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第二章・水の国の吸血鬼騒動

人間と魔族の力の差

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 男は追撃に出るジュードを指の隙間から睨み付けると、逆手を思い切り突き出して彼の胸倉を鷲掴みにした。どこにそんな力があるのかと思うほどに細い腕で、胸倉を掴んだその手を上へと挙げる。無遠慮に持ち上げられ、ジュードは苦しげに表情を歪めた。強制的に地面から足が離れ、距離を取ることもできない。

 ならば蹴飛ばしてやろうと、表情を歪めたままジュードは男の腹部に――ウィルの仕返しとばかりに片足の爪先をめり込ませた。思わぬ反撃に男は深く咳き込みつつも、すぐに怒りを瞳に宿してジュードを睨み上げた。


「貴様……貴様ぁッ! このアロガン様の美しい顔に傷を負わせただけではなく、どこまでも……!」
「カミラさんたちを離して誘拐した人たちを返せ!」
「暗黒の淵へ沈め! ――ダークネスヴァーグ!」


 男がそう叫ぶと、黒く長い影のようなものがざわざわと集まり始める。
 それはジュードの胸辺りに集束したかと思いきや、次の瞬間には爆弾でも弾けるように思い切り爆ぜた。それと共に男がジュードから手を離したことで、彼の身は簡単に吹き飛ぶ。近くの木に背中を強打し、思わずカミラは両手で顔を覆って俯き、ウィルは腹の底から叫んだ。


「……っ、ジュード!!」


 ジュードの身はずるりと木の幹を辿り、力なくその場にうつ伏せで倒れた。ピクリとも動かない様子に、ウィルはサッと青褪めていく。自らを「アロガン様」と名乗った吸血鬼の男は低く笑い声を洩らすと、興味をなくしたようにゆっくりと馬車へ向かって歩を進めた。


「ふん、私の魔法に耐えられるはずがない。なかなか勇敢な青年でしたがね、所詮人間などこんなものですよ」


 男ーーアロガンは馬車の傍らまで歩み寄ると、完全に怯えて竦み上がっている住民たちを振り返った。その表情にはすっかり笑みが戻っているが、裂傷から流れ出る鮮血が見る者の恐怖を余計に煽る。


「私に逆らえば、あなた方もこうなりますことをお忘れずに……では、また」


 それだけを告げると、男は静かに馬車へと乗り込んだ。倒れたまま動かないジュードに、カミラは大粒の涙を流しながら泣き叫ぶ。


「ジュード、ジュードっ! いやあああああぁっ!」


 今の彼女の脳裏には、かつて奪われた初恋の少年の姿が過ぎっていた。そして今また、魔族によって大切な仲間を失ったのだと思うと、込み上げる深い悲しみをやり過ごす術が他に見つからなかった。

 だが、カミラの叫びも虚しく馬車は静かに走り始める。ウィルは遠ざかる馬車に悔しさを募らせ、固く握り締めた拳で思い切り地面を殴りつけた。痛みの抜けない身を必死に動かして立ち上がろうとしたが、走る鈍痛は深刻で、足に上手く力が入らない。


「く……ッそ、ジュード……っ!」


 依然として倒れたまま、ピクリとも動かずにいるジュードの安否を確認しに行きたいのに、身体がまったくいうことを利かない。ウィルは悔しそうに表情を歪めたが、そこへ聞き慣れた声が響いた。


「――ウィル!」
「マナ……?」


 単身で道具屋に向かったマナが駆け付けたのだ。住民たちに混ざり、真っ青になりながら立ち竦むエイルを怪訝そうに一瞥するものの、構うことなくウィルの元へと駆け出す。マナは傍に片膝をつくと、真剣な表情でその様子を窺った。


「ウィル、大丈夫なの? いったい何があったの?」
「カ、カミラとルルーナが連れて行かれて……ジュードが……」
「え……っ、ジュード!?」


 苦しげに呟くウィルの言葉に、マナは思わず辺りを見回す。すると、多少離れた場所で倒れるジュードの姿が彼女の視界に飛び込んできた。悲鳴にも近い声を上げるマナに、ウィルは言葉を続ける。


「マナ……頼む、ジュードのところに連れて行ってくれ、あいつ……魔法の直撃受けて……」
「わ、わかったわ! しっかり掴まって!」


 触れた箇所からマナの身体の震えが伝わり、ウィルは痛ましそうに表情を顰める。ジュードに想いを寄せる彼女の心情を思うと、身を裂かれそうな想いだ。

 ウィルはマナの肩を借りて立ち上がると、片足を引き摺るような形でゆっくりとジュードの元へと歩み寄った。傍らに屈み込み、その身を仰向けに返して抱き起こす。目は静かに伏せられており、男の言葉通り息絶えているように見えた。マナは必死に彼の身を揺さぶる。


「ジュード! 嘘でしょ……しっかりしてよ!」


 伏せられた目、だらりと垂れた腕、微かに半開きになった口。ウィルは唇を噛み締めて、脈を診るべく彼の首元に手を触れさせた。期待などしていない行動だったが、どうしても諦めきれなかった。

 だが、その諦念に反して親指の腹に確かに鼓動を感じた。ウィルは目を見開くと、マナに声をかける。


「……! マナ、生きてる!」
「えっ……?」
「誰か、手伝ってくれ! 休める場所を!」


 見た目にはあまりわからないが、呼吸もあるようだ。ウィルは状況を見守っていた住民たちに向けて、咄嗟に声を上げた。すると、彼らは慌てたように我に返り、次々に駆け寄ってくる。

 マナは目に涙を浮かべて安堵を溢れさせ、ウィルも安心したように表情を綻ばせた。
 だが、そこで確かな違和感を覚える。


「……あれ?」
「どうしたの?」
「いや……」


 ウィルが今触れたジュードは、ただ普通に暖かかった。いつもなら、魔法を受けたその直後に高熱を出しているはずなのに。つい今し方ウィルがジュードの首元に触れた時は異常なほどの熱はなく、普通の体温――よりも多少低いくらいだった。

 今現在も、死んでいるのではないかと疑うほど呼吸も静かだ。いつものように高熱が出れば荒くなるはずだが、そんな様子もない。

 あの吸血鬼が放ったものは、確かに魔法だった。こんな例外は、今までただの一度もなかったはず。
 どういうことなのかとウィルは怪訝そうに眉を顰めるが、視界に入らないためにウィルもマナも気付かなかった。

 ジュードの左腕――衣服の下に隠れた金色の腕輪。
 その中央部に鎮座する蒼い石が、淡い光を湛えていたことに。

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