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第九章・不可侵の領域
精霊の里と天才博士
しおりを挟む水の王都シトゥルスを発って三日目の朝、ジュードたちはようやく目的の森へと到着した。
フォルネウスが戻ったことで少しずつ天候は落ち着き始めたものの、水の神柱たる大精霊二人の力が極限まで低下しているせいか、降り積もった雪が一気に溶けてくれるわけはなく、移動に時間がかかるためだ。それでも、こうして無事に辿り着けただけ充分と言える。
精霊の森と呼ばれる中に足を踏み入れたところで、ジュードたちは不可思議な光景を目の当たりにした。
「こ、これはいったい……なぜ森の中には雪がないのだ?」
先頭を歩いていたシルヴァは、真っ先にその現象に気付いた。ついさっきまで辺り一面の銀世界にいたのだから、気付くなという方が無理な話なのだが。
この精霊の森には、雪が一切積もっていなかった。雪の降る寒い中を歩いて進むことになるため着込んでいた防寒具が、ここでは邪魔になるくらいだ。
「この森は聖石の力に守られてるんだに、一年中ずっと暑くも寒くもない快適な気候に包まれてるんだによ。雪もここだけは避けて降るんだに」
「へえ……便利な場所なのね、その聖石ってそんなにすごいんだ……」
「けど、迷わないようにしないとな。見たところ方向感覚を狂わせてきそうな雰囲気だ」
ライオットの言葉にマナが感心したように洩らしたが、彼女の隣に立つウィルは複雑な面持ちで辺りを見回した。
この精霊の森は辺りにそびえる木が非常に高く、空がまったく窺えない。太陽の位置で現在地や時刻を確認するのは難しそうだ。道もほとんどが獣道としか呼べないようなものばかりで、ここ最近、誰かがこの森に足を踏み入れた痕跡はなさそうだった。
だが、イスキアは両手を腰に添えると軽く胸を張ってみせる。
「大丈夫よ、里の場所はちゃんとわかるから。さ、行きましょ」
「そうか、ではイスキア殿に先頭を任せた方がよさそうだな。皆、はぐれないように気をつけるんだよ」
軽やかな足取りで先導し始めるイスキアを見て、シルヴァは念のため一声かけてからその後に続く。はぐれるようなことはないと思うが、ジュードはちびと共に最後尾につくことにした。魔物の襲撃があっても、ちびがいれば恐らく奇襲は避けられる。
すると、これまで辿ってきた道を心配そうに振り返るエクレールの様子に気がついた。その可愛らしい顔には、文字通り不安そうな色が滲んでいる。
「エクレールさん、どうしたの?」
「あ……ヘルメスお兄様のことが心配で。大陸にいた時はほとんど離れたことがありませんでしたので、大丈夫かと……」
ヴェリア大陸は十年前からすっかり魔族に制圧されていたと聞いた。そんな環境では、恐らくヘルメスとてこの妹のことが心配で離れることなどそうそうなかっただろう。右も左もわからない環境で数日も離れれば心配になるのは必至だ。
「カミラさんも一緒だし、きっと大丈夫だよ」
「そうですね……今はやるべきことをやりませんと。甘えたことばかり言っていられませんね」
これまで共に旅をしてきたカミラは、ヘルメスと共に水の王都に残っている。彼女の目的はそもそも「ヴェリアの民を説得するために大陸に帰ること」だったため、ヴェリアの民と合流できた今、ジュードたちと行動を共にする理由はないのだ。ヘルメスやカミラのためにもその方がいいと、ジュードも思っている。今までずっと離れていたのだから、積もる話もあるだろう。
* * *
「さあ、着いたわ。ここがそうよ」
イスキアの先導で森の奥へと向かった一行は、約二十分ほど黙々と歩いたところで立ち止まった。目の前には大きな岩がある、道らしいものは見えない。どう見ても行き止まりだ。ジュードたちは暫し黙り込んだ末に、ちらりとイスキアに一瞥を向ける。
だが、何を言いたいかは当然わかっているらしい。にこにことその顔に笑みを浮かべたまま、イスキアは目の前に鎮座する岩に片手を触れさせた。すると、まるで水面に石が投げ込まれたかのように空間に波紋が発生し、これまではなかったはずの道が出来上がってしまった。
「な、何したんですか!?」
「ふふ、この辺りには里への侵入を阻む幻術がかかってるのよ。これを知らなければ、延々と森の中を歩き回って終わり。岩はただの幻覚で、この道が幻術を解いた本来の姿ってわけ。この先が精霊の里よ」
先ほどの岩は侵入を防ぐために張られた幻術が見せていたものなのだろう、そうまでして里への侵入を阻まなければならない「理由」が恐らくはあるのだ。それが何なのかは、当然ジュードたちには見当もつかないが。
現れた本来の道の先には、家屋らしきものがちらほらと窺える。精霊の里と言われていても、見た目の雰囲気は小さな村といったような雰囲気だ。鬱蒼と生い茂る木々の影響でもう夕刻のような薄暗さだが。
「まずは聖石の間に行くための許可を族長にもらわないとね。アタシが行きたいのは聖石がある祠の更に奥だし」
「イスキアさん、まさか聖域に行くつもりナマァ?」
「なに、その聖域ってのは……」
神の力が宿る石のためか、どうやら聖石の元に行くにも許可が必要らしい。普段は外部との接触をしない精霊族、果たして話が通じるかどうか。自然と緊張した面持ちに変わる仲間たちを後目に、ルルーナはノームの口から出た耳慣れない単語に怪訝そうに眉根を寄せた。
「ウィルちゃんには特に嬉しい場所かもしれないわね。この森の最奥にある空間は聖域と呼ばれていて、ケリュケイオンがなければ入ることさえできない不可侵の領域なの。みんなも知ってるグラナータ・サルサロッサが余生を過ごした場所よ」
「グラナータ博士が……!?」
イスキアの言葉通り、真っ先に反応したのは天才博士たる彼を崇拝するウィルだった。ここまでの旅の疲れも吹き飛んだらしく、その顔と瞳を輝かせる。
「魔大戦の際、死の雨の被害者を救えなかったことをグラナータはずっと悔いていたわ。彼は自分のやるべきことを終えた後、この精霊の森の奥地に住み着き、様々な研究に没頭したの。……けど、困ったことにアタシたち精霊にもわからないものを遺して逝ったのよねぇ」
「せ、精霊にもわからないものなんてあるの?」
「見てみてれば理由がよ~くわかるわよ。でも、もしかしたらその中に……死の雨の被害者を救う方法があるかもしれないの。調べてみる価値はあるはずよ」
ジュードたちにとっても決して無関係とは言えない天才博士だ、彼が後世に遺したもののお陰で誰もが簡単に魔法を扱えているようなものなのだから。
そのグラナータ博士が遺したものなら、確かに何か手掛かりが見つかるかもしれない。
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