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一章 花と蝶
第11話 思い上がりもいいところ
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金を使って作った蝶の形の台座を、ヤニを溶かした台に置いて固定した。蝶の形の台座に、宝石を留めるための窪みを、タガネで一つ一つ彫っていくのだ。
「考えただけで、気が遠くなるわね」
フルールは覚悟を決めて、作業に取りかかった。
できる限り大きさが均一な宝石を集めて、宝石の大きさに合った窪みを、一つ一つ台座に彫っていった。
「うーん、固くて彫るのが難しい……」
優雅に思えるアクセサリー作りだが、金属は硬く、女性の力で彫るのはとても大変なのだ。
窪みを一つ一つ彫り終わったら、彫らなかった部分で、宝石を留めるための爪を作る。これも、一つの石に対して四個、一つ一つ彫って作るのだ。
緻密な作業が終わったら、いよいよ、石留だ。窪みに一つ一つ宝石を載せ、タガネで爪を起こし、丸める。
「祈りを込めること。それがアクセサリー作りに一番大切なことだ。お父さんの、口癖だったわね。どうか、素敵なアクセサリーとして生まれ変わりますように。マダムのお気に召しますように!」
フルールは、厳しさと優しさを兼ね備えた父の横顔を思い出しながら、一つ一つの作業に、全身全霊を込めた。
試作品の蝶々が完成したのは、九日目の夜だった。オレンジ色のトパーズを基調にし、輪郭を縁取るように並べた黒いオニキス、羽の斑に白いセレナイト、胴体は青いジルコンと、美しい金、触角も、金。豪華で美しい蝶のアクセサリーだ。
「とてもいいものができたわ! きっと、マダムも喜んでくださるでしょう」
フルールは喜び、その夜は久しぶりにぐっすりと眠った。
翌日の昼前に、クロアゲハが店にやってきた。
「なんて美しいのだろう……。きっと、マダムもお気に召すでしょう」
「ありがとうございます!」
フルールは感激のあまり、何度も何度も頭を下げた。このアクセサリー作りで、フルールも大きく成長した。一面に宝石をちりばめた、美しい蝶。これを頭に飾ったら、どれほど心が躍るだろうか……。
「あの、本当に、この蝶だけでよろしいのですか? ブローチピンや、髪留めをつけなくてよろしいのでしょうか」
「ご心配は無用です」
クロアゲハは優雅に笑った。
「まずは、マダムにお見せして、マダムがお気に召したら、本制作をお願いしようと思います。試作品の代金は、そのときにまとめてお支払いします」
「もし、マダムがお気に召さなかったら……?」
「ご心配なさらず。その場合は私が、責任持って、試作品の代金をお支払いしますから」
クロアゲハは涼やかな笑みを浮かべ、店をあとにした。フルールは、今になっても、大切なことを言い忘れたことを、思い出していなかった。
西日が差し込み、黄昏時が近づく頃、フルールは外が騒がしいことに気がついた。
(何かあったのかしら……?)
ざわめき声はだんだん大きくなってきた。そして、ぴたりと止まった。
フルールの店の扉が、乱暴に開け放たれた。入り口に、青と黒を基調とした、素晴らしくきれいな蝶の髪飾りをつけ、真っ赤なドレスを着た、黒髪の中年女性が立っていた。その目は、真っ赤なドレスよりもっと赤く燃えていた。
フルールが声をかけるよりも早く、女は口を開いた。
「アクセサリー店パピヨンのフルールとは、お前のことね」
「さようでございます」
女はつかつかとフルールに歩み寄り、いきなり頬を平手打ちした。頬を押さえて上目遣いに女を見るフルールにむかって、罵声を浴びせた。
「お前、この私に、あろうことか傷物の宝石で作ったアクセサリーをよこすなんて、どういう了見かしら……」
フルールは息をのんだ。
(このお方が、マダム……)
確かに、傷物の宝石を使ってアクセサリーを作ることを、クロアゲハに伝えなかった。伝えることを忘れていた。いや、むしろ……。
(みんなが宝石のよさをわかってくれたから、傷物の宝石を使っているなんて、わざわざ伝えなくていい、と思い込んでいたわ……)
フルールはマダムに深く頭を下げた。
「マダム、申し訳ございません。当店で扱う宝石はすべて、上層のアクセサリー職人が処分する予定だった、傷や欠けのあるものです。ご注文時に、説明しなかったことを、深くおわび申し上げます」
マダムは氷のように冷たい目をして、フルールを見おろしていた。
「お前は何故、そんなものを使ったの」
「中層には宝石を扱う店はございません。だから、ほとんどの人が、宝石の美しさを知りません。私は、みなに宝石の美しさを知ってほしくて、みなに、宝石を身につける喜びを知ってほしくて、安く手に入る傷ついた宝石を使って、アクセサリーを作ることにしました」
マダムは柳眉を逆立て、唇をゆがめ、もう一度フルールの頬を打った。
「傷物の宝石で、宝石の真の美しさが伝わると、本気で思ったというの! この、愚か者! お前は宝石を心から愛していると聞いたけれど、お前がしたことは、宝石に対しても、宝石を愛する私に対しても、侮辱以外のなにものでもないわ!」
そんなつもりはなかった。そんなことを考えもしなかった。小さな傷や欠けがあろうが、宝石は宝石。美しさに違いなど、どこにもないと思っていた。
「目の肥えていない中層の人間をだませても、この私をあざむくことなど、できやしないのよ!」
マダムは豪華な手提げ鞄から、オレンジ色の蝶のアクセサリーを取り出すと、魔法の力を込めて、念じた。
「ああ、やめて……!」
フルールの懇願は、マダムには届かなかった。マダムは蝶を引き裂き、フルールの顔めがけて投げつけ、怒りの形相のまま、店を出て行った。
フルールは、片方の羽をもぎ取られた蝶を手に取り、ごめんね、とつぶやいた。涙が、後から後から、流れ落ちては消えていった。
(こんな簡単に、みんなにわかってもらえると思っていたなんて、思い上がりもいいところよね……)
フルールは、傷ついた蝶を、涙ながらに、庭に埋葬した。
「考えただけで、気が遠くなるわね」
フルールは覚悟を決めて、作業に取りかかった。
できる限り大きさが均一な宝石を集めて、宝石の大きさに合った窪みを、一つ一つ台座に彫っていった。
「うーん、固くて彫るのが難しい……」
優雅に思えるアクセサリー作りだが、金属は硬く、女性の力で彫るのはとても大変なのだ。
窪みを一つ一つ彫り終わったら、彫らなかった部分で、宝石を留めるための爪を作る。これも、一つの石に対して四個、一つ一つ彫って作るのだ。
緻密な作業が終わったら、いよいよ、石留だ。窪みに一つ一つ宝石を載せ、タガネで爪を起こし、丸める。
「祈りを込めること。それがアクセサリー作りに一番大切なことだ。お父さんの、口癖だったわね。どうか、素敵なアクセサリーとして生まれ変わりますように。マダムのお気に召しますように!」
フルールは、厳しさと優しさを兼ね備えた父の横顔を思い出しながら、一つ一つの作業に、全身全霊を込めた。
試作品の蝶々が完成したのは、九日目の夜だった。オレンジ色のトパーズを基調にし、輪郭を縁取るように並べた黒いオニキス、羽の斑に白いセレナイト、胴体は青いジルコンと、美しい金、触角も、金。豪華で美しい蝶のアクセサリーだ。
「とてもいいものができたわ! きっと、マダムも喜んでくださるでしょう」
フルールは喜び、その夜は久しぶりにぐっすりと眠った。
翌日の昼前に、クロアゲハが店にやってきた。
「なんて美しいのだろう……。きっと、マダムもお気に召すでしょう」
「ありがとうございます!」
フルールは感激のあまり、何度も何度も頭を下げた。このアクセサリー作りで、フルールも大きく成長した。一面に宝石をちりばめた、美しい蝶。これを頭に飾ったら、どれほど心が躍るだろうか……。
「あの、本当に、この蝶だけでよろしいのですか? ブローチピンや、髪留めをつけなくてよろしいのでしょうか」
「ご心配は無用です」
クロアゲハは優雅に笑った。
「まずは、マダムにお見せして、マダムがお気に召したら、本制作をお願いしようと思います。試作品の代金は、そのときにまとめてお支払いします」
「もし、マダムがお気に召さなかったら……?」
「ご心配なさらず。その場合は私が、責任持って、試作品の代金をお支払いしますから」
クロアゲハは涼やかな笑みを浮かべ、店をあとにした。フルールは、今になっても、大切なことを言い忘れたことを、思い出していなかった。
西日が差し込み、黄昏時が近づく頃、フルールは外が騒がしいことに気がついた。
(何かあったのかしら……?)
ざわめき声はだんだん大きくなってきた。そして、ぴたりと止まった。
フルールの店の扉が、乱暴に開け放たれた。入り口に、青と黒を基調とした、素晴らしくきれいな蝶の髪飾りをつけ、真っ赤なドレスを着た、黒髪の中年女性が立っていた。その目は、真っ赤なドレスよりもっと赤く燃えていた。
フルールが声をかけるよりも早く、女は口を開いた。
「アクセサリー店パピヨンのフルールとは、お前のことね」
「さようでございます」
女はつかつかとフルールに歩み寄り、いきなり頬を平手打ちした。頬を押さえて上目遣いに女を見るフルールにむかって、罵声を浴びせた。
「お前、この私に、あろうことか傷物の宝石で作ったアクセサリーをよこすなんて、どういう了見かしら……」
フルールは息をのんだ。
(このお方が、マダム……)
確かに、傷物の宝石を使ってアクセサリーを作ることを、クロアゲハに伝えなかった。伝えることを忘れていた。いや、むしろ……。
(みんなが宝石のよさをわかってくれたから、傷物の宝石を使っているなんて、わざわざ伝えなくていい、と思い込んでいたわ……)
フルールはマダムに深く頭を下げた。
「マダム、申し訳ございません。当店で扱う宝石はすべて、上層のアクセサリー職人が処分する予定だった、傷や欠けのあるものです。ご注文時に、説明しなかったことを、深くおわび申し上げます」
マダムは氷のように冷たい目をして、フルールを見おろしていた。
「お前は何故、そんなものを使ったの」
「中層には宝石を扱う店はございません。だから、ほとんどの人が、宝石の美しさを知りません。私は、みなに宝石の美しさを知ってほしくて、みなに、宝石を身につける喜びを知ってほしくて、安く手に入る傷ついた宝石を使って、アクセサリーを作ることにしました」
マダムは柳眉を逆立て、唇をゆがめ、もう一度フルールの頬を打った。
「傷物の宝石で、宝石の真の美しさが伝わると、本気で思ったというの! この、愚か者! お前は宝石を心から愛していると聞いたけれど、お前がしたことは、宝石に対しても、宝石を愛する私に対しても、侮辱以外のなにものでもないわ!」
そんなつもりはなかった。そんなことを考えもしなかった。小さな傷や欠けがあろうが、宝石は宝石。美しさに違いなど、どこにもないと思っていた。
「目の肥えていない中層の人間をだませても、この私をあざむくことなど、できやしないのよ!」
マダムは豪華な手提げ鞄から、オレンジ色の蝶のアクセサリーを取り出すと、魔法の力を込めて、念じた。
「ああ、やめて……!」
フルールの懇願は、マダムには届かなかった。マダムは蝶を引き裂き、フルールの顔めがけて投げつけ、怒りの形相のまま、店を出て行った。
フルールは、片方の羽をもぎ取られた蝶を手に取り、ごめんね、とつぶやいた。涙が、後から後から、流れ落ちては消えていった。
(こんな簡単に、みんなにわかってもらえると思っていたなんて、思い上がりもいいところよね……)
フルールは、傷ついた蝶を、涙ながらに、庭に埋葬した。
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