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第二章
魔法協会
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夜と違い、朝の酒場は空いていた。
「まぁ朝っぱらから飲むような人はこの町だと少ないですからねぇ。近くに遺跡なんかがある町でしたら別なんでしょうけれども」
宿の主は以前、遺跡探索の拠点となる町で働いていたそうで、ある程度お金を貯めてから独立したとの頃だ。
冒険者が集まりそうな町だと、昼から酒場が賑わっているらしい。
この町にも冒険者は居るが、一攫千金を狙うような荒くれものは少ない。
ダンケルドのような普通の町にいるのは、有名な遺跡やダンジョンなどで様々な経験をした後、安定した生活手段を求めてやってきた冒険者らしい。
「なるほど。日中はお客さん来なくて稼げないから、割に合わないですか?」
「いやー、そうでも無いですよ。遺跡の町なんかは確かに売り上げも多いですけど、喧嘩も多いし、色々なものを壊されるんですよ」
主は苦笑した。
「修理費用だけで馬鹿にならないですからね。その点ダンケルドは落ち着いていて仕事はしやすいです。お客様達のように、お若いのに落ち着いたお客様もいらっしゃいますしね!」
「それは宿の質が高いからです。ベァナ、今日もお世話になるって事でいいよね?」
「はい!」
ベァナは昨日と同様、銀貨二枚を支払った。
「ありがとうございます、お嬢様」
俺たちは部屋の鍵を預け、外出した。
「まずは魔法協会へ行ってカードを発行してもらおう。ベァナ申し訳ないんだが、その費用だけ出してもらえるか? その後は基本全部俺が出すので」
「ああ今日換金するのですね。でもあれは村を守ったヒースさんへの報奨金のようなものです。私の分は私が自分で出します!」
そうは言っても、あれは村のみんなの手柄だ。
俺一人では、到底防ぎ切れるような数では無かった。
「そうしたらこうしようか。宿代は今後全部俺が出すので、それ以外で自分で必要だと思ったものは、自分のお金で買ってくれ。それでいいか?」
「そうですね……わかりました。ありがとうございます!」
滞在する上で最も費用がかかるのは宿泊代だ。
元の世界に比べれば衣食住に関する物価は驚くくらい安いが、ベァナが持っている最も高額な小金貨でも一か月ですら滞在出来ない。
村で得た戦利品はいずれ、早々に換金する必要がありそうだ。
魔法協会の建物は他の建物のような木造ではなく、石積みの建物だった。
「それ程大きくは無いが……砦並みに頑丈そうだな」
「話によると魔神との闘いの時に協会の建物が標的になり、なるべく頑丈に作るようになったそうです」
「そんな話も伝わっているのか……ベァナ、申し訳無いのだが、手続きとか良く分からないので、ベァナが先にやってくれないか?」
何しろ俺は文字が読めない。これは早目にどうにかしないと……
「わかりました。私もカードを作るのは初めてなのですが」
話によると冒険者カードを作るのは貴族や冒険者、あとは農園や鉱山等の経営が出来るような富裕層の人達だそうだ。
カードは奴隷で無ければ誰でも作れるらしいのだが、発行手数料で大銀貨一枚が必要になる。必要の無い人にとっては無駄な出費でしか無いので作らない人も多い。
俺とベァナがカードを作るのは今後の生活費を稼ぐために、冒険者ギルドで依頼を受注するつもりだからだ。
ベァナは受付と思われる窓口で担当者と話をする。
「わかりました。それではベァナさんヒースさん、こちらにお越しください」
受付ではなく、別の部屋で手続きするらしい。
「カードを作るのに、個人情報が必要なんですって」
登録者用の用紙にでも記述するのだろうか。
そうだとすると俺はベァナに代筆してもらわなければならない。
ただこの世界の識字率はかなり低い。
冒険者が全員文字を読み書き出来るわけではないので、代筆でも大丈夫だろう。
「こちらの部屋でお手続きいたしますが、武器類の持ち込みは禁止されていますので、申し訳ございませんが預からせてください」
俺は腰の剣を、ベァナは背負っているクロスボウを職員に渡した。
部屋の扉はかなり重厚で、何か所かに魔法で使う古代文字が書かれている。
何かしらの効果があるのだろう。
俺たちは職員が開けた扉の中に入った。
─── なんだ? ─── ここは!? ───
俺は目の前の光景に動揺していた。
それはベァナや他の職員に気取られないようにするのが難しい程の事だった。
部屋の壁については少し高級そうな白い石で出来ている。
特に変わった事はない。
問題は部屋の真ん中の机上にある……何か。
「なんか変わった机ですね」
「あ、ああ……」
ベァナはそれを机の一部だと思ったようだが、多分そうではない。
目の前にある机も白っぽい石材のような、この世界では今まで見た事のない素材で作られた机だった。だが、それは素材が珍しいだけであって、同じ素材があればボルタにでも製作可能なものだろう。
おかしいのはその上にある……ディスプレイだ。
ディスプレイ!?
少し冷静に考えた。
今までこの世界で、こういった形のものを見たことが無かったから驚いてしまっただけなのかも知れない。かなり精巧な作りをしているが、良く見てみれば色が違うだけで、机の素材とほぼ同じようなものではないか。
それにもしかしたら魔法を使った、何らかの情報を投影する装置の可能性もある。こちらの世界では電気こそ発見されていないかも知れないが、代わりに魔法という原理のわからない存在がある。
「それではベァナさん、そちらにお掛けください」
ひとまず心を落ち着けよう。
これらの装置が人に害をなすわけでない事は、冒険者カードの発行という実績がある以上明らかだ。
「そういたしましたら、右手を机の上にある黒い板の上に置いてください」
その言葉を聞くと同時に、俺はその机の上の黒い板を見た。
すると、そこにもかなり違和感を感じるものがあった。
手を置く位置が分かるように、手のマークが描かれていたのだが……
ピクトグラムだ。
シンプルで洗練されたデザインながら、明らかに手と分かる絵。
こんなデザインを出来る人間が、この世界の、この時代に存在するのか!?
驚くべき事実に気を取られていた俺をよそに、手続きは進んでいく。
操作には呪文が必要らしく、職員は呪文詠唱を始めた。
── ᛈᛋᛞᚨ ᛞᛖ ᛚᚨ ᛢᛚᛞᚨ ᛚᚨ ᚠᚨᚱ ᛞᛖ ᛏᛁᛟ ──
何かの役に立つかも知れない。
俺は呪文の発音を、心の中で何度も反芻した。
手続き中、職員は何やら目の前のディスプレイを指先で押しているようだ。
タッチパネルをタップ……
そんな動作をこの世界で見る事になるとは……
一方、申請者側のディスプレイには何も表示されていない。
手続きの種類によっては使われない事もあるのかも知れない。
「ベァナさん。終わりましたので、暫くお待ちください」
そう言って席を離れ、別の部屋に何かを取りに行ったようだ。
そして職員はすぐに戻って来た。
「こちらになります。使い方の説明は後でヒースさんと一緒に行いますね」
発行されたカードも、どうにもこの時代にそぐわない代物だ。
「ヒースさん、準備お願いいたします」
俺はベァナと同じようにしながら、なるべく怪しまれない程度にいくつかの疑問をぶつけてみた。
「いやー、これすごい装置ですね! 職員の方が作られているんですか?」
「はい。かなりのベテラン職員さんを中心に、何人かのチームで魔法詠唱を行うようです」
良く聞かれる質問なのか、職員は特に怪しむ事もなく答えてくれた。
「そんな魔法もあるんですね、すごいなぁ! どんな魔法なんですかね?」
「機密事項なので詳しくは知らないのですが……一種の召喚魔法らしいですよ」
「あーそうなんですね! すみません余計な事聞いちゃいまして」
あまり色々と聞いていると本当に怪しまれるので、これくらいで止めておく。
作るのではなく……召喚。
その後一通りの手続きを行い、無事カードを入手した。
俺が行ったのは机上のデバイスに右手を置いただけだ。
何かを記入する必要など一切無かった。
これなら確かに誰でも発行可能ではある。
俺たちはその部屋を後にし、普通の待合室のような場所で職員からカードについての説明を受けていた。
まずオートグラフによる署名は無理だが、そもそもその必要は無いという。
冒険者カードは基本的に他人には使えないというのだ。
本人から一定以上離れ、ある程度時間が経過するとカードが不活性化するらしい。
不活性化したカードは本人の元に戻ると再び活性化し使えるようになる。
はっきり言って超高性能な生態認証システムだ。
この時点で地球の技術を遥かに超越しているわけだが、とりあえず今は説明を聞く事に徹することにした。
そして他にもカードは他の施設でも同様に使える事、施設ごとに出来る事は違う事、カードは基本的に壊れたりはしないが、無くしたりした時には有料だが魔法協会で再発行可能が可能だという事などを知らされた。
「もしカードを盗まれて再発行した場合、元の古いカードはどうなるのですか?」
さすがベァナ。いい質問だ。
色々と衝撃的な出来事が多かったせいか、俺には思いつかなかった。
「再発行した場合、古いカードは消滅します」
データが消えるのではなく、カードが物理的に消える!?
クレジットカードでも連絡した上で使用不可にする対応は出来るが……こちらの世界の場合はカード自体を消してしまう。
最強のセキュリティシステムではないか。
「ただカードを盗まれた、というような相談を受けた事は過去一切ございません。というのもモンスター素材の換金の際、出したカードに素材の納入履歴が残ります。盗品カードを使って換金しても、盗んだ本人には一切メリットが無いのです」
そうか。
カードは発行した本人に紐付いている。
そして素材を持っていなければ換金は出来ない。
つまり盗んだカードで換金をしてしまうと、自分が苦労して倒したモンスターの素材で、盗んだ相手の実績を上げる事になってしまう。
それでは単なるボランティアだ。
他人のカードを使うメリットなど一切無い。
また奴隷などの引き受けを行う場合は、今日使用した装置で必ず本人確認を行うようである。
「魔法協会で行える手続きの説明については、項目別に冊子に閉じてあります。所定の場所でなら閲覧自由ですので、必要な時にご覧いただければと」
「俺は文字が読めないのですが、解説してくれたりは出来ないのですか?」
それを聞くと職員は少し言いづらそうに応えた。
「申し訳ございません。協会の規約で、文字の読み書きが出来ない方は冒険者カードの発行・再発行以外の手続きは出来ないのです」
受付の職員が言うには、協会で行う手続きは人や財産を扱うものが多く、決まりごとが多いのだそうだ。また人と人との契約というシステム上、ある程度の資産や地位がある人でないと任せられないという事情もある。
信用審査のようなものか。
貴族や商人であれば文字の読み書きは必須なので、確かに理に適っている。
「そうですか、それは失礼いたしました」
「カードの利用法については施設ごとに違いますので、ギルドや役所などでお聞きください。説明はこれで以上です」
かなり大雑把な説明が終わった。
しかしよく考えてみればカードが必要なのはその殆どが冒険者だ。
冒険者ギルドだけ使えれば良い人間に、他の説明を長々とする必要はない。
「ありがとうございました」
俺達は預けていた武器を受け取り、部屋を後にした。
◆ ◇ ◇
発行されたカードを手に取る。
プラスチックのようにも見えるが、金属のように硬く、そして軽い。
暫く見ていて、これと同じものがあった事を思い出した。
ディスプレイだ。
カード発行用の部屋においてあった、ディスプレイの画面部分と同じ素材だ。
職員がカードを取りに行っている間に試しに少しだけ触ってみたのだが、このカードの肌触りはそれと同じもののようだ。
俺はアラーニとダンケルドという二つの人の集落を見て確信していた。
この世界の文明水準は、どんなに進んでいる分野であっても、地球の中世を超えるものでは無い。
そして人々の生活は、その文明から生まれた技術で十分に成り立っていた。
だがこの素材は一体何だ?
二十一世紀の地球にいた俺ですら、見たことも聞いたこともない素材。
普通ならば逆の意味で使うのだろうが……
敢えて言わせてもらうなら、これは時代錯誤も甚だしい一品だ。
超常現象や都市伝説好きな人であれば『オーパーツ』とでも呼ぶのだろう。
この後は約束があるため、今日はこれ以上調べる事は出来ない。
しかしこの魔法協会には何か……この世界の秘密に繋がる、何かがある。
「ベァナ。今日はもう時間が無いのでまた今度でいいんだが、魔法協会で出来る手続きについて色々知りたいんだ。今度一緒に調べてくれないか?」
「えっと今日は……アーネストさんの所で相談をされるのですよね?」
「そうだね」
「それでしたらヒースさんがお話している間、ここで一通り読んでおきます」
「それはとても助かる。昼にはここに戻ってくるよ」
「戻ってきたら一緒にお昼を食べに行きましょう!」
「ああ! それじゃまた後で」
◇ ◆ ◇
俺は魔法協会を出て、その外観を眺めていた。
元の世界には無い『魔法』を冠した団体。
魔法協会という名を持ちながら、財産や人の管理をする仕組み。
そして場違いな設備と……このカード。
この世界に対する認識を改める必要がありそうだ。
科学技術が進んでいないのは間違いない。
しかし今日見た驚くべき品々が、全て魔法によるものだとしたら?
それは科学の代わりに、魔法が高度に発展した社会と言えるのではないか?
俺は再びカードを見た。
自分以外の人間には使えず、再発行すると消えて無くなってしまうカード。
こんなものを作れる技術は、元の世界ですら……無い。
「まぁ朝っぱらから飲むような人はこの町だと少ないですからねぇ。近くに遺跡なんかがある町でしたら別なんでしょうけれども」
宿の主は以前、遺跡探索の拠点となる町で働いていたそうで、ある程度お金を貯めてから独立したとの頃だ。
冒険者が集まりそうな町だと、昼から酒場が賑わっているらしい。
この町にも冒険者は居るが、一攫千金を狙うような荒くれものは少ない。
ダンケルドのような普通の町にいるのは、有名な遺跡やダンジョンなどで様々な経験をした後、安定した生活手段を求めてやってきた冒険者らしい。
「なるほど。日中はお客さん来なくて稼げないから、割に合わないですか?」
「いやー、そうでも無いですよ。遺跡の町なんかは確かに売り上げも多いですけど、喧嘩も多いし、色々なものを壊されるんですよ」
主は苦笑した。
「修理費用だけで馬鹿にならないですからね。その点ダンケルドは落ち着いていて仕事はしやすいです。お客様達のように、お若いのに落ち着いたお客様もいらっしゃいますしね!」
「それは宿の質が高いからです。ベァナ、今日もお世話になるって事でいいよね?」
「はい!」
ベァナは昨日と同様、銀貨二枚を支払った。
「ありがとうございます、お嬢様」
俺たちは部屋の鍵を預け、外出した。
「まずは魔法協会へ行ってカードを発行してもらおう。ベァナ申し訳ないんだが、その費用だけ出してもらえるか? その後は基本全部俺が出すので」
「ああ今日換金するのですね。でもあれは村を守ったヒースさんへの報奨金のようなものです。私の分は私が自分で出します!」
そうは言っても、あれは村のみんなの手柄だ。
俺一人では、到底防ぎ切れるような数では無かった。
「そうしたらこうしようか。宿代は今後全部俺が出すので、それ以外で自分で必要だと思ったものは、自分のお金で買ってくれ。それでいいか?」
「そうですね……わかりました。ありがとうございます!」
滞在する上で最も費用がかかるのは宿泊代だ。
元の世界に比べれば衣食住に関する物価は驚くくらい安いが、ベァナが持っている最も高額な小金貨でも一か月ですら滞在出来ない。
村で得た戦利品はいずれ、早々に換金する必要がありそうだ。
魔法協会の建物は他の建物のような木造ではなく、石積みの建物だった。
「それ程大きくは無いが……砦並みに頑丈そうだな」
「話によると魔神との闘いの時に協会の建物が標的になり、なるべく頑丈に作るようになったそうです」
「そんな話も伝わっているのか……ベァナ、申し訳無いのだが、手続きとか良く分からないので、ベァナが先にやってくれないか?」
何しろ俺は文字が読めない。これは早目にどうにかしないと……
「わかりました。私もカードを作るのは初めてなのですが」
話によると冒険者カードを作るのは貴族や冒険者、あとは農園や鉱山等の経営が出来るような富裕層の人達だそうだ。
カードは奴隷で無ければ誰でも作れるらしいのだが、発行手数料で大銀貨一枚が必要になる。必要の無い人にとっては無駄な出費でしか無いので作らない人も多い。
俺とベァナがカードを作るのは今後の生活費を稼ぐために、冒険者ギルドで依頼を受注するつもりだからだ。
ベァナは受付と思われる窓口で担当者と話をする。
「わかりました。それではベァナさんヒースさん、こちらにお越しください」
受付ではなく、別の部屋で手続きするらしい。
「カードを作るのに、個人情報が必要なんですって」
登録者用の用紙にでも記述するのだろうか。
そうだとすると俺はベァナに代筆してもらわなければならない。
ただこの世界の識字率はかなり低い。
冒険者が全員文字を読み書き出来るわけではないので、代筆でも大丈夫だろう。
「こちらの部屋でお手続きいたしますが、武器類の持ち込みは禁止されていますので、申し訳ございませんが預からせてください」
俺は腰の剣を、ベァナは背負っているクロスボウを職員に渡した。
部屋の扉はかなり重厚で、何か所かに魔法で使う古代文字が書かれている。
何かしらの効果があるのだろう。
俺たちは職員が開けた扉の中に入った。
─── なんだ? ─── ここは!? ───
俺は目の前の光景に動揺していた。
それはベァナや他の職員に気取られないようにするのが難しい程の事だった。
部屋の壁については少し高級そうな白い石で出来ている。
特に変わった事はない。
問題は部屋の真ん中の机上にある……何か。
「なんか変わった机ですね」
「あ、ああ……」
ベァナはそれを机の一部だと思ったようだが、多分そうではない。
目の前にある机も白っぽい石材のような、この世界では今まで見た事のない素材で作られた机だった。だが、それは素材が珍しいだけであって、同じ素材があればボルタにでも製作可能なものだろう。
おかしいのはその上にある……ディスプレイだ。
ディスプレイ!?
少し冷静に考えた。
今までこの世界で、こういった形のものを見たことが無かったから驚いてしまっただけなのかも知れない。かなり精巧な作りをしているが、良く見てみれば色が違うだけで、机の素材とほぼ同じようなものではないか。
それにもしかしたら魔法を使った、何らかの情報を投影する装置の可能性もある。こちらの世界では電気こそ発見されていないかも知れないが、代わりに魔法という原理のわからない存在がある。
「それではベァナさん、そちらにお掛けください」
ひとまず心を落ち着けよう。
これらの装置が人に害をなすわけでない事は、冒険者カードの発行という実績がある以上明らかだ。
「そういたしましたら、右手を机の上にある黒い板の上に置いてください」
その言葉を聞くと同時に、俺はその机の上の黒い板を見た。
すると、そこにもかなり違和感を感じるものがあった。
手を置く位置が分かるように、手のマークが描かれていたのだが……
ピクトグラムだ。
シンプルで洗練されたデザインながら、明らかに手と分かる絵。
こんなデザインを出来る人間が、この世界の、この時代に存在するのか!?
驚くべき事実に気を取られていた俺をよそに、手続きは進んでいく。
操作には呪文が必要らしく、職員は呪文詠唱を始めた。
── ᛈᛋᛞᚨ ᛞᛖ ᛚᚨ ᛢᛚᛞᚨ ᛚᚨ ᚠᚨᚱ ᛞᛖ ᛏᛁᛟ ──
何かの役に立つかも知れない。
俺は呪文の発音を、心の中で何度も反芻した。
手続き中、職員は何やら目の前のディスプレイを指先で押しているようだ。
タッチパネルをタップ……
そんな動作をこの世界で見る事になるとは……
一方、申請者側のディスプレイには何も表示されていない。
手続きの種類によっては使われない事もあるのかも知れない。
「ベァナさん。終わりましたので、暫くお待ちください」
そう言って席を離れ、別の部屋に何かを取りに行ったようだ。
そして職員はすぐに戻って来た。
「こちらになります。使い方の説明は後でヒースさんと一緒に行いますね」
発行されたカードも、どうにもこの時代にそぐわない代物だ。
「ヒースさん、準備お願いいたします」
俺はベァナと同じようにしながら、なるべく怪しまれない程度にいくつかの疑問をぶつけてみた。
「いやー、これすごい装置ですね! 職員の方が作られているんですか?」
「はい。かなりのベテラン職員さんを中心に、何人かのチームで魔法詠唱を行うようです」
良く聞かれる質問なのか、職員は特に怪しむ事もなく答えてくれた。
「そんな魔法もあるんですね、すごいなぁ! どんな魔法なんですかね?」
「機密事項なので詳しくは知らないのですが……一種の召喚魔法らしいですよ」
「あーそうなんですね! すみません余計な事聞いちゃいまして」
あまり色々と聞いていると本当に怪しまれるので、これくらいで止めておく。
作るのではなく……召喚。
その後一通りの手続きを行い、無事カードを入手した。
俺が行ったのは机上のデバイスに右手を置いただけだ。
何かを記入する必要など一切無かった。
これなら確かに誰でも発行可能ではある。
俺たちはその部屋を後にし、普通の待合室のような場所で職員からカードについての説明を受けていた。
まずオートグラフによる署名は無理だが、そもそもその必要は無いという。
冒険者カードは基本的に他人には使えないというのだ。
本人から一定以上離れ、ある程度時間が経過するとカードが不活性化するらしい。
不活性化したカードは本人の元に戻ると再び活性化し使えるようになる。
はっきり言って超高性能な生態認証システムだ。
この時点で地球の技術を遥かに超越しているわけだが、とりあえず今は説明を聞く事に徹することにした。
そして他にもカードは他の施設でも同様に使える事、施設ごとに出来る事は違う事、カードは基本的に壊れたりはしないが、無くしたりした時には有料だが魔法協会で再発行可能が可能だという事などを知らされた。
「もしカードを盗まれて再発行した場合、元の古いカードはどうなるのですか?」
さすがベァナ。いい質問だ。
色々と衝撃的な出来事が多かったせいか、俺には思いつかなかった。
「再発行した場合、古いカードは消滅します」
データが消えるのではなく、カードが物理的に消える!?
クレジットカードでも連絡した上で使用不可にする対応は出来るが……こちらの世界の場合はカード自体を消してしまう。
最強のセキュリティシステムではないか。
「ただカードを盗まれた、というような相談を受けた事は過去一切ございません。というのもモンスター素材の換金の際、出したカードに素材の納入履歴が残ります。盗品カードを使って換金しても、盗んだ本人には一切メリットが無いのです」
そうか。
カードは発行した本人に紐付いている。
そして素材を持っていなければ換金は出来ない。
つまり盗んだカードで換金をしてしまうと、自分が苦労して倒したモンスターの素材で、盗んだ相手の実績を上げる事になってしまう。
それでは単なるボランティアだ。
他人のカードを使うメリットなど一切無い。
また奴隷などの引き受けを行う場合は、今日使用した装置で必ず本人確認を行うようである。
「魔法協会で行える手続きの説明については、項目別に冊子に閉じてあります。所定の場所でなら閲覧自由ですので、必要な時にご覧いただければと」
「俺は文字が読めないのですが、解説してくれたりは出来ないのですか?」
それを聞くと職員は少し言いづらそうに応えた。
「申し訳ございません。協会の規約で、文字の読み書きが出来ない方は冒険者カードの発行・再発行以外の手続きは出来ないのです」
受付の職員が言うには、協会で行う手続きは人や財産を扱うものが多く、決まりごとが多いのだそうだ。また人と人との契約というシステム上、ある程度の資産や地位がある人でないと任せられないという事情もある。
信用審査のようなものか。
貴族や商人であれば文字の読み書きは必須なので、確かに理に適っている。
「そうですか、それは失礼いたしました」
「カードの利用法については施設ごとに違いますので、ギルドや役所などでお聞きください。説明はこれで以上です」
かなり大雑把な説明が終わった。
しかしよく考えてみればカードが必要なのはその殆どが冒険者だ。
冒険者ギルドだけ使えれば良い人間に、他の説明を長々とする必要はない。
「ありがとうございました」
俺達は預けていた武器を受け取り、部屋を後にした。
◆ ◇ ◇
発行されたカードを手に取る。
プラスチックのようにも見えるが、金属のように硬く、そして軽い。
暫く見ていて、これと同じものがあった事を思い出した。
ディスプレイだ。
カード発行用の部屋においてあった、ディスプレイの画面部分と同じ素材だ。
職員がカードを取りに行っている間に試しに少しだけ触ってみたのだが、このカードの肌触りはそれと同じもののようだ。
俺はアラーニとダンケルドという二つの人の集落を見て確信していた。
この世界の文明水準は、どんなに進んでいる分野であっても、地球の中世を超えるものでは無い。
そして人々の生活は、その文明から生まれた技術で十分に成り立っていた。
だがこの素材は一体何だ?
二十一世紀の地球にいた俺ですら、見たことも聞いたこともない素材。
普通ならば逆の意味で使うのだろうが……
敢えて言わせてもらうなら、これは時代錯誤も甚だしい一品だ。
超常現象や都市伝説好きな人であれば『オーパーツ』とでも呼ぶのだろう。
この後は約束があるため、今日はこれ以上調べる事は出来ない。
しかしこの魔法協会には何か……この世界の秘密に繋がる、何かがある。
「ベァナ。今日はもう時間が無いのでまた今度でいいんだが、魔法協会で出来る手続きについて色々知りたいんだ。今度一緒に調べてくれないか?」
「えっと今日は……アーネストさんの所で相談をされるのですよね?」
「そうだね」
「それでしたらヒースさんがお話している間、ここで一通り読んでおきます」
「それはとても助かる。昼にはここに戻ってくるよ」
「戻ってきたら一緒にお昼を食べに行きましょう!」
「ああ! それじゃまた後で」
◇ ◆ ◇
俺は魔法協会を出て、その外観を眺めていた。
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魔法協会という名を持ちながら、財産や人の管理をする仕組み。
そして場違いな設備と……このカード。
この世界に対する認識を改める必要がありそうだ。
科学技術が進んでいないのは間違いない。
しかし今日見た驚くべき品々が、全て魔法によるものだとしたら?
それは科学の代わりに、魔法が高度に発展した社会と言えるのではないか?
俺は再びカードを見た。
自分以外の人間には使えず、再発行すると消えて無くなってしまうカード。
こんなものを作れる技術は、元の世界ですら……無い。
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