上 下
3 / 9

真実の愛

しおりを挟む
 ゲームとの細かな差異を感じつつ、学院生活を送っておりましたけれど、やがてそれは平穏とは言い難いものとなりました。ゲーム世界ではないと思ってはいたものの、ゲームと同じことも起こっておりました。

 そう、ゲームヒロインであるアンジェリカがダニエーレ殿下と身分を超えての交流を持ち始めたのです。

 アンジェリカが現れたことに、そしてダニエーレ殿下と親しくなっていくことに、わたくしはひそかに喜んでおりました。このままアンジェリカがダニエーレ殿下と結ばれてくれれば、わたくしはエルメーテ殿下とともに在れると思ったのでございます。

 幸いアンジェリカはよくあるウェブ小説のように転生者というわけではなさそうでした。無理に攻略ルートを開こうとしたり、攻略対象全てに擦り寄ったりは致しませんでした。ただ純粋にダニエーレ殿下に好意を抱いていたようです。

 ゲームヒロインそのままに、健気で無邪気で天真爛漫で愛らしいアンジェリカ。わたくしは彼女に好感を持ちました。けれど、それはわたくしが令和日本の知識を持っているから許容出来たことなのかもしれません。

「学院の下働き風情が殿下に侍るなど図々しい」

「身の程を弁えぬ平民など害悪でしかない」

 そこかしこでそんな声が聞こえました。

 アンジェリカは学院の生徒ではありません。学院の正式名称は『王立イルミナーティ貴族学院』。王族と貴族が社交界に出て大人と認められる前に、その予行演習と人脈つくりを兼ねて入学する学院でございます。アンジェリカは学院に雇われている下働きの平民でした。

 通常、下働きの平民が貴族である生徒の前に姿を見せることはありません。けれど、アンジェリカは生来のそそっかしさで生徒の前に姿を見せてしまうのです。ゲームでは愛嬌として描かれていた彼女のそそっかしさは、現実では身分を弁えぬ無礼でしかなく、恋に落ちたダニエーレ殿下以外からは白い目で見られておりました。

 ゲームは所詮ゲームに過ぎません。身分制度がなく基本的人権が保障され平等が認められている民主主義の令和日本の常識がゲームの根底にありました。そのゲームでは許されたことも、身分制度が明確で厳格な封建社会のこの世界では許されないことなのです。

 アンジェリカは転生者でないと思われますのに、この世界の住人としては有り得ないほどに貴族への警戒心が薄うございました。普通の平民は貴族に好んで近づくことはございません。平民にとっての貴族とは敬して遠ざけるもの。それが身を守る術だと知っているのです。

 貴族の中には平民を同等の人として見ない者が少なからずおります。大部分の貴族は平民を守るべき民と見做しています。人として尊重しつつもそう見做す時点で同等とは申せません。見下しているわけではございませんが、対等でもないのです。

 また、一部の愚かな貴族は平民を単なる搾取対象と見たり、家畜と同等と見做したり、或いは虐げる者もおります。それは領地を持たぬ下位貴族や新興貴族に多い傾向にあります。

 高位貴族や歴史ある名門下位貴族は『高貴なる者の務めノブレスオブリージュ』を徹底して教育されます。領民あっての自分たちであること、領民を守り平穏な生活を与える義務があること、その義務を果たすからこそ貴族であること。それを理解していない者は貴族に非ず、だから淘汰されます。

 勿論、高位貴族や名門貴族にも愚かな者はおります。けれど、彼らが我が世の春を長く楽しむことはございません。必ず報いを受け、その地位を失います。爵位剥奪、家門断絶することさえございます。そうして淘汰された貴族たちは、より正しい貴族であろうとするのです。

 王族や公爵・侯爵家の生活圏内に平民と接する機会は殆どございません。出入りの商人や慰問先の孤児院や施療院の人々くらいでしょう。ですから、ダニエーレ殿下は物珍しさからアンジェリカに関わるようになったのでしょう。

 平民たちは虐げられずとも、貴族と平民では住む世界が違うことを本能的に理解しています。住む世界が違うということはその常識や価値観が異なっているということです。それが解っているから、彼らは貴族には必要以上に関わらないのです。

 けれど、アンジェリカは違いました。そしてダニエーレ殿下も。まるで彼らにだけゲームの強制力が働き、この世界の常識を忘れてしまったかのようでした。そう有り得ないことを思うほどに二人は恋に溺れていたのです。

 ダニエーレ殿下の側近たちもエルメーテ殿下も、度を越えた身分違いの交流は混乱を招くし、悲劇の元になるとダニエーレ殿下を諫めておいででした。

 その諫言はわたくしにも響きました。そうです、ゲームならいざ知らず、この世界には確固たる身分制度があり、平民のアンジェリカとの関係は歓迎されることではないのです。それを未来の王であるダニエーレ殿下は軽視しておられました。わたくしは自分の望みが叶うかもしれないと、それを軽視してしまっておりました。

 ただ、それでも、愚かなわたくしは希望を持ってしまいました。ゲームのアンジェリカはダニエーレ殿下と結ばれて王子妃になっておりました。ですから、アンジェリカもダニエーレ殿下もこの愛が認められるように努めるのだろうと。

 彼らは学院で愛を育みました。そして、国王陛下や王太子殿下にアンジェリカとの関係を認めてほしいとダニエーレ殿下は根気よく説得なさったようです。けれど、中々認められません。ダニエーレ殿下が王位継承権を返上し臣下に下ると申し出られれば、それほど時間もかからずに認められたでしょう。けれど、ダニエーレ殿下は今の地位を保ったままアンジェリカと結ばれることを望んでおられました。

 最終的にはいくつかの条件の下、ダニエーレ殿下とアンジェリカの婚約が認められました。

 これはダニエーレ殿下がまだ王太子ではないことも大いに関係していたのでしょう。その証左といえるかは判りませんが、ダニエーレ殿下とアンジェリカの婚約は飽くまでも内定であり、アンジェリカの淑女教育が終わってから正式に結ばれることとなったのです。

 婚約が内定したのは、学院卒業の一年前。アンジェリカは学院の下働きを辞め、家族とも縁を切ったうえで王宮内の離宮にその身を移しました。淑女教育の始まりです。それと同時に後見となる養子入り先を探すことになりました。

 けれど、養子の受け入れ先は容易には見つかりません。学院での二人の素行は学院生を子に持つ貴族には知れ渡っておりましたし、身分を理解していない平民を受け入れる危険性を皆判っていたのです。

 ダニエーレ殿下とアンジェリカの婚約が内定したことで、エルメーテ殿下とわたくしの婚約も確定いたしました。そして、わたくしはこれまでの王子妃教育とともに新たに前倒しで王妃教育も受けることとなったのです。

 それから一年が経ち、わたくしたちは卒業を迎えました。卒業祝賀会は何の問題もなく穏やかに終わりました。前世でよくあったウェブ小説のような断罪茶番劇は起きませんでした。

 いいえ、正確には事前に阻止出来ました。ダニエーレ殿下は一年前にアンジェリカが学院で虐げられていたとして、学院の令嬢たちの幾人かを対象に断罪劇を計画していたようです。対象となったのは殿下の婚約者候補だった令嬢たち。尤もその計画に側近候補たちが気付き、事前に止めることが出来ておりました。ダニエーレ殿下を卒業祝賀会に出席させないという、中々の力技でございましたが。

 卒業祝賀会は社交界デビュー前とはいえ、王宮の夜会と同等の格式で行われます。ゆえにパートナーは必須であり、そのパートナーは貴族である必要があります。婚約者がいる者は婚約者を、いない者は家族や親族がパートナーとなります。平民の婚約者を持つ方もいらっしゃいますが、そんな方はご家族かご親族をパートナーとなさいます。

 ダニエーレ殿下は当然、アンジェリカをパートナーとして出席しようとなさいました。ですが、アンジェリカはいまだ養子先が見つからず平民のままでございました。ゆえにアンジェリカをパートナーとするのであれば出席は認められないと学院長に断られたのです。

 ある意味、このときには既にダニエーレ殿下の未来は決まっていたのかもしれません。ダニエーレ殿下はそれには気づいておられませんでした。学院の生徒の大多数は気づいておりましたのに。

 気づいていれば、ダニエーレ殿下もアンジェリカも毒杯を賜ることはなかったでしょう。王位継承権を返上し王籍を離れ、相応の爵位と領地を与えられたことでしょう。

 けれど、彼は気づきませんでした。アンジェリカとともにこれまで当然のようにあった華やかな未来の国王としての人生が続くのだと、信じ切っていたのです。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄?それならこの国を返して頂きます

Ruhuna
ファンタジー
大陸の西側に位置するアルティマ王国 500年の時を経てその国は元の国へと返り咲くために時が動き出すーーー 根暗公爵の娘と、笑われていたマーガレット・ウィンザーは婚約者であるナラード・アルティマから婚約破棄されたことで反撃を開始した

ざまぁは終わったはずでしょう!?

こうやさい
ファンタジー
 気がついたら乙女ゲームの国外追放された悪役令嬢に転生していました。  けど、この子は少し特殊なので……。  ガイドラインに基づきファンタジーにしましたが、ここで終わりだとちょっとホラーだと思う。けど前世の記憶が乗っ取る系って元の人格視点だと結構当てはまるからそうでもない? 転生じゃなくてNPCが自我に目覚めたとかにしてSFとか……微妙か。  ある意味ではゲーム内転生の正しい形といえばそうかもしれない。強制力がどこまで働くかって話だよな。  ただいま諸事情で出すべきか否か微妙なので棚上げしてたのとか自サイトの方に上げるべきかどうか悩んでたのとか大昔のとかを放出中です。見直しもあまり出来ないのでいつも以上に誤字脱字等も多いです。ご了承下さい。

絶対婚約いたしません。させられました。案の定、婚約破棄されました

toyjoy11
ファンタジー
婚約破棄ものではあるのだけど、どちらかと言うと反乱もの。 残酷シーンが多く含まれます。 誰も高位貴族が婚約者になりたがらない第一王子と婚約者になったミルフィーユ・レモナンド侯爵令嬢。 両親に 「絶対アレと婚約しません。もしも、させるんでしたら、私は、クーデターを起こしてやります。」 と宣言した彼女は有言実行をするのだった。 一応、転生者ではあるものの元10歳児。チートはありません。 4/5 21時完結予定。

もう、終わった話ですし

志位斗 茂家波
ファンタジー
一国が滅びた。 その知らせを聞いても、私には関係の無い事。 だってね、もう分っていたことなのよね‥‥‥ ‥‥‥たまにやりたくなる、ありきたりな婚約破棄ざまぁ(?)もの 少々物足りないような気がするので、気が向いたらオマケ書こうかな?

先にわかっているからこそ、用意だけならできたとある婚約破棄騒動

志位斗 茂家波
ファンタジー
調査して準備ができれば、怖くはない。 むしろ、当事者なのに第3者視点でいることができるほどの余裕が持てるのである。 よくある婚約破棄とは言え、のんびり対応できるのだ!! ‥‥‥たまに書きたくなる婚約破棄騒動。 ゲスト、テンプレ入り混じりつつ、お楽しみください。

突然伯爵令嬢になってお姉様が出来ました!え、家の義父もお姉様の婚約者もクズしかいなくない??

シャチ
ファンタジー
母の再婚で伯爵令嬢になってしまったアリアは、とっても素敵なお姉様が出来たのに、実の母も含めて、家族がクズ過ぎるし、素敵なお姉様の婚約者すらとんでもない人物。 何とかお姉様を救わなくては! 日曜学校で文字書き計算を習っていたアリアは、お仕事を手伝いながらお姉様を何とか手助けする! 小説家になろうで日間総合1位を取れました~ 転載防止のためにこちらでも投稿します。

その国が滅びたのは

志位斗 茂家波
ファンタジー
3年前、ある事件が起こるその時まで、その国は栄えていた。 だがしかし、その事件以降あっという間に落ちぶれたが、一体どういうことなのだろうか? それは、考え無しの婚約破棄によるものであったそうだ。 息抜き用婚約破棄物。全6話+オマケの予定。 作者の「帰らずの森のある騒動記」という連載作品に乗っている兄妹が登場。というか、これをそっちの乗せたほうが良いんじゃないかと思い中。 誤字脱字があるかもしれません。ないように頑張ってますが、御指摘や改良点があれば受け付けます。

悪役令嬢ですか?……フフフ♪わたくし、そんなモノではございませんわ(笑)

ラララキヲ
ファンタジー
 学園の卒業パーティーで王太子は男爵令嬢と側近たちを引き連れて自分の婚約者を睨みつける。 「悪役令嬢 ルカリファス・ゴルデゥーサ。  私は貴様との婚約破棄をここに宣言する!」 「……フフフ」  王太子たちが愛するヒロインに対峙するのは悪役令嬢に決まっている!  しかし、相手は本当に『悪役』令嬢なんですか……?  ルカリファスは楽しそうに笑う。 ◇テンプレ婚約破棄モノ。 ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇なろうにも上げてます。

処理中です...