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第二章・水の国の吸血鬼騒動
海から飛来するもの
しおりを挟む波に揺られることほぼ一日。
まだ夜も明けきらない時間帯に、突然ジュードたちは叩き起こされることになった。空から船を訪れた無粋な来客によって。
「うわあぁッ!」
「船員たちは船内へ、急げ!」
空を悠々と飛び回る海鳥よりも数倍は大きいそのシルエットは、メルハーピーと呼ばれる魔物だった。
ハーピーという上半身の一部が女性、下半身が鳥のような造形の魔物は風の国全土に出没する魔物の一種だが、このメルハーピーは主に海に生息しており、海があるところなら世界中どこでも現れる魔物だ。
メンフィスは船員たちを後ろに下げ、早々に戦闘態勢に入る。ジュードたちはそんな彼にやや遅れる形で船室から飛び出してきた。時刻はまだ明け方の四時頃だ、無理もない。この時間ならば大抵の者は眠っている。
「メンフィスさん!」
「苦戦するような相手ではないが、心してかかれ!」
メルハーピーは時折漁船が遭遇することもある魔物だが、個々の力はそれほどではない。
この船には搭載されていないが、大型の漁船にはメルハーピーを狙撃し撃ち落とす弓が備え付けられていることもある。つまり、戦闘経験がそれほどではなくとも、弓で狙撃することで簡単に倒せるレベルの魔物なのだ。
とはいえ、魔物は魔物。警戒するに越したことはない。
大きな翼をしならせて急降下してきた一匹に、メンフィスは目を細める。速度はそれなりのものだが、戦い慣れた彼にとってはそれだけ。咬みつこうというのか、顔を下向けて急襲してくる一匹を正面から迎え撃ち、避けることもなく問答無用に大剣で叩き斬った。この程度の魔物ならば、メンフィスには準備運動にもならない。
ジュードたちの方はどうかと視線を投げると、ジュードとウィルが前衛、マナが後方支援に徹する形で展開していた。ジュードは愛用の短剣、ウィルはパルチザン型の槍を手にメルハーピーと睨み合う。
「ケエエェッ!!」
「朝っぱらから、頭に響く声上げやがって……」
寝起きに聞くには少々耳障りな甲高すぎる鳴き声に、ウィルは文字通り不快そうに眉を寄せると一直線に急降下してくる三匹を見据える。どうやら、このメルハーピーは上空から一気に襲いかかる咬みつき攻撃を主としているらしい。それさえわかれば、ある程度は戦い慣れているジュードとウィルにとっても怖い敵ではなかった。
身を叩きつけるほどの勢いで降り注いだメルハーピーの攻撃を横に跳ぶことで回避すると、短剣、槍、それぞれの得物で翼を叩く。翼さえ使えなくしてしまえば、あとは陸の魔物と同じようなものだ。
「キイイィッ!」
「やらせないわよ!」
残ったもう一匹が少し遅れてジュードたちに飛びかかろうとしたが、それは冷静に状況を見ていたマナによって阻まれる。彼女が木の杖を高く掲げると、その周囲に浮遊する無数の火矢がメルハーピー目掛けて飛翔した。
それは『フラムバール』という火属性の低級攻撃魔法だ。
「ギエエエエェッ!!」
マナが放った火矢はジュードたちを急襲しようとした一匹の翼と胴体を撃ち抜き、直撃した箇所から全身へと炎が燃え移る。瞬く間に全身を包んだ炎に悲鳴を上げながらメルハーピーは甲板の上をのたうち、その火を消そうと船から身を投げて海へと落ちた。
残った火矢は次に翼をやられた二匹に軌道を変え、更に勢いをつけてその身を貫いた。しかし、そのうちの一匹は辛うじて致命傷を免れ、避難が遅れていた船員に目をつけるなり大口を開けて飛びつく。
船員からは引き攣った悲鳴が上がったが、魔物と船員との間に素早くジュードが身を割り込ませると思い切り片足を振り上げた。その一撃はメルハーピーの横っ面を思い切り強打したが、ハーピーも負けじと――というよりはヤケクソ気味に傷ついた翼を大きく振り回してカウンターに出てくる。
けれど、ただでさえ身軽な彼を捉えることはできず、ジュードは素早くその真横に回り込むと短剣の刃をその背に叩きつけた。
『イ……イタイ、イタイ……クル、シイ……タス、ケテ……』
いつものことながら、その悲痛な声はジュードの頭に響き渡る。背中を斬られ、その場に倒れ込んだメルハーピーはひくひくと軽く身を痙攣させた後に動かなくなった。
それを確認した船員たちからは安堵が洩れ、またある者は嬉しそうな声を上げる。ウィルやマナも問題はなさそうだ。寝起きのせいか、まだ眠そうに欠伸なぞ洩らしている。
だが、ジュードの胸のうちは一向に晴れなかった。
人間にとって魔物は危険な生き物だと理解はしているし、倒さなければならないともわかっている。それでも、声が聞こえるか聞こえないかの違いはやはり大きいものだ。
なまじ声が聞こえるから、魔物も人間と同じように空腹も痛みも感じるし、感情を持っていることを知ってしまう。しかし、今この場で魔物の死に複雑な感情を抱いている者など、ジュード以外に誰もいない。
「ジュード。どうした、無事か?」
そこへ、不意に声がかかった。
慌てて振り返ってみると、そこにいたのはメンフィスだ。得物に付着した血をその剣を軽く振ることで払い落としながら、こちらに歩み寄ってくる。
魔物の遺体を眺めたままぼんやりするジュードに、怪我でもしたのかと心配になったのだろう。ジュードは身体ごと彼に向き直ると、無理矢理に意識を引き戻して頷いてみせた。
「大丈夫です、特に問題ありません」
「ふむ……」
「あ、あの……どうかしましたか?」
いくら起き抜けとは言え、寝ぼけながらの戦闘ではないし特に問題らしい問題はなかった。だが、思案顔で黙るメンフィスにジュードは首を捻ると、一度己の身体を軽く見下ろしてから疑問をぶつけてみた。どう見ても怪我はない、すり傷ひとつないはずだ。
「いや、ジュード。先日ミストラルに帰る時から気になっとったんだが……お前さん、剣に興味はないか?」
「剣?」
「うむ。よく利く目に見事な身のこなし、バランス感覚。お前さんは本当によいものを持っておる。どうだ、ワシが稽古をつけてやるから剣を覚えてみんか?」
そのあまりにも唐突な誘いに、ジュードの翡翠色の目は思わず丸くなった。
一応は鍛冶屋としてひと通りの武器なら使えるが、それでも得意というわけではない。あくまでも「使える」というだけ。ジュードの本業は鍛冶屋、つまり裏方のため戦士のような強さは特に必要ではないのだが――
「……メンフィスさんにそう言ってもらえるなら、やってみようかな。でも、オレに剣なんて使えるかなぁ」
強くなることは、決して無駄ではないはずだ。今のこのご時世では特に。ジュードの返答を聞いて、メンフィスは厳つい風貌を笑みに和らげると満足そうにうんうんと何度も頷き返す。
「ハハハッ、ワシがしっかり教えてやるから大丈夫だ。お前さんは筋もよさそうだからな。どれ、街に着いたら練習用の剣でも見繕ってみるか」
「はい、お願いします」
船室がある方を見てみると、そこには船員たちの安否を窺うカミラがいた。
――大丈夫だろうと思ってはいるが、魔族の問題が今後どうなっていくかはわからない。強くなれるのなら、少しでも強くなっておく方がいい。人間の子供ひとり多少強くなったところで、魔族にしてみれば赤子の手をひねるようなものだろうが。
次に慌ただしく動き始めた周囲の船員たちを見遣ると、その視線は自然と船の外側へと向く。
針路の先には、朝焼けに照らされるタラサの街が見えてきていた。
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