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つちうるおうてむしあつし

第15話 赤い蝶とブラッドオレンジジュース

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 部屋を出たのは十四時すぎ。
 結局アッキちゃんはウィッグにカラコンの完全装備で、誰もが振り向く美女のオーラを放っている。
 黒マスクをつけたって、銀色の本気度1000%の遮光日傘をさしてたって、アッキちゃんの美しさは隠しようがない。
 普段着のアッキちゃんはストリート系でかっこいい。
 オーバーサイズのTシャツに古着っぽい太いデニム。足元は厚底のスポーツサンダル。
 全体的にダボっとしているんだけど、華奢さと色の白さが際立ってると思う。

「……なに、ジロジロ見てんの」
「いやあ、かわいいなと思って。いつも部屋着だし」

 ってデートみたいな会話だったな。デート、したことないけど。
 暑さの盛りともいえる14時台に外に出るあたり、夏を分かっていない陰キャだ。次から次へと汗がふきだしてきて、服も下着もはりついて気持ちが悪い。
 今までの夏は、夜ふかしして部屋でアイス食べて夕方にコンビニ行って、の繰り返しだったからこんなの知らない。
 呼吸しようとしても、体が内側から蒸されるみたいな空気が入ってくるだけで、ちゃんと酸素が吸えているのかあやしい。
 ビニール袋に詰められて、まるごと湯煎されてる感じ。
 日差しはもはや痛いの域。
 と、急に頭の上に陰が出来た。体感気温がすうっと下がっていく。
 
「毒虫ちゃん、日傘使いな。死ぬよ」

 見上げると、頭の上に銀色の膜があった。本気度1000%の遮光日傘だ。

「アッキちゃんが日焼けする方が、やだ」
「火傷みたいになるから好きじゃないけど、すぐ再生するから大丈夫。これはね、フリなの」
「フリ?」
「日焼けしないの不自然でしょ。だから日焼けに気を使ってるフリ」

 汗ひとつかかないアッキちゃんは、蒸されて死にそうなあたしに比べて涼しげだ。
 そういえば、暑さも寒さも感じにくいって言ってたもんなあ。

「で、どこ行く? 一刻もはやく人工的な冷気にあたりたいんだけど」
「とりあえず、新宿?」
「なんで疑問形なの~」
「命にかかわるくらいの暑さを実感できてないからかな?」
「他人事~! じゃあとりあえずあれです、電車。電車乗ろう。クーラーガンガンの車両に乗ろう」
「じゃ、そういうことで!」

 駅前のファストフードを通るときに、舞火が居ないか心配になって、外からさり気なくのぞいた。
 見る限りは、居ない。
 姿がないことに安堵している自分がいる。もう二度とあたしとアッキちゃんの前にあらわれなければいいと思う。
 アッキちゃんがいつものヘアメイクじゃなければ、どこかで舞火が見張っていたとしても遠目には分からないのに、とも思った。
 舞火はなにかをたくらんでいる。アッキちゃんには興味がないなんて言っていたけど、アッキちゃんの周辺を探っているのは確かだ。
 あたしに接触してきて、変な占いみたいなことを言ってきたし、油断できない。
 それに五芒星のピアスが、やっぱり気にな――。

「そうだよ! アッキちゃんさあ、食中毒事件あったじゃん!」
「食中毒?」
「梅雨のときだよ! アッキちゃんだけ練習中に吐いちゃって、食中毒かも、みたいにツイートしてたことあったでしょ。あのとき、メンバーみんな集まってたんでしょ? で、一緒に話題になってたのが――」
「塩入り麦茶」
「それ! あれってマキ論の差し入れだったんでしょ。塩入り麦茶って、一口で噴いちゃうくらい塩辛かったって、確か他のメンバーが言ってたよね。あの麦茶でアッキちゃんは、」
「体調不良になったよ。口の中はただれるし、声も一時期出なくなるし、大変。原因が塩麦茶なのは分かってたけど、狙ってか天然かは分からないから放っておいた。食中毒かなーなんて言ってごまかして。だって、怒るわけにはいかないでしょ」

 そうアッキちゃんは言うけれど、怒って良い場面じゃないかなあと思う。
 だってやたらと塩分濃度の高い麦茶を出されて、具合が悪くならない人なんか居ないわけだし。
 怒る、怒らない。言う、言わない。ごまかす、ごまかさない。
 その狭間であたしたちは生きている。どっちに寄ったらいいのか分からなくて、極端に振れてみたりする。

「怒れなかったのは、あたしも一緒か」
「なにが?」

 改札を抜けて先を行くアッキちゃんを追って、あたしは使い慣れない日傘を急いで閉じた。



 遊ぶって言っていたのに、新宿についてまず行ったのは喫茶店だった。
 例の80歳越えっぽいママがやっている喫茶&バーではないけど、こちらも昭和のにおいプンプンの喫茶店。
 なんでこういうところって公衆電話が置いてあるんだろう。伝統?
 馴れた足取りでソファ席に歩くアッキちゃんのあとをついて、席につく。
 座ってから気づいた。

戴天たいてんと来てた店じゃん!」
「よく覚えてるね」
「このテーブル! メニュー! ソファ! 戴天と一緒に撮った写真に写ってたとこ! ムカつきながら見てたから覚えてる!」
「見てるよねえ、ホント。ね、怒んないでよ。あたしあんまり店知らないんだよ。それにタバコ吸えて落ち着けたらどこでもいいの。ひとつ弁解だけど、『リリィ』には戴天と行ったことないんだよ。Sin-sの関係者は連れてくるなって言われてるからね。『リリィ』でもよかったけど、いま腰いためてて閉めてるんだって」
「へえ、なんでSin-s関係者はだめなんだろ」
「さあ? ま、そういうわけで、吸えるところ探すと結局あまり選択肢ないんだよ」

 そんなもんか、と思いながらアッキちゃんが脚を組んでタバコに火をつけるところを見守る。
 ここのジュースは高いけどうまいよ、という言葉で、ブラッドオレンジジュースというものを頼んでみた。アッキちゃんも同じものを選んだ。
 大人の世界に足を踏み入れた感じがして、気持ちが自然と浮き立っていた。
 
 目の前に運ばれてきたどろっとした赤みのつよいジュースを見て、あたしの気持ちはまたブンと怒りの方に振れた。

「これ、戴天と飲んでたやつじゃん! いつも写真に写ってたのトマトジュースかと思ってたのに、これなの? やめてよー!」
「だって美味しいんだもん。なんで戴天にそんなに嫉妬するかなあ」
「アッキちゃんの友だちだからだよ、きまってるでしょ。あたしより先に、あたしより仲良くなってるんだから。――ていうか、なんで戴天と仲いいの? 気が合うの? 好みなの? なんで?」

 ずい、と体を乗り出した勢いで、アッキちゃんの指に挟まれていたタバコの火があたしの腕をかすめそうになる。
 悲鳴をあげた。
 熱かったからじゃない。
 かすめそうになった火を、アッキちゃんがなんの躊躇もなく左手で抑えたからだ。
 アッキちゃんの顔が一瞬、苦痛に歪んだ。
 
「なにしてんの!?」
「別に……、あたしはすぐ治るから。それより毒虫ちゃんの腕に跡が残る方が嫌だもん。やけどしなかった?」
 
 そう言ってアッキちゃんがあたしに向けた左手の、人差し指と中指の付け根の間が赤く腫れている。
 その皮膚が見る間に剥がれて、その下からはあたらしいピンクの皮膚が生まれる。
 肉と皮膚の間くらいの質感だったその部分が、どんどんと厚くなり、やけどしていない部分と同じ色になる。
 早回しの映像を見ているような、おかしな光景だった。

「…………すごい、ね」

 そうとしか言えなかった。

「気持ち悪いかな?」
 
 アッキちゃんが、そっとうかがうように言った。

「ううん、気持ち悪いとかじゃない。ただ、すごいなって。でも、治るからって無茶はしないで。怪我をした瞬間に痛いのは変らないんでしょ。あたしの不注意だったんだから、あたしがやけどしたら良かったんだよ」
「でも、あたしだったら治るんだから、それでいいじゃん。治らないひとより、治るひとが傷を負えば、結果的にはどこの誰にも傷が残らないんだから」

 アッキちゃんの優しさは分かるけれど、間違った優しさだと思った。どう間違っているかを言葉にまとめられないし、自分に向けてもらった優しさに対して「間違っている」なんて返せないけれど。
 認めたくない、という気持ちだけが断固としたものとして湧き上がってくるのだけど、理屈がない。
 だから、

「それでもアッキちゃんが負うことないし、イヤだ。イヤなものはイヤなの」

 という拙い言い方しか出来なかった。

「毒虫ちゃんにしかしないよ。だって他のひとにはこんな体質見せられないから」
「あのねえ、あたしが嫉妬深いのは認めるけど、そんな特別扱いは嬉しくないの! それで満足する系の独占欲ヤバいでしょ」
「分かった分かった。で、なんだっけ、戴天と仲いい理由だっけ?」

 ジュースの入ったグラスを手に取ったアッキちゃんが、ストローで氷をカラカラかき混ぜながら、あからさまに話題を戻した。

「めんどくさいと思ってるかもしれないけど、あたしのイヤは本気だからね」
「分かった、もうしないよ」
「……で、そのう、戴天と仲いいのは、なんで?」
 
 なんだかんだで気になっていた話題だったので、恥ずかしながらあたしはアッキちゃんに改めてたずねた。
 アッキちゃんがおかしそうに目を細めるので、あたしも自分のグラスを手にとってごまかす。

「別に、ホントになんでもないことだよ。最寄り駅が同じだったの。帰りに一緒になることもあるから、単純に話す機会が多いから仲良くなりやすいし、暇になったらすぐ行ける、ってだけ。普通でしょ?」
「思った以上に普通だった」
「戴天は部屋にひと上げるの全然気にしないんだよね。ずっとダラダラしててもいいし。戴天は素で【怠惰】だから、自分にもひとにも適当で楽なの」
「あー、そういう人って、大事かもね」

【怠惰】担当戴天の、ある意味安定してやる気のない活動っぷりを思い出しながらあたしはうなずいた。正直、アッキちゃんのなかでそういう枠に入れていることに嫉妬はしたけど。
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