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第一章
人里へ
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「私の村、ここからそう遠くは無いんですー」
「そうですか、それは本当に良かった」
最初に話をした時とは打って変わって、彼女はとても良く笑う陽気な女性だった。
黙っている時と笑っている時では、受ける印象が少し違った。
肩にかかるくらいの栗色の髪。
整った顔にモデルのようなそのスタイル。
海外の若手女優ですと言われても信用してしまうほどだ。
年の頃は紘也同じ、二十歳前後くらいだろうか。
「ヒースさんの記憶って、どれくらいの事まで思い出せるんですか?」
村に向かって移動を始めた後すぐに、俺は彼女に「様付けはよしてください」と頼んでいた。
今まで「様」付けで名前を呼ばれた事なんて、病院に行った時くらいだろう。
しかもその時は苗字だけかフルネームだ。
最初はなぜか遠慮しようとしていたが、しばらく会話を続けているうちにそれなりに打ち解けたようだ。
「そうですね……例えばここら辺の山々とか木々、草花なんかを見ても特に驚くような事は無いので、多分似たようなものを沢山見ていた記憶は残っています」
昔、相棒と共に遠征した時に見た、様々な風景をふと思い出していた。
「そしてそれら草木の名前も一応憶えてはいるのですが、私の記憶に無いものも結構多くあるんです。例えばベァナさんが使った魔法は初めて見ました」
俺はなるべく事実と齟齬がないよう、言葉を選んだ。
「だからなんというか……自信が無いのですよね。自分の記憶が正しいのかそうでないのかが」
「なるほど……」
彼女は少し考え込むような表情をした後、すっと道の端の木陰に腰を下ろす。
彼女が指を指した先には、白く透き通る植物が佇んでいた。
「例えばこれはギンリョウソウ。こんな感じで日陰にひっそりと生えているんですが、人によってはユウレイソウなんて言う人もいるんですよ」
ベァナはこちらを振り返り、少し頬を膨らませてこう言った。
「ひどいですよね! こんなにかわいいのに!」
「まぁそうかも知れないかなぁ……でも幽霊草って言いたい気持ちもちょっとわかるかも」
「ヒースさんもそんな事言うんですか! もぅ!」
その後も彼女は俺の不安を取り除こうとするかのように、この世界の色々な植物について説明してくれた。
落ちていた様々な木の実を拾っては、食べられるかどうかの見分け方を。
道端の草を指さしては、その薬効を。
根が真面目なのだろう。
こちらで最初に出会った人が彼女で本当に良かった。
こんなやり取りがいくつか続いていたが、ベァナは総じて楽しそうに色々な植物の話をしてくれた。
どうやら彼女は普段から薬草採集などを行っているようで、今回も薬草やちょっとした食料を取りに出かけていた際、魔物に襲われたという事だった。
道理で山の植生なんかに詳しいわけだ。
そこまでの話で分かった事が二つあった。
一つは言葉について。
結論から言うと単語の発音は全く違うものの、その意味は全部理解できていた。
それは自分が話す言葉についても同様だ。
同時通訳というわけでは無い。
発音を聞いた俺がわざわざ訳そうとしなくても、その意味が理解出来る。
また話し言葉についても、条件反射のようにこちらの言葉で話せていた。
むしろその言葉の音を聞き取ろうとすればするほど、その意味が分からなくなってしまう。
漢字をずっと眺めていると、何かの記号にしか見えなってしまう「ゲシュタルト崩壊」のような状態になってしまうのだ。
きっとこの体、『ヒース』の認識が、そのまま俺の認識となっているのだろう。
その事に気付いた俺は今後一切、言葉の発音については気にしない事にした。
もう一つは、この世界と地球の両方に存在するものについては、わずかな差異はあったとしてもほぼ同じものとして会話する事が可能だという事だ。
例えばベァナが教えてくれた「ギンリョウソウ」。
これは地球にも存在する腐生植物だ。
別名は「ユウレイタケ」と呼ばれていて、その点については多少呼び名に違いはあるものの、そういったエピソードまで含めて地球とほぼ同一のものだった。
むしろこれは茸では無いので、こちらの世界の認識のほうが正しい。
このように、日常生活で滅多に使われないような植物名まで通じるという事は、よっぽど特殊な事象でなければ理解する事は可能だろう。
どういった理屈でこんな都合の良い状況にあるのかはわからないが、当面の間は日常会話で問題になる心配は無さそうだ。
ただその辺の謎については個人的には非常に気になる。落ち着いたら研究に打ち込んでみるのもいいかも知れない。
「そろそろ村が見えて来る頃です!」
こちらの世界で初めて訪れる人里だ。
村の娘を助けたという事であれば、そうそう無下に扱われることもあるまい。
ベァナの立ち居振る舞い考えても、その村が犯罪者の巣窟だったというような事はまずあり得ないだろう。
大きな期待と多少の緊張が、すっと胸に湧き上がった。
◆ ◇ ◇
<薬草>
人類と薬の歴史はとても古く、ある研究によれば紀元前1万年以上前の後期旧石器時代の遺跡から薬効のある植物が多数見つかったとされている。犬や猫、そして野生動物達が自身の体調を整えるために、本来の食事ではない草を食べる事実を考えれば、我々の祖先が薬草を利用していたとしても不思議ではないだろう。
それを裏付けるように、古くから様々な文明で薬草の使用が確認されている。その多くは呪術や儀式の中で使われていた幻覚作用や精神作用のある植物であり、使用する事により誘発された幻視・錯乱状態を、神や精霊の降臨や対話として認識していた。これらの植物は古代から現在に至るまで世界各地で使われ続けており、この事からも、薬物が人間にとって抗い難い魅力や常習性がある存在だという明確な証拠だと言えるだろう。
ただ古代文明の人々もこれらの植物を濫用していたわけではなく、使うタイミングや用法によっては人の役に立つ事を知っており、様々な形で利用してきた。
古くから使われていた薬草で有名なものとしてはケシ、大麻、コカ、タバコなどが挙げられる。
これらの薬草は使い方や精製方法によっては毒にも薬にもなるため、人類の歴史に大きな影響を与えてきた。
そのため現代ではその栽培や利用について国ごとに厳しく規制されているが、それらの薬草を我々の祖先達がうまく運用していた事実は、非常に驚くべき事である。
「そうですか、それは本当に良かった」
最初に話をした時とは打って変わって、彼女はとても良く笑う陽気な女性だった。
黙っている時と笑っている時では、受ける印象が少し違った。
肩にかかるくらいの栗色の髪。
整った顔にモデルのようなそのスタイル。
海外の若手女優ですと言われても信用してしまうほどだ。
年の頃は紘也同じ、二十歳前後くらいだろうか。
「ヒースさんの記憶って、どれくらいの事まで思い出せるんですか?」
村に向かって移動を始めた後すぐに、俺は彼女に「様付けはよしてください」と頼んでいた。
今まで「様」付けで名前を呼ばれた事なんて、病院に行った時くらいだろう。
しかもその時は苗字だけかフルネームだ。
最初はなぜか遠慮しようとしていたが、しばらく会話を続けているうちにそれなりに打ち解けたようだ。
「そうですね……例えばここら辺の山々とか木々、草花なんかを見ても特に驚くような事は無いので、多分似たようなものを沢山見ていた記憶は残っています」
昔、相棒と共に遠征した時に見た、様々な風景をふと思い出していた。
「そしてそれら草木の名前も一応憶えてはいるのですが、私の記憶に無いものも結構多くあるんです。例えばベァナさんが使った魔法は初めて見ました」
俺はなるべく事実と齟齬がないよう、言葉を選んだ。
「だからなんというか……自信が無いのですよね。自分の記憶が正しいのかそうでないのかが」
「なるほど……」
彼女は少し考え込むような表情をした後、すっと道の端の木陰に腰を下ろす。
彼女が指を指した先には、白く透き通る植物が佇んでいた。
「例えばこれはギンリョウソウ。こんな感じで日陰にひっそりと生えているんですが、人によってはユウレイソウなんて言う人もいるんですよ」
ベァナはこちらを振り返り、少し頬を膨らませてこう言った。
「ひどいですよね! こんなにかわいいのに!」
「まぁそうかも知れないかなぁ……でも幽霊草って言いたい気持ちもちょっとわかるかも」
「ヒースさんもそんな事言うんですか! もぅ!」
その後も彼女は俺の不安を取り除こうとするかのように、この世界の色々な植物について説明してくれた。
落ちていた様々な木の実を拾っては、食べられるかどうかの見分け方を。
道端の草を指さしては、その薬効を。
根が真面目なのだろう。
こちらで最初に出会った人が彼女で本当に良かった。
こんなやり取りがいくつか続いていたが、ベァナは総じて楽しそうに色々な植物の話をしてくれた。
どうやら彼女は普段から薬草採集などを行っているようで、今回も薬草やちょっとした食料を取りに出かけていた際、魔物に襲われたという事だった。
道理で山の植生なんかに詳しいわけだ。
そこまでの話で分かった事が二つあった。
一つは言葉について。
結論から言うと単語の発音は全く違うものの、その意味は全部理解できていた。
それは自分が話す言葉についても同様だ。
同時通訳というわけでは無い。
発音を聞いた俺がわざわざ訳そうとしなくても、その意味が理解出来る。
また話し言葉についても、条件反射のようにこちらの言葉で話せていた。
むしろその言葉の音を聞き取ろうとすればするほど、その意味が分からなくなってしまう。
漢字をずっと眺めていると、何かの記号にしか見えなってしまう「ゲシュタルト崩壊」のような状態になってしまうのだ。
きっとこの体、『ヒース』の認識が、そのまま俺の認識となっているのだろう。
その事に気付いた俺は今後一切、言葉の発音については気にしない事にした。
もう一つは、この世界と地球の両方に存在するものについては、わずかな差異はあったとしてもほぼ同じものとして会話する事が可能だという事だ。
例えばベァナが教えてくれた「ギンリョウソウ」。
これは地球にも存在する腐生植物だ。
別名は「ユウレイタケ」と呼ばれていて、その点については多少呼び名に違いはあるものの、そういったエピソードまで含めて地球とほぼ同一のものだった。
むしろこれは茸では無いので、こちらの世界の認識のほうが正しい。
このように、日常生活で滅多に使われないような植物名まで通じるという事は、よっぽど特殊な事象でなければ理解する事は可能だろう。
どういった理屈でこんな都合の良い状況にあるのかはわからないが、当面の間は日常会話で問題になる心配は無さそうだ。
ただその辺の謎については個人的には非常に気になる。落ち着いたら研究に打ち込んでみるのもいいかも知れない。
「そろそろ村が見えて来る頃です!」
こちらの世界で初めて訪れる人里だ。
村の娘を助けたという事であれば、そうそう無下に扱われることもあるまい。
ベァナの立ち居振る舞い考えても、その村が犯罪者の巣窟だったというような事はまずあり得ないだろう。
大きな期待と多少の緊張が、すっと胸に湧き上がった。
◆ ◇ ◇
<薬草>
人類と薬の歴史はとても古く、ある研究によれば紀元前1万年以上前の後期旧石器時代の遺跡から薬効のある植物が多数見つかったとされている。犬や猫、そして野生動物達が自身の体調を整えるために、本来の食事ではない草を食べる事実を考えれば、我々の祖先が薬草を利用していたとしても不思議ではないだろう。
それを裏付けるように、古くから様々な文明で薬草の使用が確認されている。その多くは呪術や儀式の中で使われていた幻覚作用や精神作用のある植物であり、使用する事により誘発された幻視・錯乱状態を、神や精霊の降臨や対話として認識していた。これらの植物は古代から現在に至るまで世界各地で使われ続けており、この事からも、薬物が人間にとって抗い難い魅力や常習性がある存在だという明確な証拠だと言えるだろう。
ただ古代文明の人々もこれらの植物を濫用していたわけではなく、使うタイミングや用法によっては人の役に立つ事を知っており、様々な形で利用してきた。
古くから使われていた薬草で有名なものとしてはケシ、大麻、コカ、タバコなどが挙げられる。
これらの薬草は使い方や精製方法によっては毒にも薬にもなるため、人類の歴史に大きな影響を与えてきた。
そのため現代ではその栽培や利用について国ごとに厳しく規制されているが、それらの薬草を我々の祖先達がうまく運用していた事実は、非常に驚くべき事である。
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