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彷徨う心
#18
しおりを挟むノルマント共和国に辿り着いて半年以上が経過していた。
この国では肌の色や体付きの違う様々な人達が住んでおり、そのせいなのか建物も一貫性がなく、個々の好みに合わせた建物が建っていた。
共和国らしい自由に溢れた街並みを見て、この国なら詮索されることなく過ごせそうだとリュシアは感じた。
それに関しては、セレスも同じように思っていたようで、着いて早々、長くここに住むかも知れないと言い、民家を借りて来てくれた。
どうやら、移住の書類などはなく、土地の使用料金を支払うだけで暮らすことが出来るようで、意外にも簡単に住む場所を確保することが出来た。
街の隅にある集合住宅の一角で、食事を取れる空間と寝室があるだけの質素な家だったが、寝る場所さえあればリュシアはどんな場所でも良かったし、それにセレスとの生活は意外と楽しい日々だった――。
今日は大きな客船が、港に入って来ると知らせを聞いていたセレスが「私が帰って来るまで、隣のハンナ様の家で過ごしていて下さい」と言う。
大規模な客船の場合、リュシアを探しに来た魔法使いが乗っていることを懸念してのことだった。
「私も仕事が終わり次第すぐ帰って来ますが、何かあれば……」
「うん、分かってる」
リュシアに諸々の注意事項を告げたあと、「それでは、行って来ます」と出て行くセレスを見送った。
彼は近くの農場で働いており、土の使い手だからなのか農作業はとても楽しいようで、毎日、採れたての野菜を嬉しそうに持ち帰って来る。その様子を見ていると、本当は王室務めではなく、そういった仕事の方が向いているのだと思った。
部屋の中を少し片づけてから、リュシアは隣に住むハンナの家を訪ねた。
二階建ての一階部分は占いの館として使っており、近所の住民から探し物の依頼が殺到する……、とまではいかないけど、食べて行くには困らないようだった。
正面の扉ではなく、裏手にある日常用に使っている扉をタンタンと二回叩くと、中から「はいはい」と二回返事が聞える。
「あら、アーシュおはよう」
「おはようございます」
「セスから聞いているわ、彼が帰ってくるまで自由に過ごして頂戴」
「ありがとうございます」
ここでは二人とも偽名を使っていた。リュシアはアーシュと名乗り、セレスはセスと名乗っていた。
名前から身元がバレる可能性は十分にあるのだから、用心するに越したことはないというセレスの案だった。
「さあ、どうぞ入って」とグイっと扉を大きく開け、リュシアを部屋の中へと招き入れてくれる。ハンナは肩まである髪をくるっと器用に巻き上げ、「そこに座ってて、お茶を淹れるわね」と彼女はお湯を沸かすために台所へ向かった。
彼女に関しては隣に住んでいる事と、占いが仕事だということくらいしか知らない。見た目から得られる情報は三十代前半で、独身女性という事くらいだった。
色々聞くと、こちらも話さなくてはいけなくなるので、身元に関わるような話は極力しないようにしていた。
「お腹大きくなって来たわね」
「はい、最近はよく蹴られるので、きっと元気のいい男の子なんじゃないかと二人で話してます」
彼女に出会ってすぐに、男でも子供が生める種族だという話をしたが、そんな種族がいるなんて、と感動されてしまい、普通に受け入れてくれたハンナの懐の深さに、リュシアは感激してしまった。
ただ、問題はセレスが父親だと思わており、種族から追われて駆け落ちしたのだと誤解されている。その理由は、リュシアが何度言っても、セレスが畏まった言葉使いを止めてくれないからだった。
傍から見て、セレスがリュシアに傅いてる姿は、わけありに見えるようで、そのせいでハンナに、身分違いの恋をして駆け落ちしたのね、と誤解されてしまったのだった。
多少の誤解は仕方ないけど、二人で一緒にいると妙に暖かな目で見らるので、気持ち的に騙している感が拭えなくて罪悪感を持つことが度々あった。
「あ、そうだわ、アーシュにお願いがあったのよ」
「なんでしょうか?」
「私、本当に裁縫が苦手で、見てくれる?」
彼女が二階の部屋から裾が破れてしまった下服を持って来ると、縫った部分をピラっと見せてくれる。それを見て、ああ……、と思う。少しずつ斜めに歪んでいる縫い目を見て、くすっとリュシアが笑うと、ハンナは「あー、人間向き不向きがあるのよ?」と頬を膨らました。
「そうですね、僕も苦手な物が沢山あります」
「あらぁ~、あなたの場合、優秀な旦那様がいるからいいじゃない?」
誤解を解けない状況だけに、セレスを夫扱いしなくてはけなくて、途惑いながらも、「えーっと、はい……」とリュシアは返事をする。
「本当に羨ましいわ、彼ってすごく素敵だし、愛されている気分はどう?」
「あ、の、それより、糸を解く物を貸して下さい」
ハンナの言葉を遮るように糸処理の道具を貸して欲しいと願い出ると、彼女が「もう、初心なんだから」と、くすくす笑う。
――うぅー、そうじゃないんだけど……。
彼女の中で作り上げられた〝愛する二人〟という妄想を壊すことも出来ず、リュシアは一人悶々としながら、ハンナが裁縫道具を持って来てくれるのを待った。
不意にカランと表の扉の音が鳴り響き、その音を察知した彼女は素早く机の上を片付け、リュシアを椅子から立たせると。
「早く上の部屋へ、寝台の横にある机の下に隠れてね、終わったら呼びに行くから」
ハンナに促されるままリュシアは、二階へと移動した。
実は定期的に魔法王国から自分達を探しに来ている。特に大きな客船が船場に着いた時は、街中を聞いて回っているようだった。
実際に、この占いの館にも尋ねにきた人間がいたが、特徴が現在のリュシアの風貌とは一致しないため、ハンナも知らないと追い返してくれる。
ただ、いくらセレスが作った魔法薬で髪色と目色は変えているとはいえ、親族であれば直ぐにバレてしまうので、用心することに越したことはなかった。
――大丈夫……。
二階へ上がったリュシアは、ごくりと喉を鳴らし、言われた通り寝台の横にある机の下で小さく蹲りながら、来客が帰るのを待った。
不意にキーンと下腹部が痛み、息苦しくなる。子供が生まれるにはまだ早いし、どうしていいのか分からないまま、リュシアは両手でお腹の子に「大丈夫だよ、大丈夫だから」と擦る。
けれど、そんなことで痛みが治まるわけもなく、次第に痛みが膨れ上がり、体中が熱で茹だりそうになる。
――ごめんね、吃驚させて、大丈夫だから……。
何度もお腹の子に言い聞かせるように腹を擦り、心の中で呟くが、それは自分に言い聞かせているようなものだった。
一向に痛みが治まらず、小さな息を何度か吐き続けていると、ドタドタと誰かが階段を駆け上がって来る音が聞えて来る。
「アーシュ? もう大丈夫よ、ただの観光客だった……、え、ちょっと大丈夫⁉」
「お、なか、が……」
「痛むのね? ちょっと待ってて!」
ハンナの慌てた声と足音が遠ざかって行くと、リュシアはそのまま目を閉じ、深い闇の中へ意識を落とした――。
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