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ザイア・タイリユは王城で文官の仕事に就き、子爵家嫡男として領地経営を学びながら、子爵家が抱える商会の仕事も手伝っているため非常に多忙であった。
息をつく間もないほど自分を追い込み、仕事に没頭する。痛々しいほどに。
三年前。
ザイアの父ザニ・タイリユ子爵が庶子として引き取った娘ソイラが、名家の伯爵令嬢の婚約を引き裂いて彼女を傷つけ、以来タイリユ子爵家は社交界で誹謗中傷を受けるようになった。
当時は貴族相手に商売をしていたタイリユ商会も大きなダメージを受け、富裕層の平民向け部門を新設して時間をかけて漸く持ち直したのだが、想い合っていると信じていた婚約者からタイリユ子爵家の有責で破棄すると言われたザイアは深く傷ついた。
弟ゲールも婚約破棄されて似たようなものだったが、ゲールは切り替えが早く、平民の商会の娘との婚約を決めてうまくやっている。
ザイアも子爵家の嫡男としてそろそろ本気で考えねばとは思っているが、気持ちがなかなかついてこないのだ。
最近気になる女性が現れたが、スイーツ店の店員では次期子爵夫人としては認められないだろうと、言葉を交わすだけで十分満足だった。
それが変わってきたのはいつからだっただろう?
モニカやメーメが店番をしていてサラに会えずに帰る日は項垂れ、サラの勧めるスイーツを手に帰るときは羽でも生えたように足が軽い。
ザイア本人も薄々自分の気持ちに気づいていたが、まわりにはよりわかりやすく見て取れ、母エラがひとりでこっそりメーメの店に行くほどになった。
そのエラにもソイラのことは深刻な影響を及ぼした。
エラにとっては縁もゆかりも毛ほどもないソイラのせいで社交界で誹りを受けることになり、大切なふたりの息子たちは婚約者を、そして多くの財産を失った。
以前からの親しい友人たちはエラに同情的だったが、茶会や夜会に出ると晒されて聞こえるように様々な噂をされる。
最初は毅然と社交に出ていたが、頻繁に倒れるようになって食事も摂れなくなり、それはエラだけではなくザイアやゲールを、そして誰よりも原因となった子爵、エマの夫ザニを徹底的に苦しめた。
ザニは幼少時のエラとの初顔合わせで一目惚れし、ソイラの母からザニの子だと言われても信じることはできなかったほどエラ一筋だった。
エラを裏切った記憶はザニにはなかったが、こどもが生まれていた以上ソイラには父が必要だ。
秘かに養育費を支払いながら十三歳まで実母の手元で育てられていたが、自分の子であったら貴族としての教育も受けさせねば可哀想だと、家族に頭を下げてソイラを引き取り育ててきたのに。
ザニの判断は家族と子爵家を数年に渡り痛めつけることになった。
「貴方」
エラから声をかけられるのはひさしぶりで、ザニはうれしそうに駆け寄る。
「ザイアが最近気に入っているお嬢さんがいらっしゃるの」
にこりともせず、視線を合わせるでもなくまるで独り言のようにエラが話す。
「王都の裏通りにあるメーメの店というスイーツショップで働くお嬢さんで」
「は?はあ?スイーツショップの店員だと?」
呆れたように言ったザニをギロリと睨むエラ。
「貴方のソイラがザイアの婚約を壊すことがなければ、とっくの昔にかわいい孫の一人や二人を抱いて過ごしていたでしょうね、わたくしも」
嫌味を言われたザニは身をすくめた。
「そのお嬢さんは立ち居振る舞いを見るからに貴族出身と思われます。お家が没落したのかもしれませんわ。それならどこか養子先を紹介すればザイアと結婚させられるのではないかしら」
「なるほど!そうか、そうだな」
「もし、ザイアがそのお嬢さんを連れてきたら、口出し無用ですわよ一言もね。おわかり頂けたわね?」
エラはザニがソイラを引き取りたいと言った日から、ザニとまともに話すことはなかったので声をかけられ喜んだが。
冷たくあしらわれてがっくり項垂れたザニは、エラの足音が自分を置いて立ち去るのを聞いていた。
ザイアはその日も王城の帰りにメーメの店に寄った。
エラがデコレーションケーキの話をしていたからだが、扉を開けるとサラが出迎えてくれて心が躍る。
「いらっしゃいませ。あら!」
びっくりしたように目を見開いたあと、にーっこりとしたサラに違和感を感じて小首を傾げた。
「失礼いたしました。実は今日御母堂様がいらっしゃいましたの」
「御母堂様?・・・ええっ?私の母?」
「はい。美しい御髪や瞳の色はお母さま譲りでいらっしゃるのですね」
母上め!と思ったが、サラに髪と目の色を褒められて頬が緩む。
「お店でケーキをお召し上がりになったあと、たくさんおみやげにお持ち帰りくださいましたのよ。お買い求めいただくのはもちろん有り難いのですが、今日はもうよろしいのではありませんか?」
サラのやさしさにほんのりと笑み、礼を言う。
「お気遣いありがとうございます。いつも屋敷の使用人たちにも分けていますのでいくらあっても大丈夫です。実はうちのパティシエの作るデザートより美味しいと、こちらのスイーツは屋敷で大人気なのですよ」
さり気なくサラを褒めると、はにかんだ様に口角を上げて頬を染めている。
(かわいらしい人だ)
ザイアはその日、いつもよりももっと多くのスイーツを買い込んで上機嫌で店を後にした。
ケーキを崩さぬよう丁寧に馬車に積み込んで、自分も乗り込もうとしたが、目の端に人の影が映りハッと驚愕する。
御者に少し待つよう伝えると、その者を追って人混みに消えていった。
息をつく間もないほど自分を追い込み、仕事に没頭する。痛々しいほどに。
三年前。
ザイアの父ザニ・タイリユ子爵が庶子として引き取った娘ソイラが、名家の伯爵令嬢の婚約を引き裂いて彼女を傷つけ、以来タイリユ子爵家は社交界で誹謗中傷を受けるようになった。
当時は貴族相手に商売をしていたタイリユ商会も大きなダメージを受け、富裕層の平民向け部門を新設して時間をかけて漸く持ち直したのだが、想い合っていると信じていた婚約者からタイリユ子爵家の有責で破棄すると言われたザイアは深く傷ついた。
弟ゲールも婚約破棄されて似たようなものだったが、ゲールは切り替えが早く、平民の商会の娘との婚約を決めてうまくやっている。
ザイアも子爵家の嫡男としてそろそろ本気で考えねばとは思っているが、気持ちがなかなかついてこないのだ。
最近気になる女性が現れたが、スイーツ店の店員では次期子爵夫人としては認められないだろうと、言葉を交わすだけで十分満足だった。
それが変わってきたのはいつからだっただろう?
モニカやメーメが店番をしていてサラに会えずに帰る日は項垂れ、サラの勧めるスイーツを手に帰るときは羽でも生えたように足が軽い。
ザイア本人も薄々自分の気持ちに気づいていたが、まわりにはよりわかりやすく見て取れ、母エラがひとりでこっそりメーメの店に行くほどになった。
そのエラにもソイラのことは深刻な影響を及ぼした。
エラにとっては縁もゆかりも毛ほどもないソイラのせいで社交界で誹りを受けることになり、大切なふたりの息子たちは婚約者を、そして多くの財産を失った。
以前からの親しい友人たちはエラに同情的だったが、茶会や夜会に出ると晒されて聞こえるように様々な噂をされる。
最初は毅然と社交に出ていたが、頻繁に倒れるようになって食事も摂れなくなり、それはエラだけではなくザイアやゲールを、そして誰よりも原因となった子爵、エマの夫ザニを徹底的に苦しめた。
ザニは幼少時のエラとの初顔合わせで一目惚れし、ソイラの母からザニの子だと言われても信じることはできなかったほどエラ一筋だった。
エラを裏切った記憶はザニにはなかったが、こどもが生まれていた以上ソイラには父が必要だ。
秘かに養育費を支払いながら十三歳まで実母の手元で育てられていたが、自分の子であったら貴族としての教育も受けさせねば可哀想だと、家族に頭を下げてソイラを引き取り育ててきたのに。
ザニの判断は家族と子爵家を数年に渡り痛めつけることになった。
「貴方」
エラから声をかけられるのはひさしぶりで、ザニはうれしそうに駆け寄る。
「ザイアが最近気に入っているお嬢さんがいらっしゃるの」
にこりともせず、視線を合わせるでもなくまるで独り言のようにエラが話す。
「王都の裏通りにあるメーメの店というスイーツショップで働くお嬢さんで」
「は?はあ?スイーツショップの店員だと?」
呆れたように言ったザニをギロリと睨むエラ。
「貴方のソイラがザイアの婚約を壊すことがなければ、とっくの昔にかわいい孫の一人や二人を抱いて過ごしていたでしょうね、わたくしも」
嫌味を言われたザニは身をすくめた。
「そのお嬢さんは立ち居振る舞いを見るからに貴族出身と思われます。お家が没落したのかもしれませんわ。それならどこか養子先を紹介すればザイアと結婚させられるのではないかしら」
「なるほど!そうか、そうだな」
「もし、ザイアがそのお嬢さんを連れてきたら、口出し無用ですわよ一言もね。おわかり頂けたわね?」
エラはザニがソイラを引き取りたいと言った日から、ザニとまともに話すことはなかったので声をかけられ喜んだが。
冷たくあしらわれてがっくり項垂れたザニは、エラの足音が自分を置いて立ち去るのを聞いていた。
ザイアはその日も王城の帰りにメーメの店に寄った。
エラがデコレーションケーキの話をしていたからだが、扉を開けるとサラが出迎えてくれて心が躍る。
「いらっしゃいませ。あら!」
びっくりしたように目を見開いたあと、にーっこりとしたサラに違和感を感じて小首を傾げた。
「失礼いたしました。実は今日御母堂様がいらっしゃいましたの」
「御母堂様?・・・ええっ?私の母?」
「はい。美しい御髪や瞳の色はお母さま譲りでいらっしゃるのですね」
母上め!と思ったが、サラに髪と目の色を褒められて頬が緩む。
「お店でケーキをお召し上がりになったあと、たくさんおみやげにお持ち帰りくださいましたのよ。お買い求めいただくのはもちろん有り難いのですが、今日はもうよろしいのではありませんか?」
サラのやさしさにほんのりと笑み、礼を言う。
「お気遣いありがとうございます。いつも屋敷の使用人たちにも分けていますのでいくらあっても大丈夫です。実はうちのパティシエの作るデザートより美味しいと、こちらのスイーツは屋敷で大人気なのですよ」
さり気なくサラを褒めると、はにかんだ様に口角を上げて頬を染めている。
(かわいらしい人だ)
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