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第三章
岐路
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領主が住まうカークトン城。
その離れにある屋敷。
その屋敷の寝室の前に、報告者である男は立っていた。
(なんで俺が報告をしなきゃなんねぇんだよ……)
本来、男は報告担当でもなんでも無かったのだが、トレバー監視組のリーダーであるデニスが、報告任務をこの者に押し付けたのだ。
理由は簡単だ。
報告内容があまり芳しくないものだったからである。
(デニスの野郎、大した功績も無いくせにリーダーぶってよぉ。しかも都合が悪くなると他人に押し付けやがる。いつかどさくさに紛れてそのタマ取ってやるわ!)
そう思いつつも、今の彼の立場ではどうしようもない。
目の前の指示をこなせなければ、自分の命が危うくなるのだ。
(しっかしこれ……どのタイミングで入りゃいいんだよ!)
寝室からは複数の女性のものと思われる、激しい嬌声が絶え間なく聞こえてくる。
全く学の無いこの男にも、今入るのはまずい、という事だけは理解出来ていた。
そしてそのようなヘマをした後の事を想像した彼は、この場で待つ事くらいどうという事も無いという結論に至った。
そして──辺りに静寂が訪れた。
男は心を決め、寝室のドアをノックする。
「お頭様。トレバーの報告に上がりやした」
「いいぞ。そのまま入れ」
「失礼しやす」
男が部屋に入ると、そこには巨大なベッドが置かれていた。
そして若い女性が数人横たわる中、ベッド中央に腰かける若い男。
見るからに、事が一段落した後であるのは明白だった。
(うっわ。領主の息子ともなると、こんな綺麗なねぇちゃん達を好き放題出来るのかよ!)
彼は一瞬でその光景を瞼に焼き付け、すぐに腰と視線を落とす。
自分より十も年下である眼前の若者は、それくらいの権威を持つ人物だからだ。
「領内ではお頭ではなくケビン様か、または領主代行様と呼べ」
「かっ、畏まりました、ケビン様っ!」
「うむ。その面を上げ、簡潔に報告しろ」
まず目に入ったのは侍女たち。
暫く女性の肌に縁がなかった男にとって、目の前の光景は刺激的過ぎた。
嫌が応にも視線が行ってしまう。
ただこんな姿を晒している侍女達にも、人並みの恥じらいはあるようだ。
ガウンやケープのようなもので体を隠している。
当のケビンは少々けだるそうにしながら、近くにいた侍女を弄んでいた。
いつもの退屈な報告を適当に聞き流そうとしているのか。
それとも性欲が満たされた事による、一種の無欲状態になっているのか。
「それでは報告させていただきやす」
男は主の要求通り、なるべく簡潔に状況を報告する。
最初は次の情事の事しか頭に無かったケビンも、話を聞くうちに侍女を弄ぶ手を止める。
「つまり、トレバーで何か動きがあったと?」
「へぃ。様々な物資を魔法協会内に運んでいるようでして」
「何かを作っているのか?」
「近くの高台から確認したところ、協会の中庭あたりに麻布を張った場所があるのは確認出来たんすが、何を作っているのかまでは全くわからず……」
報告を聞いた領主の息子は、それまでの態度を一変させる。
けだるげだった表情は、みるみるうちに怒りへと変わった。
「ったくおめーらは本当に使えねぇな! 侵入して確認すればいいだけだろうが!!」
ケビンは報告者を怒鳴りつけた。
報告する男も領主代行を名乗る若者の豹変ぶりに、つい本音が出る。
「そ、そんなご無体な。魔法協会に違法侵入などしたら、雷で打たれたり体が溶けて無くなるなんて話がありやす……どうかご勘弁を」
「そんなもの迷信に決まってるだろうがっ! お前は体が溶けた事があるのか!」
「いえ、溶けてしまってはここで報告は出来やせんので……」
「まぁそりゃそうだな。んじゃちょっと溶けに行ってみてくれよ?」
ケビンの顔は全く笑っておらず、ちょっとした用事を頼むような口調だ。
「いえ、まだ報告が終わっておりやせんので……」
「んじゃ報告が終わり次第、お前は魔法協会へ潜入な!」
(だめだ。このバカ息子には全く話が通じねぇ)
汚い稼業に携わっている彼は、理不尽な命令には慣れている。
それでも構成員が減ってしまうというのは、組織にとっては大きな痛手だ。
だからどんな腐った組織であっても、面と向かって『死ね』等とは言わない。
そもそもこんな薄汚れた仕事を始めたのも『生き』たかったからだ。
それを『死ね』と言われてしまっては、仕事を続ける理由など無い。
「ひとまず他の件を報告いたしやす──」
(我慢。今は我慢だ。とりあえずここは一通り報告をし、この場を切り抜けよう)
男はトレバーの状況について、更に詳しく報告をする。
協会に運ばれている資材と、その供給元について。
シアラ・ウェーバーが引き続き住民に水を配っている事。
シアラの仕事を手伝う水魔法使いが新たに加わった事。
その護衛に付く女性たちが美人揃いである事。
そしてそれらをまとめている人物が、ヒースという男である事。
「今ヒースと言ったな? その名前に間違いねぇのか?」
「へぃ。町民をちょっと脅したらそう名乗っていると言ってやした」
「おめぇはその男を実際に見たのか?」
「遠くからですが、確かに今まで町にはいなかった男でした。黒髪で腰に剣を下げていやして」
「黒髪の剣士で名をヒース……おいおい! そりゃビンゴじゃねぇかよ!!」
報告にあった剣士の名を聞き、急に意気が上がるケビン。
「つまらん報告かと思ったが、でかしたぞ。男! 褒美として、このままこいつらの嬌声を聞いていくといい!」
(嬌声を聞くって、おいおいマジかよ!?)
ケビンは嬉々としてベッドに横たわる侍女達に魔法をかけていった。
少しは恥じらいを感じていたはずの侍女たちが、魔法を掛けられた途端、明らかに淫靡な雰囲気を纏っていく。
(相手の感情を高ぶらせる魔法って、それってやべぇ魔法なんじゃ!?)
彼自身は魔法を使った事など一度もない。
それでも『精神魔法』が禁忌だという程度の知識はある。
目の前で使われていた魔法に対する疑念が、彼の心に湧き上がった。
侍女達はいつ間にか、目の前の薄汚い男の視線すら気にならなくなったようだ。
絶対的な力を持つ領主の息子を貪り、されるがままに身を預けていく。
男は侍女たちの嬌声を聞き、うつむいたまま必死に耐える。
(他人のお愉しみを我慢して見ているだけなんて……こんなの拷問だろう!)
眼前の光景を見てみたいという欲求を押さえつけ、なんとかその場を凌いだ。
やっと解放された男は、町を出た所で一つの決意をする。
(あんな頭のおかしい奴の元で働いていたら、命がいくつあっても足りねぇ! このまま南下してアルフォードか、トレバーに入らずサルフニールに向かおう)
こうしてまたケビンの元から、一人の手駒が去っていった。
それは日常茶飯事とも言える、些末な出来事でしかない。
その結末の多くは逃げ切る前に捕まるか、または殺されるかのどちらかだった。
しかしそんな些事にも例外はある。
彼は幸運にもカークトンを離れる事が出来た。
その後更なる幸運が重なり、連邦監察軍に拘束される事になる。
そして誰が予想出来ただろうか。
この些事こそが、今後の流れを決定する重要な部品の一つとなる事を。
ザウロー家、ウェーバー家、そしてヒース達の運命の岐路が近付いていた。
しかしそれは当事者である彼らにも、そして捕まった本人にも知る術は無いのだった。
◆ ◇ ◇
井戸掘り開始から更に幾日か過ぎたが、作業は大きな問題も無く進んでいる。
鉄管を冷やしたり掘削面を補強するための粘土水に少し不安があったのだが、ひご車担当の職人が麓の村から良い粘土を持ってきてくれたため、なんとか解決出来た。
トレバーのような扇状地では、粘土質の地層を探すのが困難なのだ。
俺とロルフは作業の進捗確認のために、中庭で話をしていた。
「ロルフさんがヤースプリングの職人さんを紹介してくれなかったら、まだ作業にすら入れていなかったと思います。助かりました」
「いえいえ当然の事です。この作業には町の未来がかかっているのですからね」
世間話はこれくらいにして、俺は本題を切り出す。
「それで、領主預かりの土地の件なのですが……」
「ああそうです、一つだけ土地の所有権を次期領主に移譲させずに済むケースを見つけました」
「本当ですか!」
「はい。かなりの裏技なのですが、土地を返上する前に売った事にして、土地の購入者が税を払えば良いのです」
「そんな事が出来るのですか!?」
「実質返納された土地は元領主預かりという事になっておりますので、マティウスの許可さえあれば問題無いでしょう」
元領主の許可。
「そう言えば元領主のマティウスさんは今どちらに?」
「事情聴取のために連邦首都で拘束されていると聞いています。ヘイデンの元に連れて行かれなかっただけでも本当に幸運でした」
ザウロー家に連れて行かれたら、おそらく生きては帰れまい。
「だから許可を取るには首都に行き、連邦監察軍に許可を貰わなければなりません」
「その点は少し厄介ですね」
「でも、もし会う事さえ出来れば問題無く許可は貰えると思います。シアさんが直接話をすれば間違い無いですし、場合によっては私も一筆書きましょう」
「それは大変ありがたいですね」
「ただ問題なのはその資金です。地価はかなり落ちましたが、町のほとんど全ての農園が対象ですからね」
実質払うのは税金分と同じではあるが、オリーブオイルや果実の一大産地であるトレバーの農園全域となると、半端でない額になるだろう。
「あともし土地を確保出来たとしても、次の領主は相変わらずザウロー家のままです。人が戻って来る事は無いでしょうね。町を出て行ったのは、ザウロー家に嫌気が差した人たちばかりだからです」
領主が足を引っ張っているという事か。
本当に絵に描いたような悪徳領主だと、ある意味感心する。
「ですからザウローが領主のままでは、トレバーの再興は無いと思います」
「確かにそうですね。他に何か方法はありそうでしたか?」
「調べられる記録は全て調べましたが、もうこれ以外は残念ながら──」
流石にこれ以上は無いか。
今までの事を頭の中でまとめてみた。
それによると、今後の対応策として出来る事は四つ。
一つ目は前領主マティウスの名誉回復を行う方法。
これは以前ロルフが言っていた通り、現状かなり見込みが薄い。
成功事例が一つも無い事もあるが、そもそも本人が現地にいないのだ。
しかし考えようによってはいくつかの方法が取れそうだ。
二つ目はシアが婿を取って領主を引き継ぐ方法。
これは期限まであと二か月しかなく、それまでに相手を決めなければならない。
ただこの方法は資金が一切かからず、しかも最も確実だ。
町を出て行った人々が戻って来る可能性も比較的高いだろう。
三つ目は返納した土地を全て買い取ってしまう方法。
この場合、土地がザウロー家に渡るのは防げるが、領主の移管までは防げない。
また買い取る為の資金が大量に必要になる上、正式にザウロー家管轄の領地となるので、来年以降も状況の改善は見込めないと思われる。
四つめは簡単だ。
全て諦めて、このままザウロー家に全てを差し出す方法。
その後トレバーがどうなるかはザウロー家次第だが、今住んでいる住民達が元の生活に戻れる事はまず無いと言っていい。
この方法の利点は明解で、俺達がこれ以上この件に関わらずに済む事にある。
「ロルフさん、少し時間をください。仲間に状況を話して相談したいと思います」
「わかりました。でもヒースさんはこの土地の人間ではありませんし、無理はしないでくださいね」
「はい。なるべくザウロー家とは対立しない方法を探りますが、もし仲間が望むならば、全面対決の道も厭わないつもりです」
領主と対立するというのは、いわばクーデターのようなものである。
下手すれば命を落としかねない。
だからこそ仲間に意見を仰ぐ必要がある。
俺の一存だけで、彼女達を巻き込むわけにはいかない。
俺達が一つの岐路に立たされているのは事実だ。
ここからどう進むかによって、今後の展開は変わっていく。
進む道の先に何が待ち構えているのかは、誰にも予想出来ない。
分かっているのは、結果には必ず原因があるという事。
良い結果を得るために出来る事。
それは結果に繋がる原因の種を、こまめに撒いて行く事だけなのだ。
その離れにある屋敷。
その屋敷の寝室の前に、報告者である男は立っていた。
(なんで俺が報告をしなきゃなんねぇんだよ……)
本来、男は報告担当でもなんでも無かったのだが、トレバー監視組のリーダーであるデニスが、報告任務をこの者に押し付けたのだ。
理由は簡単だ。
報告内容があまり芳しくないものだったからである。
(デニスの野郎、大した功績も無いくせにリーダーぶってよぉ。しかも都合が悪くなると他人に押し付けやがる。いつかどさくさに紛れてそのタマ取ってやるわ!)
そう思いつつも、今の彼の立場ではどうしようもない。
目の前の指示をこなせなければ、自分の命が危うくなるのだ。
(しっかしこれ……どのタイミングで入りゃいいんだよ!)
寝室からは複数の女性のものと思われる、激しい嬌声が絶え間なく聞こえてくる。
全く学の無いこの男にも、今入るのはまずい、という事だけは理解出来ていた。
そしてそのようなヘマをした後の事を想像した彼は、この場で待つ事くらいどうという事も無いという結論に至った。
そして──辺りに静寂が訪れた。
男は心を決め、寝室のドアをノックする。
「お頭様。トレバーの報告に上がりやした」
「いいぞ。そのまま入れ」
「失礼しやす」
男が部屋に入ると、そこには巨大なベッドが置かれていた。
そして若い女性が数人横たわる中、ベッド中央に腰かける若い男。
見るからに、事が一段落した後であるのは明白だった。
(うっわ。領主の息子ともなると、こんな綺麗なねぇちゃん達を好き放題出来るのかよ!)
彼は一瞬でその光景を瞼に焼き付け、すぐに腰と視線を落とす。
自分より十も年下である眼前の若者は、それくらいの権威を持つ人物だからだ。
「領内ではお頭ではなくケビン様か、または領主代行様と呼べ」
「かっ、畏まりました、ケビン様っ!」
「うむ。その面を上げ、簡潔に報告しろ」
まず目に入ったのは侍女たち。
暫く女性の肌に縁がなかった男にとって、目の前の光景は刺激的過ぎた。
嫌が応にも視線が行ってしまう。
ただこんな姿を晒している侍女達にも、人並みの恥じらいはあるようだ。
ガウンやケープのようなもので体を隠している。
当のケビンは少々けだるそうにしながら、近くにいた侍女を弄んでいた。
いつもの退屈な報告を適当に聞き流そうとしているのか。
それとも性欲が満たされた事による、一種の無欲状態になっているのか。
「それでは報告させていただきやす」
男は主の要求通り、なるべく簡潔に状況を報告する。
最初は次の情事の事しか頭に無かったケビンも、話を聞くうちに侍女を弄ぶ手を止める。
「つまり、トレバーで何か動きがあったと?」
「へぃ。様々な物資を魔法協会内に運んでいるようでして」
「何かを作っているのか?」
「近くの高台から確認したところ、協会の中庭あたりに麻布を張った場所があるのは確認出来たんすが、何を作っているのかまでは全くわからず……」
報告を聞いた領主の息子は、それまでの態度を一変させる。
けだるげだった表情は、みるみるうちに怒りへと変わった。
「ったくおめーらは本当に使えねぇな! 侵入して確認すればいいだけだろうが!!」
ケビンは報告者を怒鳴りつけた。
報告する男も領主代行を名乗る若者の豹変ぶりに、つい本音が出る。
「そ、そんなご無体な。魔法協会に違法侵入などしたら、雷で打たれたり体が溶けて無くなるなんて話がありやす……どうかご勘弁を」
「そんなもの迷信に決まってるだろうがっ! お前は体が溶けた事があるのか!」
「いえ、溶けてしまってはここで報告は出来やせんので……」
「まぁそりゃそうだな。んじゃちょっと溶けに行ってみてくれよ?」
ケビンの顔は全く笑っておらず、ちょっとした用事を頼むような口調だ。
「いえ、まだ報告が終わっておりやせんので……」
「んじゃ報告が終わり次第、お前は魔法協会へ潜入な!」
(だめだ。このバカ息子には全く話が通じねぇ)
汚い稼業に携わっている彼は、理不尽な命令には慣れている。
それでも構成員が減ってしまうというのは、組織にとっては大きな痛手だ。
だからどんな腐った組織であっても、面と向かって『死ね』等とは言わない。
そもそもこんな薄汚れた仕事を始めたのも『生き』たかったからだ。
それを『死ね』と言われてしまっては、仕事を続ける理由など無い。
「ひとまず他の件を報告いたしやす──」
(我慢。今は我慢だ。とりあえずここは一通り報告をし、この場を切り抜けよう)
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協会に運ばれている資材と、その供給元について。
シアラ・ウェーバーが引き続き住民に水を配っている事。
シアラの仕事を手伝う水魔法使いが新たに加わった事。
その護衛に付く女性たちが美人揃いである事。
そしてそれらをまとめている人物が、ヒースという男である事。
「今ヒースと言ったな? その名前に間違いねぇのか?」
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「おめぇはその男を実際に見たのか?」
「遠くからですが、確かに今まで町にはいなかった男でした。黒髪で腰に剣を下げていやして」
「黒髪の剣士で名をヒース……おいおい! そりゃビンゴじゃねぇかよ!!」
報告にあった剣士の名を聞き、急に意気が上がるケビン。
「つまらん報告かと思ったが、でかしたぞ。男! 褒美として、このままこいつらの嬌声を聞いていくといい!」
(嬌声を聞くって、おいおいマジかよ!?)
ケビンは嬉々としてベッドに横たわる侍女達に魔法をかけていった。
少しは恥じらいを感じていたはずの侍女たちが、魔法を掛けられた途端、明らかに淫靡な雰囲気を纏っていく。
(相手の感情を高ぶらせる魔法って、それってやべぇ魔法なんじゃ!?)
彼自身は魔法を使った事など一度もない。
それでも『精神魔法』が禁忌だという程度の知識はある。
目の前で使われていた魔法に対する疑念が、彼の心に湧き上がった。
侍女達はいつ間にか、目の前の薄汚い男の視線すら気にならなくなったようだ。
絶対的な力を持つ領主の息子を貪り、されるがままに身を預けていく。
男は侍女たちの嬌声を聞き、うつむいたまま必死に耐える。
(他人のお愉しみを我慢して見ているだけなんて……こんなの拷問だろう!)
眼前の光景を見てみたいという欲求を押さえつけ、なんとかその場を凌いだ。
やっと解放された男は、町を出た所で一つの決意をする。
(あんな頭のおかしい奴の元で働いていたら、命がいくつあっても足りねぇ! このまま南下してアルフォードか、トレバーに入らずサルフニールに向かおう)
こうしてまたケビンの元から、一人の手駒が去っていった。
それは日常茶飯事とも言える、些末な出来事でしかない。
その結末の多くは逃げ切る前に捕まるか、または殺されるかのどちらかだった。
しかしそんな些事にも例外はある。
彼は幸運にもカークトンを離れる事が出来た。
その後更なる幸運が重なり、連邦監察軍に拘束される事になる。
そして誰が予想出来ただろうか。
この些事こそが、今後の流れを決定する重要な部品の一つとなる事を。
ザウロー家、ウェーバー家、そしてヒース達の運命の岐路が近付いていた。
しかしそれは当事者である彼らにも、そして捕まった本人にも知る術は無いのだった。
◆ ◇ ◇
井戸掘り開始から更に幾日か過ぎたが、作業は大きな問題も無く進んでいる。
鉄管を冷やしたり掘削面を補強するための粘土水に少し不安があったのだが、ひご車担当の職人が麓の村から良い粘土を持ってきてくれたため、なんとか解決出来た。
トレバーのような扇状地では、粘土質の地層を探すのが困難なのだ。
俺とロルフは作業の進捗確認のために、中庭で話をしていた。
「ロルフさんがヤースプリングの職人さんを紹介してくれなかったら、まだ作業にすら入れていなかったと思います。助かりました」
「いえいえ当然の事です。この作業には町の未来がかかっているのですからね」
世間話はこれくらいにして、俺は本題を切り出す。
「それで、領主預かりの土地の件なのですが……」
「ああそうです、一つだけ土地の所有権を次期領主に移譲させずに済むケースを見つけました」
「本当ですか!」
「はい。かなりの裏技なのですが、土地を返上する前に売った事にして、土地の購入者が税を払えば良いのです」
「そんな事が出来るのですか!?」
「実質返納された土地は元領主預かりという事になっておりますので、マティウスの許可さえあれば問題無いでしょう」
元領主の許可。
「そう言えば元領主のマティウスさんは今どちらに?」
「事情聴取のために連邦首都で拘束されていると聞いています。ヘイデンの元に連れて行かれなかっただけでも本当に幸運でした」
ザウロー家に連れて行かれたら、おそらく生きては帰れまい。
「だから許可を取るには首都に行き、連邦監察軍に許可を貰わなければなりません」
「その点は少し厄介ですね」
「でも、もし会う事さえ出来れば問題無く許可は貰えると思います。シアさんが直接話をすれば間違い無いですし、場合によっては私も一筆書きましょう」
「それは大変ありがたいですね」
「ただ問題なのはその資金です。地価はかなり落ちましたが、町のほとんど全ての農園が対象ですからね」
実質払うのは税金分と同じではあるが、オリーブオイルや果実の一大産地であるトレバーの農園全域となると、半端でない額になるだろう。
「あともし土地を確保出来たとしても、次の領主は相変わらずザウロー家のままです。人が戻って来る事は無いでしょうね。町を出て行ったのは、ザウロー家に嫌気が差した人たちばかりだからです」
領主が足を引っ張っているという事か。
本当に絵に描いたような悪徳領主だと、ある意味感心する。
「ですからザウローが領主のままでは、トレバーの再興は無いと思います」
「確かにそうですね。他に何か方法はありそうでしたか?」
「調べられる記録は全て調べましたが、もうこれ以外は残念ながら──」
流石にこれ以上は無いか。
今までの事を頭の中でまとめてみた。
それによると、今後の対応策として出来る事は四つ。
一つ目は前領主マティウスの名誉回復を行う方法。
これは以前ロルフが言っていた通り、現状かなり見込みが薄い。
成功事例が一つも無い事もあるが、そもそも本人が現地にいないのだ。
しかし考えようによってはいくつかの方法が取れそうだ。
二つ目はシアが婿を取って領主を引き継ぐ方法。
これは期限まであと二か月しかなく、それまでに相手を決めなければならない。
ただこの方法は資金が一切かからず、しかも最も確実だ。
町を出て行った人々が戻って来る可能性も比較的高いだろう。
三つ目は返納した土地を全て買い取ってしまう方法。
この場合、土地がザウロー家に渡るのは防げるが、領主の移管までは防げない。
また買い取る為の資金が大量に必要になる上、正式にザウロー家管轄の領地となるので、来年以降も状況の改善は見込めないと思われる。
四つめは簡単だ。
全て諦めて、このままザウロー家に全てを差し出す方法。
その後トレバーがどうなるかはザウロー家次第だが、今住んでいる住民達が元の生活に戻れる事はまず無いと言っていい。
この方法の利点は明解で、俺達がこれ以上この件に関わらずに済む事にある。
「ロルフさん、少し時間をください。仲間に状況を話して相談したいと思います」
「わかりました。でもヒースさんはこの土地の人間ではありませんし、無理はしないでくださいね」
「はい。なるべくザウロー家とは対立しない方法を探りますが、もし仲間が望むならば、全面対決の道も厭わないつもりです」
領主と対立するというのは、いわばクーデターのようなものである。
下手すれば命を落としかねない。
だからこそ仲間に意見を仰ぐ必要がある。
俺の一存だけで、彼女達を巻き込むわけにはいかない。
俺達が一つの岐路に立たされているのは事実だ。
ここからどう進むかによって、今後の展開は変わっていく。
進む道の先に何が待ち構えているのかは、誰にも予想出来ない。
分かっているのは、結果には必ず原因があるという事。
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