10 / 46
一章 花と蝶
第10話 私がすべき、本当のこと
しおりを挟む
フルールの元には、注文も入るようになった。店も盛況だった。しかし……。
その日は客足が途絶え、退屈だった。空に浮かぶ上層の影が、いつもよりも濃く感じられた。
(もしかして、飽きられてしまったのかしら……)
世の中には流行り廃りがある。爆発的に売れたものは、すぐに飽きられてしまう。父フレデリクの言葉だ。フルールは怖くなって、誰か来てくれないかと、店の扉をじっと眺めていた。
願いが叶ったのか、扉が開いた。フルールは入り口に立つ人物を期待の眼差しで見たが、思わず叫びそうになった。
狼だ。狼のような目をした男がやってきた。獲物を見据えるような、鋭く、冷たい目。男は黒い頭巾と外套を身につけ、つかつかとこちらへやってきた。
「い、いらっしゃいませ……。どのようなご用件でしょうか?」
男は何も答えず、こちらとの距離を縮めていった。
(ご、強盗かしら……? いやだ、怖い、助けて、エディ!)
フルールまであと数歩、というところで、男はぱっと頭巾をとった。男は金髪の美しい青年だった。目の色は灰色だった。男は優雅に微笑んだ。
「失敬。驚かせてしまったようですね」
「いえ、こちらこそ、失礼いたしました……」
フルールは消え入りそうな声で無礼を詫びた。
「改めておうかがいします。どのようなご用件でしょうか?」
「あなたに、作ってほしいアクセサリーがあります。どうぞこちらをご覧ください」
いったいどこにしまい込んでいたのかわからないが、男は鞄を取り出し、中から書類を一枚出した。
「拝見します。……こちらは、蝶のアクセサリーでございますね」
男が出した書類は、アクセサリーの設計図だった。オレンジ色の宝石を基調とした、蝶のアクセサリーの作り方が、事細やかに書き込まれていた。
(この蝶、まるで、あの日の蝶みたい……)
フルールは、自身の指輪に止まった、あの美しい蝶を思い出した。
「この設計図は我が主が描いたものです.この設計図を見れば、どのアクセサリー職人でも同じものが作れると、主は申しておりましたが、いかがでしょうか」
「はい、とてもわかりやすく描いてあって、確かに、私でも同じものを作れそうです」
男は安心したような笑みを浮かべた。見る者全てを虜にするような笑みだった。
「失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「クロアゲハ」
「え?」
フルールは驚いて、男のことをもう一度よく見つめた。外套の隙間から、蝶の飾りがちらりと見えた。その蝶は、真っ黒だった。
「クロアゲハ。そう、お呼びください。私はさる貴族の夫人の遣いでやって参りました。ですが、そのお方の名前を、あなたにお伝えすることはできません。お許しください。我が主のことは、単に、マダム、とお呼びください」
「かしこまりました。クロアゲハさま」
変わった名前だな、と思ったが、男の優雅な振る舞いと、裾の広がった黒い外套は、クロアゲハという言葉がよく似合っていた。
「マダムは、まずはあなたに、試作品を作っていただこうと考えております。試作品の出来映えがよければ、正式にこちらをお願いしたいと申しております」
「わかりました。ご期待に添えるよう、全力を尽くします」
「それを聞いて、安心しました」
男はまたしても優雅に笑った。フルールは思わず見とれそうになってしまった。その思いをぶるぶると振り落としたあと、疑問を口にした。
「マダムはどうして、上層のアクセサリー店ではなく、私にご依頼されたのでしょうか?」
「それはあなたが、宝石そのものを愛しておいでだからです」
「え?」
「マダムもあなたと同じ考えをお持ちです。宝石は単なる魔力の結晶ではなく、宝石そのものが美しく、貴いとお考えなのです。ですが、この考え方を、上層のアクセサリー店も、アクセサリー職人も、宝石の卸売商さえも理解しようとしない。そんな折に、あなたの噂を耳にしたのです。中層には、宝石そのものを愛するアクセサリー職人がいる、と、マダムに伝えましたところ、涙を流してお喜びになりました」
同じ考えをする人が、上層の中にもいた。それは、フルールにとっても、涙が出るほど嬉しいことだった。宝石そのものの美しさを、みんなにわかってもらうという夢に、こんなに早く近づけるなんて。
「クロアゲハさま、ありがとうございます。必ず、マダムがお気に召すようなアクセサリーを作ってみせます。他の注文との兼ね合いで、お時間を十日いただきますが、よろしいでしょうか?」
クロアゲハは満足した笑みを浮かべ、店をあとにした。クロアゲハを見送った途端、フルールは天にも昇る心地になった。
「すごい! 素敵なことだわ! 上層の貴族の奥さまから、ご指名で注文が入るなんて!」
喜びのあまり、フルールは店内を蝶のように舞った。
「お父さん! 天国で見てくれた? こんな名誉なことがあるなんて! しかも、奥さまは、私の志に感動してくれたのよ!」
店内では、フルールが作った蝶の飾りや八連の宝石のネックレスが、祝福するようにきらきらと輝いていた。
「わかったわ! 私がすべき、本当のことが! アクセサリーで、人の心を繋ぐ! 上層の人も中層の人も、きっと、下層の人も、美しいものを美しいと感じる心は、同じはずよ! トリタヴォーラのすべての人が、同じ人間だっていうことを、アクセサリーで証明するのよ!」
フルールはすっかり舞い上がってしまい、大切なことを二つ忘れてしまった。一つは、試作品の代金について話さなかったこと。もう一つは、自分が扱う宝石がどんなものか、伝えなかったことだ。
その日は客足が途絶え、退屈だった。空に浮かぶ上層の影が、いつもよりも濃く感じられた。
(もしかして、飽きられてしまったのかしら……)
世の中には流行り廃りがある。爆発的に売れたものは、すぐに飽きられてしまう。父フレデリクの言葉だ。フルールは怖くなって、誰か来てくれないかと、店の扉をじっと眺めていた。
願いが叶ったのか、扉が開いた。フルールは入り口に立つ人物を期待の眼差しで見たが、思わず叫びそうになった。
狼だ。狼のような目をした男がやってきた。獲物を見据えるような、鋭く、冷たい目。男は黒い頭巾と外套を身につけ、つかつかとこちらへやってきた。
「い、いらっしゃいませ……。どのようなご用件でしょうか?」
男は何も答えず、こちらとの距離を縮めていった。
(ご、強盗かしら……? いやだ、怖い、助けて、エディ!)
フルールまであと数歩、というところで、男はぱっと頭巾をとった。男は金髪の美しい青年だった。目の色は灰色だった。男は優雅に微笑んだ。
「失敬。驚かせてしまったようですね」
「いえ、こちらこそ、失礼いたしました……」
フルールは消え入りそうな声で無礼を詫びた。
「改めておうかがいします。どのようなご用件でしょうか?」
「あなたに、作ってほしいアクセサリーがあります。どうぞこちらをご覧ください」
いったいどこにしまい込んでいたのかわからないが、男は鞄を取り出し、中から書類を一枚出した。
「拝見します。……こちらは、蝶のアクセサリーでございますね」
男が出した書類は、アクセサリーの設計図だった。オレンジ色の宝石を基調とした、蝶のアクセサリーの作り方が、事細やかに書き込まれていた。
(この蝶、まるで、あの日の蝶みたい……)
フルールは、自身の指輪に止まった、あの美しい蝶を思い出した。
「この設計図は我が主が描いたものです.この設計図を見れば、どのアクセサリー職人でも同じものが作れると、主は申しておりましたが、いかがでしょうか」
「はい、とてもわかりやすく描いてあって、確かに、私でも同じものを作れそうです」
男は安心したような笑みを浮かべた。見る者全てを虜にするような笑みだった。
「失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「クロアゲハ」
「え?」
フルールは驚いて、男のことをもう一度よく見つめた。外套の隙間から、蝶の飾りがちらりと見えた。その蝶は、真っ黒だった。
「クロアゲハ。そう、お呼びください。私はさる貴族の夫人の遣いでやって参りました。ですが、そのお方の名前を、あなたにお伝えすることはできません。お許しください。我が主のことは、単に、マダム、とお呼びください」
「かしこまりました。クロアゲハさま」
変わった名前だな、と思ったが、男の優雅な振る舞いと、裾の広がった黒い外套は、クロアゲハという言葉がよく似合っていた。
「マダムは、まずはあなたに、試作品を作っていただこうと考えております。試作品の出来映えがよければ、正式にこちらをお願いしたいと申しております」
「わかりました。ご期待に添えるよう、全力を尽くします」
「それを聞いて、安心しました」
男はまたしても優雅に笑った。フルールは思わず見とれそうになってしまった。その思いをぶるぶると振り落としたあと、疑問を口にした。
「マダムはどうして、上層のアクセサリー店ではなく、私にご依頼されたのでしょうか?」
「それはあなたが、宝石そのものを愛しておいでだからです」
「え?」
「マダムもあなたと同じ考えをお持ちです。宝石は単なる魔力の結晶ではなく、宝石そのものが美しく、貴いとお考えなのです。ですが、この考え方を、上層のアクセサリー店も、アクセサリー職人も、宝石の卸売商さえも理解しようとしない。そんな折に、あなたの噂を耳にしたのです。中層には、宝石そのものを愛するアクセサリー職人がいる、と、マダムに伝えましたところ、涙を流してお喜びになりました」
同じ考えをする人が、上層の中にもいた。それは、フルールにとっても、涙が出るほど嬉しいことだった。宝石そのものの美しさを、みんなにわかってもらうという夢に、こんなに早く近づけるなんて。
「クロアゲハさま、ありがとうございます。必ず、マダムがお気に召すようなアクセサリーを作ってみせます。他の注文との兼ね合いで、お時間を十日いただきますが、よろしいでしょうか?」
クロアゲハは満足した笑みを浮かべ、店をあとにした。クロアゲハを見送った途端、フルールは天にも昇る心地になった。
「すごい! 素敵なことだわ! 上層の貴族の奥さまから、ご指名で注文が入るなんて!」
喜びのあまり、フルールは店内を蝶のように舞った。
「お父さん! 天国で見てくれた? こんな名誉なことがあるなんて! しかも、奥さまは、私の志に感動してくれたのよ!」
店内では、フルールが作った蝶の飾りや八連の宝石のネックレスが、祝福するようにきらきらと輝いていた。
「わかったわ! 私がすべき、本当のことが! アクセサリーで、人の心を繋ぐ! 上層の人も中層の人も、きっと、下層の人も、美しいものを美しいと感じる心は、同じはずよ! トリタヴォーラのすべての人が、同じ人間だっていうことを、アクセサリーで証明するのよ!」
フルールはすっかり舞い上がってしまい、大切なことを二つ忘れてしまった。一つは、試作品の代金について話さなかったこと。もう一つは、自分が扱う宝石がどんなものか、伝えなかったことだ。
2
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
隠された第四皇女
山田ランチ
ファンタジー
ギルベアト帝国。
帝国では忌み嫌われる魔女達が集う娼館で働くウィノラは、魔女の中でも稀有な癒やしの力を持っていた。ある時、皇宮から内密に呼び出しがかかり、赴いた先に居たのは三度目の出産で今にも命尽きそうな第二側妃のリナだった。しかし癒やしの力を使って助けたリナからは何故か拒絶されてしまう。逃げるように皇宮を出る途中、ライナーという貴族男性に助けてもらう。それから3年後、とある命令を受けてウィノラは再び皇宮に赴く事になる。
皇帝の命令で魔女を捕らえる動きが活発になっていく中、エミル王国との戦争が勃発。そしてウィノラが娼館に隠された秘密が明らかとなっていく。
ヒュー娼館の人々
ウィノラ(娼館で育った第四皇女)
アデリータ(女将、ウィノラの育ての親)
マイノ(アデリータの弟で護衛長)
ディアンヌ、ロラ(娼婦)
デルマ、イリーゼ(高級娼婦)
皇宮の人々
ライナー・フックス(公爵家嫡男)
バラード・クラウゼ(伯爵、ライナーの友人、デルマの恋人)
ルシャード・ツーファール(ギルベアト皇帝)
ガリオン・ツーファール(第一皇子、アイテル軍団の第一師団団長)
リーヴィス・ツーファール(第三皇子、騎士団所属)
オーティス・ツーファール(第四皇子、幻の皇女の弟)
エデル・ツーファール(第五皇子、幻の皇女の弟)
セリア・エミル(第二皇女、現エミル王国王妃)
ローデリカ・ツーファール(第三皇女、ガリオンの妹、死亡)
幻の皇女(第四皇女、死産?)
アナイス・ツーファール(第五皇女、ライナーの婚約者候補)
ロタリオ(ライナーの従者)
ウィリアム(伯爵家三男、アイテル軍団の第一師団副団長)
レナード・ハーン(子爵令息)
リナ(第二側妃、幻の皇女の母。魔女)
ローザ(リナの侍女、魔女)
※フェッチ
力ある魔女の力が具現化したもの。その形は様々で魔女の性格や能力によって変化する。生き物のように視えていても力が形を成したもの。魔女が死亡、もしくは能力を失った時点で消滅する。
ある程度の力がある者達にしかフェッチは視えず、それ以外では気配や感覚でのみ感じる者もいる。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
記憶がないなら私は……
しがと
恋愛
ずっと好きでようやく付き合えた彼が記憶を無くしてしまった。しかも私のことだけ。そして彼は以前好きだった女性に私の目の前で抱きついてしまう。もう諦めなければいけない、と彼のことを忘れる決意をしたが……。 *全4話
義母に毒を盛られて前世の記憶を取り戻し覚醒しました、貴男は義妹と仲良くすればいいわ。
克全
ファンタジー
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
11月9日「カクヨム」恋愛日間ランキング15位
11月11日「カクヨム」恋愛週間ランキング22位
11月11日「カクヨム」恋愛月間ランキング71位
11月4日「小説家になろう」恋愛異世界転生/転移恋愛日間78位
酒の席での戯言ですのよ。
ぽんぽこ狸
恋愛
成人前の令嬢であるリディアは、婚約者であるオーウェンの部屋から聞こえてくる自分の悪口にただ耳を澄ませていた。
何度もやめてほしいと言っていて、両親にも訴えているのに彼らは総じて酒の席での戯言だから流せばいいと口にする。
そんな彼らに、リディアは成人を迎えた日の晩餐会で、仕返しをするのだった。
マイアの魔道具工房~家から追い出されそうになった新米魔道具師ですが私はお師匠様とこのまま一緒に暮らしたい!~
高井うしお
ファンタジー
森に住む天才魔術師アシュレイとその弟子マイア。
孤児になったところを拾われてアシュレイと平和に暮らしていたマイアだったが、十六歳になったある日、突然に師匠のアシュレイから独立しろと告げられる。
とはいうものの対人関係と家事能力に難ありなどこか頼りない師匠アシュレイ。家族同然の彼と離れて暮らしたくないマイアは交渉の末、仕事を見つければ家を出なくて良いと約束を取り付け魔道具を作りはじめる。
魔道具を通じて次第に新しい世界に居場所と仲間を見つけるマイア。
そんなマイアにアシュレイの心は揺れて……。
この物語は仕事を通じて外の世界を知った少女の自立をきっかけに、互いの本当の気持ちに気付くまでの物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる