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「届いてもないのに仄暗い話をして、申し訳ないんだけど。」

 莉佳のいない、カフェの一席。久しぶりに少しだけ安心した空間で、そう言葉を切り出した。

 シリアスな顔を作って、雰囲気を作って。そこまでしてみたけれど、実際はトラウマでもないし、そんな大それた話でもない。それなのに何を話せというのか。



「私が中等部のときに、何があったのか。あまり聞いていて気持ちいい話ではないと思うけど、聞いてくれると嬉しいな~。」

 流れでそう言ってみたところで何をどう話せばいいのか。セクハラというには軽度すぎることを話してみたところで、「そんなのでセクハラとか言ってるの?」と思われかねない。



 息をついて、一度頭をリセットするために手元のフレーバーウォータで満たされたコップを手元に引き寄せ、口元に運ぶ。

 紫苑はそんな私の挙動を真剣な表情をして目で追っている。きっと、これは信じているクチだ。

 今更ここにきて『これはよく使うネタのようなものだから、嘘っぱちなの』なんて言えるわけがない。

 となればやっぱり、適当にでっち上げてみるしかないのだろうか。

 

「中等部二年のとき。当時の担任の先生が、男女贔屓をよくする人で。

それだけならまだしも、その中から更にお気に入りの生徒数人を作って、その子たちだけにやたらと甘い先生だったの。私はその先生に気に入られてて、一番好かれていたんじゃないかな。

それでね、何だろうセクハラ…と言っていいのか分からないけど、なんか私だけ距離感がおかしい感じがあってね。私だけ下の名前で呼ばれたり、授業中誰よりもよく刺されたり、委員とかそういうものに優先的にさせられたり、他にも色々。」



 見切り発車で中学二年生の頃の話をしてみる。この話、かなり盛っている。どんな先生でもある程度の贔屓はするだろう。私『だけ』だなんてことは一つもなかった。

 しかし人間不思議なもので、口から出まかせを言い始めると止まらなくなるもので架空のエピソードがどんどんと出てくる。



「放課後、係の仕事とか部活関係のことで一人で職員室に行くことが何回かあったんだけど凄く執着されて。だから部活も辞めちゃったんだけど。」



 これも、嘘。確かに職員室に行く機会は多かったが、あくまでも『担任として』適当な距離感で接せられていた。部活も最初から入っていない。

 

 こんな風に、いくつもいくつも。不思議なことに、誰もが体験するような普通のことでも誇張して話せばまるでセクハラのように聞こえる。

 そんな作り話のような何かを、紫苑は真面目な表情で聞いてくれている。そのようすにチクリと胸が痛んだ。

 でも、私を同情するような、憐れむような、同乗するようなそんな視線に。どこか気持ちよさのようなものを感じている自分がいた。

 そのせいかもしれないが、私が話すことはどんどん過激になり結果的に私は『中学二年生の時に担任の先生からセクハラを受け、他の人が居ない空間でキスされそうになった可哀想な子』になっていた。



 一通り話し終えて、一息つく。乾いた喉を潤すために汗をかいたコップを手に取り、若干の甘さのある水を飲み込む。

「…まず、辛いことだったろうに話してくれてありがとう。」

 言いにくそうに、でも同情するように、慈しむようにして紫苑が言う。黒目がちの大きな瞳が私の目をまっすぐに見つめている。

 

 私が口を開きかけたところで店員さんがプレートとティーセットを持って私たちの机に並べていく。

「お待たせいたしました、バニラアイスワッフルと、ベリーワッフル、ローズヒップティーとラベンダーティーとなります。」

 流石に店員さんの前でいくら作り話とはいえ、そんな重い話をするわけにはいかない。そもそも紫苑はこの話を全て信じているのだ。

 店員さんが完全に去っていったのを確認して、私たちは沈黙する。話し続けた方が良いのか、何事も無かったかのように目の前の物を食べた方が良いのか。

 焼きたてと思しきワッフルの上で少しずつ溶けていくバニラアイスを見ていると、時間の経過を見ていると紫苑が沈黙を破る。

「えっ……と、それで。その時つけられた傷をなかったことにはできないけど、でもその傷を癒すお手伝いをさせて欲しいな。」

 精一杯に、ひたむきに。まっすぐに私を見つめてくれる紫苑に私はたじろいそうになる。

「だから、良ければなんだけどわたしと…その、友達になってくれない?それで、これから沢山楽しい時間を共有して、沢山笑って。」

 という紫苑の言葉に私は思わず「へ?」と驚きの声を上げてしまう。

 するとそれを否定という意味に受け取ったのか、顔を赤くしてうつむいてしまう。 珍しく言葉に詰まらずに長い言葉を話したから、余計恥ずかしかったのかもしれない。

 そんな様子を見て、私はあわてて言葉を継いだ。

「待って、否定したわけじゃなくてね!私、もう紫苑とは友達だと思ってたからさ~?むしろ紫苑が私のこと、友達認定してないことにびっくりしちゃったの。」

 とけらけら笑いながら返してみる。

 

 嘘っぱちなこの話に、共感して同情してここまでしてくれる彼女の純真さというか心の優しさというか。一周回って驚いている。

 紫苑のことを友達認定しているかと問われれば、一応Yesと答えはするが、実際はどうだろう。そもそも、友達とは何なのか。

 

 そんなことを考えている間に紫苑は顔の赤みはそのままに笑顔になる。

「あっ…。そんな風に言ってもらえて、嬉しいな。…頼んだもの、来たのに全然手つけられてないね。食べようか!」

 若干声が震えていて、相当恥ずかしかった様子が見える。

 一方だけが「友達」と思っていないことが、そんなに恥ずかしいのか私にはやや理解が出来なかったが、食べ始めようと言われたから今からそこに言及するのも空気が読めないかなと思い、ナイフとフォークを取り出した。

 

 到着してからそこそこな時間を話していたためやや冷めていたが、それでもこのような店のワッフルは美味しかった。外側はサクッとしていて、内側はモチモチとしていて。主張の激しいバターの風味と果肉が大きく残っているベリーソースの相性も抜群。

 ワッフルを切り分け、口に運びながら紫苑の方をちらりと見ると顔の赤みは一切引いておらず、やや手を震わせながらぎこちなくナイフとフォークを握っていた。前回来たときはもっと流暢に扱っていたため、それほど先の出来事が恥ずかしかったのだろう。

 

 二人でぽつりぽつりと空白を埋めるような会話を少しだけして、ワッフルを食べ終わるとそのまま解散となった。





 店先で別れ、一人で駅までの道を歩き出す。帰り道が1人なのはいつものことだが、すぐ隣を走るバスはいつもより人が少なくて何だか新鮮だ。

 一か月前より若干暖かくなり、冬服の制服はやや暑い。

 汗ばむブラウスの首元を扇ぎ、中に空気を入れて少しでも中の体温を下げようとする。

 店を出て、一人になった途端に動悸がすることを自覚しながらも、敢えて知らないふりをして紫苑との先程のやり取りを思い出す。

 流石に初めてカフェに来たときとは違い、間接キスだったりシェアだったりはしなかったが意図しないうちに親密になっていた、とでもいうのだろうか。

 私の話は全部嘘で、全部出まかせだったからきっと齟齬があっただろうに。全部見ないふりをしたのか気づかなかったのかは分からないがきちんと向き合ってくれて、不器用ながらに言葉をかけてくれた彼女に救われた部分が大きかった。

 莉佳と対峙したときの衝撃やショックは並大抵で癒えるものではないということを自覚しているし、一週間経った今でも引き摺っている。きっと今後もしばらくは引き摺ると思う。

 

 それでも。



 周りに誰も味方が居なく孤独だと思って思い詰めていた私にとって、紫苑にかけられた今日の言葉は私を回復へと導く光なのではないかと──柄にもなく、そんなことを考えていた。

 
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