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第二章:光の国・オーラント

第19話

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「……成程。それはまた、愉快な事件に巻き込まれていたんですね。」
「愉快なんて物じゃありませんでしたわよ、全く……」

 ここはオーラント国内にいくつかある、ギルド関係の宿のとある一室である。クロエとサラは一度、ミーナが確保した宿に戻り状況報告をしていた。

「それで、クロエさん。その勇者はクロエさんのご友人の方で間違いなかったんですね?」
「はい。こう、髪の色とか背丈とか、筋肉質になっていたとか、ちょっとずつ違うところはありましたけど、確かに前の世界で友達だったソイツでした。」

 クロエが確信を持った顔で答える。ミーナは腕を組みあごに手を添え、思案げな面持ちで話し出した。

「そうですか……クロエさんが前世での様子を匂わせた発言をした後の様子を聞くに、恐らく間違いないでしょう。そしてまた、向こうもクロエさんのことを感づいているはず。だからこそ別の場所での面会を指定せず、自分のホームである王宮を指定したのでしょうね。」

 ミーナの言葉に少しだけクロエが心配そうな顔になる。その様子を機敏に感じ取ったのか、サラがクロエの手を握ってきた。

「あ、サラさん……」
「大丈夫ですわ、クロエさん。さっきのやりとりだけでしか私は判断できませんでしたけど、悪い人ではなさそうでしたわ。それに、クロエさんの事情も把握してらっしゃるのでしょう? なら、心配ありませんわ。お友達を信じましょう。それに万が一、クロエさんを討伐するために王宮に呼んだとしても、私やミーナもいますし、何よりクロエさん自身Aランクですから! この国でクロエさんに敵う人などそうそういませんわ。」

 不安げなクロエを安心させるように、サラは優しい笑顔でそう言った。クロエもその気持ちをくみ取ったようで、眉尻を下げた物ではあるがしっかりと笑顔で答えた。

「はい、ありがとう……ございます。」

 花咲くような笑顔に、サラの興奮がまたも高まっていった。

「~~ッ! やっぱり可愛いですわっ!!」
「またですかっ!?」

 抱きしめられて身動きのとれないクロエには、そう叫ぶしかなかった。ミーナはいつの間にかいなくなっている。

(あぁっ! この場には味方がいないっ!?)

 サラの可愛がりはその後、夕食の支度ができたというミーナの言葉がかかるまで続いたのであった。










「全く、酷い目に遭ったよ……」

 そう呟くのは、先ほどまでサラにもみくちゃにされ、意気消沈のまま食事を終えたクロエである。彼女は現在、宿に備え付けられた大浴場で入浴の最中であった。
 真っ白な肌と髪を惜しげも無くさらけ出したその裸身は、まるで精巧にできたビスクドールのようである。水がしたたるその肌にはシミ一つ見られない。天使のごときその様相は見る者全てを虜にするかのようだ。
 だが、足を湯船に付けてチャプチャプと揺らす彼女の顔は、悩み事があるかのように少し曇っている。すると、クロエのすぐ後ろ、風呂場の扉がカラカラと言う音を立てて開かれた。そして現れたのは、

「……ミ、ミーナさん!?」
「はい、ミーナですよ。」

 ミーナ・アレクサンドリアであった。彼女は茶褐色の美しく豊満な裸身を隠そうともせず、堂々とした足取りで風呂場に入ってきた。歩くたび揺れるその豊満な乳房は、まるで色気が可視化されて立ち上っているかのように艶っぽい。備え付けの椅子に座り、桶にお湯をくむその所作の一つ一つが洗練されているようだ。
 クロエは少女の身体になってしまってからは、性欲というものを前世の時ほど感じなくなっていた。しかし、ミーナのそのあまりの色っぽさに、思わず音を立てて喉を鳴らしてしまう。そのことを自覚するとなぜだか急に恥ずかしくなってきてしまい、急いで湯船に肩までその身体を浸けた。そして赤くなった顔を誤魔化すかのように話し始める。

「ミ、ミーナさん、さっきはひどいですよ。なんで何も言わず出て行ってしまうんですか?」
「申し訳ありません。どうやら私はお邪魔だったようですので……空気を読んでみました。」

 ミーナは髪を洗っていたようで、そこまで言うとお湯で髪を流す音が聞こえてきた。思わずそちらの方を見たクロエは、慌てて顔をそらした。濡れる髪が肌に張り付くその姿は、少女の姿になった身を持ってしても思わずドキドキしてしまうようだ。髪を流し終わったであろう頃合いをはかって、クロエは再び話し始めた。

「お、おかげでもみくちゃにされちゃいました。ミーナさんは薄情です!」
「フフッ、そんなにへそを曲げないでください。」

 苦笑しながらミーナが湯船に入ってきた。緩やかな所作は湯船にほとんど波紋を生み出さない。香ってくる香りは石けんの匂いと、女性特有の甘い香りだ。何気なしにミーナの方を見たクロエの瞳は、驚きに見開かれることになる。

(お、大きい……っ! ほ、本当に巨乳の人って水に浮くんだ……)

「……? どうしましたか? クロエさん。」
「い、いえいえ……何でも無いです……」

 クロエはもはや肩までではなく口元まで湯船につかってしまった。ボコボコと口から漏れる気泡が音を立てる。その様子を見てミーナはクスッと笑っていた。
 それからしばらくの間、二人は何も話さずに無言でいた。ただ、その無言は気まずい空気を含む物ではなく、まるで家族の間で流れるようなどこか心地よいものであった。しかし、しばらくの後に突然ミーナが口を開いた。

「クロエさん。何か悩みがあるのではないですか?」
「……凄いですね。分かっちゃうんですか。」
「伊達に長くは生きておりませんから。」

 クロエはその言葉を聞くと、意を決したように湯船から立ち上がった。お湯につかり暖められた身体からはほのかに湯気が立ち上り、上気した肌からは妖艶さを感じられる。そのままミーナに対面するような場所まで歩くと、少し頬を染めながらミーナの前に直立した。

「ミーナさん。前にも話しましたけど、ボクは、以前は男でした。でも、今の身体はどうですか?」
「……端的に言って、可愛らしい少女ですね。」
「……ボクは、女の子の身体に何故か生まれ変わりました。しかも理不尽なことに人間じゃありません。もちろん、ミーナさん達のことを悪く言ってるわけじゃないんです。でも……」

 そこまで言うとクロエは顔をうつむかせてしまった。前髪に隠れたその表情は、湯船につかるミーナからはうかがい知ることは出来ない。だが、震える肩と微かに聞こえるすすり泣きの音が如実に様子を伝えてくれる。前髪に隠れた顔から、ひとしずくの涙が落ちた。
 彼女は、泣いていた。

「こ、こんな身体で会いに行って……グスッ……気味悪がられるんじゃ、ないかって……ヒック……気持ち悪いって、言われたらどうしようって……そんなことばかり考えじゃって……」
「クロエさん……」

 ミーナが心配そうに振り向く。クロエの告白は続く。

「せ、せっかくこうして……ううっ……異世界で再会できたって言うのに……嫌われるなんて、いやだ……やだよぉ……」

 言葉が進むにつれて、すすり泣きはどんどん大きくなっていった。今やその両目からは滝のように涙が流れ、もはやしゃくりを上げて泣いてしまっている。その様子はまるで迷子になってしまった幼子のようだ。
 だが、異世界に生まれ変わるというのは、丁度迷子のようなものなのだろう。全く知らない場所に知らない世界。知らない人々に知らない歴史。一体誰が不安に感じずにいられようか。まして、いくら彼女が前世では彼であったとしても、今現在は紛れもない一人の少女である事には変わりないのだ。その不安たるや、想像を絶するものなのだろう。
 ミーナは立ち上がり、しゃくりを上げて泣くクロエに近づいた。そして目の前まで来るとしゃがみ込み、クロエをそっと優しく抱きしめた。

「……グスッ、ミ、ミーナ、さん……?」
「今は、お泣きください。我慢なんてなさらないで。大丈夫、貴女はここにおります。大丈夫……」
「あ……ありがとう、ござ……うっうっ……わぁぁぁぁぁ……!」

 首に手を回し、肩に顔を埋めてクロエは泣いた。今までの不安を全て追い出すかのように。ミーナもクロエの頭に手を置いて、ただただ優しく撫でていた。










 一方その頃、浴場の外にて。

「……先を、越されてしまいましたわね。」

 サラが浴場の扉に背をつけて、そう呟いた。周囲に人はなく、その呟きを聞く者は誰もいない。長い廊下は照明も少なく、端の方へ行くに連れて暗くなっている。
 サラは持ってきた「清掃中」の木札を浴場の扉に掛けると、自室へ向けて歩き出した。途中一度だけ振り返ったが、すぐに自嘲するように笑い部屋に帰っていった。










「落ち着きましたか?」
「はい……グスッ……ありがとうございました。」

 しばらくして落ち着いたのか、泣き止んだクロエとそれをなだめていたミーナは再び湯船の中にいた。適温に暖まったお湯が身体を心地よく温める。

「……クロエさん、友人を失うかもしれないと言う恐怖と言うものは私にもよく分かります。」

 ミーナが突然正面を向いたまま話し始めた。少し面食らったクロエだが、その真剣な雰囲気に言葉も発さずそのまま聞いている。

「我々エルフは、人類はおろか他の種族との交友を滅多に持ちません。なぜなら、私たちは他の生き物に比べて遙かに長い寿命を持っているからなのです。例え郷の外に出て、誰かと意気投合し交友を結んでも、その人はほぼ確実に先に逝ってしまいます。誰かを愛したとしても、愛する人はおろかその人との間にできた愛しい我が子ですら、親よりも先に逝ってしまうのです。」

 それは、長寿であるエルフ特有の悩みだった。長い時を生きるエルフにとって他の生き物の生きる時はあまりに短い。取り残される悲しみを知るからこそ、エルフは森の奥底に隠れ交友を閉ざしたのだろう。
 ミーナはクロエの方を向いた。いつもと変わらない様な微笑みが浮かんでいるように見えるその表情は、今は何故か、少し悲しそうな笑みだった。

「大丈夫ですよ、クロエさん。先ほどの話を聞く限り、その方はクロエさん達の危機を救ってくれたそうですし、クロエさんを嫌うような素振りは感じられませんでした。大丈夫ですよ。」

 そしてクロエの手を両手で握って更に話し出す。

「それに、もしもクロエさんを拒絶しようものなら、所詮それまでの人だったと言うだけです。そんな方と友人なんて、私は勿論お嬢様も許しませんよ?」

 冗談めかしたように笑って言うミーナに、つられてクロエも笑う。二人はしばらく話した後、湯船から上がり身支度を整えた。

「長くお風呂に入り過ぎちゃいましたね。早く帰らないとサラさんが心配しちゃいます。」
「そうですね、お嬢様はなかなかこらえ性のない方ですから。」
「ま、まぁ、否定はできないですね……あっ、そうだ。」

 宿に用意されている寝間着に着替えた後、クロエが急にモジモジと恥ずかしそうにうつむいた。ミーナがクロエの方に向く。すると、顔を真っ赤にしてミーナを見上げながらクロエが口を開いた。

「あ、あの……さ、さっきボクが泣いたことは、だ、誰にも内緒ですよ!? 絶対ですよ!?」

 よほど恥ずかしいのか、目の端に涙のしずくを貯めながら、全身を小刻みに震わせている。その様子にミーナは苦笑しながら言った。

「分かっておりますとも。私たちだけの秘密です。」

 身支度を済ませ浴場の扉を開く。クロエはいまだに「絶対ですよ?」と言っている。だが、扉を出たところでミーナがある事に気がついた。

「あら……?」

 それは浴場の扉に掛けられた「清掃中」の木札であった。ミーナはそれを手に取ると少しの間眺め、そしてすぐに小さく笑ってそれを回収した。

「ミーナさーん? どうしたんですかー?」

 廊下の先からクロエの声がかかる。ミーナは振り返ると歩き出しながら返事を返した。

「はい、すぐに参りますよ。」










 一晩明けて翌日、王宮の前にて。
 宿屋にて一晩を明かしたクロエ達は王宮の前にいた。高くそびえる城門は、二階建ての馬車が縦に三台は積めるであろう高さを誇る。城門の脇には武器を携えた衛兵が数人待機していた。衛兵らは門の前でたたずむクロエ達に気がつくと、特に警戒心も無く近づいてきた。

「ここは王宮ですよ、何かご用ですか?」
「あ、あの! 昨日『光の勇者』さんからこんな紙をもらって、城に来てくれって言われたんです!」

 クロエが緊張したように城の衛兵に紙片を渡す。その小さな子どもが初めてのお使いに来たような様子に、対応した衛兵も待機している衛兵も皆ほっこりとした表情になっている。

「そうかい、お嬢ちゃん。どれどれ……本当だ、これは勇者様のもので間違いないね。今なら城の中庭で鍛錬してると思うよ。会いに行ってみると良い。」
「はい! ありがとうございます!」

 花咲くような笑顔に、周囲に平和な時間が流れる。その空気に押されてか、数人の衛兵も近寄ってきてクロエにとある質問をした。
 ――それが、悪魔の罠だとも気づかずに。

「しかし、お嬢ちゃん。勇者様はあまり市街の方へは行かないはずなんだが、一体どこで会ったって言うんだい?」

 その質問にクロエは実にあざとく頬を染めると、少し目をそらしつつ、だがしっかりとはにかみがら答えた。

「え、えっと、昨日お城の周りを散歩してたら、勇者様に危ない所を救われて……そうしたら色々と聞きたいことがあるからって、今日おいでって言ってくれて……ボクと一緒にいたお姉ちゃん達も一緒にって……」

 その恋する乙女のような態度に、今までのほっこりした空気はどこへやら。衛兵達の間には一気に緊張が走った。クロエの後ろに目を向けると、そこにはエルフの美少女と美女がにこやかに立っている。
 衛兵達の額からもれなく汗が垂れた。

(お、おいおい。勇者様ってフィアンセいるよな!? それなのにナンパかよ!?)
(そんなことより相手を見てみろよ……こんな小さな女の子と、エルフの美人さんだぜ? どんだけ節操がないんだよ……)
(((流石勇者様……いろんな意味で勇者だぜ……)))

 衛兵達の間で勇者のランクがいろいろな意味で上がっていた。後日、この噂は城中はおろか市中でもささやかれてしまうのだが、それはまた別の話である。

「そ、そうか……な、何はともあれ中に入ると良い。き、気をつけてな……」

 衛兵が心の底からの苦い笑顔で三人を送り出した。クロエは企みが成功したからだろうか、とても上機嫌で城の中へ入っていく。後に続くサラとミーナはすまし顔だが、その心中では少し引いていた。

(クロエさん、いくら旧知の仲と言ってもこれはエグすぎますわ……)

 そう、この一連の流れはすべてクロエの企みの一環であったのだ。実に恐るべしである。コーガにフィアンセがいることは知らなかったであろうが、それでもこんな小さな女の子をナンパしたとあれば株が下がることは免れないであろう。
 元が男であった事を最大限に活かした、実に残酷なものであった。だが、そんなことは関係なく、歴史は確かに動き出す。
 今ここに、再び魔王と勇者が相まみえる。

 ―続く―
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