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第六章・風の神器ゲイボルグ

牙を剥く風

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 ウィルは、目の前で力強い輝きを放つを瞬きさえ忘れたように見つめていた。
 目を焼きそうなほどの光だというのに、不思議と瞳孔の痛みだとか眩しいだとかは強く感じない。最初は何かと思ったが、次第に目が慣れていくと彼の目は小さな物体を光の中に確認した。


「(……指輪?)」


 それは、手の平にすっぽりと覆い隠してしまえるほどの小さな装飾品――指輪だった。暫しそのままの状態で見つめていたものの、やがて引き寄せられるようにして左手を伸ばした。ほとんど力も入らなくなっていたその手は、指輪からあふれる光に触れるや否や、時間を巻き戻しているかのように傷が癒えていく。

 ぐ、と指輪を握り込むと、とめどなく放出されていた光はウィルの手の中で細長い形を形成し始めた。それらは瞬く間に長柄となり、一本の美しい槍へと変貌を遂げたのである。柔らかな緑色の光をあふれさせるそれを見て、ウィルは思わず絶句した。

 今の光景には見覚えがある、あれは確かマナが神器に選ばれた時の――


「――それが風の神器、神槍ゲイボルグよ。破壊力は聖剣に匹敵するから、やりすぎないように扱いには気をつけてね♡」


 呆気に取られていた矢先、不意に聞き覚えのある声が聞こえてくるとウィルは思わずそちらを振り返った。すると、そこには緑色の鮮やかな長い髪を持つ一人の女性――否、オネェの姿。マナはその姿を目の当たりにするなり、思わず声を上げた。


「イ、イスキアさん……!? なんでここに!?」
「ノームの様子がおかしいなと思ってちょっと見に来たんだけど、来て正解だったみたいね」
「なんだ貴様は!? 邪魔をするのなら女とて容赦はせんぞ!」


 それまで様子を窺っていたアグレアスは、突如現れたイスキアの姿に厳つい表情を不快に染めた。彼にとってこの一戦は男と男の勝負だ。女に――厳密にはオネェだが、水を差されるのは納得がいかない。アグレアスは忌々しげに舌を鳴らすと、出入口付近に佇むイスキア目掛けて飛び出した。

 けれど、当のイスキア本人は特に慌てるような様子もなく、むしろ嬉しそうな声を洩らす。


「あら、アタシを女扱いしてくれるの? やっだ、嬉しい♡」


 目にも留まらぬほどの速度で飛びかかったアグレアスを前にしても、イスキアはにこにこと笑うだけ。頭上から振り下ろされた一撃はひょいと軽く横に跳ぶことで避けてしまった。それでも休みなく、矢継ぎ早に追撃が繰り出されるが、アグレアスの大剣は一度たりともイスキアの身に直撃することはなかった。

 縦に、横に、斜めにと次々剣を振るうのだが、イスキアは楽しそうに笑みを浮かべながら軽やかな足取りでそれを避けるばかり。その様子からは苦労して回避していると言うような雰囲気は微塵も感じられず、まるで子犬がじゃれてくるのを軽々いなしている――そんな様子だった。


「な……ッ!? なんだと!?」
「んもう、乱暴ねぇ。勢いだけのオトコってモテないわよ」
「コイツ、ふざけたことを!」


 アグレアスが渾身の力を込めて叩きつけた一撃は、ぴょんと真上に跳躍することであっさりと避けられてしまった。ついでにアグレアスの頭を高いヒールで踏みつけたかと思いきや、その頭を足場にしてウィルの傍へと跳ぶ。


「ぐッ!?」
「あらあら、なんて踏み心地のいい頭なのかしら」
「き、貴様ぁ……ッ! この俺をコケに……!」


 そんな一連のやり取りを見て、ライオットはへにょりと軽く項垂れる。ジュードたちの負傷や状況は決して楽観できる状態ではないが、新しい神器の覚醒とイスキアの存在はライオットやノームにとってはまさに天の助けと言えるものだった。


「さあウィルちゃん、やっちゃって。あの男なら神器のお試しには充分でしょ」
「え、ええ……!? ま、まあ……」


 傍まで寄ってきたイスキアの言葉に、ウィルは彼女――否、彼と神器とを何度か交互に見遣る。あまりにも突然のことすぎて、頭の回転が速い彼でも混乱していた。しかし、猛然とこちらに突撃してくるアグレアスを正面から見据えるとじわじわと実感が湧いてくる。今が決して油断のならない状況で、そんな中で自分があの神器に選ばれてしまったのだという実感が。


「神器だと!? そのようなふざけたもの、へし折ってくれるわ!」
「(破壊力は聖剣に匹敵するなんて言われると、思い切りやっていいのかどうか……けど、こいつ相手に手加減なんてできるわけない!)」


 槍をぐっと両手で握り込むと、柔らかい光がウィルの全身を包み込み、至るところに刻まれていた傷を瞬く間に癒していく。それと同時に先端部分が竜巻の如く渦を巻き始めた。辺りに風の魔力がどんどんと放出され、それらがアグレアスを真正面から迎え撃つ。鋭利な風の刃は、突進してくるアグレアスの肩や腕、頬など様々な箇所に深い裂傷を刻んだ。


「無駄だ無駄だ無駄だあああぁッ!!」
「この……ッ! 喰らえ!!」


 真正面まで迫ったアグレアスは両手で大剣の柄を握り込み、ウィルの胴体を叩き斬るべく真横から殴りつけた。けれど、その一撃は彼の身に触れる直前で固い何かを殴りつけたような衝撃に阻まれ、あろうことか大剣の刃の方が砕けてしまったのである。その一瞬の隙をウィルが見逃すわけがなく、アグレアスの胸部に思い切り槍の切っ先を叩きつけた。


「が……ッがあああああぁ!!」


 その一撃はアグレアスの胸部と腹部を深く抉り、岩のように頑強な身を大きく吹き飛ばした。距離にして十メートルほどはあるだろう。アグレアスはその口から悲痛な声をひり出し、ビクビクと身を痙攣させながら激しく喀血した。咄嗟に深い傷となったそこを手で押さえるが、血は止まることを知らず次々にあふれ出てくる。患部から全身、足や指の先に至るまで、まるで粉々に砕けてしまいそうな激痛を覚えた。


「こ、これが……神器というものの、力だというのか……ッ!? この、俺が……たったの一撃で……!?」
「早いとこ帰って手当てしないと助からないわよ、そのまま楽になりたいなら話は別だけど」
「ぐうぅ……ッ! おのれ!」


 揶揄するようなイスキアの言葉に、アグレアスは忌々しそうに奥歯を噛み締めるが、それ以上は戦う意思を見せなかった。――否、見せられなかったのだ。
 程なく、以前同様に黒い魔法陣で己の身を包み込むと、その場から静かに消えていった。

 それを見届けて、ウィルは全身から力が抜けるのがハッキリとわかった。まるで吸い込まれるようにして意識が薄れていく。傷は神器が癒してくれたものの、流れ出た血までは元に戻せない。全身から力が抜けて崩れ落ちそうになった身は、傍まで駆け寄ったイスキアが支えた。


「ウィル!」
「気を失ってるだけだから大丈夫よ、マナちゃん。……来るのが遅くなってごめんなさいね、ウィルちゃん。助かったわ、ありがとう」


 イスキアは意識を飛ばしてしまったウィルの身を支えながら、優しく微笑みかけて静かに呟いた。

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