上 下
24 / 35

23.劇場

しおりを挟む
 
 屋敷を出て馬車に乗り込むと劇場へ向かった。
 ジェイクと二人きりの空間は慣れているものの、少し前までは居心地はいい物では無かったのに、自分の気持ちがはっきりと分かったからなのか、もっと一緒に居たいと思っていることに我ながら吃驚する。
 ただ、それに関しては、今回の件が終わったら彼に素性を明かす気でいるし、二度と会うことはないという気持ちが、そう思わせているのかも知れないと思う。
 
「ところで、ティナはイゼルと仲が良いのですね」

 不意にイゼルの話をされて、は? となる。

「屋敷を出る時、何か楽しそうに二人で話を……」
「あ、あれは、違いますよ? 旦那様のために塗り薬をっ――?」

 ティムが弁解をしているとジェイクが、ずん、と頭を下げてしまった。

「あのぅ……? ジェイク様?」
「もう一度聞きたいのですが……」
「はい?」
「もう一度、私を『旦那様』……と」

 よく分からない要望に「旦那様?」と声を掛けると、嬉しそうな顔をしたジェイクが、これから二人きりの時は、旦那様と呼んで欲しいと言う。
 それを聞き、ティムは当然の疑問を口にした。

「え? どうしてですか?」
「……、理由が必要なのですか? 仕方ありませんね。では、思い切って告白をします。貴女に旦那様と呼ばれると、とても嬉しいのです。あと何か身体が浮き立つような、湧き立つような気分になります」

 どうやらジェイクはティムに旦那様と呼ばれたいことが分かった。
 けれど、旦那様と呼ばれることくらい、イゼルや屋敷の従僕から呼ばれている言葉だろうし、ジェイクの提案は少し変だと感じる。
 まあ、でも、従僕気分も味わえるし、旦那様と呼ぶのもいいかな、とティムは快く承諾した――。

 馬車が劇場へと到着すると、受付の人間がジェイクを見るなり、「ヴェルシュタム伯爵様」と慌てて駆け寄って来る。
 表の入り口ではなく、要人用の入り口へと案内されている最中、「伯爵様、この度はご婚約おめでとうございます」と案内人が祝いの言葉を口にするのを聞き、ティムはぎょっとした。

 ――えー、婚約したこと皆知ってるの?

 劇場の人間まで知っているということは、王都中に自分達の婚約の話が知れ渡っている気がして、今更のように自分が大それたことをしている事実に、冷や汗が流れそうになる。
 頃合いを見て宰相に婚約破棄を伝えるとジェイクは言っていたが、『婚約破棄しました』と発表すれば、彼の名誉の方が傷つきそうだと感じて、逆にティムの方が落ち込んだ。
 こちらの沈んだ様子を見たジェイクが、案内人から少し距離を取ると、眉尻を下げながら口を開いた。

「しばらくは婚約者として扱われますが、気にしないで下さいね、昨日私が言ったことも含めて、無理強いはするつもりはありません」

 こそっと言われた彼の優しい声掛けに、「分かっております」と答えたが、芽生えた罪悪感は消し去れなかった。
 けれど、今更後悔しても遅すぎるな、と気持ちを切り替え、ティムは令嬢らしく微笑みを浮かべながら「ジェイク様は――」と言いかけて、すぐに言葉を正した。

「旦那様は、お優しい方ですね」
「そうでしょうか」
「婚約を破棄したことが公になれば、私よりも旦那様の名誉の方が傷つくのに……」
「たいしたことではありません、最初から結婚などに興味はありませんでしたからね、婚約破棄の話が私のせいだと悪い噂が流れた方がありがたいです」

 その言葉に嘘偽りはないと言いながら、彼は話を続ける。

「それに結婚という形に縛られる必要はないと思ってます。愛する人と人生を歩むことの方が重要ですから」

 ジェイクの考えを聞かされて、そうなんだ、と納得しかけたが、不意に公爵家の公女との婚約話が脳裏を掠めた。

 ――公女との婚約話を聞きたいけど、ティナの姿で聞くのはちょっとなぁ……。

 本当は死ぬほど聞きたかったが、そこはぐっと堪えた。 
 案内人が大きな扉の前に立つと、「こちらがご用意させて頂いた席でございます」と腰を折り、扉を開いた。
 舞台が真正面に見え、誰にも邪魔されることのない静かな空間が広がっており、ゆったりとした椅子が二つ並んで用意されているのが見える。
 ジェイクの導きで、その二つしか並んでない椅子へと向かえば「さあ、こちらにどうぞ」と椅子に座らされた。

 けれど――。

「……あの、私はバルコニー席で演劇を観るのは初めてなのですが、普通はこのような姿勢で観るものなのでしょうか?」
「ええ、このような姿勢で観るものです」

 ティムは横にいるジェイクを見上げた。腰を抱かれて、すっぽりと彼の胸へと納まる自分の頭、時折、囁くように放たれる熱っぽい吐息。
 一応、念のためにジェイクに確認しただけで、ティムだってこの状態が普通ではないことくらい分かっていた。

 ――演劇に集中できる気がしないけど……?

 けれど、婚約者なのだから、このくらいのことはするのかも知れない、ちょっと恥ずかしいなと思うけど、この不思議な体勢のまま劇を見ることにした――――。
 


「ぐすっ……ぅ」
「ああ、そんなに目を擦っては――」
「ふぁい、すびぃまぜぇん……」

 予想以上にいい物語で、ティムは涙が止まらなかった。
 最初こそジェイクのことが気になって劇に集中出来なかったが、次第に気にならなくなり、物語に夢中になった。

「ティナは涙もろいのですね」
「そんなことは無いのですが……」

 決して涙もろくはないが、劇中の恋に落ちる二人が羨ましくて、羨ましくて、半分は悔し涙だった。
 人の気も知らずに、いちゃいちゃする劇中の二人に、羨まし過ぎる! と妬心が芽生えて、殺意を抱いたくらいだ。
 最後『もう離れない』見たいなセリフを言い合って、口づけを交わす場面は生唾が出た。
 
「女性が好きな劇らしいのですが、ティナも例外ではなかったようですね」
「え、ええ、私も好きです」

 本心は決して言えないので、無難に愛想よく返事した。
 劇も終わり、演劇場から人が出て行くが、ジェイクはもう少し待ってから出ましょうと言う。
 彼の奇病を考えれば、人混みを避けるのは当然のことだし、それにティムはイゼルから重要任務を受けている。この美しい男の顔に湿疹など出ようものなら、ただでは済まされないのだから、彼の言うことに頷いた。
 ティムはバルコニー席から一階の様子を覗き込み、劇場内にどのくらい人が残っているのかを確認する。
 
 ――まだ、ちょっと多いかも……?

 もう少し経ってから、帰った方が良さそうだと思っていると、劇場の端に見覚えのある男の姿を捉えた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

砂漠の鳥籠

篠崎笙
BL
記憶を失い砂漠の中で行き倒れていたイズミは、アッシュという男に保護されていた。次第に心を許していくイズミだったが、ある夜、アッシュに犯されてしまう。その後、記憶を取り戻したイズミは、アッシュと結婚式を挙げることになるが…… 

永遠の快楽

桜小路勇人/舘石奈々
BL
万引きをしたのが見つかってしまい脅された「僕」がされた事は・・・・・ ※タイトル変更しました※ 全11話毎日22時に続話更新予定です

上司に連れられていったオカマバー。唯一の可愛い子がよりにもよって性欲が強い

papporopueeee
BL
契約社員として働いている川崎 翠(かわさき あきら)。 派遣先の上司からミドリと呼ばれている彼は、ある日オカマバーへと連れていかれる。 そこで出会ったのは可憐な容姿を持つ少年ツキ。 無垢な少女然としたツキに惹かれるミドリであったが、 女性との性経験の無いままにツキに入れ込んでいいものか苦悩する。 一方、ツキは性欲の赴くままにアキラへとアプローチをかけるのだった。

学祭で女装してたら一目惚れされた。

ちろこ
BL
目の前に立っているこの無駄に良い顔のこの男はなんだ?え?俺に惚れた?男の俺に?え?女だと思った?…な、なるほど…え?俺が本当に好き?いや…俺男なんだけど…

男の子たちの変態的な日常

M
BL
主人公の男の子が変態的な目に遭ったり、凌辱されたり、攻められたりするお話です。とにかくHな話が読みたい方向け。 ※この作品はムーンライトノベルズにも掲載しています。

陰キャ系腐男子はキラキラ王子様とイケメン幼馴染に溺愛されています!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 まったり書いていきます。 2024.05.14 閲覧ありがとうございます。 午後4時に更新します。 よろしくお願いします。 栞、お気に入り嬉しいです。 いつもありがとうございます。 2024.05.29 閲覧ありがとうございます。 m(_ _)m 明日のおまけで完結します。 反応ありがとうございます。 とても嬉しいです。 明後日より新作が始まります。 良かったら覗いてみてください。 (^O^)

【BL】空と水の交わる場所~ゲーム世界で竜騎士になりました。

梅花
BL
現代でプレイしていたネットゲーム『空と水の交わる場所』に転生してしまった。 それはいいんだけれど(いや、良くない)ゲームと違うのは‥ 男しかいないゲームになってること! えっ!転生したのは俺の好みを詰め込んだアバターなのにっ!どうして性別だけ男なんだよ! でも、ゲームと違って何故か竜騎士にもなっちゃった? ただ、産まれたばかりの幼竜なので、竜にはまだまだ乗れません。 リアルで、がっつりやってたレイヤーの時に培った化粧や裁縫技術を使って洋服作ったり、趣味全開。 はい、ご都合主義です。 BLですが、まだイチャイチャすらしていません。 好きなものを詰め込んでいく予定です。 際ものです。 女装させるの大好きなので、苦手な方はご注意を! 完結して、修正中。 ムーンにて再度加筆修正したものを公開中です。 エブリスタにも改稿後を順次upしています

男色医師

虎 正規
BL
ゲイの医者、黒河の毒牙から逃れられるか?

処理中です...