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6,八方美人と過ごす放課後

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良ければ、なんですけど。一口ずつ交換しませんか…?」
 わたしは一体何を言っているんだ?
 気が付いたら口から言葉が飛び出ていた。
 お洒落なカフェの空間で美味しくてこれまたお洒落なパンケーキを食べている、このシチュエーション。すべてが初体験で、新鮮で。こうして転校生生活一日目、大きく道を踏み外すことも無く平穏に時間を過ごして友達候補も作ることが出来た。そう、順調な一日であったはずなのに、何をどうしてそんなことを言ってしまったのだろうか。
 自分でも意味が分からなく、ぐるぐると思考回路が回っていく。頬が熱くなるのをはっきりと感じながら、あまりの恥ずかしさを誤魔化すためにミルクティーを口元に運ぶ。手元の震えを隠すのに必死だ。
 顔を俯けながらちらりと琴乃の方を盗み見る。
 彼女はやはりというか何というか、驚きの表情を見せている。目を真ん丸にして、ぽかんとしている。その表情は先程教室でツートップに媚びを売っていた時とは全く異なり『素』という雰囲気がした。
「勿論大丈夫ですよ!私、夏蜜柑の方も美味しそうだなと思っていて。」
 と思っていると彼女はぱっと笑顔を作って返答をする。一瞬見せた素の表情を見てしまえばその笑顔は胡散臭いとまでは言わないが何処となく不自然な気分になった。
 というか、自分でもよくわからなく、その上無意識の内に口から飛び出していた突拍子もない提案だったのにどうして彼女はOKしているのだ…?となり、こちらも驚いた顔をしてしまう。
 しかしわたしまで引きつった顔をしていては琴乃も意味が分からないだろう。
 出来る限り平穏を装って、震える手を叱咤しながらナイフとフォークを動かしてパンケーキを一口大に切り、ソースや夏蜜柑を乗せる。
 とここまでセッティングしてしまってからふと我に返る。一口シェアするときってあ~んだけではないのでは…?
 そうだ、思い返してみればお皿を彼女の方に寄せればきっと自分で適当なサイズに切って食べてくれただろうに。
 シェアする話を持ち掛けて切り落としてしまえばそれはもう口元に運ぶ以外に選択肢が無い気がする。流石にこの状況で切ったものを食べるほど肝が据わっているわけでは無い。
 とここまで考えると意を決してやることは一つだけ。
 腕を伸ばしてパンケーキを差し出す。本当に人間関係の希薄さというか、対人スキルが絶望的なことがここで足を引っ張る。
 ここまでくると平気な顔でいるしかない。これくらい当たり前ですよ?という表情を徹底する。
 別に特段潔癖症というわけでもないし、むしろ昔は距離感が近すぎて潔癖症の周りの人に驚かせたことも多々あった。そのため間接キスのようになっても気にならない…と思う。そうだ。きっとそうだ。そうでないわけが無い。
 などということを考えている間に琴乃はわたしが差し出したものを何のためらいもなく口にしていた。琴乃はそういうことするの平気なのだな…と驚く。わたしが声をかけたときは驚いていたのに、いざそういうことをするとなるとさらっとやってのける辺り、人間関係のステータスの違いを感じさせる。
 何とも言えない手持ち無沙汰さを感じてまたミルクティーに手を伸ばす。
「じゃあ、私もお返しを。」
 さほど長考をせずにぱっと琴乃は自分のパンケーキを切るとホイップクリームや苺を沢山乗せた贅沢な一口を作り上げるとわたしの方へ差し出してきた。
 その勢いにわたしは一瞬たじろいだが、目の前の贅沢な一口への欲が勝った。
 軽く椅子から腰を浮かせてその一口に齧りつく。
 口に入れた瞬間広がる暴力的なまでのクリームの甘さ、に苺の酸味、パンケーキのその食感。その一口には今までうだうだと考えていたことのほとんどが吹き飛び、思わず口元を緩ませて
「わ、美味しい…!」
 と呟いてしまうほどの威力を持っていた。これをそこまで大きく表情を変えずに食べているあたり、琴乃はこういうお店に慣れているのだろうなと何となく推測してみる。
 その後は特に大きな出来事はなく、淡々と手元のパンケーキを口に運んでその美味しさを堪能し、さらにミルクティーで甘さを上書きするという時間が続く。
 パンケーキを食べ終わってから残りのミルクティーを飲みながら残りの質問に回答してもらい、解散となる。合計して約一時間ほどの時間。初対面と一緒に過ごすにしては長くそして濃密な時間だったが、言うほどの疲労感は特になく、むしろ初日のスタートが上々に切れたということに対する満足感の方が大きいように感じた。あわよくば、このまま彼女と友人になることが出来るかもしれない。蓮城寺奏多、木ノ花莉佳という二つの毒から彼女を引き離すことも出来るかもしれない。

 家に帰ると、母はわたしの帰りが遅いことに血相を変えていた。転校初日から一時間も遅く帰ってきたら事故や事件に巻き込まれたのではないかと心配するのもそこまでおかしくないであろう。
 新たな友人が出来たこと、その子に学校について色々と聞くために学校付近のカフェに言ったことを告げると母はとても嬉しそうな表情を見せた。
 まだ人間関係が脆弱なものであるため喜ぶのがやや早い気もするが、今までの数倍もする学費を払ってこの学園に転校させたのだから、口には出さねど「成果」を上げて欲しかっただろう。現状ではそれを達成出来ていて、明るい二年間を送ることが出来るチケットを手にしている可能性の高い娘を見てきっと喜んでくれている。
 細められた目の下に見える日増しに濃くなっていく隈を見つけ、なんとも申し訳ない気持ちになったわたしは静かに部屋に戻った。
 ベッドと勉強机、教科書類を入れておく本棚以外特筆するもののない殺風景な部屋に入り、ドアを閉めて鞄を置く。
 真っ白でがらんどうな部屋を見渡し、微かに頭が痛むのを感じてベッドに倒れ込む。
 その拍子に頭にぶつかったスマホを取り出して電源を入れて見るが、初期化されて日の浅いそのスマホには時間を潰せるほど興味が湧かなかった。デフォルメの待ち受け画面、元々入っていたもの以外のアプリが入っていないホーム画面、一つも着いていない通知。
 この部屋で、この画面を見るたびに心の隙間に冷たい風が吹き下ろすような気持になった。
 堪えきれない孤独感に襲われる前に別の何かに熱中しようと切り替え、勉強机に向かい合って本棚から真新しい教科書と参考書を取り出す。鞄から筆箱を取り出してシャーペンを握った。
 
 
 
 
 
 
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