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 「ゔぇっ……うっ」

 ブカブカの甲冑を揺らし、小柄だが厚みのある背中は丸まって、掠れた女声を濁らせ嘔吐いた。
 かと思えば、一呼吸置き。一人でに、直前とまったく異なる雰囲気で、「う、大丈夫だ、がんばれレノワ。オレも、頑張るから」と自らを奮い立たせる。

 「べつに、そっちががんばって何か、変わるわけじゃないだろぉ」
 「それでもだ」
 「……」

 そんな新たなメンバーと共に、苦く生臭い口内に苦しみながら、性と死のニオイが漂う魔境を進んでいく。

 「あっ、おっ、んんっ、んおおっ!」
 「うわ……」

 5層の丁度中央付近に差し掛かったところだ。
 乳白色の床を貫き乱立する触手の柱。その一本一本に埋もれた女達が、集団で獣のような嬌声をあげているコロニーをよく見かけるようになった。

 「お゛おおおおっ、おおおおおおお!」

 白濁が注ぎ込まれ、吹き溢れていく。そのたび、家畜と化した女肉達が、限界まで熟れた乳房を揺らしてよがり狂う。
 全員手脚が融合しており、瞳は濁って理性を宿していない。
 思わず言葉を失った。ただ唖然として、その様を眺めてしまう。

 「見なくていい、手遅れだ」

 足掻く彼女の判断のほうが正しかった。
 ここでは、当たり前の死すら許されないようだ。

 「……行きましょう」

 受け入れ難かった。信じ難かった。
 しかし皮肉にも、淫猥なオブジェと化した人々を目の当たりにするたびに、一同は生存へと駆り立てられた。



 「っ、ゴースト来ます!」

 何度かやられて、相当堪えているらしい。「あ、く、この」と、背負子を背負う俺の身体が強張った。
 そこへ、「任せろ!」と、栗色の髪を揺らして女ドワーフがカットイン。
 盾になったそちらへ、黒い影達が襲い掛かる。

 「ふぐっ」

 接触した。しかし、取り憑かれはしない。勢いそのままに押されたようにその身は後ろへ仰け反って、体勢を崩した。
 こちらに倒れてくる。将棋倒しの予感がして、精一杯、首元に力を入れて衝撃に備えた。
 しかし、目の前の彼女は踏ん張り、堪え切る。そして、

 「っ、おおおっ!」

 口元から聖気の咆哮を放った。
 黒影達は散り散りになり、離れていく。

 「はぁっ、やっぱり、やれる……!」

 悪霊は、レノワの身には取り憑けないようだった。
 というのも、

 「ゴーストは、私達に任せてくれ……片方が取り憑かれたときでも、もう片方が抵抗すれば追い出せるっ!」

 その身は一つの身体に二つの精神があり、お互いが身体の主導権をいつでも握っている状態にあるというのだ。
 おかげで取り憑く側が的を絞れないのか、はたまた席が取れないのか。原理は不明だが、一定以上の耐性として効果を発揮していた。

 しかし、それは例えるならば舵取りが二人の船である。衝突しがちになりそうなものだが。

 「前に出て貰えるのは、とてもありがたいのですが……本当に、問題、ないんですか? その」
 「大丈夫だ」
 「それなりに、一緒に戦ってきたからな、へへ」

 女エルフは、その様子を「一人惚気芝居をしているようにしか見えない」と評した。
 好き合う相手と身体と心を共有するというのは、案外相当な幸福なのかもしれない。

 「気を引き締めろ貴様ら! 次が来るぞ!」
 「ひあ、は、はい!」

 ともあれ、今まで欠けていた前衛職が埋まったのは心強く。
 レノワオギト、一心同体の彼女らの活躍により、俺達は死中に活を見い出そうとしていた。



 ただ、そう簡単にはいかない。

 「く……う……」

 彼女らはC級冒険者だ。元々一つ劣る。
 そのうえ、ここまでの消耗を引き摺っている。装備だって拾ったもので、サイズが合っていない。
 決して万全のコンディションではないし、どうなっているのかはわからないが、大元の身体自体、戦士職のドワーフか、斥候職のドッグマンかだ。
 対抗はできても、サポートがなければ魔力量が心許なかった。

 「おい、ドワーフ娘」

 一山越え、移動中、後ろからリウカに話し掛けられ「ひっ」と、前を歩くその肩が跳ねる。
 
 「あー、ややこしい。今はどっちだ」

 足を止めないまま、雰囲気が瞬時に切り替わった。
 かの舌の淫紋のせいだろう。「どっちか、というわけではないから、区別は、しなくて構わないよ」と、少し舌足らずに答えた。
 対し、彼女はガラにもなく言う。

 「先ほどは助かった。感謝する」
 「え、あ、おう」
 「お互い様、です?」

 女ドワーフの表情が、ひたすらに当惑した。

 皮の状態でうかがい知っていたレノワは当然のこと、まだ会って間もないオギトはいきなりトンチキムーブを見せられているのだ。心中察するに余りあった。
 俺は、言わずもがな。次の言葉を想像して身構えた。

 「なんだその、失礼な考えの透けて見える顔は」
 「いや、そういうわけでは」
 「……ふん、まあいい」

 ……あれ?

 「貴様らのおかげで、生存の芽が、でてきた……ほうび……ゆる……」

 忘れてはいけない。
 消耗はもちろん、リウカもなのだ。
 かの覚悟の性飲以降、彼女は目に見えて活気を落とし、疲労を滲ませるようになっていた。

 紛いなりにも、空腹が解消されたこと。前衛のおかげで多少の余裕ができたこと。
 それらが原因で、張り詰めていた部分が緩んだか。
 そうでなくとも、身体は俺だ。決して体力的に優れていないにも関わらず、5層に落ちてからほとんど休めていないのだから、いつ限界が来てもおかしくはなかった。

 「……おい」
 「……」

 ふらり、ふらり。
 千鳥足で何度かふらついた後、すとん、と、尻もちをついて。
 彼女は動かなくなってしまった。

 「おい、どうしたんだよ、おい」

 背負われている身では確認できず、状況はレノワオギト、おそらく前者のほうから「だめだ、気を失ってる」と伝えられた。

 「マジか……」



 俺達は、しばらく彼女抜きでの生存を強いられることになった。

 幸い、レノワの身体は相当に力持ちであり、背負子と荷物を背負いながら、俺の身体を軽々と運んでくれた。
 おかげで早々にどちらかを諦める、ということにならなかったのはよかったが、それだけだ。苦戦は必至だった。



 「────」
 「おりゃ」

 俺はゴーストへ退魔の魔法を唱え、レノワオギトは寄る小型魔物を、道中拾った手斧で潰していく。

 「ここなら、確かに、小型魔物と、ゴーストしか入ってこない、けどっ……」

 安地ではないが、地形を選び転々としながらの戦いだ。進行を犠牲にする代わりに、会敵頻度は抑えられ。
 しかし、彼女の身は魔力切れ寸前。次のゴーストに抵抗すれば、意識の保障はない。
 安定とは程遠く、綱渡りだ。

 「うあっ⁉︎」

 遂に顔の大きさほどの小型ワームが捌ききれず、接近を許してしまった。
 サイズの合わない装備は隙間が多い。潜り込まれ、レノワの胸元が餌食となった。

 「いっ、いやだっ、離れろ、このっ」
 「っ、今すぐ魔法で対処を」
 「待って、この程度ならっ……っ、ああぁっ」

 彼女らの奮闘により、辛うじて追撃の二体目は迎撃するも、直後に身体をくの字に折り曲げ、悩ましげな声が上がる。
 ぐちゅ、ちゅ、ちゅじゅっ。卑猥な音が響く。何をされているのかが嫌でも伝わってくる。

 「っ、ちょ、オギト……!」
 「ごめ、ん……でも、これはぁっ」

 俺は詠唱し、口元から小規模な雷撃を生成して、そのワームへと放った。
 瞬間、「ああああっ」と悲鳴が上がる。ワームは一瞬怯んだ様子を見せたが、離れない。

 「くっ、すみませんっ……!」
 「いや、おかげでよわって……っ、くぅっ!」

 その身が、大きく痙攣した。
 瞳は一瞬とろんととろけて虚になる。が、すぐさま復帰。
 手斧をワームへねじ込み、引き剥がした後、壁へ叩き潰した。

 「はぁ……はぁ……っ、っーー~~~~」

 荒く息を吐きながら、ひとしきり屈辱に悶えたあと、女ドワーフの肢体は力無く壁に寄りかかる。

 「わたしのっ、私の胸がっ……ううぅっ」
 「おちつけ、大丈夫だ、大丈夫」
 「大丈夫なもんかっ」

 露出した乳房が、やられる前よりもぷっくらと腫れていた。
 身体を勝手に弄られる気分の悪さは、想像は難くない。例え二人一緒になっても、等しく降りかかるのだろう。
 愛らしい丸顔は真っ赤になり、下唇を噛んで震えている。

 「はぁ……っ、敵は? おちついた……?」

 それでも絶え絶えに、こちらへ問いかけた。
 索敵して、伝える。

 「はい。ただ、もう移動は、したほうがいいかと」

 静かに答えた後、眠るリウカをちらと見て、ぐっと噛み締める。
 悔しい。悔しいが、こうしていざ欠けると、彼女の魔法のありがたみがわかってしまう。
 彼女無しでは碌に進めないし、結末すら選べない。理解すると無性に悔しくて、下唇を噛み、顔を顰めずにはいられなかった。

 「何者なんだ、その……」

 そんな表情をしたからか。藪から棒に質問された。

 「いや、ええと、アルさんではなくて、ええと」

 淫魔の時より、幾分かフランクだ。
 別に失礼というわけではない。気遣いは感じる。ただ教養がないだけだ。

 まあ普通、冒険者はこういうものである。
 俺も必要に迫られる機会が多くなければ、敬語も社交辞令も知らないままだった。

 そうだ。初対面であんな上品に敬ってくるやつなんてまずいない。特に、こちらのガワはエルフだ。仮にもドワーフなら、最初は煙たがることが多いはず。
 なぜ騙されたんだろうか。もう少し考えればわかったものを。

 「レノワ、失礼だろ……」
 「っ、悪い……」

 おっと。今更な反省をしている間に、彼女らの中で話が進んで引っ込まれてしまった。
 必要最低限、軽くここまでの経緯に関しては話してはいたが、彼女については不足していた。
 「移動しながら話しましょう」と伝えて、移動中に改めて話した。

 「────って、感じです」
 「……」
 「すみません、舌が、こんななんで。あまり多く、話せなくて」

 気まずい間。
 向こうはしばし言葉を探すように言い淀んだが、

 「……こちらが言うのもおかしいが、なんていうか……大変、だったな」

 結局、見当たらなかったようだ。率直に、同情されてしまった。
 だいぶ言葉は選んだつもりだったんだがな。

 「あはは、はぁ」

 会話は大事だ。気持ちが消化される。
 だいぶモヤモヤしていたが、擁護的に話したことで一応、彼女もこの二人と同じ、イレギュラーなダンジョンに運命を狂わされた者であることが再確認できた。

 「まあ、選んだのは、俺なので」

 俺の仕事は、彼らと共に生還して、ここの状況をギルドに報告すること。その点に変わりはないので、延長線上の苦労は甘んじて受け入れるつもりでいる。
 なので、まあ。あまり憐れまないでほしい。

 「アンタえらいよ。まだ若いだろうに」
 「いや、そんなに、若くないですよ。だいぶ昔に、成人しましたし」
 「そうでなくとも、見ず知らずの相手にそこまで……なかなかできることじゃない」

 うん、そうそう。褒めてください。最初が下心ってところを端折って話したから、良心が少しだけ痛むけども。褒められる程度には頑張ってると思うんだ、俺。

 「オレたちも駆け出しのころは、よそ者でも親切にしたりしてたんだけど……」
 「たち、じゃない。あたしがやめさせたんだ。オギトはちょろくて騙されやすいから」
 「ぐっ、オブラートに包ませてくれ」

 彼女らは微笑んで、肩をすくめた。

 「それが、普通ですよ」
 「普通、ねえ。はは」

 冒険者稼業は、裏切りが当たり前だ。
 乾いた笑い声から、彼女らがそれを嫌というほど知ってきたことが窺えた。

 「っ……」
 「?」

 と、その途中で急に頭を抑え、顔を顰めた。
 「どうしました?」と尋ねると、彼女もしくは彼は、怠そうに答えた。

 「すまない、目眩が……」

 思ってたより早いな、くそ。 

 間違いない。魔力切れの症状だ。
 敵性反応は魔力を嗅ぎつけしつこく追ってきている。距離に、そこまで余裕があるわけではない。

 このまま倒れられたら、俺もあのオブジェの仲間入り────いやだ、それだけはいやだ。

 想定された事態で、どうするかは考えていた。
 一つだけ、すぐに思いついたものはあったものの、進んでやりたくはないので、他の手段を模索していた。

 だが結局見つかることはなく、俺は歯を食いしばって選択する。

 「……お二人とも、時間が限られているので、端的に言います」
 「ああ」
 「なんだ」
 「この身体の、乳を飲んでください。そうすれば、魔力は回復できます」

 我ながら、なんてひどいセリフだ。
 言ったそばから、自分で自分の気持ちがよくわからなくなってくる。

 「え、え」

 案の定、彼女らは耳を疑ったような反応を見せ、「正気か?」と返した。
 これは、何か思ったら負けだ。

 「正気です。足を止めていられる時間は、あまりありません。細かいことは考えず、実行してください」

 モラルの破綻は重々承知のうえで、羞恥を噛み殺し、非情に徹して、淡々と指示した。
 ただならぬ雰囲気が伝わったようで、彼女らは静かに背負子を下ろす。
 そしてこちらと向き合い、精一杯振り絞った。

 「君のことだ、考えたうえで言っているのだろう」

 ああ、そうだ。
 倫理的問題も、非常識さも、全て織り込んだ上で、本当にこれ以外思いつけなかったがゆえに、涙を呑んで言っている。

 「……よし」

 ドワーフ娘の表情は覚悟を決めたように頷いて、胸元へ口を近づけていく。
 が、半ばで自分の顔を殴った。

 「いや、せめて容器に入れて、それからだろ」

 自身の言葉に「うっ、それは、そう、だな」と返し、荷物の中から手頃な容器を探し始める。
 最中、探知魔法は急接近する魔物の群れを捉えた。
 急かすのも心苦しいが、そうも言っていられない。

 「っ、時間がない、はやくっ」
 「くっ、レノワ」
 「そこにいい容器あるだろ!」

 と、もたついているところへ、側で転がる小さな黒髪頭がむくりと起き上がり、声が。

 「私の胸だぞ……何を、勝手に……」

 起きてたのかよ、ちくしょう……!

 レノワは「ひっ! あ、あ、その」と狼狽える。
 が、リウカは目もくれない。こちらへ振り向き、目が開いているのかどうか、はっきりとしない虚ろな表情で胸元へ近づいてきた。
 そして、はむ。

 「ふぐぅっ⁉︎」

 布も払わずに、こちらの乳房の先を口に含んだ。
 身体が跳ねる。呼吸が引き攣る。
 「ええっ⁉︎」と困惑の声が上がり、女ドワーフの心配そうな視線が向く。

 「う、いや、こいつ……!」

 様子から察した。

 「なに寝ぼけてんだっ、こんな時に……!」

 何度か吸い舐った後、彼女はちゅぱと離れる。
 音、味、雰囲気。どれかで気づいたのか、どこかハッとした様子だ。
 目を何度かぱちくりした後、辺りを見回して怯えた顔で言う。

 「なんだ、私、気を失っていたのか?」
 「そうだよバカ」

 思わず悪態を吐くと、表情に若干力が戻り、「いきなり罵倒か、只人らしいな」と、不敵な笑みで返された。

 違う。こんなアホなやりとりしている場合ではない。
 大慌てで「ああクソ」と悪態を吐きながら、できる限り要点をまとめ、「なあ頼む。今ちょうど」と彼女に頼もうとした。
 が、その前に彼女はレノワのほうを向いて、「そうだ」と思い出したように口走る。

 「貴様ら、魔力が限界だろう……私の、その、この胸から出る、乳を飲め。回復できる」
 「え、あ、いいのか?」
 「直飲みは許さんがな……容器に移してから飲むのは許す。特別だぞ」

 まさか、彼女のほうから提案が出るとは。

 「勘違いするなよ! こんな頭のおかしい提案……必要だから、仕方なくだ! 触手に弄ばれて吸われるくらいなら、貴様らにくれてやるというだげっ」

 かなり無理が祟っているようで、言葉尻で、鼻からどぱっと勢いよく出血した。

 「うわっ⁉︎ 鼻血⁉︎」
 「くぅっ……いいからはやぐ飲んどげっ、敵がくるぞっ」
 「わかった、けど」
 「はやくしろ゛!」

 余裕が消えたのが、いい方向に働いているのか、なんなのか。

 「本人がそう言ってます……気にしないで、どうぞ」
 「ううっ、ごめん!」
 「んっ、くぅっ」 
 
 いずれにせよ、取り越し苦労に終わった俺の心情は、容器に放たれていく母乳と一緒に流されていった。
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