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第三章
行く手を阻む者
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「くそっ、アレクシスの奴めっ! まさかこんなタイミングで裏切るとは!」
ヘイデンが敷いた陣の奥には、街道への繋がる細い道がある。
いざという時の為に用意しておいた馬車に続く道だ。
協会支部長の言を発端に、多くの親衛隊員が離反を起こした。
今まで彼は部下達を恐怖で支配して来たのだが、その恐怖はもはやヘイデンに対してではなく、今では魔法協会に対するものへと置き換わってしまったのだ。
だが、その矛先が元の主人にまで届く事も無かった。
ヘイデンの元を去りたいと思っていた兵士もいれば、ヘイデンの元で甘い汁を吸って来た者もいる。
数は少ないながらも、ヘイデンに味方をする兵士も少なからず存在していた。
(お陰で態勢を整えるチャンスは出来たが──)
安心して護衛を任せられるような、信用の出来る側近は他にいない。
アレクシスの離反はヘイデンにとっても晴天の霹靂であった。
それくらい彼は長い間ヘイデンに仕えていたし、今まで叛意を見せたことなど一度も無かったからだ。
とは言えヘイデンは彼の父や息子のような凡庸な人間では無い。
(ザウロー家に傷が付いたとしても、まだいくらでも手はある。コントロールしやすい傀儡を立てれば良いだけの話だ)
様々な利権を餌にした繋がりがまだまだ沢山ある。
そしてそう言ったクセのある者たちを束ねられる人間は、彼以外にはいないのだ。
(それにしてもかなり手間がかかるだろう。そもそもこんな自体に陥ったのも──)
「全てあの闇魔術師のせいだっ!」
そう叫んだ彼の先に、街道沿いに係留されている馬車が見えて来た。
安堵しかけたその時、その馬車を遮るようにして現れた一人の男。
「闇魔導士とは? わたくしの事でしょうか、ヘイデン様?」
燕尾服調のスーツを身にまとい、如何にも紳士然とした態度だ。
「きっ、貴様っ!」
「はい。ヘイデン様の忠実なる僕、ジェイドにございます」
「こんなタイミングでおめおめと……貴様のせいでザウロー家は……」
「ケビン様の事でございますか? あの方は精霊魔法も使えず、ずっとお悩みになられていたようでして。どうしてもと頼まれたのでお教え差し上げたのです」
自分がケビンの悩みを解決した事を誇るように、経緯を説明した。
「自分にも魔法が使えたと言って、それはそれはとてもお喜びになられておりましたよ! そしてその後も熱心に鍛錬なされて。それで──そのケビン様は?」
「あやつは死んだ。魔法協会内で精神魔法を使ってな……」
「なんと! あの忌まわしき魔法協会でですかっ!? これはもう、ケビン様を英雄として語り継がねばなりませんね!」
ジェイドを自軍に取り込んだのはヘイデン自身だ。
だから当然、彼が魔神信奉者である事はヘイデンも知っている。
それを知るが故か、ヘイデンは怒る気にもならなかった。
「そんな事よりも──今更何しに来た? わしを笑いにでも来たのか」
「とんでもございません! 何やらヘイデン様が大急ぎで親衛隊をお動かしになられたのを知って、私も遅ればせながら馳せ参じたのです」
「もう大勢は決した。結局、魔法協会への恐怖には一般人は抗えぬ。お前らとの関わりが露見した途端、兵士共の殆どが離反したのだ。わしは急いでカークトンに戻り、次の一手を打たねばならぬ」
「そうでしたか……でしたら追手を撃退する兵がご入用でしょう? 実はそんな事もあろうかと、此度はしっかりと連れて参りました」
ヘイデンは自分の馬車の奥に、檻を積んだ荷車がある事に気付く。
ジェイドは『兵を連れて来た』と言っていたはずなのだが──
目の前の男は魔神の信奉者である。
檻の中に何がいるのか知れたものではないと、ヘイデンは感じていた。
「これ以上お前らと手を組んでいては、再起も叶わなくなるわっ! もうわしの目の前に現れるでないっ!」
「そんなご無体な……ケシの取引では我々、かなり全面的にご協力差し上げたでは無いですか……」
「あんな危険なものをずっと領内で栽培させていては、そのうち連邦本部に目を付けられるだろうが! いいからそこを退くのじゃ! お前らと取引する事など、金輪際お断りだ!」
「金輪際──そうですか。それでは仕方がありません」
彼は一言だけそう言うと、ヘイデンに向けて呪文を放った。
── ᛈᛟᛏ ᛞᛖ ᛏᛁᛟ ᚱᛖᛞᚴ ──
◆ ◇ ◇
混戦の中、何人かの親衛隊員が襲ってくることはあった。
だが俺がヒース本人だとわかると、それ以上手を出しては来なかった。
(魔法協会への畏怖っていうのは、相当なものだな──)
元の世界でも、住む土地や国が変われば風習や信仰も変わる。
ある地域では単なる家畜や狩猟対象だったりする動物が別の土地では信仰対象だったり、神と同一視される事もある。
だから魔法協会へのそれは、この世界に生きている者で無いと分からない感覚なのかも知れない。
とにかく今の俺にとっては都合が良い状況なわけだが──
どんなものにも例外が存在するものだ。
「おやおや、あんたがヒースだね。あんたに会えてあたしたちゃラッキーだねぇ」
少し離れた場所に立つ女に呼び止められる。
こんな場所に居るのだからヘイデン配下の兵士に間違い無いはずなのだが──
場違いに思われる程、際どい服装をしていた。
剣も弓も持っていないのでおそらく魔法使いなのだろうが、その出で立ちは魔法使いというよりも、まるで夜の街角に立つ娼婦のようだ。
比較的整った顔をしていたが、性格というのは表情に出るものなのだろう。
その目はあくまでも冷ややかで、優しさの欠片も感じられなかった。
ふと彼女の後ろに視線を移すと、そこには柄の悪い男達が控えている。
この女の取り巻きだろうか。
「貴方がどなたかは存じませんが、先を急いでいるものでして。出来ればこのまま通して頂けませんか」
「あんた、こんな状況で面白い事言うんだねぇ! あんたのさっきの口上を聞いて『はいわかりました』なんて通すとでも思ったのかい?」
「ええ。普通の神経を持った人間であれば、魔法協会に睨まれるような真似はしないと思いまして」
「まぁそうさねぇ……確かに魔法協会はあたしだって怖いさ。あんなクソ真面目で融通の利かない連中ばっかり集まってる集団なんて、そりゃ身の毛もよだつ程ね!」
彼女の感覚は俺にも理解出来る。
実際に協会の職員は、そういった性向を持つ者だけを集めた組織だからだ。
だが、実際の協会の職員はそこまでクソ真面目というわけでは無い。
順法意識や倫理観が、普通の人々よりも保守的なだけだ。
彼ら自身に問題があるわけではない。
問題なのはそういった人々だけを集められる仕組みと、その仕組みを構築した者にある。
「だけどあんた、別に魔法協会の職員ってわけじゃないんだろう? 協会の職員なんぞがあんな派手な演出なんかするはずがないからね」
彼女の見た目はこんなだが、頭はそこそこ回るようだ。
丁重に話しかけても意味が無さそうなので、対等に話をする事にした。
「──そこまで理解出来ているのに、なぜまだヘイデンの肩を持つ? このまま彼に従っていても、連邦監察軍による粛清に巻き込まれるだけだろうに」
「あたしゃヘイデンなんかに従っているわけじゃないさ。ただ自分の居心地がいい場所を探していたら、たまたまそれがここだったってだけ。真っ当に生きようとしたってね、このくそったれな世界は絶対に赦してくれないんだよ。特にあたしらみたいに、最初から道に乗れずに生きて来た人間はね」
彼女の言葉からは、この世界に対する不信感と諦めが滲み出ていた。
彼女自身、今まで大変な目に遭って来たのだろう。
俺だってこの世界に対する理不尽さはかねてから感じていた。
今でこそ協力を仰いではいるが、ニーヴやプリムが受けた仕打ちを考えれば、魔法協会という組織への不信感が全く消えたわけでは無い。
だが、直近で最も危険なのはヘイデンの存在である。
彼をそのまま放置していては、俺達やトレバーに明日は無い。
「どうあっても通してくれないのですね」
「えぇ。というかむしろ貴方、私の元で働かない? 色々な面でいい思いをさせてあげられると思うわよ?」
彼女は微笑みながら、自身の唇を少しだけ舐める。
きっとそうやって後ろの男達を手懐けて来たのだろう。
「申し訳無いが、そこの男共と同じ立場になるのだけは絶対に御免なのでな」
「あぁら。その強気な態度もそそるわねぇ。プロテクションをあんな広範囲で平然と展開出来るくらいだから相当の使い手だとは思うけど──」
「あっ、姉御っ! あっしらにやらせてくだせぇ! この男の態度、もう我慢ならねぇ!」
後ろに控えていたうちの、一人の大男が吠える。
「お黙りっブルーノ! いつ私が話をしていいって言ったの?」
「あ、あっしはただ姉御が──」
「黙れと言っているのが分からないのかしら」
かなり粗暴そうな見た目の大男だが、彼女の一言で先程までの威勢が消えた。
「私はね、欲しいものは自分の力で得たいタイプなの」
「それはそれはご高尚なことで」
相手の女が右手を突き出す。
俺は左手を前に構えながら、右手を背に伸ばす。
近接攻撃をするには距離がありすぎる。
それに相手に取り巻きがいる以上、乱戦は不利だ。
とは言え、片手ではこのクロスボウは扱えない
二人同時に詠唱を行う。
── ᛚᚨ ᚲᛖᛗ ᛞᛖ ᛚᚨ ᚣᚨᛈᚱ ᚲᚨᛃ ᛚᚨ ᛢᛚᛞᚨ ᚨᛚ ᚳᛁ ᛞᚨᚢᚱ ──
── ᛢᛚᛞᚨ ᚨᛚ ᛚᚴᚣᚨ ᛚᚨ ᛢᛚᛞᚨ ᚨᛚ ᛏᛁᛟ ──
(土魔法か)
俺が先程と同じプロテクションを唱えたのを確認して、大笑いする女。
「あーっはっはっっはっ! 第五段階の共通魔法なんて使うからどんな手練れかと思ったら──もしかして精霊魔法が使えずに、そっちの道に逃げたってパターンかしら!」
「そう思いたければそう思っていればいい」
魔法が発動する。
ペブルは、高速石礫が襲い掛かる土魔法である。
即死するような魔法では無いが、生身で食らうと戦闘不能状態に陥る。
だが結局の所、単なる物理現象だ。
飛んでくる石から身を守るには、固い壁さえあれば事足りる。
「フンっ。でもまぁうちの下僕共には頭の足りない前衛しかいないから、やっぱりあんたみたいに魔法を使える下僕は必要ね。うちの下僕達よりはいい男だし」
「そりゃどうも」
話をしながらその時を待つ。
(ここだ)
精霊魔法はある一定の時間が経つと自動的に終息する。
俺が待っていたのは、そのタイミングだった。
魔法が途切れるタイミングで、クロスボウを撃つつもりだったのだ。
この距離ならば、一撃で仕留める自信がある。
だが──
(俺は──つくづく甘ちゃんだよ)
先程の会話の中で、この女を不憫だと思ってしまったのだろう。
俺はクロスボウを掴む右手を放した。
(こいつの威力では、下手すると命まで奪ってしまう)
この世界の理不尽さに翻弄され、道を外さざるを得なかった人々の一人。
ニーヴやプリムだって、運が悪ければ彼女のような人生を歩まざるを得なかったかも知れないのだ。
この女がそんな人生を歩んで来たのならと思うと、非情にはなれなかった。
俺はクロスボウでの攻撃を止め、攻撃性の低い精霊魔法に切り替えた。
── ᚣᚨᛈᚱ ᛈᛚᛁᚷ ᚣᚨᛗᛟ ᛈᛚᛁᚷ ──
敵を強風が襲う。
布地の多い服を着ていた取り巻きの何人かが後方に飛ばされた。
木に頭を打って気絶した者もいる。
だが元々布地の少ない煽情的な服装をしていた女は、その場に踏みとどまった。
今まで見たことが無い規模の風魔法だったのだろう。
彼女は少し驚いた表情をしていたが、それが使えない精霊魔法だと知って、再び大声で笑いだした。
「どんな魔法を使ってくるのかと思ったら『風』じゃないのっ! こんな高いレベルの風魔法なんて初めて見たわ!」
「その風魔法のせいで、何人かが気を失っているようだが」
女はその言葉を単なる罠だと捉えたのか、用心深く後ろを振り返る。
しかし俺が言った言葉は真実だ。
実際に数人の男が転がっている。
「確かに──そんな魔法でも役に立つ事はあるのねぇ。わかったわ。私も本気で行かせてもらうわ。ああ、それと──もし死んでしまったらごめんなさいねっ!」
冷たい目付きが更に鋭くなり、右手をかざす。
── ᚣᚨᛈᚱ ᚨᛚ ᛚᚴᚣᚨ ᛈᛚᛁᚷ ᚲᚨᛃ ᚱᛖᛞᚲ ᚣᚱᛗᛟ ᚠᚨᚱ ᚨᛚ ᛏᛁᛟ ──
呪文の内容から水魔法だと分かる。
(雹──いや、第四段階の氷柱か!?)
俺もすぐに右手を翳し、プロテクションで応戦する。
── ᛚᚨ ᚲᛖᛗ ᛞᛖ
「ッツ!?」
何かが左肩をえぐった。
不意を突かれたのと激しい痛みによって、詠唱を中断してしまう。
(まずい!)
前方を確認すると、地面に倒れた大男が弓を構えていた。
女の部下達を遠くに吹き飛ばした事で、確認を怠ってしまったのだ。
(油断というのは、こういう事を言うのだろうな)
今から詠唱しなおしても間に合わない。
咄嗟に剣を掴み、当たる面積を少しでも減らす為に体を斜に構える。
(生身でアイシクルなど……運が悪ければ即死だな)
女の氷柱が発動する。
(みんな──本当にすまない)
あの時セレナに、あれだけ強い口調で『斬り捨てる』と約束したのに。
そしてベァナ──
(こんな事なら──君にきちんと思いを伝えておくべきだったな)
ヘイデンが敷いた陣の奥には、街道への繋がる細い道がある。
いざという時の為に用意しておいた馬車に続く道だ。
協会支部長の言を発端に、多くの親衛隊員が離反を起こした。
今まで彼は部下達を恐怖で支配して来たのだが、その恐怖はもはやヘイデンに対してではなく、今では魔法協会に対するものへと置き換わってしまったのだ。
だが、その矛先が元の主人にまで届く事も無かった。
ヘイデンの元を去りたいと思っていた兵士もいれば、ヘイデンの元で甘い汁を吸って来た者もいる。
数は少ないながらも、ヘイデンに味方をする兵士も少なからず存在していた。
(お陰で態勢を整えるチャンスは出来たが──)
安心して護衛を任せられるような、信用の出来る側近は他にいない。
アレクシスの離反はヘイデンにとっても晴天の霹靂であった。
それくらい彼は長い間ヘイデンに仕えていたし、今まで叛意を見せたことなど一度も無かったからだ。
とは言えヘイデンは彼の父や息子のような凡庸な人間では無い。
(ザウロー家に傷が付いたとしても、まだいくらでも手はある。コントロールしやすい傀儡を立てれば良いだけの話だ)
様々な利権を餌にした繋がりがまだまだ沢山ある。
そしてそう言ったクセのある者たちを束ねられる人間は、彼以外にはいないのだ。
(それにしてもかなり手間がかかるだろう。そもそもこんな自体に陥ったのも──)
「全てあの闇魔術師のせいだっ!」
そう叫んだ彼の先に、街道沿いに係留されている馬車が見えて来た。
安堵しかけたその時、その馬車を遮るようにして現れた一人の男。
「闇魔導士とは? わたくしの事でしょうか、ヘイデン様?」
燕尾服調のスーツを身にまとい、如何にも紳士然とした態度だ。
「きっ、貴様っ!」
「はい。ヘイデン様の忠実なる僕、ジェイドにございます」
「こんなタイミングでおめおめと……貴様のせいでザウロー家は……」
「ケビン様の事でございますか? あの方は精霊魔法も使えず、ずっとお悩みになられていたようでして。どうしてもと頼まれたのでお教え差し上げたのです」
自分がケビンの悩みを解決した事を誇るように、経緯を説明した。
「自分にも魔法が使えたと言って、それはそれはとてもお喜びになられておりましたよ! そしてその後も熱心に鍛錬なされて。それで──そのケビン様は?」
「あやつは死んだ。魔法協会内で精神魔法を使ってな……」
「なんと! あの忌まわしき魔法協会でですかっ!? これはもう、ケビン様を英雄として語り継がねばなりませんね!」
ジェイドを自軍に取り込んだのはヘイデン自身だ。
だから当然、彼が魔神信奉者である事はヘイデンも知っている。
それを知るが故か、ヘイデンは怒る気にもならなかった。
「そんな事よりも──今更何しに来た? わしを笑いにでも来たのか」
「とんでもございません! 何やらヘイデン様が大急ぎで親衛隊をお動かしになられたのを知って、私も遅ればせながら馳せ参じたのです」
「もう大勢は決した。結局、魔法協会への恐怖には一般人は抗えぬ。お前らとの関わりが露見した途端、兵士共の殆どが離反したのだ。わしは急いでカークトンに戻り、次の一手を打たねばならぬ」
「そうでしたか……でしたら追手を撃退する兵がご入用でしょう? 実はそんな事もあろうかと、此度はしっかりと連れて参りました」
ヘイデンは自分の馬車の奥に、檻を積んだ荷車がある事に気付く。
ジェイドは『兵を連れて来た』と言っていたはずなのだが──
目の前の男は魔神の信奉者である。
檻の中に何がいるのか知れたものではないと、ヘイデンは感じていた。
「これ以上お前らと手を組んでいては、再起も叶わなくなるわっ! もうわしの目の前に現れるでないっ!」
「そんなご無体な……ケシの取引では我々、かなり全面的にご協力差し上げたでは無いですか……」
「あんな危険なものをずっと領内で栽培させていては、そのうち連邦本部に目を付けられるだろうが! いいからそこを退くのじゃ! お前らと取引する事など、金輪際お断りだ!」
「金輪際──そうですか。それでは仕方がありません」
彼は一言だけそう言うと、ヘイデンに向けて呪文を放った。
── ᛈᛟᛏ ᛞᛖ ᛏᛁᛟ ᚱᛖᛞᚴ ──
◆ ◇ ◇
混戦の中、何人かの親衛隊員が襲ってくることはあった。
だが俺がヒース本人だとわかると、それ以上手を出しては来なかった。
(魔法協会への畏怖っていうのは、相当なものだな──)
元の世界でも、住む土地や国が変われば風習や信仰も変わる。
ある地域では単なる家畜や狩猟対象だったりする動物が別の土地では信仰対象だったり、神と同一視される事もある。
だから魔法協会へのそれは、この世界に生きている者で無いと分からない感覚なのかも知れない。
とにかく今の俺にとっては都合が良い状況なわけだが──
どんなものにも例外が存在するものだ。
「おやおや、あんたがヒースだね。あんたに会えてあたしたちゃラッキーだねぇ」
少し離れた場所に立つ女に呼び止められる。
こんな場所に居るのだからヘイデン配下の兵士に間違い無いはずなのだが──
場違いに思われる程、際どい服装をしていた。
剣も弓も持っていないのでおそらく魔法使いなのだろうが、その出で立ちは魔法使いというよりも、まるで夜の街角に立つ娼婦のようだ。
比較的整った顔をしていたが、性格というのは表情に出るものなのだろう。
その目はあくまでも冷ややかで、優しさの欠片も感じられなかった。
ふと彼女の後ろに視線を移すと、そこには柄の悪い男達が控えている。
この女の取り巻きだろうか。
「貴方がどなたかは存じませんが、先を急いでいるものでして。出来ればこのまま通して頂けませんか」
「あんた、こんな状況で面白い事言うんだねぇ! あんたのさっきの口上を聞いて『はいわかりました』なんて通すとでも思ったのかい?」
「ええ。普通の神経を持った人間であれば、魔法協会に睨まれるような真似はしないと思いまして」
「まぁそうさねぇ……確かに魔法協会はあたしだって怖いさ。あんなクソ真面目で融通の利かない連中ばっかり集まってる集団なんて、そりゃ身の毛もよだつ程ね!」
彼女の感覚は俺にも理解出来る。
実際に協会の職員は、そういった性向を持つ者だけを集めた組織だからだ。
だが、実際の協会の職員はそこまでクソ真面目というわけでは無い。
順法意識や倫理観が、普通の人々よりも保守的なだけだ。
彼ら自身に問題があるわけではない。
問題なのはそういった人々だけを集められる仕組みと、その仕組みを構築した者にある。
「だけどあんた、別に魔法協会の職員ってわけじゃないんだろう? 協会の職員なんぞがあんな派手な演出なんかするはずがないからね」
彼女の見た目はこんなだが、頭はそこそこ回るようだ。
丁重に話しかけても意味が無さそうなので、対等に話をする事にした。
「──そこまで理解出来ているのに、なぜまだヘイデンの肩を持つ? このまま彼に従っていても、連邦監察軍による粛清に巻き込まれるだけだろうに」
「あたしゃヘイデンなんかに従っているわけじゃないさ。ただ自分の居心地がいい場所を探していたら、たまたまそれがここだったってだけ。真っ当に生きようとしたってね、このくそったれな世界は絶対に赦してくれないんだよ。特にあたしらみたいに、最初から道に乗れずに生きて来た人間はね」
彼女の言葉からは、この世界に対する不信感と諦めが滲み出ていた。
彼女自身、今まで大変な目に遭って来たのだろう。
俺だってこの世界に対する理不尽さはかねてから感じていた。
今でこそ協力を仰いではいるが、ニーヴやプリムが受けた仕打ちを考えれば、魔法協会という組織への不信感が全く消えたわけでは無い。
だが、直近で最も危険なのはヘイデンの存在である。
彼をそのまま放置していては、俺達やトレバーに明日は無い。
「どうあっても通してくれないのですね」
「えぇ。というかむしろ貴方、私の元で働かない? 色々な面でいい思いをさせてあげられると思うわよ?」
彼女は微笑みながら、自身の唇を少しだけ舐める。
きっとそうやって後ろの男達を手懐けて来たのだろう。
「申し訳無いが、そこの男共と同じ立場になるのだけは絶対に御免なのでな」
「あぁら。その強気な態度もそそるわねぇ。プロテクションをあんな広範囲で平然と展開出来るくらいだから相当の使い手だとは思うけど──」
「あっ、姉御っ! あっしらにやらせてくだせぇ! この男の態度、もう我慢ならねぇ!」
後ろに控えていたうちの、一人の大男が吠える。
「お黙りっブルーノ! いつ私が話をしていいって言ったの?」
「あ、あっしはただ姉御が──」
「黙れと言っているのが分からないのかしら」
かなり粗暴そうな見た目の大男だが、彼女の一言で先程までの威勢が消えた。
「私はね、欲しいものは自分の力で得たいタイプなの」
「それはそれはご高尚なことで」
相手の女が右手を突き出す。
俺は左手を前に構えながら、右手を背に伸ばす。
近接攻撃をするには距離がありすぎる。
それに相手に取り巻きがいる以上、乱戦は不利だ。
とは言え、片手ではこのクロスボウは扱えない
二人同時に詠唱を行う。
── ᛚᚨ ᚲᛖᛗ ᛞᛖ ᛚᚨ ᚣᚨᛈᚱ ᚲᚨᛃ ᛚᚨ ᛢᛚᛞᚨ ᚨᛚ ᚳᛁ ᛞᚨᚢᚱ ──
── ᛢᛚᛞᚨ ᚨᛚ ᛚᚴᚣᚨ ᛚᚨ ᛢᛚᛞᚨ ᚨᛚ ᛏᛁᛟ ──
(土魔法か)
俺が先程と同じプロテクションを唱えたのを確認して、大笑いする女。
「あーっはっはっっはっ! 第五段階の共通魔法なんて使うからどんな手練れかと思ったら──もしかして精霊魔法が使えずに、そっちの道に逃げたってパターンかしら!」
「そう思いたければそう思っていればいい」
魔法が発動する。
ペブルは、高速石礫が襲い掛かる土魔法である。
即死するような魔法では無いが、生身で食らうと戦闘不能状態に陥る。
だが結局の所、単なる物理現象だ。
飛んでくる石から身を守るには、固い壁さえあれば事足りる。
「フンっ。でもまぁうちの下僕共には頭の足りない前衛しかいないから、やっぱりあんたみたいに魔法を使える下僕は必要ね。うちの下僕達よりはいい男だし」
「そりゃどうも」
話をしながらその時を待つ。
(ここだ)
精霊魔法はある一定の時間が経つと自動的に終息する。
俺が待っていたのは、そのタイミングだった。
魔法が途切れるタイミングで、クロスボウを撃つつもりだったのだ。
この距離ならば、一撃で仕留める自信がある。
だが──
(俺は──つくづく甘ちゃんだよ)
先程の会話の中で、この女を不憫だと思ってしまったのだろう。
俺はクロスボウを掴む右手を放した。
(こいつの威力では、下手すると命まで奪ってしまう)
この世界の理不尽さに翻弄され、道を外さざるを得なかった人々の一人。
ニーヴやプリムだって、運が悪ければ彼女のような人生を歩まざるを得なかったかも知れないのだ。
この女がそんな人生を歩んで来たのならと思うと、非情にはなれなかった。
俺はクロスボウでの攻撃を止め、攻撃性の低い精霊魔法に切り替えた。
── ᚣᚨᛈᚱ ᛈᛚᛁᚷ ᚣᚨᛗᛟ ᛈᛚᛁᚷ ──
敵を強風が襲う。
布地の多い服を着ていた取り巻きの何人かが後方に飛ばされた。
木に頭を打って気絶した者もいる。
だが元々布地の少ない煽情的な服装をしていた女は、その場に踏みとどまった。
今まで見たことが無い規模の風魔法だったのだろう。
彼女は少し驚いた表情をしていたが、それが使えない精霊魔法だと知って、再び大声で笑いだした。
「どんな魔法を使ってくるのかと思ったら『風』じゃないのっ! こんな高いレベルの風魔法なんて初めて見たわ!」
「その風魔法のせいで、何人かが気を失っているようだが」
女はその言葉を単なる罠だと捉えたのか、用心深く後ろを振り返る。
しかし俺が言った言葉は真実だ。
実際に数人の男が転がっている。
「確かに──そんな魔法でも役に立つ事はあるのねぇ。わかったわ。私も本気で行かせてもらうわ。ああ、それと──もし死んでしまったらごめんなさいねっ!」
冷たい目付きが更に鋭くなり、右手をかざす。
── ᚣᚨᛈᚱ ᚨᛚ ᛚᚴᚣᚨ ᛈᛚᛁᚷ ᚲᚨᛃ ᚱᛖᛞᚲ ᚣᚱᛗᛟ ᚠᚨᚱ ᚨᛚ ᛏᛁᛟ ──
呪文の内容から水魔法だと分かる。
(雹──いや、第四段階の氷柱か!?)
俺もすぐに右手を翳し、プロテクションで応戦する。
── ᛚᚨ ᚲᛖᛗ ᛞᛖ
「ッツ!?」
何かが左肩をえぐった。
不意を突かれたのと激しい痛みによって、詠唱を中断してしまう。
(まずい!)
前方を確認すると、地面に倒れた大男が弓を構えていた。
女の部下達を遠くに吹き飛ばした事で、確認を怠ってしまったのだ。
(油断というのは、こういう事を言うのだろうな)
今から詠唱しなおしても間に合わない。
咄嗟に剣を掴み、当たる面積を少しでも減らす為に体を斜に構える。
(生身でアイシクルなど……運が悪ければ即死だな)
女の氷柱が発動する。
(みんな──本当にすまない)
あの時セレナに、あれだけ強い口調で『斬り捨てる』と約束したのに。
そしてベァナ──
(こんな事なら──君にきちんと思いを伝えておくべきだったな)
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オメガバース 妻に裏切られているアルファ×夫を亡くしたオメガ ハッピーエンド
*完結済み。小ネタの番外編をこのあと時々投下します。
*基本的なオメガバース設定として使っているのは「この世界の人々には男女以外にアルファ、オメガ、ベータの性特徴がある」「オメガは性周期によって、男性でも妊娠出産できる機能を持つ。また性周期に合わせた発情期がある」「特定のアルファ-オメガ間にある唯一無二の絆を〈運命のつがい〉と表現する」程度です。細かいところは独自解釈のアレンジです。
*パラレル現代もの設定ですが、オメガバース世界なので若干SFでかつファンタジーでもあるとご了承ください。『まばゆいほどに深い闇』と同じ世界の話ですが、キャラはかぶりません。
主人公は高みの見物していたい
ポリ 外丸
ファンタジー
高等魔術学園に入学した主人公の新田伸。彼は大人しく高校生活を送りたいのに、友人たちが問題を持ち込んでくる。嫌々ながら巻き込まれつつ、彼は徹底的に目立たないようにやり過ごそうとする。例え相手が高校最強と呼ばれる人間だろうと、やり過ごす自信が彼にはあった。何故なら、彼こそが世界最強の魔術使いなのだから……。最強の魔術使いの高校生が、平穏な学園生活のために実力を隠しながら、迫り来る問題を解決していく物語。
※主人公はできる限り本気を出さず、ずっと実力を誤魔化し続けます
※小説家になろう、ノベルアップ+、ノベルバ、カクヨムにも投稿しています。
とあるガンマニアの異世界冒険物語。
ポムポム軍曹
ファンタジー
「本当に異世界に来てしまったんだなあ……」
ホームセンターに勤務する榎本孝司は休日の日、趣味のサバイバルゲーム中に突如発生した濃霧に迷い込んでしまう――――そして霧の先にいたのはこの世の者とは思えない絶世の美女であった。
『儂の世界を調べてもらえぬか?』
半ば強引に拉致同然に連れてこられたのは地球でも異世界でもない神の領域。
彼女は自身を異世界の神だと名乗り、自分が作り上げた世界に発生した異常を調べて欲しいと言う。
そして、
『お主には神である儂に代わって異世界で起きている崩壊の兆しを調べて欲しいのじゃ』
そう言われて異世界と地球を管理するそれぞれの神様によって依頼されて送り込まれた先は神が作った異世界。魔法が存在し、文化や技術の差が著しく異なる国同士がひしめき合う箱庭のようなどことなく地球と似た文化や文明が存在する不思議な世界だった……
これは異世界各地を渡り歩き、世界を管理する神に代わって異世界の危機を解決する冒険物語。
銃と剣、火薬と魔法、謀略と正義、人々と神々の思惑が交錯する物語である。
デボルト辺境伯邸の奴隷。
ぽんぽこ狸
BL
シリアルキラーとして捕えられた青年は,処刑当日、物好きな辺境伯に救われ奴隷として仕える事となる。
主人と奴隷、秘密と嘘にまみれた二人の関係、その果てには何があるのか──────。
亜人との戦争を終え勝利をおさめたある巨大な国。その国境に、黒い噂の絶えない変わり者の辺境伯が住んでいた。
亜人の残党を魔術によって処分するために、あちこちに出張へと赴く彼は、久々に戻った自分の領地の広場で、大罪人の処刑を目にする。
少女とも、少年ともつかない、端麗な顔つきに、真っ赤な血染めのドレス。
今から処刑されると言うのに、そんな事はどうでもいいようで、何気ない仕草で、眩しい陽の光を手で遮る。
真っ黒な髪の隙間から、強い日差しでも照らし出せない闇夜のような瞳が覗く。
その瞳に感情が写ったら、どれほど美しいだろうか、そう考えてしまった時、自分は既に逃れられないほど、君を愛していた。
R18になる話には※マークをつけます。
BLコンテスト、応募用作品として作成致しました。応援して頂けますと幸いです。
皇国の復讐者 〜国を出た無能力者は、復讐を胸に魔境を生きる。そして数年後〜
ネコミコズッキーニ
ファンタジー
「あいつがどこの国のどんな貴族でも関係ない。必ず追い詰めて絶対に殺してやる! 絶対に絶対に絶対に絶対にっ!!」
七星皇国の武家に生まれた陸立理玖。幼い頃は剣の才に溢れ、将来を期待されていた彼であったが「霊力」に目覚める事なく15才を迎えてしまった。そんな彼を家に置く事はできないと生家を追われてしまう。だが理玖はただでは追い出されまいと、家宝の刀を持ち出して国を出た。
出奔した先で自由気ままに生きていたが、ある日帝国の魔術師の謀略に巻き込まれてしまう。復讐を決意し帝国へ向かうが、その道中の船旅で嵐に遭遇、目覚めるとそこは人外魔境の地であった。
数々の苦難に遭いながらも決して復讐を諦めず、意地と気合で生き抜く日々が始まる。そして数年後、理玖は魔境からの脱出を果たす。そこにはかつて無能者と呼ばれていた面影はなかった。
復讐から始まり、やがて世界を救う事になる救世の物語。
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