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恋しくて…

#31

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  シアトは苛立ちが収まらず、執務室の机を粉々した所でジークが現れた。

「げっ」 
「なんだ」
「いや、それは俺のセリフだと思うけど……、ね」

 チラリと粉々になった机を見ながらジークが腕組をする。

「聖天が自尽じじんしたって言ってるけど、逃がしてあげたんでしょ?」
「俺が逃がしたんじゃ無いがな……」
「なるほど、それでこの状態か」

 ニヤニヤしながら此方を見て揶揄を言いそうな、その顔を粉々にしてやりたいと思うが、腐っても血が繋がった弟だと我慢した。
 やれやれとジークが両手を広げながら話を続けた。

「それで、今は何処に?」
「調べさせてる……」
「ふーん、まあ、結果としては、良かったんじゃない、兄上が逃がしたとなると、色々大変じゃん? きっと聖天は追われることになるし、侍従長が自尽だと老政達に言ったことで、聖天は自由になれたんだから」
「……」
「兄上だったら、内密に出来なかったかもよ」

 確かにその通りだと思った。シアトは大きく溜息を吐くと、長椅子に腰を降ろし、呼び鈴を鳴らした。
 侍女がお辞儀をして入って来ると粉々になった机を見て、ギョっとした顔を見せたが、直ぐに表情を隠した。

「茶の準備をしてくれ」
「畏まりました」

 ジョエルがアダムを追いかけて数日経った。無事に見つけられたのだろうか? 多分だが、報告が遅いと言う事は、休まず移動している気がした。
 そのうち何処か治安の良い町で、アダムに付いて行った侍女に、足止めでもさせるだろう。
 シアトは、早く追いかけて行きたい気持ちを抑えるので、精一杯だった。退屈そうな顔をジークが見せると。
 
「さてと」
「何処に行くつもりだ」
「ここに居ても、これ以上情報は聞けなさそうだし?」
「お前、明日、聖獣の儀式を受けるの忘れてないだろうな?」

 チっと舌打ちが聞える。忘れてはないようだが、逃げ出そうとしているのをシアトは察知した。ジークにシアトの代わりが出来るように準備を整えた後、自分は病に伏せた事にし、当分の間は留守にすると言うと。

「信じられない、俺に嫌なことを押し付けて、自分は聖天と? いやらしい……」
「安否の確認をして家に届けるだけだ……」
「え、何もしないんだ?」

 押し黙ったシアトを見ながら、楽しそうに動くジークの耳を引っ張った。

「お前は少し、品と言う物を学んで来い」
「はいはい。けど簡単に会えるかな」
「探し出す」
「必死だね、そんなに、あの子が大切?」
「ああ」
「まあ、芳香もあるから、必死になるのも当然か」

 シアトには芳香など関係なかった。
 確かに嗅げば気分が良くなるが、それ以上に愛する者と交わることが幸せなことだと思った。
 今まで聞いたことが無かったが、弟は一度でも誰かを愛したことがあるのだろうか、自分達の父親が、妻よりも聖天に身を焦がすのを見て、弟はあからさまに聖天を避けていた。
 母は気丈な人で、虫に刺された程度だと笑っていたが、たまに物憂げに薔薇の宮殿を見つめており、その姿を遠くから眺めて、悲しそうにしていた弟は、愛情に関して軽率に受け取り育った気がした。 
 扉が開きカチャカチャと、茶器が運ばれてくる。お茶が注がれる音が聞えると、ジークは席を立った。

「何だ飲んで行かないのか……」
「ん~、ちょっとね」
「絶対に明日逃げるなよ」
「分かってるって」

 茶の準備が終わった侍女が、掃除を致しますと言い、粉々になった机の欠片を片付け始めた。そう言えば薔薇の宮殿で勤めていた他の者達は、どうしたのだろうか? と気になり侍女に声を掛けた。

「何人かは王宮に配属されました。他の者も何処かに配属になったと、お聞きしております」
「そうか…」
「聖天様は毎日慎ましく過ごし、たまに歌声が聴こえて皆それを楽しみにしていたそうです」

 聖職者が必ず最初に習う歌だと、アダムは言っていたが、獣人は歌を歌うと言う風習がないせいか、あの歌はとても神秘的な気がした――――。

 翌日、ジークの儀式が始まった。シアトは身体の不調を訴え、自室で儀式が終わるのをじっと待った。
 もしかしたら二度と帰って来ることは無いかも知れないと、胸に刻むように部屋の光景を焼き付ける。特に感慨深い深い思い出はないが……、と寝台を眺め、自分の横で寝ていた小さな体が思い浮かぶ。
 ついこの間まで、手の届く所に居たのに、砂の様に消えてしまった。
 今思えば、実にくだらないことに拘っていたと思う、会えなくなって初めて気が付いた。

 ――会えるだろうか……。

 考えれば考えるほど、恐ろしくなる。
 今まで聖獣王として生きて来て、恐怖など一度も感じた事など無かった。もし、会えない間に、アダムが他の誰かに奪われ、思いを寄せるような事があれば? それを想像するだけで、気がおかしくなりそうだった。自分がこんなにも器の小さい男だったとは思いもしなかった。
 いつもなら、誰かが入って来る前に気配を読み取るが、考え事をしていたせいか、気が付かない間に侍従長が部屋にいた。

「ジーク殿下の儀式が無事に終了致しました」
「そうか……」
「出て行かれるのですか?」
「ああ……」
「まったく、この国から出た事も無いでしょうに、どうやって探すつもりですか」

 深く溜息を付き、呆れた口調で物を言う侍従長が、目を細める。痛いところを突いて来るが、シアトは、じっとしている事の方が、耐えられなかった。

「仕方ありませんね」

 侍従長が付いて来るよう言う。シアトは小さな箱を懐に収めると、後を追った。そのまま通いなれた侍従室に入ると。

「まずは、その如何にも王族ですと言う衣装を脱いで、こちらの質素な衣類を……」

 シアトは言われるまま着替えた。

「吃驚するほど、似合いませんね……」
「それは悪かったな」
「その上から、甲冑を着て下さい」
「ち、小さいぞ」
「文句言わないで下さい」

 着替えると、また付いて来るように言う。一体、何処へ行くつもりなのか、まるっきり理解出来ないまま、シアトは仕方なく侍従長の後を付いていった。
 城の外壁へ通じる連絡通路を抜けると、障壁前にいる見張りの兵士に侍従長が話しかける。

「新米の兵士に、少し説明がありますので外へ行きます」
「分かりました」

 石で加工された、障壁を遮る為の囲い通路が現れる。キャラバンや見回りの為の通路だが、指示が出せるのは極僅かな役職だ。

「歩くのはいいが」
「静かに……」

 障壁を抜けて外へ出るが、辺り一面砂しかない、昔、子供の頃一度だけ外に出たことがあるが、その時も同じような気分だったことを思い出した。
 障壁から離れ、侍従長は真直ぐ歩みを進める。ナツメヤシが多く密集する箇所まで到達すると。 

「あちらです」
「馬か、だが何故、二頭も?」
「私も行くからです」
「なっ……? 職場放棄するつもりか」
「王に言われたくありません。大丈夫です。私の息子は優秀ですので」

 侍従長が着ている制服を脱ぎ捨てると、ナツメヤシに分からないように隠した。
 既に民間の衣装を着こんでいた侍従長が、クっと袖を曲げフードを被る。手慣れた様子で馬に跨るが、シアトは「待て」と声を掛けた。

「お前が国に居ないと、問題が起きた時困る」
「いいえ、世間知らずな王が人間の国で、事件でも起こされた方がディガ国にとって問題になります」
「ジークじゃあるまいし……」

 シアトの愚痴を聞き、侍従長がニッコリ微笑むと。

「言っておきますが、幼少の頃はジーク様よりシアト王の方が、やんちゃで酷かったですよ。だいたい……、聖天様がいなくなっただけで、机を粉々にするなんて信じられません」
「……」

 嫌なことを言うと思いながら、甲冑を脱ぎ捨て軽装になるとシアトも馬に跨った。
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