18 / 63
前編 ミーナは糸を紡ぐ
第18話 女の務め(4)
しおりを挟む
次の日、ミーナは農作業をヘリガや他のメイドに任せて、領主の執務室をのぞきに行った。そこではイェルクが大量の書類を前に難儀していた。
「何をなさっているの?」
ミーナが問いかけると、イェルクは土地の記録を調べている、と答えた。
「北部の村で、隣人同士が土地の境界線について揉めていてな。そこで荘園裁判を開こうとしたが、先の戦争で土地の記録が焼失したことがわかったのだ。お互い決して譲ろうとせぬから、このままでは裁判の前に、村を二分する争いになりかねん。だから、城内に記録が残っていないか、探しに戻ったのだ」
それを聞いたミーナは、戦争とはいえ村を焼くなんて、お義父さまはなんて愚かなことをなさったのだろうと思ったが、口には出さなかった。
「そうですか、それは大変ですね。何かお手伝いいたしましょうか?」
「いや、結構だ」
イェルクは素っ気なく答えるとまた書類に目を落とした。
「わたくし、修道院では薬草の処方箋を調べたり、それを書物にまとめたりしていたのです。きっとお役に立ちますわ」
ミーナが得意げに言ってみせると、イェルクはミーナの目を見て、厳粛に言った。
「お前にはお前のすべきことがあるはずだ」
イェルクの言わんとしていることがわかったミーナは、執務机に手を置いて力説した。
「領主が領地の適切な管理をする助けとなるのが、領主夫人の責務だと思います!農作業や、手仕事をするよりも、調べ物のほうが、よりあなたのお役に立てますわ!」
「すべきことをせぬ者が、他者の役に立てると思っているのか」
イェルクは冷たく言い放った。その瞳は冷徹というより、冷酷に見えて、ミーナは小さく震えた。
(やっぱり、怖い…)
「だって、わたし、苦手なんですもの。力もないし、不器用だし、クラーラお母さまは何も教えてくださらなかったし…」
ミーナはもじもじして言い訳した。クラーラ、という言葉を聞いた瞬間、イェルクは表情を和らげた。
「でも、お母さまが教えてくださったこともたくさんありますわ」
「何をだ?」
「お母さまはわたしに、たくさんの物語を教えてくださったの!昼も夜も、毎日のように違うお話を聞かせてくださったわ!わたし、修道院で何度も何度も思い返したから、今でもいくつも覚えています。子どもが産まれたら、毎日毎日聞かせてやります。きっとわたし、いい母親になりますわ!」
ミーナは期待していた。これを聞いたイェルクが自分を見直してくれる、そして二人がいい雰囲気になるだろう、と。しかしイェルクはミーナの言葉を無視するように書類に没頭し出した。
ミーナは腹が立ってきた。せっかく、わたしは歩み寄ろうとしているのに。怖い猟犬や鷹の室内飼いも許したのに。イェルクを怖いと思っても、それでも愛しているのに…。
「そこまでおっしゃるのなら仕事に戻ります。あなたもどうぞお仕事頑張って!」
ミーナはぷんぷん怒りながら執務室を出ようとした。
「ミーナ」
イェルクがミーナを呼び止めた。ミーナは一瞬ためらったが、イェルクに向き直った。
「記録が見つかったら、私はまた城を出る。私が留守の間は、皆に色々と教わるがよい。女の手仕事のことなら、ヘリガだってよく知っているだろう」
ミーナの怒りは頂点に達した。
「わかりました。どうぞ行ってらっしゃいませ!」
ミーナは乱暴な足取りで執務室を出て行った。
それでもミーナはカタリーナの元におもむき、糸の紡ぎ方や機織りについて教えを乞うた。
「そうねぇ…でも、この家伝統の糸紡ぎや機織りは、特別な道具を使うから。私の調子がもう少しよくなって、亜麻から繊維が取れるようになったら、そのときに教えてあげるわ」
ミーナはため息をついた。カタリーナは何も聞かずに、ミーナの頭をそっとなでた。ミーナは昨日今日の出来事を話したくなったが、伏せっているカタリーナの負担になりたくないし、そんなことを言うのもおかしいと思ったので、黙っていることにした。
「ありがとうございます。楽しみにしています。お義母さま、もうお休みください。お邪魔してすみませんでした」
カタリーナは優しく微笑んで床についた。ミーナはそっと部屋を出た。
それからミーナは、農作業の落ち着いた午後からヘリガに刺繍を教わることにした。ヘリガは辛抱強く教えたが、ミーナの刺繍の腕はなかなか上達しなかった。
「何をなさっているの?」
ミーナが問いかけると、イェルクは土地の記録を調べている、と答えた。
「北部の村で、隣人同士が土地の境界線について揉めていてな。そこで荘園裁判を開こうとしたが、先の戦争で土地の記録が焼失したことがわかったのだ。お互い決して譲ろうとせぬから、このままでは裁判の前に、村を二分する争いになりかねん。だから、城内に記録が残っていないか、探しに戻ったのだ」
それを聞いたミーナは、戦争とはいえ村を焼くなんて、お義父さまはなんて愚かなことをなさったのだろうと思ったが、口には出さなかった。
「そうですか、それは大変ですね。何かお手伝いいたしましょうか?」
「いや、結構だ」
イェルクは素っ気なく答えるとまた書類に目を落とした。
「わたくし、修道院では薬草の処方箋を調べたり、それを書物にまとめたりしていたのです。きっとお役に立ちますわ」
ミーナが得意げに言ってみせると、イェルクはミーナの目を見て、厳粛に言った。
「お前にはお前のすべきことがあるはずだ」
イェルクの言わんとしていることがわかったミーナは、執務机に手を置いて力説した。
「領主が領地の適切な管理をする助けとなるのが、領主夫人の責務だと思います!農作業や、手仕事をするよりも、調べ物のほうが、よりあなたのお役に立てますわ!」
「すべきことをせぬ者が、他者の役に立てると思っているのか」
イェルクは冷たく言い放った。その瞳は冷徹というより、冷酷に見えて、ミーナは小さく震えた。
(やっぱり、怖い…)
「だって、わたし、苦手なんですもの。力もないし、不器用だし、クラーラお母さまは何も教えてくださらなかったし…」
ミーナはもじもじして言い訳した。クラーラ、という言葉を聞いた瞬間、イェルクは表情を和らげた。
「でも、お母さまが教えてくださったこともたくさんありますわ」
「何をだ?」
「お母さまはわたしに、たくさんの物語を教えてくださったの!昼も夜も、毎日のように違うお話を聞かせてくださったわ!わたし、修道院で何度も何度も思い返したから、今でもいくつも覚えています。子どもが産まれたら、毎日毎日聞かせてやります。きっとわたし、いい母親になりますわ!」
ミーナは期待していた。これを聞いたイェルクが自分を見直してくれる、そして二人がいい雰囲気になるだろう、と。しかしイェルクはミーナの言葉を無視するように書類に没頭し出した。
ミーナは腹が立ってきた。せっかく、わたしは歩み寄ろうとしているのに。怖い猟犬や鷹の室内飼いも許したのに。イェルクを怖いと思っても、それでも愛しているのに…。
「そこまでおっしゃるのなら仕事に戻ります。あなたもどうぞお仕事頑張って!」
ミーナはぷんぷん怒りながら執務室を出ようとした。
「ミーナ」
イェルクがミーナを呼び止めた。ミーナは一瞬ためらったが、イェルクに向き直った。
「記録が見つかったら、私はまた城を出る。私が留守の間は、皆に色々と教わるがよい。女の手仕事のことなら、ヘリガだってよく知っているだろう」
ミーナの怒りは頂点に達した。
「わかりました。どうぞ行ってらっしゃいませ!」
ミーナは乱暴な足取りで執務室を出て行った。
それでもミーナはカタリーナの元におもむき、糸の紡ぎ方や機織りについて教えを乞うた。
「そうねぇ…でも、この家伝統の糸紡ぎや機織りは、特別な道具を使うから。私の調子がもう少しよくなって、亜麻から繊維が取れるようになったら、そのときに教えてあげるわ」
ミーナはため息をついた。カタリーナは何も聞かずに、ミーナの頭をそっとなでた。ミーナは昨日今日の出来事を話したくなったが、伏せっているカタリーナの負担になりたくないし、そんなことを言うのもおかしいと思ったので、黙っていることにした。
「ありがとうございます。楽しみにしています。お義母さま、もうお休みください。お邪魔してすみませんでした」
カタリーナは優しく微笑んで床についた。ミーナはそっと部屋を出た。
それからミーナは、農作業の落ち着いた午後からヘリガに刺繍を教わることにした。ヘリガは辛抱強く教えたが、ミーナの刺繍の腕はなかなか上達しなかった。
0
お気に入りに追加
31
あなたにおすすめの小説
誰にも言えないあなたへ
天海月
恋愛
子爵令嬢のクリスティーナは心に決めた思い人がいたが、彼が平民だという理由で結ばれることを諦め、彼女の事を見初めたという騎士で伯爵のマリオンと婚姻を結ぶ。
マリオンは家格も高いうえに、優しく美しい男であったが、常に他人と一線を引き、妻であるクリスティーナにさえ、どこか壁があるようだった。
年齢が離れている彼にとって自分は子供にしか見えないのかもしれない、と落ち込む彼女だったが・・・マリオンには誰にも言えない秘密があって・・・。
【完結】彼を幸せにする十の方法
玉響なつめ
恋愛
貴族令嬢のフィリアには婚約者がいる。
フィリアが望んで結ばれた婚約、その相手であるキリアンはいつだって冷静だ。
婚約者としての義務は果たしてくれるし常に彼女を尊重してくれる。
しかし、フィリアが望まなければキリアンは動かない。
婚約したのだからいつかは心を開いてくれて、距離も縮まる――そう信じていたフィリアの心は、とある夜会での事件でぽっきり折れてしまった。
婚約を解消することは難しいが、少なくともこれ以上迷惑をかけずに夫婦としてどうあるべきか……フィリアは悩みながらも、キリアンが一番幸せになれる方法を探すために行動を起こすのだった。
※小説家になろう・カクヨムにも掲載しています。
すれ違う思い、私と貴方の恋の行方…
アズやっこ
恋愛
私には婚約者がいる。
婚約者には役目がある。
例え、私との時間が取れなくても、
例え、一人で夜会に行く事になっても、
例え、貴方が彼女を愛していても、
私は貴方を愛してる。
❈ 作者独自の世界観です。
❈ 女性視点、男性視点があります。
❈ ふんわりとした設定なので温かい目でお願いします。
王子殿下の慕う人
夕香里
恋愛
エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。
しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──?
「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」
好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。
※小説家になろうでも投稿してます
忙しい男
菅井群青
恋愛
付き合っていた彼氏に別れを告げた。忙しいという彼を信じていたけれど、私から別れを告げる前に……きっと私は半分捨てられていたんだ。
「私のことなんてもうなんとも思ってないくせに」
「お前は一体俺の何を見て言ってる──お前は、俺を知らな過ぎる」
すれ違う想いはどうしてこうも上手くいかないのか。いつだって思うことはただ一つ、愛おしいという気持ちだ。
※ハッピーエンドです
かなりやきもきさせてしまうと思います。
どうか温かい目でみてやってくださいね。
※本編完結しました(2019/07/15)
スピンオフ &番外編
【泣く背中】 菊田夫妻のストーリーを追加しました(2019/08/19)
改稿 (2020/01/01)
本編のみカクヨムさんでも公開しました。
夫は私を愛してくれない
はくまいキャベツ
恋愛
「今までお世話になりました」
「…ああ。ご苦労様」
彼はまるで長年勤めて退職する部下を労うかのように、妻である私にそう言った。いや、妻で“あった”私に。
二十数年間すれ違い続けた夫婦が別れを決めて、もう一度向き合う話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる