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前編
第20話
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『雛白自警団大隊長と雛白妹社隊隊長は、至急一階会議室に集合してください』
敵の襲撃が無いまま梅雨に入ったある日の朝、そんな放送が雛白邸に響いた。
エプロンを着ている蜜月とのじこは、顔を上げて耳を傾ける。
「会議室? 出撃、じゃないのかな? なんだろね?」
「さぁ。のじこ達は呼ばれてない、よね?」
「うん。隊長のハクマさんだけだね。じゃ、続きをしましょう」
雨のせいで外での訓練が出来ないので、暇潰しに妹社の二人でケーキを作っていた。大谷の指導のお陰で大きな失敗をする事も無く、第二調理場は甘い薫りで満ちている。
意外にも、のじこは調理の手際が良かった。幼い頃は、自分の食べる分は自分で作っていたらしい。
「のじこ、捨てられた子だから、誰かがご飯を作ってくれる事なんか無かったんだ」
「え?」
ケーキの土台が焼き上がるのを待つお茶の時間、のじこの身の上話を聞いた。
両親の顔や雰囲気はおぼろげながらも覚えているので、恐らく三、四才くらいの頃に、どこかの山奥に捨てられたらしい。
一人で暗い森の中をさ迷ったその時の事は今でも夢に見て、泣きながら飛び起きる事も有ると言う。
当然幼児一人では山奥で生きて行けないので、世話をしてくれた大人が居た。
最初は仙人の様な老人だった。山の中での生き方や食べられる物の調理法もその人に習った。
その老人は、ある朝、目覚めなくなった。叩いても転がしても起きなかった。
一人でも生きられる様になっていたのじこは、冷たくなって横たわる老人を置いて山から下りた。
しかし銀髪が伸び放題の野生児は、人里では受け入れて貰えなかった。
特に赤い瞳が気味悪がられた。
仕方無くのじこは別の山に篭る事にした。その山で出会った浮浪者が二人目の育ての親になる。のじこと言う名前はその中年男に貰った。
どんな理由で浮浪者になったのかは分からないが、のじこに格闘術を教えたのはその男だと言う。
ただし、のじこの為に体術を教えた訳ではないらしい。と言うのも、修行だと言って、水汲みや食材の調達の全てをのじこ一人に任せたからだ。気配を消す歩き方を教え、それで兎を取って来い、と言う風に。
今ののじこが有るのはその修行のお陰なのだが、その時ののじこは他人の世話をする事に飽きてしまい、その男の元は数ヶ月で離れた。
それでも子供が一人で生きて行く事は辛く、しかし人里に降りる事も出来ずに、山から山へと移動しながら生きたと言う。
その末に出会ったのが三人目の育ての親、明日軌だ。この辺りの山に雛白家の命運を左右する人間が居るから、それを探す山歩きをしていた、と明日軌は言ったそうだ。
明日軌に拾われたのじこは、この街に来て神鬼と戦う訓練を受ける。
そしてその年の冬に、ハクマとコクマが仲間に加わった。
「へぇ……隊長より隊員の方が先輩だったんだ」
焼き上がったスポンジケーキをオーブンから取り出す蜜月。
「のじこちゃんも大変だったんだねぇ」
「良い匂い」
のじこは小さい鼻をクンクンと鳴らして薫りを楽しむ。
「別に大変だとは思わない。ここに来てからは毎日三食食べられるし」
「そっか」
蜜月は予め作って置いた生クリームでスポンジケーキを彩る。
「捨てられた理由は、恐らく妹社だからなんだって。明日軌がそう言った」
「どうして?」
「だって、髪や瞳の色なんか、最初からこうだもん。色が理由で捨てるなら、産まれてすぐ捨てるだろう、って」
例えば、三歳の子供と遊ぶとする。
遊び盛りの幼児は、全力で遊び、体力が尽きたら突然電池が切れた様に眠る。
しかし妹社は異常な体力を持っている。何時間も全力で遊び、疲れ知らずでなかなか眠らない。
そんな幼児に嫌気が差した、と言うのが捨てられた理由だろうと明日軌は予想した。
「なるほど」
「明日軌は妹社ののじこが必要だって言った。だからここに居るの」
「それがのじこちゃんの戦う理由なんだね」
「戦う理由?」
生クリームを見詰めていたのじこは、キョトンとして蜜月を見上げた。
数秒考えた後、小さく頷く。
「うん、そうかな。考えた事も無かったけど。のじこが三食食べられるのは明日軌のお陰だから、のじこは明日軌の為に戦ってるね」
蜜月が来る前は、のじこがただ一人の妹社だった。
のじこが倒れたら、街が、明日軌が失われる。
今ののじこは、今の生活が壊れる事が一番怖い。
そんなにもハッキリとした理由が有るのなら、鬼神の如き戦い方も出来る。
「仕上げに苺を並べましょう」
大谷の指示に従い、白くなったケーキに赤い苺を乗せて行く妹社の二人。
「よーし、出来た!」
「おいしそー」
腰に手を当てて満足そうに頷く蜜月と、穴が開くほどケーキを見詰めるのじこ。
「忙しいのに面倒見てくれてありがとうござました」
「どういたしまして」
礼を言う蜜月に微笑みを返した大谷は、一礼してから第二調理場を後にした。
「すぐ食べたいけど、みんなと一緒に食べたいよね。まだ会議中かな」
「見て来る」
のじこはエプロン姿のまま駆けて行った。一刻も早くケーキを食べたいらしい。
微笑ましい。
まるっきり子供なのに、人を平気で撃てるんだよな。
ついそう思ってしまった蜜月から笑みが引いて行く。
敵の襲撃が無いまま梅雨に入ったある日の朝、そんな放送が雛白邸に響いた。
エプロンを着ている蜜月とのじこは、顔を上げて耳を傾ける。
「会議室? 出撃、じゃないのかな? なんだろね?」
「さぁ。のじこ達は呼ばれてない、よね?」
「うん。隊長のハクマさんだけだね。じゃ、続きをしましょう」
雨のせいで外での訓練が出来ないので、暇潰しに妹社の二人でケーキを作っていた。大谷の指導のお陰で大きな失敗をする事も無く、第二調理場は甘い薫りで満ちている。
意外にも、のじこは調理の手際が良かった。幼い頃は、自分の食べる分は自分で作っていたらしい。
「のじこ、捨てられた子だから、誰かがご飯を作ってくれる事なんか無かったんだ」
「え?」
ケーキの土台が焼き上がるのを待つお茶の時間、のじこの身の上話を聞いた。
両親の顔や雰囲気はおぼろげながらも覚えているので、恐らく三、四才くらいの頃に、どこかの山奥に捨てられたらしい。
一人で暗い森の中をさ迷ったその時の事は今でも夢に見て、泣きながら飛び起きる事も有ると言う。
当然幼児一人では山奥で生きて行けないので、世話をしてくれた大人が居た。
最初は仙人の様な老人だった。山の中での生き方や食べられる物の調理法もその人に習った。
その老人は、ある朝、目覚めなくなった。叩いても転がしても起きなかった。
一人でも生きられる様になっていたのじこは、冷たくなって横たわる老人を置いて山から下りた。
しかし銀髪が伸び放題の野生児は、人里では受け入れて貰えなかった。
特に赤い瞳が気味悪がられた。
仕方無くのじこは別の山に篭る事にした。その山で出会った浮浪者が二人目の育ての親になる。のじこと言う名前はその中年男に貰った。
どんな理由で浮浪者になったのかは分からないが、のじこに格闘術を教えたのはその男だと言う。
ただし、のじこの為に体術を教えた訳ではないらしい。と言うのも、修行だと言って、水汲みや食材の調達の全てをのじこ一人に任せたからだ。気配を消す歩き方を教え、それで兎を取って来い、と言う風に。
今ののじこが有るのはその修行のお陰なのだが、その時ののじこは他人の世話をする事に飽きてしまい、その男の元は数ヶ月で離れた。
それでも子供が一人で生きて行く事は辛く、しかし人里に降りる事も出来ずに、山から山へと移動しながら生きたと言う。
その末に出会ったのが三人目の育ての親、明日軌だ。この辺りの山に雛白家の命運を左右する人間が居るから、それを探す山歩きをしていた、と明日軌は言ったそうだ。
明日軌に拾われたのじこは、この街に来て神鬼と戦う訓練を受ける。
そしてその年の冬に、ハクマとコクマが仲間に加わった。
「へぇ……隊長より隊員の方が先輩だったんだ」
焼き上がったスポンジケーキをオーブンから取り出す蜜月。
「のじこちゃんも大変だったんだねぇ」
「良い匂い」
のじこは小さい鼻をクンクンと鳴らして薫りを楽しむ。
「別に大変だとは思わない。ここに来てからは毎日三食食べられるし」
「そっか」
蜜月は予め作って置いた生クリームでスポンジケーキを彩る。
「捨てられた理由は、恐らく妹社だからなんだって。明日軌がそう言った」
「どうして?」
「だって、髪や瞳の色なんか、最初からこうだもん。色が理由で捨てるなら、産まれてすぐ捨てるだろう、って」
例えば、三歳の子供と遊ぶとする。
遊び盛りの幼児は、全力で遊び、体力が尽きたら突然電池が切れた様に眠る。
しかし妹社は異常な体力を持っている。何時間も全力で遊び、疲れ知らずでなかなか眠らない。
そんな幼児に嫌気が差した、と言うのが捨てられた理由だろうと明日軌は予想した。
「なるほど」
「明日軌は妹社ののじこが必要だって言った。だからここに居るの」
「それがのじこちゃんの戦う理由なんだね」
「戦う理由?」
生クリームを見詰めていたのじこは、キョトンとして蜜月を見上げた。
数秒考えた後、小さく頷く。
「うん、そうかな。考えた事も無かったけど。のじこが三食食べられるのは明日軌のお陰だから、のじこは明日軌の為に戦ってるね」
蜜月が来る前は、のじこがただ一人の妹社だった。
のじこが倒れたら、街が、明日軌が失われる。
今ののじこは、今の生活が壊れる事が一番怖い。
そんなにもハッキリとした理由が有るのなら、鬼神の如き戦い方も出来る。
「仕上げに苺を並べましょう」
大谷の指示に従い、白くなったケーキに赤い苺を乗せて行く妹社の二人。
「よーし、出来た!」
「おいしそー」
腰に手を当てて満足そうに頷く蜜月と、穴が開くほどケーキを見詰めるのじこ。
「忙しいのに面倒見てくれてありがとうござました」
「どういたしまして」
礼を言う蜜月に微笑みを返した大谷は、一礼してから第二調理場を後にした。
「すぐ食べたいけど、みんなと一緒に食べたいよね。まだ会議中かな」
「見て来る」
のじこはエプロン姿のまま駆けて行った。一刻も早くケーキを食べたいらしい。
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