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忘れられた番
#32
しおりを挟む何日目だろうか……、とセレスは半紙に付けた印の数を数える。投獄されてから既に三十日以上が経っており、食事を持って来る人間は決まって『今日も言えませんか?』とリュシアの居所を聞いて来る。
けれど、その日、何か様子が変だと思ったのは、その言葉を言うことなく食事を置いて行ったからだった。
単純に諦めたのかと思っていたが、夕刻に珍しい人間が訪ねて来た。
「セレス……先生……、どうしてこんなことに!」
「ウリック?」
懐かしい生徒の声を聞き、セレスは気が緩んだ。
「何故、君がこんな所に?」
「エグモント執政官が教えてくれた。あまり長居は出来ないけど……、って、そんなことよりリュシアが!」
彼の悲痛な声を聞き、ドクンと心臓が貫かれたように痛んだ。
ウリックからリュシアが暴漢に襲われて、記憶を失っていること、無事に子供は生まれて、今日この国に戻って来たことなど、全ての説明を終えた彼が最後に、「リュシアの魔力が封印されている」と言うのを聞き、セレスは目を伏せた。
「封印……、ああ、なるほど……」
「先生は何か知ってるのか?」
「いいえ、ですが、おそらく陛下が意図的に封印されたのでしょうね、王宮にいた時に術を施したのでしょう」
はあ、と大きな溜息を付くウリックは、「セレス先生、本当のことを言って欲しい」と言う。こちらを見据えた彼は、迷いなき眼差しで言葉を続けた。
「陛下が理由もなく、魔力を封印する必要なんてない、だから何も知らないなんて、そんな嘘は俺に言わないでくれ」
「……ウリック、君は昔からそうでしたが、後先を考えて行動しなくてはいけません。仮に私が嘘を付いていても、それにはちゃんとした理由が――」
こちらが言い終える前に、ガっと両手で鉄格子を掴みウリックが叫ぶ。
「こんな時まで、そんな説教をするなんて! リュシアがどうなっても構わないのか」
言われた言葉に胸の奥が抉られるようだった。
だが、自分に何が出来ると言うのだろうか、リュシアから捨てると選択され、陛下からは罪人の扱いを受け、自分に残されている道などない。
どれだけリュシアを誰にも渡したくないと心の中で叫ぼうとも、この国に帰って来たのであれば、それすら叶うことがないのだ。
「……あなたは……どうして帰って来たのですか……」
心の想いが勝手に口から零れてしまい、はっとして顔を上げた。
小首を傾げるウリックに、決して悟られてはいけない心の中を知られた気がして気まずく思っていると、彼がこちらの言葉に応えるように口を開いた。
「俺が説得させたんだ。どちらにしても魔法の条約があるし、それに魔力が封印されているせいで記憶が一生戻らない可能性もあると思って……」
「……それでリュシア様は?」
「陛下が連れてッ――」
その先を聞きたくなくて思わずガンっと机を叩いた。
こんなふうに感情に振り回されたくなくて、リュシアの名が自分に届かない国へ向かい、静かに暮らすつもりだった。
そうでなければ、嫉妬に狂い何をしでかすか分からなかったからだ。
「ウリック、リュシア様には私がここにいることは言わないように……」
「嫌だ、俺は記憶を取り戻すためなら何だってする。俺は陛下や先生よりも、あいつと過ごしてきたんだ、それを全て無かったことに出来るわけないだろ」
彼の瞳に宿る強い眼差しを見て、一瞬、自分と同じ想いをリュシアに抱いているのかも知れないとセレスは思った。
「俺は子供の頃から、ずっと面倒見て来たんだ。リュシアには誰よりも幸せになって欲しいと思ってる。たぶん、幸せに出来る相手は……、陛下じゃなくて先生なんだろ?」
真摯に訴える言葉に思わず、セレスは喉が鳴った。そうだと言えるならどれだけ幸せだろうか、と唇を噛みしめた。
「それに、リュシアは泣いたんだ……」
「え……」
「陛下のことを聞いても、分からないって言って、ぼーっとしてたのに、先生の名を聞いただけで泣いたんだよ……」
心の中を掻きむしられるような言葉だった。
だが、それを知った所で今の自分には何も出来ない。それに、こんな場所に入れられている自分をリュシアに知られたくないし、見られたくもなかった。
セレスの心情を察したのか、ウリックが、リュシアは思い出したいのに、思い出してはいけない気がすると言っていると言う。
「思い出してはいけないって、セレス先生のことなんじゃないか?」
それに関しては、リュシアにしか分からないことだと思った。
「私は一度も国を出た理由を問い質しませんでした。恐らくですが、国を出た理由も記憶に作用している可能性があるのでは無いでしょうか」
「そっか……」
あの時、リュシアがうっかり口を滑らせた言葉、『王妃に申し訳ない』という理由で国を出たと言っていたことを思い出した。
――単純に子が出来たことを気にして、イメルダに気を遣ったのだろう。
心優しいリュシアが、それを考えないわけがないと思っていたし、だからこそセレスは国を出た理由を聞けなかった。
なぜなら、それを指摘して落ち込ませてしまうのは避けたかったからだ。
それに、自由のない生活をしてきたリュシアを少しでも盟約から解き放ってあげたかった。
だが、結局は自分も番という籠に入れて、自由などとは程遠い契りを交わしてしまおうとしていたのだから、勝手のいい話だ。
「セレス先生は、どうしたい?」
「私ですか……?」
彼の質問を聞きながら何を馬鹿なことを……、とセレスは思った。
――私が望むのはリュシアだけだ……。
他に何が必要だと言うのだろうか、番と結ばれる以外の希望など何一つない、この胸にリュシアを抱き、永遠を誓えるなら死んでも本望だ。
そんな胸の内を押し殺しながらセレスはもう一つの願いを口にした。
「私もウリックと同じですよ。リュシア様の幸せを願ってます」
彼は一瞬だけ怪訝な表情を見せると、昔からよく見せていた前髪を指で摘まむ癖を見せ、「分かった」と言って、その場を去って行った――――。
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