茜空に咲く彼岸花

沖方菊野

文字の大きさ
上 下
14 / 112

第一章 ヒトダスケ(13)

しおりを挟む
 これみよがしに二度もため息なんてつきやがって。

 土方は眉間に皺を寄せる。

 打撲の痛みも緩和されてきたため、立ち上がろうと膝に手をついた時だった。

 その場がやけに静かなことに気がつく。

 顔を上げると、鈴音は土方の背の方にある川へ、その面を向けている。

 他の隊士も彼女と同じ方向を見ながら、先ほどよりも青ざめているように見えた。

 嫌な予感が土方の胸中を刹那に走り抜ける。 

 振り返りたくもなければ、振り返った先に見えるものも見当がついているが、
正しい現状把握に目視確認はかかせない。

 土方は自身の考えの答え合わせも兼ねて、ゆっくり振り返る。

 
 あぁまたか。


 できることなら二度は合わせたくなかった妖物の眼と視線が重なる。

 赤き眼が怒りを宿していることを知ると同時に、
それは馬をも恐れぬ早さでこちらに向けて飛び出してきた。


 殺られる。


 土方の本能が体に囁く。


 鈍痛をも忘れ、素早く腰を上げながら刀を構え、
隊士達に撤退を叫ぼうと口を開いたその時。

「走れぇっ。
札を持ったまま、元来た道を走れっ。
さっさと動け、団子侍っ。」


 鈴音の声が響き渡った。


 よく通る澄んだ声は、空気に乗り隊士達の体を震わせた。


「行けっ。」

 恐怖で硬直した足のせいで、一歩を踏み出せないでいた隊士達の背を、
出遅れた土方の力がこもった声が押した。 


 負傷した橋本を背負う隊士が、雄叫びをあげ、そのまま川に背を向け地面を蹴る。それを合図に他の隊士達も後に続いて駆け出した。 

 そんな彼等を横目に見送りながら、
眼前に迫る橋の魔に刃を向けて走ろうとした土方の前に、鈴音が駆け出る。


「っ。余計なことをっ。」


 土方の怒鳴り声を背で聞きながら、鈴音は懐から紙の束を取りだし、横に払い投げる。


 手から離れていく複数の和紙は、風に身を任せそれぞれが自由に宙を舞う。


 鈴音は、すかさず呪文を唱え呪詛をかける。 


 呪詛がかけられたその和紙は瞬時に白き犬に姿を変え、
橋の魔に向かって駆け出した。 

 目の前でひろげられた摩訶不思議な様子に土方は言葉も手も出せない。
 

 鈴音の側を離れた犬たちは野太い声で吠えながら、
こちらへ向けて身を捩らせてくる橋の魔に飛びかかる。

 一匹は腕に食らいつき、また一匹は尾に噛みつく。

 残りの犬も負けじと食らいつける箇所を見つけては、すぐさまそこへ飛びかかっていく。 

 あまりの勢いに橋の魔の進行が止まる。


 犬たちを振り払おうと暴れるが、しっかり食らいつかれているため、
揺さぶろうが地面に打ち付けようが、その口から肉が離れることがない。


 鈴音はそれを確認すると、踵を返し土方の元へ向かい腕を掴む。


「何しやがる。」


「行くぞ。
長くは持たないから、お前も急げ。」


「冗談じゃねぇ。
お前の指示に従う必要はない。
それに今斬りかかれば、あいつを仕留めることができる。」


 掴まれた腕を振りほどこうとしたが、それを制するかのように、鈴音が力強く握った。


「そんな体でか。」


 今の今まで忘れていた鈍い痛みが体を刺激し始める。

 自分の姿をよく見れば、脇腹の着物が破れ微かに血が滲んでいた。
 橋本も、あれにやられたのか。

 土方は、犬に食らいつかれている橋の魔の尾に視線を向けた。
 蛇のような尾の先端は、剣先のように鋭く見える。
 さっき払いのけられた時にかすめたのか。


 気付かぬうちに傷を負わされていたことを知ると、何となく足が重くなったように思えた。

「今のお前じゃ、妖物に傷は負わせられても仕留めることまではできねぇよ。
何にも分かってねぇし、分かろうとしてねぇんだから。
そんなんで飛び出して行ったって犬死にするだけだ。」


 自尊心に似たものを傷つけられた気がした土方は鈴音を睨みながら、売られたその言葉を買おうとする。
 しかし、それよりも早く鈴が鳴った。


「馬鹿な真似してお前が新選組抜けても、誰も困らねぇのか。」


 近藤の顔が頭に浮かぶ。

 続けて他の組長達の顔が思い出された。

 今ここで自分が抜けて、
組織として新選組の運営が規律を持って成されるのかと考えるが、そうするまでもない。
 答えは否だからだ。

 力の入っていた土方の腕から、意地の怒りが消えたのを感じると、鈴音は手を離す。

 自分はどこからか冷静さを欠いていたのかもしれない。
 土方は刀を鞘に納める。


「お前を、お前たちを信じた訳じゃないからな。
誤解するなよ。」


 どこか威勢の失われた声音でぼそりと漏らすと、
土方は隊士達の後を追うために早足で歩を進め出す。


 その際、鈴音に向かって、怪し気な真似をすると斬るとも、
ついてこいとも言わなかった。

 その念押しをする必要がないことを、土方は気がついていたからだ。

 自然と彼の足は動きを早めていく。

 犬の遠吠えも鳴き声も、徐々に遠ざかる。 

 次第に乱れていく呼吸の波に被さるように、背後で清い鈴の音が聞こえてきた。



 その音色は土方の動きに合わせて節を変える。



 清く小刻みに揺れる音律を耳にしていると、先刻鈴音に掴まれた腕がその強さを思い出し
微かに痛むのであった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

【女性向けR18】性なる教師と溺れる

タチバナ
恋愛
教師が性に溺れる物語。 恋愛要素やエロに至るまでの話多めの女性向け官能小説です。 教師がやらしいことをしても罪に問われづらい世界線の話です。 オムニバス形式になると思います。 全て未発表作品です。 エロのお供になりますと幸いです。 しばらく学校に出入りしていないので学校の設定はでたらめです。 完全架空の学校と先生をどうぞ温かく見守りくださいませ。 完全に趣味&自己満小説です。←重要です。

蝶の如く

きなこ
恋愛
普通のOLだった桜蘭 楓(オウカ カエデ) 変わった所といえば、学生の時に始めた居合を、社会人になっても趣味として続けていることだ。 そんな彼女が、いつもの様に仕事帰りに居合道場に通った帰り道…それは起きた。 神隠しとでも言うのだろうか。 彼女は動乱の幕末へとタイムトリップしてしまい、そこで出会った人々と歴史の波に巻き込まれながらも、懸命に生きていく。 ※史実に基づき進行していますが、歴史改変あり。 ※女性向け恋愛要素含む。 ※1話1ページ感覚で読んで貰えると助かります。

極上の一夜で懐妊したらエリートパイロットの溺愛新婚生活がはじまりました

白妙スイ@書籍&電子書籍発刊!
恋愛
早瀬 果歩はごく普通のOL。 あるとき、元カレに酷く振られて、1人でハワイへ傷心旅行をすることに。 そこで逢見 翔というパイロットと知り合った。 翔は果歩に素敵な時間をくれて、やがて2人は一夜を過ごす。 しかし翌朝、翔は果歩の前から消えてしまって……。 ********** ●早瀬 果歩(はやせ かほ) 25歳、OL 元カレに酷く振られた傷心旅行先のハワイで、翔と運命的に出会う。 ●逢見 翔(おうみ しょう) 28歳、パイロット 世界を飛び回るエリートパイロット。 ハワイへのフライト後、果歩と出会い、一夜を過ごすがその後、消えてしまう。 翌朝いなくなってしまったことには、なにか理由があるようで……? ●航(わたる) 1歳半 果歩と翔の息子。飛行機が好き。 ※表記年齢は初登場です ********** webコンテンツ大賞【恋愛小説大賞】にエントリー中です! 完結しました!

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

碧恋の詠―貴方さえ護れるのなら、許されなくても浅はかに。【現在他サイトにて連載中です(詳細は近況ボードまたは最新話部分をご確認ください)】

宵月葵
恋愛
  現実をしばし離れて 胸きゅんな “時の旅” へおこしやす…… 今年中の完結をめざしつつも 永遠に続いてほしくなる非日常を……お送りできたらさいわいです せつなめ激甘系恋愛小説 × シリアス歴史時代小説 × まじめに哲学小説 × 仏教SF小説  ☆ 歴史の事前知識は 要りません ☆ 歴史と時代背景に とことんこだわった タイムスリップ仕立ての 愛と生と死を濃厚に掘り下げた ヒューマンドラマ with 仏教SFファンタジー ラノベ風味 ……です。 これは禁断の恋?―――――― 江戸幕末の動乱を生きた剣豪 新選組の沖田総司と 生きる事に執着の持てない 悩める現代の女子高生の 時代を超えた 恋の物語 新選組の男達に 恋われ求められても 唯ひとりの存在しかみえていない彼女の 一途な恋の行く末は だが許されざるもの…… 恋落ち覚悟で いらっしゃいませ…… 深い愛に溢れた 一途な可愛いヒロインと “本物のイイ男” 達で お魅せいたします…… ☆ 昔に第1部を書いて放置していたため、現代設定が平成12年です   プロットだけ大幅変更し、初期設定はそのままで続けてます ☆ ヒロインも初期設定のまま高3の女の子ですが、今の新プロットでの内容は総じて大人の方向けです   ですが、できるだけ若い方たちにも門戸を広げていたく、性描写の面では物語の構成上不可欠な範囲かつR15の範囲(※)に留めてます  ※ アルファポリスR15の規定(作品全体のおよそ1/5以上に性行為もしくはそれに近しい表現があるもの。作品全体のおよそ1/5以下だが過激な性表現があるもの。) の範囲内 ★ …と・は作者の好みで使い分けております ―もその場に応じ個数を変えて並べてます ☆ 歴史については、諸所で分かり易いよう心がけております   本小説を読み終えられた暁には、あなた様は新選組通、は勿論のこと、けっこうな幕末通になってらっしゃるはずです ☆ 史料から読みとれる沖田総司像に忠実に描かせていただいています ☆ 史料考察に基づき、本小説の沖田さんは池田屋事変で血を吐かないのは勿論のこと、昏倒もしません    ほか沖田氏縁者さんと病の関係等、諸所で提唱する考察は、新説としてお受け取りいただければと存じます ☆ 親子問題を扱っており、少しでも双方をつなぐ糸口になればと願っておりますが、極端な虐待を対象にはできておりません   万人の立場に適うことは残念ながら難しく、恐縮ながらその点は何卒ご了承下さいませ ※ 現在、全年齢版も連載しています  (作者近況ボードご参照) 

処理中です...