205 / 230
第九章・不可侵の領域
神の生死について
しおりを挟むジュードやちびには、目の前から猛然と迫る炎を避けるだけの余裕も時間もない。ネレイナはそれを理解すると、竜化したことで爬虫類のようになった目を笑むようにギラリと光らせる。
けれど、その余裕は早々に鳴りを潜めることになった。
ジュードの真横を通りジェントが彼よりも数歩前に出ると、駆ける足は止めぬまま片手の人差し指で宙を切り取るかのように円を描く。青い光を携えるそれは力強い輝きを放った直後、渦を巻く巨大な水流を放った。長い躯体を持つヘビか龍の如く唸る水流は、真正面から迫る炎のブレスを見事に割り、そのまま炎を吐き出したネレイナの口に叩き込まれる。
「がはぁッ!?」
『――ジュード!』
大きく開けた口の中に叩き込まれた水流は、ネレイナの巨大な身を大きく仰け反らせることに成功した。そうなると、当然狙いの胸部は無防備になるわけで。ジェントが声を上げると同時、ジュードは強く地面を蹴って高く跳躍する。狙いは――死霊文字が刻まれたネレイナの胸元。聖剣でなら浄化できるはずだ。
脳裏に、以前シヴァが教えてくれたことが次々に浮かぶ。移動の休憩時間を使って、シヴァはジュードに色々なことを教えてくれた。まさか彼が教えてくれた技がぶっつけ本番になるとは思っていなかったが、躊躇いはない。
「(……全神経を攻撃の手に集中、雑念を払い、呼吸を合わせて一気に――叩き込む!)」
頭を使うことは苦手だし、集中するのだってそれほど得意ではないジュードには精神統一が何より難しかった。だが、元々呑み込みはいいのだ。逆に言えば、それさえクリアしてしまえばその技の習得はそれほど難しくない。
「いっけえええぇ!」
常人よりも遥かに優れたジュードの目は、ネレイナの胸部に刻まれた死霊文字を的確に捉える。両手で持った聖剣を振りかぶり、刃をその胸部へと思いきり叩きつけた。刹那、辺りが一瞬眩い閃光に包まれる。
全神経を攻撃の手に集中することで、爆発的に威力を高める一撃――シヴァがジュードに教えたのはそれだ。
「きゃああああぁッ!!」
「くっ!」
ネレイナの胸元に刻まれた死霊文字からは、聖剣の刃が直撃するなり悲痛な叫びのような音が上がった。間近で聞いたジュードは、その耳触りな音に思わず下唇を噛み締めて表情を顰める。薙ぎ払うような一撃は確かに死霊文字の全体部分を真横から叩き斬ったが、痛みによりのたうつネレイナに振り払われてジュードの身は宙を舞った。
だが、そこはちびが見逃さない。素早く飛び上がり、投げ出されたジュードの身をふわふわと毛でちゃんと受け止めた。
死霊文字を叩き斬られたネレイナの身は見る見るうちに小さくなり、それと共に周囲に展開して暴れていたディオースの群れが空気に溶けるようにして消えていく。それまで交戦していた仲間たちからは、安堵が洩れた。それを背中で聞いたジュードは、すっかり元の人型に戻ったネレイナをジッと見据える。
「うぅ……ッ、わた、わたくしの、美しい、身体に……傷、傷、があぁ……ッ!」
「……」
「ゆ、るさない、わよ……ジュードくん、よくも……!」
地面に座り込んで憎悪の眼差しを向けてくる彼女を前に、ジュードはただただ複雑な表情を浮かべるしかできない。見た目はごく普通の人間だが、ネレイナは既にどこか壊れてしまっているような印象を受ける。いったい何が彼女をそうしてしまったのか、やはり地の国の――貴族の在り方のせいなのか。敵ではあるものの、いっそ憐れでもある。
「……なんで。魔族に魂を売ってまで、どうして神さまになんてなりたいんだ」
「……あなたは、あなたたちはまだ子供。本気で人を愛したことがないから……わからないわよ、わたくしの気持ちなんて。火の国の騎士殿だって、きっと愛とは無縁の人生だったでしょう?」
そう静かに声をかけると、少しだけ、ほんの少しだけ落ち着いたようだった。依然としてその相貌から憎悪の色は消えないが、ネレイナは一度ジュードを眺めた後、その後ろに見える面々を視線のみで見回してから再びまっすぐにジュードを睨み据えた。
「人は愛によって育まれ、愛によって壊れるものなの。わたくしは絶対的な力を手に入れ、そして必ず……愛を、取り戻すのよ……邪魔なんて、させないわ……」
「……お母さま」
ネレイナのその言葉に、ルルーナは眉根を寄せて表情を曇らせた。
彼女の実の父は、ルルーナがまだ幼い頃に家を出て行ってしまった。恐らく、ネレイナは今でも夫を愛していて、彼を取り戻したいのだろう。そのために神になるというのは、あまりにも理解に苦しむぶっ飛んだ思考だが。
愛する夫を取り戻し、ノーリアン家の権威と栄誉を取り戻す。彼女の願いはきっとそれだけ。
「収穫はあったし、今回はこの辺りで退いてあげる。でも……覚えておくことね、わたくしはいつでもあなたを見ているわよ、ジュードくん。あなたが人間に嫌気が差した時、きっとわたくしに会いたくなるわ……」
「……そんなことにはならないよ」
ネレイナの胸部からはすっかり死霊文字が消えたが、聖剣で斬られたことで決して少なくない出血が確認できる。それ以上の戦闘継続は無理だと判断したらしい、それだけ言い残してネレイナは自らの足元に魔法陣を展開すると、そのまま転移魔法によって姿を消した。
やっと静寂が戻ったものの、書斎を中心に屋敷はほとんどボロボロだ。まだ解読が終わっていなかった文献も大半が破損し、とてもではないが読めるような状態ではなかった。まだ何も――何も、必要な情報を得られていないのに。
「ジュード様、勇者様、ご無事ですか?」
「人間があのような姿になるとは……死霊文字というのは、どうしようもなく恐ろしいものなのだな」
リンファとシルヴァはジュードの傍に駆け寄ると、真っ先に怪我の有無を確認し始める。見たところ、ディオースと交戦していた仲間たちにも目立った怪我はなさそうだ。
『死霊文字を自らの肉体に刻むなど……とんでもないことをするものだ』
「そう、ですね……神さまも十年前に死んじゃったって話だし、文献はメチャクチャだし……」
『……大丈夫、神は死んでなどいない。フォルネウスが言っていたことを思い出してみるといい』
「え?」
ジェントのその言葉に、ジュートはリンファと一度顔を見合わせた。フォルネウスが言っていたことで神に関することと言えば――
『――我々精霊たちは竜の神によって生み出され、竜の神と共に死ぬ。神が生きている限り精霊に“死”というものは訪れない』
謁見の間でシヴァの話をしていた時、彼は確かにそう口にしていた。
つまり、ライオットやイスキアたち精霊は、神が死ぬ時に共に死ぬもの。逆に言えば、精霊が生きているということは神もどこかで生きているということに他ならない。
状況は依然として変わっていないものの、それだけは確かに朗報だった。
0
お気に入りに追加
102
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
悠々自適な転生冒険者ライフ ~実力がバレると面倒だから周りのみんなにはナイショです~
こばやん2号
ファンタジー
とある大学に通う22歳の大学生である日比野秋雨は、通学途中にある工事現場の事故に巻き込まれてあっけなく死んでしまう。
それを不憫に思った女神が、異世界で生き返る権利と異世界転生定番のチート能力を与えてくれた。
かつて生きていた世界で趣味で読んでいた小説の知識から、自分の実力がバレてしまうと面倒事に巻き込まれると思った彼は、自身の実力を隠したまま自由気ままな冒険者をすることにした。
果たして彼の二度目の人生はうまくいくのか? そして彼は自分の実力を隠したまま平和な異世界生活をおくれるのか!?
※この作品はアルファポリス、小説家になろうの両サイトで同時配信しております。
【完結】【勇者】の称号が無かった美少年は王宮を追放されたのでのんびり異世界を謳歌する
雪雪ノ雪
ファンタジー
ある日、突然学校にいた人全員が【勇者】として召喚された。
その召喚に巻き込まれた少年柊茜は、1人だけ【勇者】の称号がなかった。
代わりにあったのは【ラグナロク】という【固有exスキル】。
それを見た柊茜は
「あー....このスキルのせいで【勇者】の称号がなかったのかー。まぁ、ス・ラ・イ・厶・に【勇者】って称号とか合わないからなぁ…」
【勇者】の称号が無かった柊茜は、王宮を追放されてしまう。
追放されてしまった柊茜は、特に慌てる事もなくのんびり異世界を謳歌する..........たぶん…....
主人公は男の娘です 基本主人公が自分を表す時は「私」と表現します
エラーから始まる異世界生活
KeyBow
ファンタジー
45歳リーマンの志郎は本来異世界転移されないはずだったが、何が原因か高校生の異世界勇者召喚に巻き込まれる。
本来の人数より1名増の影響か転移処理でエラーが発生する。
高校生は正常?に転移されたようだが、志郎はエラー召喚されてしまった。
冤罪で多くの魔物うようよするような所に放逐がされ、死にそうになりながら一人の少女と出会う。
その後冒険者として生きて行かざるを得ず奴隷を買い成り上がっていく物語。
某刑事のように”あの女(王女)絶対いずれしょんべんぶっ掛けてやる”事を当面の目標の一つとして。
実は所有するギフトはかなりレアなぶっ飛びな内容で、召喚された中では最強だったはずである。
勇者として活躍するのかしないのか?
能力を鍛え、復讐と色々エラーがあり屈折してしまった心を、召還時のエラーで壊れた記憶を抱えてもがきながら奴隷の少女達に救われるて変わっていく第二の人生を歩む志郎の物語が始まる。
多分チーレムになったり残酷表現があります。苦手な方はお気をつけ下さい。
初めての作品にお付き合い下さい。
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
昼寝部
ファンタジー
この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。
そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。
しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる