませるようになった。
手っ取り早くお腹が膨れる主食だけの生活は、シャンティの体を少しずつ蝕んでいく。
神殿から出てきたばかりの20歳のとき、肌艶がよく、髪も豊かだったシャンティ。
それが、シワが増え、髪が細り、爪は欠けて、近頃はめまいがする。
年齢的な老いとは違う症状に、シャンティは気がつかない。
神様は、そんなシャンティをずっと眺め続けた。
ある日、ついにシャンティは立ちくらみがして倒れてしまう。
そのときに当たり所が悪かったのか、それとも元から脆くなっていたのか、脚の骨を折ってしまった。
ほぼ寝たきりになったシャンティの衰えは加速した。
肌は乾燥し、掻きむしると線が残る。
髪には白髪が混じり、よく抜け落ちた。
それでもシャンティは、神様に愛されている幸せを享受していた。
神様の風貌は相変わらず麗しく、老婆のような見た目のシャンティと並ぶと、異様だった。
その美しい顔が自分にだけ向けられていることが、シャンティの生き甲斐だった。
「そろそろ死にそうか?」
滅多に話しかけてこない神様が、横たわるシャンティに聞いてきた。
確かに最近は起き上がるのもきつくて、満足に水も飲めなくなった。
シャンティの死出の旅は、もうそこまで来ていたのだ。
「神様と添い遂げられて、短いけれど素晴らしい一生でした。私を愛してくれて、ありがとうございます」
神様に容態を気にかけてもらえた嬉しさに、シャンティは感涙しながら答えた。
思い返せば、シャンティの人生のほとんどは、神様と共にあった。
愛する人と歩んできた道のりは、苦労もあったが幸せだったと言えよう。
感謝の気持ちを伝えようとして、神様に手を伸ばしたシャンティだったが、次の言葉に凍り付く。
「愛してなどいない。愛とは、大切に思う気持ちなのだろう? それならば私が愛しているのは、ターラだ」
残酷な言葉だった。
ターラに勝ったというシャンティの自尊心に、バキバキとヒビが入っていく。
「そんなはずは……だって、私と一緒に神殿を出てくれたじゃないですか。お母さまよりも、私を選んだからでしょう?」
「違う。ターラには出来ないことをしてもいい、と言ったからだ。私はそのために神の森を離れ、今ここにいる」
その台詞には覚えがあった。
まだ成人もしていないシャンティが、神様を篭絡したくて、体を差し出しながら言ったものだ。
だが結局、神様はシャンティに手を出さなかった。
純愛だと、シャンティは喜んだ。
しかし、神様の目的は別にあったのだ。
神様がシャンティにしたかったことは、一体何なのか。
シャンティは、目に見えない何かが足元から這い上がってくるようで、怖気がした。
「神様は、何のために今ここに……?」
「人が死ぬところが見たい。死とはどういうものなのか、私は知らない。それを知らぬままでは、いつかターラを連れ去っていく死と、向き合うことなど出来ぬ」
神様の気持ちは、ずっとターラにあった。
幸せな人生の終わりを迎えようとしていたはずのシャンティは、絶望の淵に落とされる。
「どうして、あと少し黙っていてくれなかったの……そうすれば、私は幸せなまま死ねたのに……」
いくら泣いても、時間は巻き戻らない。
これまで毎日、神様に見つめられていると喜んでいたが、あれはシャンティの様子を観察されていたのだ。
いつ死ぬのかと、待たれていたのだ。
「ああああああああああああ……!!!」
なんという無情。
人でなしの所業に、相手は人ではなかったと改めて思い知らされる。
慟哭するシャンティを前に、神様は狼狽えもしない。
ただジッと眺めるだけだ。
その無機質な瞳を、恐ろしいと感じた。
今は茶色に変わっているが、星空のような蒼い瞳に、若いシャンティは心をときめかせていたのに。
神様が人型であることが、不思議でならなかった。
――これは決して、人ではない。
「恨めしい! お母さまが! どうして何でも持っているの!? どうして神様まで奪っていくの!? 私には何もないのに!」
枯れた声で絶叫するシャンティに、神様は冷静に返した。
「ターラは多くのものを与えたはずだ。衣食住、教養、穏やかな日々。それを自ら棒に振り、ターラを恨むのはお門違いだろう」
正論ほど刺さるものはない。
今のシャンティには、ただの追い撃ちだった。
「私は! 愛されたかった! 親に捨てられた可哀想な私が、全てに恵まれているお母さまより、幸せになってもいいじゃない!!」
「ターラの愛は、届かなかったのか。あれほど一生懸命に子育てをしたターラが、報われぬ」
シャンティの体が、ブルブルと震えだした。
これが死ぬ前触れなのか。
神様に向けて、シャンティは改めて手を伸ばす。
「嫌よ、死にたくない……このまま、死にたくない! やり直させてよ……今度はちゃんと、いい子にするから……幸せに、なりたい……神様」
カサカサの唇から紡がれた言葉が途切れる。
そしてシャンティの茶色の瞳から、生命の色が消えた。
縋るように伸ばされていた手が、パタリとシーツの上に落ちる。
糸が切れたように、すべての動きを止めたシャンティを、神様は見下ろした。
「これが、人の迎える死か。……耐えられぬ。ターラが死ぬなど、私には耐えられぬ。心の中に思い出があれば大丈夫とターラは言ったが、私は駄目だ。いくら心の中にターラがいようと、この世にターラがいなければ、私は生きていける気がしない」
胸を押さえて、ふうと息を吐き、神様は瞼を閉じる。
すると神様の全身が真っ白く発光し始めた。
「また神格が上がる。次の能力こそ、ターラと共に生きるための力であってくれ。人が私の存在を望むように、私はターラの存在を望む。どうか、どうか――」
光が収まったとき、そこに立っていたのは、少しだけ年を取った神様だった。
◇◆◇
「それが、子の最期の言葉だった」
神様から、壮絶なシャンティの死を聞いて、ターラはこめかみを押さえた。
指を伝い、冷や汗が流れてくるのが分かる。
「私がシャンティを育てたのは、間違いだったのでしょうか。もし、私以外が育てていたら、今頃シャンティは……」
「そうではない。おそらく、どんな状況に置かれても、あのような最期を迎えただろう。子は、そもそもの心根が黒かった」
神様がターラの言葉を遮った。
「心根、ですか?」
「私の神格が上がって、少し前から人の心根や魂の色が分かるようになった。心根とは、魂の付け根。魂の色は歩む人生によってさまざまに変わるが、そもそもの心根が黒ければ、自然と魂も黒ずむのだ」
「魂が黒ずむと、どうなるのですか?」
「己を取り巻く全てに、悪意を抱く」
ハッと、ターラが息を飲んだ。
思い当たる節がある。
思春期や反抗期にしては、いつまでも尖った態度が長く続いたシャンティ。
神殿を出ていくまで、シャンティは一貫して、育て親のターラを敵対視していた。
「神様……黒ずんだ魂を、救うことはできないのでしょうか?」
こんな田舎では、高等なパッチワークの技術を求める富裕層などおらず、見事に宝の持ち腐れとなる。
仕方なく、シャンティは酒場で給仕をした。
もちろん針仕事をしていたときよりも、給金は少ない。
そんなシャンティは、もうすぐで40歳を迎える。
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幸い、神様には食事が必要ではない。
自分の分だけだと思うと、シャンティはいい加減な内容で済ませるようになった。
手っ取り早くお腹が膨れる主食だけの生活は、シャンティの体を少しずつ蝕んでいく。
神殿から出てきたばかりの20歳のとき、肌艶がよく、髪も豊かだったシャンティ。
それが、シワが増え、髪が細り、爪は欠けて、近頃はめまいがする。
年齢的な老いとは違う症状に、シャンティは気がつかない。
神様は、そんなシャンティをずっと眺め続けた。
ある日、ついにシャンティは立ちくらみがして倒れてしまう。
そのときに当たり所が悪かったのか、それとも元から脆くなっていたのか、脚の骨を折ってしまった。
ほぼ寝たきりになったシャンティの衰えは加速した。
肌は乾燥し、掻きむしると線が残る。
髪には白髪が混じり、よく抜け落ちた。
それでもシャンティは、神様に愛されている幸せを享受していた。
神様の風貌は相変わらず麗しく、老婆のような見た目のシャンティと並ぶと、異様だった。
その美しい顔が自分にだけ向けられていることが、シャンティの生き甲斐だった。
「そろそろ死にそうか?」
滅多に話しかけてこない神様が、横たわるシャンティに聞いてきた。
確かに最近は起き上がるのもきつくて、満足に水も飲めなくなった。
シャンティの死出の旅は、もうそこまで来ていたのだ。
「神様と添い遂げられて、短いけれど素晴らしい一生でした。私を愛してくれて、ありがとうございます」
神様に容態を気にかけてもらえた嬉しさに、シャンティは感涙しながら答えた。
思い返せば、シャンティの人生のほとんどは、神様と共にあった。
愛する人と歩んできた道のりは、苦労もあったが幸せだったと言えよう。
感謝の気持ちを伝えようとして、神様に手を伸ばしたシャンティだったが、次の言葉に凍り付く。
「愛してなどいない。愛とは、大切に思う気持ちなのだろう? それならば私が愛しているのは、ターラだ」
残酷な言葉だった。
ターラに勝ったというシャンティの自尊心に、バキバキとヒビが入っていく。
「そんなはずは……だって、私と一緒に神殿を出てくれたじゃないですか。お母さまよりも、私を選んだからでしょう?」
「違う。ターラには出来ないことをしてもいい、と言ったからだ。私はそのために神の森を離れ、今ここにいる」
その台詞には覚えがあった。
まだ成人もしていないシャンティが、神様を篭絡したくて、体を差し出しながら言ったものだ。
だが結局、神様はシャンティに手を出さなかった。
純愛だと、シャンティは喜んだ。
しかし、神様の目的は別にあったのだ。
神様がシャンティにしたかったことは、一体何なのか。
シャンティは、目に見えない何かが足元から這い上がってくるようで、怖気がした。
「神様は、何のために今ここに……?」
「人が死ぬところが見たい。死とはどういうものなのか、私は知らない。それを知らぬままでは、いつかターラを連れ去っていく死と、向き合うことなど出来ぬ」
神様の気持ちは、ずっとターラにあった。
幸せな人生の終わりを迎えようとしていたはずのシャンティは、絶望の淵に落とされる。
「どうして、あと少し黙っていてくれなかったの……そうすれば、私は幸せなまま死ねたのに……」
いくら泣いても、時間は巻き戻らない。
これまで毎日、神様に見つめられていると喜んでいたが、あれはシャンティの様子を観察されていたのだ。
いつ死ぬのかと、待たれていたのだ。
「ああああああああああああ……!!!」
なんという無情。
人でなしの所業に、相手は人ではなかったと改めて思い知らされる。
慟哭するシャンティを前に、神様は狼狽えもしない。
ただジッと眺めるだけだ。
その無機質な瞳を、恐ろしいと感じた。
今は茶色に変わっているが、星空のような蒼い瞳に、若いシャンティは心をときめかせていたのに。
神様が人型であることが、不思議でならなかった。
――これは決して、人ではない。
「恨めしい! お母さまが! どうして何でも持っているの!? どうして神様まで奪っていくの!? 私には何もないのに!」
枯れた声で絶叫するシャンティに、神様は冷静に返した。
「ターラは多くのものを与えたはずだ。衣食住、教養、穏やかな日々。それを自ら棒に振り、ターラを恨むのはお門違いだろう」
正論ほど刺さるものはない。
今のシャンティには、ただの追い撃ちだった。
「私は! 愛されたかった! 親に捨てられた可哀想な私が、全てに恵まれているお母さまより、幸せになってもいいじゃない!!」
「ターラの愛は、届かなかったのか。あれほど一生懸命に子育てをしたターラが、報われぬ」
シャンティの体が、ブルブルと震えだした。
これが死ぬ前触れなのか。
神様に向けて、シャンティは改めて手を伸ばす。
「嫌よ、死にたくない……このまま、死にたくない! やり直させてよ……今度はちゃんと、いい子にするから……幸せに、なりたい……神様」
カサカサの唇から紡がれた言葉が途切れる。
そしてシャンティの茶色の瞳から、生命の色が消えた。
縋るように伸ばされていた手が、パタリとシーツの上に落ちる。
糸が切れたように、すべての動きを止めたシャンティを、神様は見下ろした。
「これが、人の迎える死か。……耐えられぬ。ターラが死ぬなど、私には耐えられぬ。心の中に思い出があれば大丈夫とターラは言ったが、私は駄目だ。いくら心の中にターラがいようと、この世にターラがいなければ、私は生きていける気がしない」
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すると神様の全身が真っ白く発光し始めた。
「また神格が上がる。次の能力こそ、ターラと共に生きるための力であってくれ。人が私の存在を望むように、私はターラの存在を望む。どうか、どうか――」
光が収まったとき、そこに立っていたのは、少しだけ年を取った神様だった。
◇◆◇
「それが、子の最期の言葉だった」
神様から、壮絶なシャンティの死を聞いて、ターラはこめかみを押さえた。
指を伝い、冷や汗が流れてくるのが分かる。
「私がシャンティを育てたのは、間違いだったのでしょうか。もし、私以外が育てていたら、今頃シャンティは……」
「そうではない。おそらく、どんな状況に置かれても、あのような最期を迎えただろう。子は、そもそもの心根が黒かった」
神様がターラの言葉を遮った。
「心根、ですか?」
「私の神格が上がって、少し前から人の心根や魂の色が分かるようになった。心根とは、魂の付け根。魂の色は歩む人生によってさまざまに変わるが、そもそもの心根が黒ければ、自然と魂も黒ずむのだ」
「魂が黒ずむと、どうなるのですか?」
「己を取り巻く全てに、悪意を抱く」
ハッと、ターラが息を飲んだ。
思い当たる節がある。
思春期や反抗期にしては、いつまでも尖った態度が長く続いたシャンティ。
神殿を出ていくまで、シャンティは一貫して、育て親のターラを敵対視していた。
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