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 さて。
 メンシアの施設は、誰もが行き交う湖畔のエルシドとは違い、私有地の山の中まで一般の者が来るということがない。
 静かな環境でゆるりと静養できるのだが、エルシドのように外に足湯を作って気軽に使ってもらうということができない立地だと気づくのが遅れてしまった。
 エルシドの足湯は地元に大変に好評なので、ここメンシアでも作りたいと考えていたのだが。

「温泉を麓町まで通したら冷めてしまうかしら?」
「いや、ここは熱めの湯ですから大丈夫じゃないですか?」

 ゾロアの楽観的な意見に後押しされ、長くパイプを繋ぎながら麓の町に足湯を作り上げた。
ちなみに、のちの面倒を避けるため、パイプが通る土地も足湯施設の土地もすべてパルティアたちが買い上げた上でのこと。

 離れた場所だが、熱い源泉が麓に届く頃ちょうどよい温度に冷めており、あっという間にメンシアの人々や入港した各国の船員、旅客などの疲れを解す人気施設となった。

「しかし温泉つき施設なんて、本当に贅沢ですねえ」
「そう?こんなに温泉が豊富なのにいままでなかったことが不思議でしょう?」
「いや、自然に湧いたものならともかく、パルティア様たちのように無いなら掘ってしまえと言えるほどの金は我らにはございませんからね」

 ゾロアのそれは嫉みのようにも妬みのようにも聞こえかねないが、全く他意はない。

「そう・・なのね・・・。では麓に温泉を引いた普通の宿を建ててみましょうか?町中の施設ならここやエルシドのように広大な土地はいらないでしょう、馬房や車寄せ、湯棟と食堂を備えた宿泊棟だけのシンプルなもの。どうかしら?」
「おお!いいと思います。料理も相当グレードを落としたとしても、平民には夢のような味でしょうからね」
「グレードを落とすの?」

 ゾロアはちょっと呆れたようにパルティアを見る。

「それはそうですよ、ここのような食材を使ったら、それこそ平民には一生一度の贅沢になってしまいます。貴族しか泊まれない宿にするならよろしいですが」

 市井に交じって仕事をしてきたゾロアの言葉には、パルティアが知らない真実が詰まっている。

「私ったら、恥ずかしいわ。ちょっとうまくいったくらいで調子に乗って」
「いえ、卑下なさることはございません。温泉つきの宿は旅人のためにも是非やっていただきたいと私も思っております」

 促されたパルティアは、気持ちを切り替えてアレクシオスの元へと相談に行き、温泉の有効活用と地域への還元ということで三軒目の町中の宿にも着手した。

 パルティアはここで一つの提案をしていた。近隣の宿の泊り客や地元の者たちにも温泉を開放するというものだ。
但し、宿の中の湯は宿泊者用で建物の中に不特定多数の者が出入りするのは警備上よろしくない故、ビジター用の湯棟を別に建てる。
 余分に土地が必要になるが、平民の家には風呂がないため、季節を問わず、たらいに湯を張って浴びるか、絞ったタオルで体を拭いて過ごしているとゾロアに教えられ、需要があると見込んだ。
 実際、普通の宿であっても大たらいに湯を入れてやり、客はその中でなんとか腰まで浸かって体を洗うのが一般的なため、足湯施設の隣の土地を持つ商会に売却交渉に向かったところ、大変に歓迎された。

 それ以来、新しい施設を建てる度に、地元の者が入浴できる温泉施設を近くに建てることに決め、周囲の環境も合わせて開発していくようになる。
 それがパルティアたちはまったくそれとは知らずに、地域の衛生環境も大きく変えることとなった。
 まず風呂を覚えた人々が、清潔さが気持ちいいと、それまでより頻繁に手を洗うようになった。風呂に行けなくても、帰宅したらすぐに手や顔、足を洗いさっぱりする。
 そして温泉施設の排水で近隣住民に迷惑をかけないよう、拙い簡易なものではあったがパルティアとアレクシオスが町の一角に下水を整備したことにより、施設の周囲では格段に伝染病が少なくなったのだ。
 ただそれは今は、誰も気づいていないこと。その功績が理解されるのはまだしばらく先である。
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