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第九章・不可侵の領域

予期せぬ襲撃者

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『グラナータ博士のこと随分と信頼してるんだなとか、博士のこと話す時のジェントさんっていつもより優しい顔してるなとか――』


 一夜明けても、昨夜のやり取りが頭から離れてくれなかった。
 到底文字とも呼べないひどいものと長時間睨み合っているせいもあるのだろうが、今日はまったく頭が働いてくれないとジェントは朝からずっと思っている。

 昨夜のあの言葉は、まるで嫉妬のようだった。
 ジュードとジェントは奇妙な縁ではあるものの、一言で言うなら仲間であって、決してそうした関係ではない。少なくとも、ジェントは確かにそう思っている。では、ジュードの方は――

 去り際に見えたジュードの顔は、ほんのりと赤らんでいたような気がする。時間帯は夜だし、暖色系の明かりが廊下や書斎に灯っているせいで本当にただただ「気のせい」である可能性も高いのだが。


『(……いったい何を考えてるんだ。ないだろう、俺は男だぞ。そんな可能性……いや、いつだったか好きに思えと言った覚えがあるな……)』


 確か、どちらでもあってどちらでもないと口にした覚えがある。ついでに「好きなように思うといい」とも、言ったはずだ。なんと迂闊なことを口走ってしまったのか、後悔したところでどうしようもない。

 ジュードはカミラのことが好きなのでは、と一度こそ思ったものの、その可能性もつい先日聞いてしまった話を思い返すとなくなってしまう。ヘルメスやエクレールに対して、ジュードは「他に好きな人がいる」と言っていた。別に盗み聞きするつもりはなかったのだが、如何せんジェントは聖剣の傍を離れられないため、こればかりは仕方がない。

 あの時はそれほど深く気にしなかったが、自分に関わってくるかもしれないとなると話は別だ。とにかく、やるべきことがまったく手がつかない。


「……なあ、今日の勇者様どうしたんだろうな」
「うに、なんだか様子がおかしいにね」
「ジェントさんはずっとここに籠りきりだから、きっと疲れてるナマァ」


 当然、書斎には今日も朝からウィルとライオット、それにノームがやってきている。三人とも、今日はいつもとジェントの様子が違うことには気付いているが、果たしてそれを指摘してもいいものかどうか。だが、ノームの言うことには頷ける。夜はゆっくり眠るウィルたちと違って、ジェントはずっと起きているようなもの。魂の状態といえど、ずっと解読作業に没頭していれば疲れも出てくるだろう。

 ウィルは暫しの思案の末に座っていた床から立ち上がると、ジェントの傍に歩み寄った。


「勇者様、調子悪そうですよ。今日は休んだ方がいいんじゃないですか? 勇者様のお陰で俺も少し解読できるようになったし、今日は俺たちが代わりに……」
『……ウィル、きみはジュードと付き合いが長いんだったな』
「えっ? あ、ああ、はい、そうですけど……もしかして、あいつ何か失礼なことしました?」
『い、いや、そんなことはない、ただ……』


 小さい頃から兄弟のように育ってきたウィルなら、ジュードの想い人について知っているかもしれない。
 そうは思ったものの、本人の知らぬところでこっそり想い人というデリケートな話の核心部分に触れるのは、曲がったことを嫌うジェントの性格上、ひどく難しいことだった。もし自分がそうされたら間違いなくキレ散らかしてしまう。

 例え魂だけの存在になったとしても元々は人間。人として、自分がされて嫌なことはするべきではない。結局「何でもない」と小さく返すしかできなかった。


『(ただの思い違いであってくれたらいい、そうじゃないと……困る)』


 ジュードのことは、まっすぐないい青年だと思っている。自分と同じく曲がったことが嫌いで、それでいて素直で一生懸命。仲間のことを大事にする、とてもいい子だと。だからこそ、もしジュードが自分に対してあらぬ感情を抱いていたら困るのだ。

 自分は大昔の人間で、魂だけのひどく不安定な状態。いつ未練がなくなって消えてしまうかもわからないのだから。現世を生きるジュードには、同じく今の時間を生きる者と幸せになってほしいと切に願う。


「(ジュードのやつ、勇者様になんかしただろ。あとでよく聞いておかないと……)」


 そこで反応に困ったのはウィルの方だった。見るからにいつもと様子が違うのに、結局「何でもない」と言われてしまえば、それ以上踏み込むのも気が引ける。弟分が粗相をしたなら兄貴分である自分が詫びた方がとは思うのだが、何があったのかもわからないのでは言えることがない。

 どうしたものかと困惑するウィルの思考を止めたのは、ジェントのすぐ傍らの壁に立てかけてある聖剣が眩い閃光を放った時だった。


「にょ!?」
「な、なんだ、どうしたんだ!?」


 まるで耳鳴りのような音が、絶えず書斎の中に響き渡る。白の光が何度も明滅を繰り返し、警鐘を鳴らしているかのようだった。かつて聖剣を手にしていたジェントには、それが何なのか痛いほどによくわかる。

 聖剣がこうした反応を見せる時は、決まって「極めて危険な何か」が接近している時。

 ジェントは座っていた床から立ち上がると、聖剣を片腕に抱いてから飛びつくような形で傍らのウィルに体当たりをぶち当てた。あまりにも突然のことにウィルは満足に受け身も取れなかったが、ジェントが後頭部に逆手を添えてくれたお陰で床に頭を打ち付けずに済んだ。

 ――直後、書斎全体に大きな衝撃が走る。壁と本棚を突き破って何かが飛翔してきたようだが、その正体が何であるのかはジェントにさえわからなかった。


「うふふ……さすがは勇者様ね、直撃したと思ったのに……」
「あんたは……!」


 つい今し方までジェントとウィルがいた場所は、壁から突き出てきた何かに床ごと抉られていた。もしあのまま回避しないでいたら、どうなっていたことか。今の一撃で命を落としていてもおかしくない。何が起きたのかはわからないが、こじ開けられたような形で壁に巨大な穴ができているところを見ると魔物か何かの襲撃か、何らかの魔法だろう。

 だが、続いて聞こえてきた声を聞く限りでは――恐らくは後者。
 すっかり風通しのよくなった壁からふわりと書斎に入ってきたのは、一人の女。ウィルはその姿を目の当たりにして、身を起こしながら奥歯を噛み締めた。

 現れたのは、地の国で会ったルルーナの実母――ネレイナだった。彼女が襲撃してきたのだ。
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