茜空に咲く彼岸花

沖方菊野

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第二章 ツギハギ(8)

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「……その人は連れて行くのですね……。」


 うつむき加減の沖田の口からぼそりと漏れる。
堪えていた気持ちがとめどなく飛び出してしまいそうな気がした。


「お前のその咳が落ち着いたら、また一緒に巡察に出たら良いじゃないか。
風邪は長引かせると怖いんだぞ、総司。」


 優しく微笑みを向けられるが、素直に受け止めることができない。
自分だけが除け者にされた気になってくる。
築き上げた全てを、新参者が横から攫っていってしまう。


 去りゆく背。


 呼び掛けても止まらぬ足。


 嘆いても駆け寄りに戻らぬ影。


 乱れる心が記憶の蓋を押し開けていく。


 妙な焦りと汗が滲み出る。


「総司、顔色が……。」


 伸ばした手が払いのけられる。
 見張られた二人分の目が、冷め切った瞳の青年を捉えた。

「……もう私はいらないのですか。
姉上みたいに、私を……。」


 蚊の鳴くような声が、子供の歓声に埋もれて消えた。
 三人の大人は何に対する黄色い声なのか分からず、戸惑いながら子供達に視線を
向ける。

 先ほどまでの怯えた顔が嘘のようだった。


「き、君たち、一体どうしたというのだ。」


 腰を屈めた近藤が、きらきら輝く瞳に映し出される。


「え、綺麗な音がするよ。
聞こえないの、こんなに綺麗なのに。」


「音……。」


 何のことだろうかと思った近藤は、耳を澄ますが綺麗な音は聞こえてこない。

 はて、と小首を傾げながら顔を上げる。

 鬼もまた同じように耳を集中させているようだが、
その顔つきは答えを知れた顔とは違って見えた。


「ん~何の音なのかな。
俺たちには全然聞こえないのだが……。」


「え、聞こえないのですか。
こんなに鳴っているのに。」


 整った若い顔は、先ほどまでの不安の色を残したまま、はっきりと聞こえる音の
存在を口にする。


「ねぇー、総司お兄ちゃんも聞こえ……。」


 はしゃぐ声がはたとやむ。

 瞳がくすんでいく。

 一切の光を失くした万華鏡は、彩りを失くす。


「……急に静まって、どうしたのかな。」


 次第に大きくなっていく心地の良い音色を耳に、青年が屈み込もうとしたとき。


「耳を塞げ。」


 鈴の音が激しく騒いだ。


 何のことだか。


 嫌味でも投げてやろうと、地面に尻を近づける途中に顔を上げる。


 真っ白な手。


 雪が人になれば、こんな肌なのかもしれない。


 伸ばされた白い腕が視界を掠め、自分の耳に向かってくる。


 白刃の元であれば、命はもうなかったことだろう。


 呼吸が乱れる。


 遅れをとった姿を、近藤に見られているのだ。


 苦しい。


 こんな強さでは近藤に報うことなどできない。


 緩やかな音色が急ぎ出す。


 纏わり付く音が呼吸に合わせてくる。


 気分が悪い。


 心地良く思えた音が不協和音に変わる。


 リン、リン。


 鈴の音だ。


 気にくわない生き物の刀に結われた鈴の音。


 嫌いだ。


 私の唯一を脅かそうとする特別さ。


 近藤に褒められる人柄。


 全てが気に入らない。


 だけど……。


 どうしてだろう。


 何かが爆ぜる。


 清い音が遠退く。


 この音は、どこか嫌いになりきれないでいた。









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