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三話 偽の惚れ薬

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「エーリカ、今いいですか?」
「どうぞ入って、その椅子に腰かけて待っていてくれる?」
 あれから偽薬の調査を通じて僕とエーリカは少し気やすい関係になった。
 はっきり尋ねたわけではないが、エーリカは19歳の僕より4つほど年上なようだ。
 仕事が恋人だとも聞いた。
「お待たせ、今日はいくつ見つかったの?」
 エーリカが皮の手袋を外しながらこちらにやってくる。
 僕は腰かけていた椅子から立ち上がり作業机に近づくと、胸ポケットから紙袋をふたつ取り出す。
 下町の女の子たちに聞き込みをして、間違って買ってしまった偽薬を譲ってもらったのだ。
 エーリカの薬店の紙袋には、目印になるようにドクダミの花の印が押してある。
 僕が持っている紙袋にはそれがない。
「ふたつです。買った場所も分かったので、該当する薬店には注意を促してきました。素材に何が使われているか分かりますか?」
 僕は袋ごとエーリカに差し出す。
 エーリカは受け取った紙袋をそれぞれ覗き込み、臭いをかいでみて、手のひらに載せて色や形を見ている。
 今までは、だいたいこれで素材を言い当てた。
 エーリカの薬に関する知識量の多さには舌を巻く。
 僕には同じものにしか見えなかった薬草を、産地が違うと細かく区分したりする。
「こっちはお茶に精力剤がしみこませてあるわ。しみこませている分量も多いし、飲んだらきっと苦いでしょうね。こっちは柑橘の砂糖漬けとくず粉、なんだかうちのに似た構成ね。ライバルだわ!」
 そもそも惚れ薬というものが認可されていないので、そういう名前で売っていた薬店は軒並み取り締まりの対象となっている。
 エーリカはあくまでもしょうが湯として販売しているし、それを惚れ薬と称しているのは下町の女の子たちだ。
 罰則の対象にはならない。
「だいたい出尽くした感じかしら? 取り締まりが始まったと聞いて、慌てて惚れ薬を棚から下げた薬店もあると聞いたわ」
「そうですね、下町からはほぼ一掃されたと思います。貴族間に広まっている惚れ薬は騎士団長が回収しているので、それも集まったらこちらに持ってきます」
「お貴族さまが何を惚れ薬と勘違いしているのか、興味あるわ。高い素材だったりするんでしょうね?」
「そんな素材でも、見分けられますか?」
「う~ん、これまでに実物を見たり嗅いだりしたことがあるものならば、可能だと思うけど。そうでなければ効能を自分の身で試してみて、そこから探るしかないわね」
 え?
 自分の身で?
「それは、エーリカが実験台になるということですか?」
「そうよ、薬師は味を覚えるために、いろいろな薬を舐めたりするの。よくあることなのよ?」
 恐ろしいことをさらっと言ってのけるエーリカに、僕は引き気味だ。
 それで何かあったらどうするんだ。
 ちょっとついていけない感覚だった。
 だが、もしそんなことになりそうなら。
「そのときは僕が実験台になります。体は鍛えているから丈夫なほうだと思います」
「体が丈夫だから、薬に耐えられるかっていうとちょっと違うんだけど、ヴェルナーの気持ちは嬉しくいただいておくわね」
 僕はそれがとんだ前振りになることを、この時は知らなかった。

 ◇◆◇

「ヴェルナー、これが貴族たちの言う惚れ薬だ。何種類かあるが、多くはこの飴タイプだ」
 それから数日のうちに騎士団長から呼ばれた僕は、いくつかの惚れ薬を預かった。
 下町で流行っていた偽薬に似ているものもあるが、明らかに飴の占める割合が多い。
 それに下町で流行っていた偽薬には飴タイプはなかった。
「さっそくで悪いが、下町の薬師に素材が何か分かるか確認してもらえないか? 王宮の薬師にも確認をしてもらっているが、どうやら別の事件の調査と被って時間がかかるようなんだ。騎士団としては事件性ありと判断して、なるべく早く動きたいと思っている」
「事件性ですか?」
「ああ、あまり公にできないようなことが起きている」
 騎士団長は苦いものを噛んだような顔をする。
 どうやら、どこかのんびりした下町の惚れ薬事情とは様子が異なるようだ。
「分かりました、早急にエーリカを訪ねます。こちらの惚れ薬はお預かりしていっても?」
「ああ、王宮の薬師が成分調査に使う分はすでに取り分けている。頼んだぞ」
 僕は一礼を返して、すぐに執務室を出た。
 預かった惚れ薬たちを重ねて胸ポケットへ仕舞う。
 なるべく早くということだったので、馬を借りよう。
 僕は廊下を厩舎へ向かって早足で進む。
 すれ違う同僚たちが驚き、「どうした?」と声をかけてくる。
 いつも無表情でやる気のない態度の多い僕が、切羽詰まった顔をして早歩きしているのなんて、見たことがないからだろう。
 確かにこれまで、僕は諦めなくてはいけないことが多く、人生の大半を溜め息をついて生きてきた。
 頑張ろうという気持ちが砕かれてからは、とくにそれが顕著だったろう。
 だが今、エーリカと一緒に調査をすることにやりがいを感じている。
 国王陛下の依頼だからというよりも、エーリカと何かをして過ごす時間が好きなんだ。
 そして、エーリカが僕に向かって笑ってくれたら。
 なぜか胸がドキドキするんだ。
 
 ◇◆◇

 騎士団を出た時間が遅かったせいで、馬を駆ったが夕闇が迫っていた。
 まだエーリカの薬店は開いているだろうか。
 焦りながら薬店の前に到着したとき、ちょうどエーリカが看板を仕舞おうとしているところだった。
「あら、今日は馬で来たのね? どうしたの、急ぎ?」
 エーリカは馬をつなぐのにちょうどいい樹のはえた場所へ案内してくれる。
「そうなんです。店仕舞いしているところ申し訳ないのですが、なるべく早く確認してもらいたくて」
 僕は胸ポケットから惚れ薬が入った紙袋を少しだけ出して見せる。
「なるほど、ついに貴族さま御用達の惚れ薬が手に入ったわけね。いいわ! 長くなるかもしれないし、このお馬ちゃんには水もあげましょう。こっちにきて」
 僕はエーリカの後を追い、バケツに井戸水をくんで馬の前に置いたり、馬の体が冷えないように背にかける布を借りたりした。
「何から何まですみません、助かります」
「いいのよ、私が相談したことが発端じゃない。それにいよいよ貴族さまの惚れ薬が見られるのだもの、ワクワクするわ。さあ、いつもの作業机に行きましょう」
 僕は看板のかかっていない薬店に入る。
 話が長くなるかもしれないとエーリカは言っていた。
 いつもは外で待っている客を意識しながら手短に話をしていたから、腰を据えて長話をするのは初めてだ。
 また胸がドキドキしている。
 僕はこのところおかしい。
 エーリカにそんな心中がばれないように、そっと椅子に腰かける。
 作業机の周りには、僕が座れるように椅子が用意してある。
 以前はカウンターの外にしかなかったものだ。
 エーリカが薬を確認している間、僕が立ちっぱなしなのを気遣って置いてくれたのだろう。
 騎士なのだから立ちっぱなしなんて平気なのに、エーリカにとってはそうではないのだ。
 しょうが湯のことを教えてくれたときも感じたが、温かい人だと思う。
「さて、どんな惚れ薬だったの? 下町のとは違った?」
「下町と似たものもありましたが、大半が飴の形をしています」
 僕は紙袋を広げ、数種類の惚れ薬を見えやすいようにした。
 エーリカはふんふんと飴以外を手に取ってみる。
「これとこれは、下町でも見たわね。きっと同じ薬店のものだわ。そして注目すべきは飴! これは初めて見るタイプよね」
 飴は黄金色をして透き通っている。
 中央部に何かが含まれているようで、そこだけ色が濃いのが特徴だ。
 パッと見、飴だとしか思えない。
 エーリカはしげしげと見ている。
 指につまんで灯りにかざし、中央部の色の濃い部分が何か考えているようだ。
「お貴族さまは薬の外見にまで気を配るのねえ」
 確かに、これまでの惚れ薬は茶葉だったり粉だったり、使うことを前提とした形だった。
 だが飴は、明らかに見て楽しめる外見をしている。
「いきなり舐めるのも何だし、ちょっといろいろ試してみてもいい?」
「もちろんです。こちらの惚れ薬はエーリカが成分調査に使ってよいと言われています」
「なら遠慮なくやっちゃおうっと!」
 エーリカが作業机の引き出しを探り、大きな金づちを取り出したので、ちょっと僕は作業机から後ずさった。
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