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第二章 魔剣の妖女 

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 ぽん、とパルフェの手がラディアナの頭に触れる。すると……ラディアナの周囲が、いきなり暗くなった。夜目が利くから暗さには強いはずのラディアナだが、周囲がはっきりとは見えない。
 明らかにさっきとは様子が違う。パルフェは、今度は夜の場面を見せてくれているのか? 
 いや、過去のいつを思い出しても、夜だからといってこんなに視界が不自由になった経験などない。ラディアナの夜目が利くのは、修行の成果ではなくドラゴンとして生まれついてのものなのだから。物心つく前から、ラディアナにとって夜はここまで暗いものではない。
 では一体、これは何なのか。と考えていると、だんだん少しずつ周りが見えるようになってきた。人間がいうところの、目が慣れてきたというやつか? 
 どこかの屋内、なかなか豪華な内装の部屋にいる。見覚えのない場所だ。
 自分はどうやら、仰向けに寝ているようだ。背中には柔らかい感触。クリスから聞いた話によれば、おそらくベッドというものだろう。
 それにしても、何だか涼しい。この涼しさはおそらく、服を着ていない。
 視界が動いた。といってもラディアナの意思で動かしたわけではないが。部屋の入口のドアを開けて入ってきたのは……身なりがいい、というより明らかに装飾過多で悪趣味な服に身を包んだ、でっぷりと太った中年男。何やら異様に嬉しそうな顔をしている。目は期待感にギラギラしており、だらしなく開けられた口からは涎が垂れて、舌なめずりもしている。
 よっぽど美味しそうなご馳走でも目の前にあるのかな、とラディアナは思った。だが、男の視線はまっすぐこちらを向いている。つまり、男が見ているのはラディアナだ。
『?』
 ラディアナは疑問に思うが、例によって体は全く動かせないので、首を傾げることもできない。そんなラディアナが見ている前で、男は大慌てで服を脱ぎ捨てた。
 そして全裸になると、鼻息荒く覆い被さってくる。
『!!!!!!!!』
 声にならなかった。もともとラディアナの意思で声を出すことはできないから、どうしようもないのだが。
 その代わり、ラディアナの意思とは関係ない誰か、本来のこの体、この記憶の持ち主が悲鳴を上げていた。泣いている、なんてものではなく泣き叫んでいる。本人なりに暴れてもいるようだが、楽しそうに笑う男に容易く組み伏せられる。泣こうが喚こうが、男は一切容赦しない。それどころか、その泣き声を聞いてますます激しく……一体何をしているのか、ラディアナには解らなかった。
 膨大、絶大、無限大にどこまでも大きくなっていく恐怖と苦痛と嫌悪。何でもいいから一瞬でも早くこの責め苦から開放されたい、と思うのだが逃げられない、防げない。男が与えてくる全てを、受け止めるしかない。      
 肉体的にも精神的にも隅から隅まで男に侵食され、ラディアナ自身の心が塗り潰されてしまいそうになった時、唐突に全てが消えた。男も、部屋も、ベッドも、自分の体も。
 何だかわからないけどやっと終わった、とラディアナが安堵した次の瞬間には、違う部屋に移っていた。さっきよりもだいぶ粗末な部屋だ。しかしその他の状況は同じ。
 つまり、自分は裸でベッドに寝ている。
『……まさか……』
 そのまさかだった。ドアを開けて入ってきたのは、今度はみすぼらしい格好の四人の男たち。俺はいくら出した、俺の方が多い、俺は前回の分も含めて払った、などと軽く言い争いをしながら楽しそうに全員が服を脱ぎ捨てる。
 四人の裸の男たちが、同じく裸で寝ているラディアナに覆い被さってくる。酒の臭いがする息を弾ませ、汗に塗れた毛深い体が、蟲の群れのようにまとわりついてくる。四人分、八本の手がラディアナの体を撫で回す。四人分、四つの口がラディアナの体に噛み付いて嘗め回す。そして四人分、四本の太く熱く脈打つものが次から次へと絶え間なく…… 
「はいっ、と」
 パルフェがラディアナの頭から手を離した。
 ひんやりした空気がラディアナを包む。暗い路地にラディナアは立っている。エプロンドレスをきちんと着ている。裸ではないし、右手以外に傷はない。
 が、ラディアナの心の中はズタズタだった。パルフェの足元に、崩れ落ちるように四つん這いになって、
「ぅぅげええええぇぇっ!」
 吐いた。口の中にあの異様な味が、あの気持ち悪い臭いが、粘つくように残っている気がして、とにかく吐いた。自分の胃液や未消化物で洗い流した方がましだ、と思えるぐらい、本能的生理的に、あれは嫌。嫌。嫌。嫌。今はそれしか考えられず、ラディアナは吐いた。
 パルフェが屈み込んで、ラディアナの背中を摩った。薄い衣装のどこからかハンカチを取り出して、滲み出ている涙を拭いてやった。しばらくしてラディアナが少し落ち着くと、新しく一枚取り出して口の中、口の周りも拭いてやった。
「堪えたみたいね、かなり」
「……ぅ……ぅ」 
 そんな軽々しい言葉で片付けて欲しくない! のだが、非難したり怒鳴りつけたりするほどの気力など、今のラディアナには残っていない。
「何だったの……今のは……」
「封印を解かれて以来、ワタシが魂を読んだのは、アナタの他には一人しかいないわよ」
「え……? それじゃ……」 
 今のはクリスの魂の記憶、クリスの過去の実体験?
 ラディアナの故郷や両親の再現度から考えて、恐ろしく正確なものなのは間違いない。つまりクリスは昔、あんなことを……?
「家族の顔を知らない幼い男の子が、タチの悪いのに拾われて売られたってことみたいよ。で、お客様の相手を毎日毎日。それがクリス君の、一番古い記憶みたい」
『売られる、っていえば……』
 そういえばあの時。クリスが檻車の中で、山賊たちに向かって、こんな小さな女の子を売るのかと激怒していた。
 あれは、売られた子供というのがどうなるか、自分の体験で知っていたからか。ラディアナがそうなると思ったから、それであんなに……
「その後、何がどうなって現在に至るのかまでは読めてないけどね。とにかく、普通だったらクリス君は、もっとヒネた子になると思うのよワタシは。幸せな家族の光景なんか見ちゃったら、自分の境遇と比べて、やり場のない怒りで身を焦がすとか」
「……」
「ラディアナちゃんだってそう思うでしょ? 今のラディアナちゃんよりももっと小さい頃、幼い時期の日々を、こんなことで埋め尽くしてたら」
 パルフェの手がラディアナに向かって伸ばされる。
「やめっ……!」
 まだ精神のダメージが回復していなかったラディアナは、逃げようとしたが間に合わなかった。パルフェの手がラディナアの頭に触れ、ラディアナの意識から自分の肉体と自分を取り巻く環境の全てが消失する。
 一瞬後、ラディアナは妖しげな部屋に居た。床が石造り、壁も石造り、その壁にズラリと並んで掛けられているのは……武器? 違う。外見の禍々しさからして、おそらく肉体を傷つける為の道具だろうと察しはつくが、戦いに使用できるようにも見えない。
 壁より先に床が目に入ったのは、自分が下を向いているから。四つん這いの姿勢で両手両足を固定、床から突き出た杭に四肢を固く縛られている。
 そして予想通り、男たちが入ってきた。今度は三人、最初から全員裸だ。
 三人はそれぞれ、壁に掛けられていた道具を手に取って、ラディアナに近づいてきた。
 先が無数に割れている皮の鞭がラディアナの背中に打ち込まれ、厚い木の板が唸りを上げてラディアナの臀部を叩き、太い蝋燭から垂れ落ちる灼熱の雫がラディアナの首筋や頬を焼いた。
 やがて三人は飽きてきたのか、別の道具を取りに再び壁に向かって、
「もうやめてええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇっっ!」
 ラディアナが拘束を破って後ずさった。いや違う、最初から拘束などされていない。
 数歩の距離を置いて、パルフェと向かい合う形で、ラディアナは立っている。ここは暗くて汚い路地だ。ラディアナの背中にも臀部にも首筋にも頬にも傷一つない。ただ、傷の代わりに、ラディアナの頬は幾筋もの汗と涙で濡れている。 
「と、まあ、意識の中で仕掛けを理解していれば、誰でも抵抗することができるの。知らなくても、ある程度魔力があれば簡単に脱出可能。そんな程度の術よ」
「ぅぐっ、はぁ、ふぁぅっ……そ、そんなことより、パ、パルフェ、だから、その、何なのよ、あんた、何がしたいのっ、あれが、クリスの、過去だってのは、わかったけど……」
「さっき説明したわよね。売られたクリス君が、飼い主の命令でいろんなお客様の相手をしてたってこと。今でさえあんな顔してるんだから、アナタに見せた記憶の年代、五歳や六歳の頃なんて、そりゃあもう食べちゃいたいくらい可愛かったんでしょうねえ。こう、ぷにぷにと」
 パルフェは当たり前のように解説しているが、ラディアナには何が何だか解らない。
「お客様って、服とか食べ物とかを買うみたいに、お金を払って、あんなことしてたの?」
「そうよ。さぞかしいい値がついたことでしょ」
「あ、あ、あんなことして、楽しいの? 嬉しいの?」
「楽しい、嬉しい人もいるのよ。世の中には結構多くね。だからああいう商売が成り立つ。クリス君みたいな子が商品として売れる」
 ラディアナの心の中に、活火山の噴煙もかくやという勢いで、人間への嫌悪が熱く膨れ上がっていった。やっぱり人間は理解できない。むしろ憎い。五歳や六歳の子供を、商品にしてあんなことを? 許せない。絶対に許せない。こうなってみると、魔王やリュマルドの方が理解できそうになってくる。人間たちなんて滅んだ方が……
「……って、ちょっと。じゃあクリス本人は何なの。小さい頃にあんな目に遭っているってのに、どうして今、あんな風になってるの?」
「さあねえ。ちなみに、アナタがクリス君みたいな目に遭ってたらどうする?」
「言われなくても考えたわよ、今。あたし自身が魔王やリュマルドみたいになって、人間たち相手に戦ってやるって」
「それで戦乱の世になれば、またクリス君やラディアナちゃんみたいな子が世に溢れるわね。そんなことして楽しいの? 嬉しいの? ってことじゃないかしら、今のクリス君は」
 言われて、ラディアナは言葉に詰まった。
「そ、それはそうだけど、でも、」
「人間にはたまにいるのよ、そういうタイプが。でもまあ確かに、納得し難いわよね。なら、本人に直接聞いてみたら?」
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