パピヨン

田原更

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二章 花と蔦

第25話 あなたを弟子にとりたい

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 フルールはエディに会いたくなった。会って、今までの態度をきちんと謝りたかった。そして、エディの気持ちを、確かめたかった。

 エディはしばらくの間、食材の買い付けのため、トリタヴォーラから旅に出ている。出発前に、エディはフルールに挨拶に来た。酒場で働き始めて数年、やっと買い付けの旅を任せてもらったと喜んでいた。それよりも、リエールがフルールに慣れてきたことを喜んでくれた。そんな優しいエディが帰ってくるまで、あと数日はかかる。

(エディ。私の気持ちは、ずっとずっと前から、決まっているの。だけど、もし、エディがあれを見たら……と思うと、とても怖くて)

 その恐怖心を振り払うように、フルールはアクセサリー作りに没頭した。今できることを、こつこつ積み上げる。フルールは様々な宝石を使ったネックレスと、蔦を刻んだ指輪を作ることにした。

 指輪に蔦模様を刻むと、あの日のことを思い出す。はじめて宝石を見た時の感動。指輪に止まった蝶の美しさ。純粋な美しさに惹かれる素朴な思いは、今もずっと、変わらない。

 店の掃除を終えたリエールが、工房にやってきた。リエールは、フルールのためにハーブティーやコーヒーを淹れて持ってくるまでに成長していた。リエールが来て、もう二十日以上経った。そろそろ、新月の晩を迎える頃だ。

 お茶を飲む時間は、リエールの休憩時間でもある。休憩時間はいつも一人で過ごしていたリエールも、最近はフルールとお茶を飲むようになった。

 リエールは作りかけのアクセサリーを見て、ため息をついた。

「きれいだな。見ていると、自然に、手を伸ばしたくなる。何でだろうな?」

「きれいな物を見たら、手を伸ばしたくなるのは、自然なことよ」

「何で、きれいな物を見たら、手を伸ばしたくなるんだ?」

 考えたこともなかった。フルールは首をひねり、頭をひねり、一生懸命に考えた。

「フルールは、真面目だな」

 リエールはにやにや笑っていた。

「馬鹿にしているの?」

「いいや、違う」

 リエールは真剣な表情になった。

「エメやロールたちの親以外の大人で、俺の言うことに真剣に耳を傾けてくれたのは、お前だけだ」

「リエール……」

「ありがとな」

 リエールは、ぶっきらぼうにお礼を言った。フルールはなんだか気恥ずかしくなってきた。その気恥ずかしさを、なんとかして隠したくなった。

「そうだ、リエール。一緒にアクセサリーを作りましょう」

「そ、そんなこと、俺にできるわけないだろう!」

 リエールは上気した顔をして、両手をぶんぶんと振った。

「大丈夫よ。簡単だから」

 フルールは工房の隅から銅線を取り出して、リエールの前に置いた。

「ひょっとして、あの蝶を作るのか?」

「ごめん、やっぱり嫌かしら」

「違う」

 リエールはフルールの手をとった。

「嬉しい! とっても嬉しい! 本当に、あたしに教えてくれるのか?」

 リエールの目はきらきら輝いていた。

「教えてくれ! 下層に帰る日がきたら、エメの土産にするんだ! もちろん、ロールやジャックにも、他の連中にも、配ってやるんだ!」

 フルールは蝶の作り方を丁寧に教えてやった。リエールは飲み込みが早く、とても器用で、何より丁寧に作業していた。

(この子、アクセサリー作りの才能があるわ)

 フルールは親のような気持ちで、リエールの作業を最後まで見守った。

 リエールが蝶の頭の部分に選んだ宝石は、やはり、ペリドットだった。蝶を完成させたとき、リエールの目は、涙でうるうると潤み、とても美しかった。

 リエールにアクセサリー作りの才能の片鱗を見たフルールは、リエールを側においてアクセサリーを作ることにした。リエールは真剣な眼差しで、フルールの手つきを観察していた。

「魔法みたいだな」

 リエールは感心したように言った。

 その日の夕食の時間、フルールはリエールに、あなたを弟子にとりたい、と伝えた。

「なあ、お前。本当に、俺に、アクセサリー作りを教える気か?」

「あなたが望むなら」

「俺にできるのか? 俺はお前と違って、読み書きなんか、できないぞ!」

「あなたが本気なら、私が教えてあげる」

 フルールは真っ直ぐにリエールを見つめた。リエールは戸惑っていた。

「それって、ずっと、中層で暮らすってことだろ? 嫌なんだよ。中層の連中は、上層に税を納めてへこへこしているくせに、俺たち下層の人間のことは、蛾って呼んで馬鹿にする……」

 わかっていた。よくわかっていた。中層と下層の人間の間に走る、深い溝のことを。でも、その溝の淵でにらみ合っているままでは、何も変わらない。大勢の人の間に走る溝を越えられなくても、せめて、目の前の一人との間に走る溝くらい、飛び越えたい。

(偽善って言われてもいいわ。私はリエールを受けとめる。リエールを、スリやひったくりをする人生から、解き放ってみせる)

「あなただって、中層の人間のことを、蛾って呼んだじゃない。同じことよ」

「それは、お前らが!」

 フルールはじっと、リエールの目を見つめた。そらさない、決してそらさない、リエールは、自分が狼になったつもりでいた。

「どうしたんだよ、お前? いつもへらへらしているくせに、なんか、まぶしくて、見てられねえ……」

 リエールはついにフルールから目をそらした。

「お前らはさ、下層の人間を、貧乏で、守ってやんなきゃならねえ奴ら、って思っているみたいだけど、違うんだぜ」

「どういうこと?」

「俺たち下層の人間には、鉄の掟があるんだ。互いに、盗むな、犯すな、殺すなって……。俺たちは、その掟を守り、上層に金を納めてへこへこすることもなく、誇りを持って生きているんだ」

「でも、私からも、他の中層の人からも、お金を盗んだじゃない」

 リエールは椅子から立ち上がり、フルールの襟首を掴んで、叫んだ。

「そうしなければ、生きていけねえんだ! エメやロールたちのためだ! あいつらを生かさなくちゃならねえ。だって、俺一人だけだったら、捨て子の俺は、とっくに死んでたんだからな!」

 リエールの美しい瞳は、今は炎さながらに燃えていた。

(熱い……でも、決して負けてはだめ)

 フルールはリエールの目を見つめ返した。

「あなたが宝石を盗んだから、私は、新しい商品を作れなくなった。この店の売り上げは、著しく下がっているの。このままだと、お店を閉めなくてはならないかも」

 リエールの目が揺れた。

「お前、そんな状況で、俺を弟子にとろうっていうのか? 何考えてやがる!」

「あなたに、技術を与えたい。そう思ったの。あなたに技術があれば、たとえアクセサリー職人にならなくても、何らかの職に就けるわ」

 リエールはフルールの襟首を掴む力を緩めた。リエールの目が潤んだ。

「なあ、お前。そうなったら……俺は、スリやひったくりをしなくても、生きていけるのか?」

 フルールはリエールを抱きしめた。

「そうよ。あなたを好きになったから、あなたのことを救いたい。あなたに、これ以上、間違ったことをさせたくない! たとえそれが、誰かのためであったとしても!」

 フルールに抱かれたリエールは、涙でフルールの服を濡らした。

「エディといい、お前といい、中層の連中は、なんでこう、お節介焼きなんだ!」

「私たち、お節介を焼かれて育ったからよ!」

 フルールは、リエールをきつく抱きしめた。リエールは、いつかの晩のように、リエールの胸に顔を埋めはしなかった。リエールは顔をしっかり上げて、フルールの目を見つめて、こう言った。

「あたしを、弟子にしてください」
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