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第九章・不可侵の領域
やっと見つけた手掛かり
しおりを挟む聖域へと行き着いたエクレールは、ボロボロになった屋敷とその周辺を目の当たりにして強い眩暈を覚えた。つい先ほどまで争っていたような痕跡があちらこちらに見受けられる。
大きな屋敷は出入口の左手側の損壊が特にひどく、二階の辺りは見るも無残な状態だった。まるで内側から何かにこじ開けられたかのような。屋敷全体が大きいお陰で倒壊には至っていないが、景観は損なわれ、ひどい有り様だ。
「こ、これは……お兄様たちは、みなさまはどこに……」
この聖域にはジュードたちが向かったはず――屋敷がのこのような状態になっているのなら、彼らの身に何かあったのでは。そう考えが行き着くのは至極当然のこと。しかし、傍をふわふわと浮遊するウィスプが庭の方に向かって飛んでいくのを見れば、彼女の足も自然とそちらに向く。どくどくと拍動する鼓動がやかましく、心臓が胸を突き破って飛び出してしまいそうだった。
「ああぁ……! まだ読めてないものいっぱいあったのに……!」
「これは修復できそうにないわねぇ……困ったわ、この中に情報があったらどうしたら……」
すると、庭の方からそんな声が聞こえてきた。この声はウィルとイスキアだ。それを理解するなり、エクレールは思わず腰が抜けてしまいそうなほどに安心した。その直後にジュードの声も聞こえてきたものだから、尚のこと。
「あ、あれ? エクレールさん、どうしたの!? まさか里で何か……」
「お、お兄様……いえ、もしやみなさまに何かあったのではと、心配で……」
見れば、中庭には全員が揃っていた。書斎から庭に落ちてしまった文献の確認をしていたのだが、状況は芳しくない。ジュードは手を止めて立ち上がると、安心したように文字通り胸を撫で下ろすエクレールの傍にちびと共に駆け寄った。しかし、そんな彼の横を素通りする形でウィスプが更に庭の奥へとふわふわ飛んでいくのを見ると、エクレールはもちろんのこと、ジュードたちの視線も釘付けになった。
「な、なに、あれ……?」
「にょ、あれはウィスプだに。ライオットと同じ光の精霊だによ」
「へえ……あんたよりずっと精霊らしいわね」
思わず洩れたマナの呟きに、傍にいたライオットは当然ながら「失礼だに!」と声を上げて憤慨した。イスキアとノームは裏庭の方へと飛んでいくウィスプを見て、そちらに足先を向ける。
「どうしたのかしら、ウィスプがわざわざ出てくるなんて珍しいわね……」
「え、珍しいんですか?」
「ウィスプさんは恥ずかしがり屋さんだから普段はあまり姿は見せないんだナマァ、行ってみるナマァ」
ウィルはボロボロになった文献の数々を隅に積み上げていきながら、そんなイスキアとノームを見遣る。普段あまり姿を見せない精霊がわざわざ聖域までやってきた理由は――確かに気になる。頼みの文献がこの有り様では、他にできることもないのだ。取り敢えず、ノームの言うようにウィスプの後を追ってみることにした。
* * *
程なくして、ウィスプに導かれるようにして辿り着いたのは――屋敷の裏庭にあるグラナータ・サルサロッサの墓だった。この墓は屋敷に滞在するようになって早い段階で見つけたものだ。ウィスプは墓の前で止まり、そのまま墓石の周囲をゆっくりとした動きで回り始めた。
「どう、したのでしょう……何かを訴えているように見えますが……」
その動きを見て、リンファは不思議そうに首を捻り、その隣ではシルヴァが同意するように何度か小さく頷いた。ノームの言うように重度の恥ずかしがり屋なのか、それとも喋れないのか――ウィスプが言葉を口にする様子は見受けられない。その後ろではマナとルルーナも困ったように首を捻っていた。
しかし、ジュードとエクレールは――ちら、と互いに顔を見合わせる。人ならぬものと心を通わせる精霊族の血は、やはり精霊が言わんとすることも理解できるようだった。
イスキアは怪訝な面持ちでウィスプを眺めた後、腰に据える小型ポーチからケリュケイオンの腕輪を取り出す。同じ精霊であるウィスプの言わんとすることを当然イスキアやライオットたちが理解できないはずもなく――
「ケリュケイオンをこの墓に使えって言ってるわね。まさか、この墓も幻術なの……?」
「と、とにかく、やってみるに。ウィスプはずっとこの辺りに住んでるからライオットたちよりも事情には詳しいはずだによ」
ライオットの言葉に急かされるようにイスキアが腕輪を掲げると、辺りは眩い閃光に包まれた。その輝きは墓石を照らし、次第に姿かたちを変えていく。ほんの数十秒後には、それは墓石ではなくひとつの古びた宝箱へと変わってしまった。
「こ、これは……開けてもいい、のかな……?」
「ええ、開けてみて。グラナータが仕掛けたものだから危険性はないと思うんだけど……」
仲間たちが唖然とする中、いち早く我に返ったジュードは宝箱の前まで歩み寄ると、その古びた箱の前に片膝をついて屈んだ。見たところ、鍵などはかけられていないようだった。一拍ほど遅れてウィルとマナもそれぞれ両脇に屈み、固唾を呑んで見守る。中にいったい何が入っているのか、想像もできなかった。
ギイィ……と軋む音を立てて開かれた宝箱の中には――ひとつの手帳が入っていた。黒いカバーがついたそれを、ジュードはそっと慎重に取り出してパラパラと捲ってみたが、中にはやはりあの文字と呼ぶのもおこがましくなるほどのヘタクソな文字がびっしりと紙面に綴られている。それを見て、ジュードのみならず両脇にいたウィルとマナの表情も自然と歪んだ。
「ジェ、ジェントさん……この手帳はどうだろう、なんて書いてあるのかな……」
ジュードが困ったように呼びかけると、その傍らにはいつものようにジェントがふわりと姿を現した。先ほどの戦闘の影響か、少しばかり疲労の色が見て取れるが。
差し出された手帳を受け取り、同じようにパラパラと捲っていくなり、秀麗なその顔には怪訝そうな色が滲む。
ノームを肩に乗せて、イスキアはそんなジェントの横から手元を覗き込む。何度見ても文字には見えないひどいものだ、ジッと見ていると頭痛がしてくるようだった。だが、いくらひどい文字と言えど数字はわかる。ページのそれぞれ上部に刻まれているのは、恐らくは日付だ。
「これは……グラナータの日記か何か?」
『ああ、日記は日記だが……』
紙面には文字の他に、図や表のようなものまで記載されている。それらを暫し眺めた後に、ジェントは一度静かに目を伏せて力なく頭を振った。その手が微かに震えているように見えたのは、気のせいではなさそうだ。
『……死の雨の被害者を救う方法、……これだ』
「ほ、ほんと!? じゃあ、この手帳に書いてある通りにやれば、王都の人たちは……!」
その呟くような言葉に、マナは表情を輝かせる。それがどのような方法かは現段階ではわからないが、当時はどうしようもなかった問題に「解決策がある」ということが何よりも嬉しかった。
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