レトロミライ

宗園やや

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後編

第60話

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 明日軌と蜜月が並んで二階へ向かうと、二人を呼び付けた植杉義弘が階段の一番上の段に座っていた。赤いシャツの上半分のボタンを締めておらず、火の点いた紙巻タバコを不味そうに咥えている。
「悪いな。お嬢様達にご足労願って」
 鼻や口から白い煙を溢しながら立ち上がった植杉は、二人の少女が階段を上り切るのを待つ。
「面白い『おもちゃ』を造ったんだが、最後で行き詰っちまった。そこで、あんたに協力して貰いたい」
 タバコを挟んだ二本の指で指された蜜月はキョトンとした顔をする。
「私ですか? 何をすれば?」
「こっちだ」
 先導して二階の廊下を歩き出す植杉。
「お嬢様は立ち会いだな。そうする意味は実物を見れば分かる」
 あやふやな言い方をされたので、無言で赤シャツの背中を見詰めるのを返事とする明日軌。
 雛白邸の二階には、蜜月やのじこと言った妹社や、雛白部隊の武器開発を担当している植杉やその手伝い達が暮らす部屋が並んでいる。階下に有る玄関の方向を背に左が女子部屋、右が男子部屋となっていて、左手側と右手側の境目には男女を分ける大きな扉が有る。
 その男子側に有るひとつの部屋の前に立った植杉は、タバコを携帯灰皿に押し込んでからドアを開ける。
「入ってくれ」
 明日軌と蜜月が部屋に入ると、続いて植杉が入ってドアを閉めた。
 家具が何も無いガランとした部屋で、昼前だと言うのにカーテンが閉められている。天井の蛍光灯が煌々と輝いていて暗くはないので、部屋の真ん中に置かれているロココ風の椅子に真っ先に視線が行った。赤いメイド服を着た髪の長い女性が座っている。ぐったりとしてピクリとも動かない。
「息をしていない? ひょっとして――人形ですか?」
 蜜月は、椅子に座っている人を見ながら背後の植杉に訊く。
「そうだ。あれが『おもちゃ』だ」
「凄いですね。人と同じ大きさの人形なんて、始めて見ました」
 蜜月は一歩前に進み、少しかがんで人形の顔を覗いてみる。
 文字通りの真っ白な肌で、頬や唇に赤味が無い。造り掛けなんだろう、人間らしく見える様な化粧がまだされていない。瞳が無く、白目を剥いている様で少し怖いが、顔立ちは若く可愛らしい。
 ……ん?
 どこかで見た様な顔だなぁ。
「どうだ? 龍の目で見てみてくれ。アレが何か分かるか?」
 隣に立った植杉を見上げる明日軌。
「右目で見ても、左目で見ても、ただの人形ですね。――あの人形に何か秘密でも有るのですか?」
「そうか。生体部分が見えると思ったが……。心とか魂とかが戻らないのは、現時点ではどうしようもないのか」
 寝不足で体調が悪くなっている明日軌は、その勿体付けた言い方に珍しくカチンと来た。
「意味が分かりません。この私をわざわざ呼び付けた理由を言いなさい!」
 女主人の怒気を肩を竦めて受け流す植杉。
「あの人形は、人工妹社だ」
「人工、妹社?」
 また意味の分からない言葉が出て来たので、形の良い明日軌の眉が曇る。
「人類の夢のひとつ、人造人間って奴だな。正真証明、死なない兵士だ。壊れても修理すれば元通りになる。機械だから、腕がもげてもくっつけて直せば元通りになる訳だ」
「人型の機械、って事ですか?」
 まぁそうだなと言って頷く植杉。
「身体は完成したが、目覚めない。外部刺激に対する反応は示すが、意識が無いんだ。蜜月、話し掛けてみてくれ。それで目覚めなかったら、残念ながら失敗作で廃棄処分だ」
 小首を傾げる蜜月。
「どうして私が?」
「仲が良かったろう? そいつの名前はアイカだ」
「アイカ……?」
 どこかで聞いた事の有る言葉の様な気はするけど……。
 首を傾げ続けている蜜月の様子を見た植杉は、肩を落として溜息を吐く。
「覚えてないのか。まぁ、あれから色々有ったしな。しょうがない、一から説明するか」
 面倒そうに言いながら、植杉は自分のボサボサ頭を掻く。
「『妹社』ってのは、『敵』と同時期に発見された存在だ」
 それは二十年くらい前の事だった。世界各地で謎の銀水晶が発見された。タケノコの様に地面から生えたその水晶を人間が触ると、それに吸い込まれてしまう。
 しばらくの間は謎の殺人存在として研究されていただけだったが、ある時からその銀水晶から謎の化物が現れ出した。その化物が『敵』で、この国では『神鬼』と名付けられた。
 神鬼は殺しても殺しても銀水晶や人目の無い地域から無限に湧き出し、人間を殺害、もしくは誘拐して行く。
 敵の種類は様々で、体長一メートルの小型から、五~八メートル程の中型、それ以上の大型が居る。
 基本的には餓えた熊の様に肉弾戦で人を襲うだけだが、射程の長い熱線を発射する奴も居る。
 しかし神が人の味方をしているかの様に、神鬼に対抗出来る存在も同時に現れた。それが『妹社』と呼ばれる超人達だった。何百匹もの小型神鬼に襲われても刀一本で渡り合える無限の体力を持ち、人間なら致命傷となる怪我をしても死ぬ事は少ない。共生欲と言う習性を持ち、(妊娠時等の例外は有るが)主人や友人を必要以上に大切にして決して裏切らない。彼等が居なかったら、人間はとっくの昔に滅んでいたとまで言われている。
「そんな妹社だが、数が少ない。無限に沸く神鬼を倒し切れず、ユーラシア大陸から人間が居なくなったのも記憶に新しい」
「ええ……」
 疲労による気の緩みから口を半開きにして植杉を見ていた明日軌は、神妙な顔で頷いた。
「そこで権力を持つ奴は考えた。人造人間、人工妹社を造って量産出来れば、神鬼に対して攻勢に出れる。失われた国も取り戻せる。ってな」
 赤いメイド服を着た人形に右手を示す植杉。
「その試作壱号機が、このアイカって訳だ」
 明日軌は、細い顎に手を当てて記憶を探る。
「……そんな指令、いえ、案件? なんて、聞いた事も見た事も有りませんわ。まさか、政府が裏で植杉に直接?」
「それは後で説明する。話がこんがらがるからな。今はアイカに集中だ」
 不満顔で口を閉ざす明日軌。
 明日軌は越後の対神鬼戦闘部隊である雛白部隊の司令の座に居る。その司令を素通りして武器開発の責任者に接触されるのは問題が有るのだけど。
「アイカの身体は機械で出来ている。と言っても、鉄じゃない。人工臓器に人工筋肉で出来ていて、妹社と同じく大怪我程度では壊れない。燃料が続く限り、疲れる事も無い」
「???」
 明日軌と蜜月は顔を見合わせた。植杉が何を言っているのか分からない。
 その様子に苦笑いする植杉。
「論より証拠か。蜜月、アイカに触ってみろ。急に動くかも知れないから、注意してな」
「はい。では、失礼して」
 蜜月は、恐る恐る人形の頬に掌を当ててみる。
「……冷たい。でも、柔らかい。人間みたい」
「そうだろう? でも、その皮膚の下には人の手で作られた筋肉と骨と内臓が詰まっている、機械なんだ」
 蜜月の手が白い頬から細い首筋に下がる。頚動脈が規則的に動いている。
「生きてる……。息をしていないのに、心臓は動いてるんですね」
「しかし人とは違い、アイカの身体には白い血が流れている」
「白い、血? 血が白いんですか?」
「人形だからな。人形だが、目が覚めれば、自分の意思で動く。恐らく、共生欲と同じ様な感情を蜜月に向けると思う」
「どうして私に?」
 言いながら、蜜月の手は人形のサラサラな長い髪を撫でた。カツラ用に加工された人間の毛が使われている。
「うん。それはだな――」
 植杉は明日軌の目を強く見てから、人形の前で屈んでいる巫女みたいな格好の蜜月を哀れむ様に見た。
「身体は機械で作れるんだが、心は作れないんだ。その理由は、心を作る為の機械が、今は作れないからだ。だから、自我を司る部分に……人間の脳を使った」
「え……それは……もしや」
 口を挟もうとする明日軌を、眉間に皺を作って牽制する植杉。
「丁度、丙に取り付かれた人間の死体が、この雛白邸に有った。この人形には、その人間の脳が入っている」
 人形の肩に手を置いていた蜜月が、ゆっくりと植杉に顔を向けた。目を見開いている。
「……まさか」
「身体を乗っ取って自由に動かす為に、丙に操られた脳には機械に組み込む為の設計図みたいなのが刻まれるんだ。だから、機械の身体に入れる事自体は簡単だった」
 植杉は蜜月の視線を真っ直ぐ受け止める。
「しかし、目覚めない。目覚めない理由が分からない」
 蜜月の青褪めた唇がワナワナと震えている。

「まさか、広田、さんの、事……?」

 ああ、そうだ。
 広田さんの名前は、広田愛歌あいかだった。
 どこかで聞いた事が有るはずだ。
「悪魔だわ……」
 明日軌の顔も青褪めていて、恐れる様に植杉から一歩離れる。
 広田愛歌とは、雛白家で働いていた新人メイドだった。雛白妹社隊に配属されたばかりの頃の蜜月と仲良くなり、新人同士で訓練していたのを明日軌も見た事が有る。
 神鬼は大まかに分けて甲乙丙の三種類が居て、光線を撃たないのが甲、撃つのが乙、その他が丙と呼ばれる。ただし丙の出現は稀で、その詳細は一般には公表されていない。
 その丙に属される神鬼が広田の身体に寄生し、彼女は命を落とした。蜜月の共生欲が向いていた広田が殺害された事で、蜜月は神鬼に関する全てを敵と認識し、復讐を理由に戦っている。
 その広田の脳味噌が、この人形に入っている……?
 植杉が若い女の頭を開き、脳を取り出す光景が見える様な気がして、明日軌は嫌悪感と共に赤シャツの男から顔を逸らした。
「植杉さん。広田さんに何て事をするんですか。どうしてそのまま眠らせてあげなかったんですか」
 ゆっくり身体を起こし、植杉に向き直る蜜月。背中を丸め、戦闘体勢に入っている。
「広田さんの、し、死体を……人形に、するなんて……。目覚める訳……ないじゃないですか。死んでいるんですから」
 蜜月が放つ殺気より、人形が座っている椅子が微かな軋み音を立てた事に気が行った植杉は、理屈で話を伸ばす。
「まぁ、落ちつけ。お前は理解していない。確かに俺は遺体の尊厳を損なう行いをした。だがもしもその人形が自分の意思で動いたら、それは死体か?」
 理解を超えている。
 蜜月は外国の犬の様な髪型の頭を振り、考えるのを止める。常識で喋る事にする。
「動く訳ないです。広田さんは、私の目の前で息を引き取ったんですから。植杉さん。今すぐ広田さんを埋葬してあげて……!」
 共生欲とは、文字通り共に生きようとする欲だ。普通の人間でも持っている。人は一人では生きて行けないと言う言葉が有るが、つまりはそう言う他人との絆みたいな物を妹社は強く欲する。同族に出会う機会が少ないからその様な習性が有ると言われているが、妹社の存在が当然となってからの歴史は浅いので、余り説得力は無い。
 とにかく強い共生欲は確かに有るので、死んだと思っていた友人が生きているかも知れないとなったら、何とかして動かそうとすると予想していた。
 だが、残念ながら期待した反応は得られなかった。
「動くはずなんだ。だが、動かないのなら仕方ない。きちんと礼を尽くして処理をする。しかし、最後にもう一度、アイカに生きるチャンスをやってくれ。それが出来るのは蜜月だけなんだ」
 一足飛びで植杉の目の前に移動し、赤シャツの腕を掴む蜜月。
「そんなのはどうでも良いです。今すぐに。埋葬を」
 掴まれた腕の骨が軋む。
 さすがは妹社。見た目は細い小娘だが、とんでもない握力をしてやがる。
 まぁ、普通は怒るか。生きた人形なんか、この時代では怪談でしかない。
「く……」
 痛みに顔を顰めた植杉が、折られるか、と覚悟した次の瞬間、蜜月の手から力が抜けた。
 植杉の腕を掴んでいる蜜月の手に、真っ白な手が重ねられていた。
「広田、さん……」
「動いた、な」
 瞳の無い白い目が蜜月を見詰めていた。
 人形が自分の意思で椅子から立ち上がり、ここまで歩いて来た。そんな事実を見た蜜月は、怒りで力んでいた身体を弛緩させてその場に座り込んだ。
「私は……何がどう……分からない……」
 腰を抜かして放心する蜜月を無感情に見下ろす人形。動作はしたが、心が有る様には見えない。
「お嬢様。人形に命令してみてくれ。アイカと呼んで」
 呆然と成り行きを見守っていた明日軌は、ハッと我に返った。
「え? あ、はい。では、アイカ。蜜月さんを立たせてあげて」
 微妙に裏返った声で命令してみたが、アイカは人形らしく静止している。
「ダメか。蜜月の命令はどうだ? 椅子に戻れと命令してみてくれ。広田ではなく、アイカと呼べ」
 混乱した顔でへたっている蜜月は、顔を上げて言われた通りに命令した。
「ア、アイカ? 椅子に戻って?」
 するとアイカは背筋を伸ばして歩き、静かに椅子に座った。
「やはり従順だな。共生欲も蜜月に向かっている。んじゃ、蜜月。アイカと一緒に射撃訓練場に行って動作テストをしてくれ」
 ズボンのポケットから折り畳まれた紙を取り出した植杉は、蜜月の鼻先でそれをちらつかせる。
「アイカはあんたの命令しか聞かないんだ。友達だろう? 一緒に遊んでやれ」
「……トモダチ? 広田、さん……」
 虚ろな瞳で紙を見る蜜月。少女の動揺は想像以上の様で、心が身体から離れている。
「この人形の名前はアイカだ。広田と呼ぶと、その、色々と面倒でな。脳とかの説明しないといけないだろ? なぁ? お嬢様」
 明日軌に視線を送る植杉。
「蜜月さん。植杉の言葉に従って。アイカの面倒をお願いします」
 異常な事態から自分で立ち直った明日軌が、柔らかな声で言う。
 それを受けて、蜜月の顔に生気が蘇る。どんな状況でも主人を信じて従うのも共生欲の特徴。便利な生態だ。
「分かりました。この紙……?」
 鼻先の紙を手に取った蜜月は、広げて中を見る。箇条書きで文字が並んでいる。
「アイカを作ったのは俺だが、何が出来て何が出来ないかは分からないんだ。だから命令出来る蜜月がアイカの性能を確かめてくれ」
 植杉の言葉を聞いてから、明日軌の顔色を窺う蜜月。
「とにもかくにも、アイカは生きている様です。なら、誰かが面倒を見なければなりません。蜜月さん。宜しくお願いします」
 女主人の冷静な言葉を聞いた蜜月は、頷きを返してから立ち上がる。
「じゃ、射撃場に行って来ます。えっと、……アイカ、さん。私と一緒に、行きましょう?」
 蜜月が恐る恐る言うと、人形は無言で立ち上がった。そして、ドアを開けた蜜月と一緒に部屋の外に出て行った。
「何もかもが意味不明です。説明しなさい」
 人形を見送った明日軌は、寝不足で隈の出来た凶悪な表情で植杉を睨んだ。
「勿論です、お嬢様」
 嫌味ったらしく、恭しく頭を下げる植杉。
「長い話になる。その椅子に座るか?」
 今まで人形が座っていたロココ風の椅子を示され、明日軌は不機嫌に口元を曲げる。死体だか人形だか機械だか良く分からない物が座っていた椅子なので、それと同じ所に座るには心情的に抵抗が有る。
「部屋を変えましょう」
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