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第一章 幼女エルフの偏屈ルーコ

第25話 お姉ちゃんの魔法とぎりぎりの攻防

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 強烈な臭気が漂う死体の口内。光源もない真っ暗闇の中で自分に出来る事を考え、あの魔物を倒す術を模索する。

ただ魔法を撃つだけじゃ駄目、あの魔物を倒すにはどうにかして足を封じないと……。

 どんな速い魔法だろうとあの驚異的な速度でかわされてしまっては意味がない。動きを封じた上で急所、もしくは足を狙う以外に勝機はないだろう。

問題はどうやってそこに辿り着くかだけど……。

 ここで詠唱してから外に出るとしても、そうやって使える魔法は一つか、二つ、それだけであの魔物の動きを封じるのは難しい。

 かといって外に出てから悠長に詠唱しようものなら一瞬で殺されてしまう。

……もう一度煙を張って隠れる?……ううん、あれが通じたのはあの魔物の虚を突いたからで二度と通じない。たぶん、匂いや音で簡単に居場所を突き止められる気がする。

 今は隠れている死体の異臭で匂いが隠れ、分厚い表皮が音を遮断してくれているので見つかっていないが、ただの煙の中ではそういうわけにもいかないだろう。

「匂いと音……それをどうにかすれば……後は……」

 僅かな糸口を辿って使う魔法を選別し、頭の中で展開を何度も想像する。

 正直なところ、上手くいくかは賭けだ。もし運が悪ければその時点で殺される……私の立てた策はそういう危険性を孕んでいた。

「……ふー……どのみち他には思い付かないし、たぶん、どんな作戦を立ててもそういう危険は残ると思う」

 失敗しても、運が悪くても死が待っている策の実行を前に、息を吐き出してから自分に言い聞かせるようにそう呟き、腹を括る。

「━━〝黒く濁った煙、鼻をつく悪臭、広がり、散らばれ〟……」

 生臭くぬめぬめした口内を移動しながら詠唱を開始し、外に繋がる口の端へと向かう。

「〝跳ね伝う音、二重三重と響く声、惑わし、騒げ〟━━」

 端に到着すると同時にもう一つの魔法を詠唱。そのまま口の端から外に向かって無理矢理右手を捩じ出した。

煤煙の悪臭スーティンクス

 捩じ出した右手から異臭を放つ黒煙が発生し、辺りに広がっていく。

「んぎぃっ……ぐっ……ああっ!」

 魔法を使うために強化魔法が使えない中、右手に続けて左手も外に捩じ出し、二重詠唱で準備していたもう一つの魔法を発動させる。

重ね響く音源リーサウドレソネント

 この魔法は一定範囲内のあらゆる音を響かせ、音の元となる場所を隠すもの。効果時間は短いが、この魔法は大きさを全て均一にするため、これで音から居場所に気付かれる事はなくなった。

 魔法を放ち終えた後、強化魔法を使って口の中から脱出。黒煙の臭いに顔をしかめつつ、耳を澄ませる。

「ガッグルル……!」

 位置までは分からないが、煙の向こう側であの魔物の苦しむ声が聞こえてきた。

やっぱり鼻が利くみたい……音が反響しないって事は煙から逃げるために距離を取ったんだろうね。

 私でも思わず顔をしかめる程の臭いだ。私よりも鋭い嗅覚を持っているであろう魔物には耐え難いものなのだろう。

 ひとまずの安全を確認し、すぐに右手掲げて次の詠唱を始める。

「〝水よ、礫となりて、撃ち放て〟━━『水の礫アキュレット』」

 呪文を唱える声が反響する中、上空に作り出した水の塊から出来うる限り広範囲に『水の礫』をばらまいた。

「グル……?」

 私の声に紛れて黒煙の外に避難したであろう魔物の困惑した鳴き声が聞こえてくる。

 おそらく、広範囲とはいえ、私があまりに的外れな方向へ魔法を放った事を疑問に思ったのだろう。

 襲ってこないのなら好都合、あの魔物が闇雲に突っ込んできてたまたま居場所が見つかってしまうという最悪は回避できた。

「〝湿りぬかるむ土、形を成して、姿を偽れ〟━━『土くれの泥人形ソーウィルマードル』」

 地面に手を当てながら詠唱し、呪文を唱えた瞬間、『水の礫』によって水気を帯びた地面から私の姿を象った泥人形が次々と生成される。

「ッガル……」

 矢継ぎ早に魔法を使われている現状を不味いと思ったのか、あの魔物が少しばかりの焦燥を孕んだ鳴き声を上げているのが分かる。

 それでも向かってこないのはこの状況が長く続かないと理解しているからだろう。

……黒煙もじきに消えるし、私の方からも向こうが見えない以上は魔法も当たらないって気付いてるんだろうね。

 あの魔物の速度を以ってすれば、闇雲に放たれた魔法なんて見てから避けられる筈だ。だからあの魔物は私が黒煙に紛れて逃げないように見張るだけでいい。

まあ、待ってくれるのはむしろありがたいけど……。

 魔力が続くなら黒煙を張り続けて広げ、逃げる事も出来るだろうけど、残った魔力ではせいぜいあと一、二回しか使えないためそれも不可能だ。

だからこの魔法に賭ける……!

 黒煙が薄らぎ始めた瞬間に合わせて二重詠唱を口にする。

「〝視界を染める白、纏わりつく冷気は緩慢に自由を奪う〟……〝風よ、鋭さを持って、敵を切り裂け〟━━」

 徐々に晴れていく視界の中にぼんやりと見えた魔物の影、その少し下の方を狙って右手を向けた。

細雪の纏繞リフィスノイル

見よう見まねだから詠唱を省いたお姉ちゃんの魔法よりも効果が落ちるけど、これで充分……。

 二度も受けたこの強力な拘束魔法は副次効果として冷気で周囲を凍らせる。

 私の魔法では姉のように溢れ出た余剰の魔力で凍らせる事は出来ないが、地面に向かって放てば同じ効果を再現出来る筈だ。

「ッ……!」

 魔法が到達するよりも早く身を引いてそれをかわした魔物は僅かに黒煙が残っているにも関わらず、攻撃を仕掛けきた。

「ルッ!?」

 目にも止まらない速度で蹴りを繰り出した魔物が驚いたような鳴き声を上げる。

掛かった……!

 派手な破砕音と共に砕け散ったのは私が魔法で作り出した泥人形だ。まだうっすらと残った黒煙によって臭いと姿を誤認させたのだろう。

 もしあの魔物が冷静で近場の泥人形でなく、他の影を狙っていたら私に蹴りが命中していたかもしれない。

 そうなったら強化魔法を使っていない私は一溜まりもなかったが、その賭けに勝ち、これで準備は整った。

「━━やぁぁぁっ!」

 息を吸い込み、お腹に力を込めて今出せる限界の声量で叫びながら魔物の方に向かっていく。

「ガ…………ルッ!?」

 声に気付いた魔物が今度こそ私を仕留めんとその強靭な脚力で地面を踏みしめようとしたその瞬間、凍った地面に足を取られ、凄い勢いで滑り転んだ。

「今っ『突風の裂傷ガーストレイス』!」

 ここまで魔法を重ね、場を整えてきたのはこの一瞬を手繰り寄せるため。滑らないように走り、泥人形を足場に跳んで呪文と共に魔物目掛けて腕を振り抜いた。

「ッ!」

 首元に迫る鋭い風の一閃に魔物は必死に身を捻り、滑り転がるようにしてそれを避けるが、代償として左の膝から下が切り飛ばされる。

「っかわされた……けど……!」

 片足は奪えた。少なくともこれでさっきまでの驚異的な速度は出せない筈だ。

「〝風よ、刃となって飛び進め〟━━」

 着地し、滑りながら体勢を整えて次の魔法の詠唱を始める。

風の飛刃ウェンフレイド

 刃の形状をした風が再度止めを刺さんと飛ぶも、魔物は両腕を地面に叩きつける事で体ごと跳躍してそれを避け、凍っていない場所に片足で着地した。

「ルッ……!」

 魔物は残った右足で溜めを作り、爪を振りかぶって真正面から突撃してくる。

「っ……『直線の風矢スレイントローア』」

 片足を失ってもなお、視認困難な速度で繰り出される一撃をぎりぎりでかわし、直線の軌道で跳んだ魔物の背に魔法を撃ち放った。

「ガルァッ!」

 真っ直ぐ飛ぶ風の矢に対して魔物は空中で回転、その鋭い爪で薙ぎ払い、再び凍っていない地面に足をつける。

「片足なのによく動く……!」

 とはいえ、流石に片足で体重を支え続けるのはきついらしく、四つん這いの姿勢になってこちらに鋭い視線を向けてくる。

「ルァッ!」
「っこの……!」

 四つん這いの姿勢のまま滑らないよう地面に爪を突き立てながら向かってくる魔物。速度が落ちたといっても私にとってはまだ避けるのが難しく、かわした拍子に魔物の爪が頬を掠めた。

「ルッ!」

 魔物は腕を振るった反動を利用しつつ、もう片方の手で爪を地面に突き立てて軸にし、追撃の蹴りを放ってきた。

「ぐっ……」

 咄嗟に強化魔法を発動させて左手を盾にするも、蹴りが直撃した部分から嫌な音が響き、そのまま吹き飛ばされてしまう。

「痛っ……」

 無事な方の右手を使い、地面に激突する寸前で受け身を取ってどうにか衝撃を分散する。

……っ左腕は完全に使えないか。

 魔物の体勢が悪かったおかげか、さっき食らった蹴りより威力は低かったものの、それでも防御した左腕が折れて動かなくなっていた。

「グル……」

 蹴りを放った魔物は再び爪を立てて滑らないようにしつつ、その場に留まり、こちらの様子を窺っている。

 追撃を加えてこないのは余力がないのか、それとも反撃の可能性を考慮してか、どちらにしてもここに膠着が生まれたのは確かだ。

「あぐっ……」

 痛みを押して立ち上がり、歯を食い縛りながら魔物を見据える。

……私の治癒魔法じゃ左腕を治すのにかなりの時間と魔力が掛かる。いくら機動力を奪ったって言ってもあの速さを相手にしながら治すのは難しい。

 手負いとはいえ、あの魔物の速度に対しては強化魔法の使用が必須だ。

 強化魔法と他の魔法を併用できない私にとって現状、深手の治療に時間の掛かる治癒魔法の使用は致命的な隙に繋がり兼ねなかった。

いっそここで一旦退くのは……ううん、それは駄目。周りを覆っている魔法壁がある以上、逃げるのにも限界があるし、ここで背を見せればあの魔物は躊躇なく襲ってくる。

 今、あれだけ力の差があった魔物と曲がりなりにも戦えているのは片足を奪った事だけではなく、ぼろぼろになってなお、私が戦う姿勢を示したからこそだ。

 もしここで逃げるような行動を取れば、魔物は反撃はないと悟り、傷を押して仕留めにくるだろう。

 そうなれば片足でも凄まじい速度を出すあの魔物からは逃げられない。

だからここであの魔物を倒すしかない……。

 左腕が動かない事でいくつか使えない魔法はあるし、折れた箇所の痛みが熱を持って集中を削いでくる。

 けれどそれはあの魔物も同じ筈だ。筋肉で無理矢理止血しているようだが、切り飛ばされた箇所からの出血は止まっていない。

「…………」
「ル……」

 お互いに満身創痍といえる中の膠着状態。私もあの魔物も次の攻防が最後になると理解していた。

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