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第四章・精霊
交信《アクセス》
しおりを挟むイヴリースの両腕から飛翔した炎の鞭はジュードとウィルに真正面から激突――した、はずだった。しかし、直後に彼女の目は大きく見開かれる。
左右に分かれ両サイドから攻撃しようと迫っていたジュードとウィル、彼らふたりを庇うように見慣れない男が佇んでいたからだ。つい今し方までは確認できなかった姿、いったいどこから現れたのかと疑問が湧くのは当然のこと。
青みがかった白銀の髪に、長い前髪から覗くアイスブルーの瞳、闇に溶けてしまいそうな黒い外套。状況には不似合いなほどに涼やかな顔をした一人の男。イヴリースには見覚えがないが、それはメンフィスに至っても同じだったようで、不意に己の背後に現れた男に鍔迫り合いをいなすと真横に跳び退る。
だが、目を白黒させるウィルたちの傍ら、ジュードだけはその姿に思わず声を上げた。
「シ、シヴァさん!? なんでこんなところに!?」
「ジュ、ジュード、知り合い?」
「あ、ああ、雪山でみんなとはぐれた時に助けてくれた人なんだ」
それは、あの奇妙な旅人の片割れ――シヴァだった。また会えたらいいとは思っていたが、なぜこんな場所に。ジュードの頭にはそんな疑問が湧く。けれど、シヴァは特に構うことなく相対するイヴリースを睨み据えると、身構えながらも戦慄く様子を眺めた。
「力量差がわかるのなら失せろ、大人しく引き下がるのなら今は追わん」
「この私を侮辱するか、貴様!」
激昂する女は、そのままメンフィスには目もくれず今度はシヴァに向かって飛びかかった。だが、当のシヴァは面倒くさそうにため息を洩らすと、突進してくる彼女を微動にせずに見据える。
――刹那、彼のアイスブルーの双眸が淡く光り輝いたかと思いきや無数の氷柱が宙に生成され、真正面からイヴリースの身を貫いた。弾丸の如き勢いで放たれた氷柱は全身を容赦なく穿ち、その口からは鮮血が吐き出される。
「があああぁッ!」
「す、すげぇ……!」
指先ひとつ動かすことなく突進を止めたシヴァの様子にウィルは思わず呟き、マナとルルーナはその光景を食い入るように見つめる。先ほどまで恐ろしいと感じていた魔族が、シヴァの前ではまるで赤子のようだ。さしものメンフィスも瞠目していた。
しかし、当のシヴァは一喜一憂することもなく肩越しに彼らを振り返る。
「お前たち、女王や民の救助に向かえ。元よりそのつもりだったのだろう」
「えっ……で、でも、お兄さんは?」
「俺はこの場に残る、どうやらまだ懲りていないようだからな」
イヴリースは、確かにまだ諦めてなどいないようだった。つい先ほどまで余裕に満ちていた相貌には、今や憎悪がありありと滲んでいる。
メンフィスはシヴァの申し出に頷くと、ウィルやリンファに目を向ける。すると、どちらも考えるような間もなくしっかりと頷き返した。
「かたじけない、後ほど必ず礼を」
「急ぎましょう、まだ都のあちらこちらに魔族がいるようです」
ジュードも当然ながらその後に続こうとはしたのだが、それはシヴァに片腕を掴まれたことで止められた。
「待て小僧、お前はここだ」
「えっ」
「この女の狙いはあくまでもお前だ、こいつをこの場に留めておくにはお前がこの女を倒す以外にない」
さらりと告げられた言葉に、ウィルやマナの表情は思わず強張った。
事情こそ定かではなくとも、魔族はジュードを狙っている。そんな中で、このシヴァという男が自分たちを助けてくれたのは理解できるのだが、かといって確実に味方だとは限らないのだ。そんな彼に果たしてジュードを任せていいものか。
しかし、こうしている間にもあちらこちらから火の手が上がり、絶えず悲鳴が聞こえてくる。ジュードは仲間たちに目を向けるとゆるりと頭を横に振った。
「大丈夫だよ、シヴァさんはオレを助けてくれた人だから。ウィルたちは女王さまと街の人を頼む」
「……ああ、わかった」
確かにシヴァの正体は不明だが、ジュードにはどうしてもこの不愛想な男が敵だとは思えなかった。もしジュードをどうこうしようと思っているのなら、雪山で拾った時にそうしていただろう。
ジュードはシヴァの隣に並び立つと、自分よりも頭ひとつ分は高い彼を見上げた。ちびだけはやはり相棒であるジュードの傍を離れず、その斜め後ろでイヴリースを睨みつけている。
「……オ、オレで勝てるかな」
「そのために俺がいるんだ、心配は要らん。お前にひとつ戦い方を教えよう」
「戦い方?」
「余計なことは考えず、意識を保つことに集中しろ。その後はどうとでもなる」
シヴァの言うことは、ジュードにはひとつたりとも理解できなかった。しかし、イヴリースには待つつもりなどないらしく、シヴァを睨み据えながらも退くことはなく飛び出してきた。両腕には再び炎の渦が巻き付き、その手を振りかぶる。
しかし、シヴァは静かに目を伏せると――次の瞬間、空気に溶けるようにして一瞬で姿を消してしまった。振られた拳は虚空を切り、空振りに終わる。突然消えたシヴァに驚いたのは彼女だけではなく、その傍にいたジュードも同じだ。ジュードは咄嗟に後方に飛び退くことで距離を取り、辺りを見回した。
「おのれ、どこへ消えた!? まさか逃げたのか!?」
それは女も同じだったようで、怒声を張り上げながら周囲を見回していた。正直、ジュードにも彼がどこへ消えたのかさっぱりわからない。
だが、その時だった。不意にぐらりと強い眩暈を覚えたかと思いきや、全身の血が逆流するかのような不快感を覚えてジュードは思わずその場に屈み込んだ。全身からどっと汗が噴き出し、腹の中を掻き回されるようだった。
ちびはそんな彼の傍らに寄り添い、心配そうにきゅーんとか細く鳴く。ジュードは己の額の辺りに片手を添えて、言葉にならないほどの不快感をやり過ごそうと試みるが一向に改善しない。
「(なんだ、これ……なんでいきなり、こんな……!)」
『意識を保つことに集中しろと言っただろう、頭で理解しようとするな』
「(シヴァさん!? いったいどこに……それに、意識を保つってどういう……)」
『交信しろと言っている。俺はここにいる――お前の中に』
頭の中にシヴァの声が響いた次の瞬間、ジュードの身を中心に王都ガルディオン全体に猛吹雪が巻き起こった。その吹雪はあちらこちらで上がる火の手を瞬く間に鎮火させ、好き勝手暴れ回っていたグレムリンたちの身を八つ裂きにしていく。特に近くにいたイヴリースは身体が凍りついてしまいそうなほどの強烈な冷気を受けて、慌ててジュードと距離を取った。
だが、ジュードの一番近くにいたちびには青白い結界のようなものが張られていて、特に影響は受けていないようだ。
ジュードは突然の猛吹雪と、異様に身体が軽いような感覚に唖然としながら辺りの様子を軽く見回した。
「な、何が起きたんだ……? なんで、この火の国で雪なんか……」
『それが交信だ、詳しく話しているだけの時間はない。今はまずあの魔族の女を片付けるぞ』
正直、交信がどうのこうのと言われても、ジュードには何ひとつ理解できない。だが、魔族を片付けるのには賛成だ。
先ほどまでの形容し難い不快感はとうになく、ジュードは異様に軽くなった身をやや持て余しながら身構える。普段は穏やかな翡翠色をしている彼の眸は、透き通るようなアイスブルーへと変わっていた。
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